第四章 放浪の元騎士ヴァイスの誓い(1)

 出立の日、挨拶に訪れたヴァイスを出迎えた雇い主の貴婦人は、いつもより派手に着飾って、肉付きのよい指でハンカチを掴み、涙ぐみながら彼の前に立っていた。

 「本当に? 本当に契約更新はしてくれないのね。ああ…残念だわ」

 「申し訳ございません、奥様。これも流浪の身のさだめでございますゆえ」

白い手袋をはめた片手を胸に当て、男は優雅に一礼する。

 「一つところには留まれぬ性分なのです。どうかお許しを。奥様のお優しい心づかい、ここで受けた思いやりについては決して忘れることはございません」

 「ああ…ヴァイス殿」

でっぷりとした身体をドレスがはちきれんばかりにくねらせて、貴婦人は目元の涙をぬぐい、大げさに悲嘆の溜息をくれた。それから、自らの指に嵌めていた銀の指輪を外し、そっと、彼の手に握らせた。

 「これを。これをお持ちになって。わたくしの思い出に。…忘れないでくださいましね、わたくしのこと」

 「ええ、誓って。」

いかにも後ろ髪引かれているような寂しげな、――だが何所か作り物めいた微笑みとともに、男は指輪を受け取って、それを大切に握りしめるそぶりを見せた。それから、くるりと踵を返し、落ち着いた足取りで豪華な私室を後にする。

 まるで深い関係のような別れの儀式だが、実際のところ、彼がここに臨時雇いの警備として雇われたのは、ほんの数カ月前に過ぎなかった。

 元々の仕事は、屋敷の主人が不在の間の奥方の警護やパーティーへの随伴。美形とまでは言わずとも容姿がそれなりに端麗で、人並み以上に腕が立ち、それでいて立ち居振る舞いに垢ぬけたところのあるヴァイスは、このリギアス連合国の貴族たちの間では、ちょっとした評判の主なのだった。


 「かつてアイギス聖王国の精鋭だった、放浪の元騎士」。


 小国家の連合である新興勢力のリギアスには、貴族とは名ばかりの成りあがり商人や家系の浅い家が多い。そんな大小様々な貴族たちにとっては、かつての覇権国家である、長い伝統と歴史を誇るハイモニアの後継――アイギス聖王国は、文化の香り高い憧れの国でもあった。

 その国の精鋭騎士団の一員として礼儀作法を身に着けた流浪の元騎士は、多少値が張るとしても一度は召し抱えてみたい存在なのだった。


 実際、この男の身に着けた洗練された身のこなしは、リギアスの辺境では、まだほとんど根付いていない類のものだった。

 おまけに女性たちの扱いに長けている。奥方やご令嬢たちの受けは何処でも上々だった。


 しかしそれゆえに、一家の主人からは、妻の不貞や娘たちとの不慮の事故を危険視され、一つところで長く雇われることは無い。今回も、あのでっぷりとした奥方がヴァイスに熱を上げ過ぎてしまったがために、主人からは、次の契約更新は出来ないと、困惑気味に告げられたのだった。


 もっともヴァイスのほうも、それでいい、と思っている。

 最初から、一つのところに長居をするつもりなどない。新たな主人を探すつもりもない。

 傭兵の仕事は生活と情報収集のための手段過ぎず、貴族相手の商売は、効率的に稼げて欲しい情報が集まりやすいというだけだ。

 それにリギアス連合国には、かつてのハイモニア内戦で各地に散らばった魔法道具アーティファクトが多く存在している。今回の仕事も、それを狙って自ら売り込んだのだった。


 そして、目的は達成された。




 屋敷を出て街道の入り口まで出たところで馬を止め、ヴァイスは、大きく息を吐いて首元に巻いていた白いタイをやや乱暴に引きはがした。

 「はー、…ったく、息が詰まるかと思ったぜ。なんなんだ、あのキッツい香水」

毒づく口調は早くも本来の、…礼儀作法とは無縁の自然体に戻っている。


 やれ、と言われれば幾らでも礼儀正しく振る舞うことはできるが、好きかと言われるとそうではない。苦労して身につけたものと、生来のものとは違うのだ。

 彼は上着のポケットから取り出した指輪を、軽く光に翳した。表面に刻まれているのは、絡み合う不鮮明な二頭の獣。百五十年ほど前に滅ぼされた、魔法王国イーリスのものだ。

 最初からこれが目的だった。――あの家、カルマン子爵家に伝わる魔法道具アーティファクトの一つ。「幸運の指輪」と呼ばれている品だ。


 奥方に取り入ったのは、これを合法的に手に入れるためだった。懇意になり、別れ際に奥方との思い出に、奥方がいつも身に着けているそれが欲しいのだと告げるなど、いかにも貴族のご婦人の好みそうなロマンチックな筋書きではないか。我ながら演技は上手くいった。ほだされた奥方は涙ぐみながら、自らそれを外して与えてくれた。

 騙すつもりなどなかったし、もちろん、ヴァイスは彼女のことを忘れるつもりはなかった。

 というより、指輪を見れば、嫌でも思い出しただろう。その指輪の台座部分は、彼女の太い指に合わせて、無理やり引き延ばされていたのだから…。

 (上手くいったのは何よりだが、ダンナの子爵殿が気づいて追っかけて来ないうちに、早いとこずらかったほうがいいな)

まさか不在の間に、奥方が家宝を勝手に傭兵に与えてしまったなどと、人の良い子爵は思いもよらないに違いない。

 彼は指輪を大切に仕舞いこむと、馬に拍車を当て、風のように街道の彼方へと走り出した。




 向かった先は、ふだん拠点にしている街、ベリサリオだ。

 その街は、リギアス連合国と隣のティバイス首長国との勢力圏の境界に近く、街道の交わる街としてそこそこ栄えている。人と物流の集積所だから情報集めにももってこいだ。だからなのか、この街には他より少し大きめの斡旋所があり、出入りしている傭兵の数も多い。ヴァイスも、貴族たちの口コミで仕事をする時以外は、ここで斡旋所から依頼を請けて仕事をしている。

 もっとも彼の場合、仕事を受ける「請負人」と、依頼を出す「依頼人」の両方をやっている。

 欲しい情報を手に入れるためには、見込みのある仕事をするだけではなく、自分のほうでも依頼を出して、他の傭兵たちに動いてもらわねばならないのだ。

 街の中心部にある斡旋所の入り口には、目立つ大きな看板が掲げられ、あたりさわりのない日雇い仕事は入り口脇の掲示板に貼りだされている。そこはいつも盛況で、依頼の読み上げ係は今日も大忙しだ。

 その様子を軽く横目に流しながら、彼は、建物の中へと入って行った。


 まず向かったのは、受け付けの隣に併設された銀行だ。斡旋所に登録している傭兵なら、誰でも利用できる。

 傭兵ともなれば、仕事をするのに身軽なければ都合が悪い。常に大金を持ち歩くわけにもいかないから、斡旋所に併設された銀行に報酬や所持金を預けていくことが出来る。直接引き出せるのは預けた斡旋所だけなのだが、別の斡旋所から依頼を出して取り寄せることは出来るし、頼めば、遠くに住む家族など任意の場所に届けて貰うこともできる、便利な施設だ。

 ヴァイスは銀行の受付カウンターの上に登録証と皮袋を置いて、窓口の奥にいる、顔なじみの窓口係声をかけた。

 「送金を頼みたい。いつものところだ」

 「はい、承ります。残りはどうされます?」

 「依頼報酬の積み立てに回しておいてくれ。残額は? まだあるか」

 「ええと…ちょっとお待ちくださいね」

係は、足元から帳簿を取り上げて、ぱらぱらと捲る。「積立金の残額は…そうですね、まだ四百あります。このところ、あまり動きが無いようです。詳しくは、裏の会計係に聞いてください」

 「ああ、そうする」

そう言って、彼は受け取った預入書類を一瞥だけして窓口を去っていく。一方、隣の窓口では、初めて銀行というものを利用するらしい傭兵相手に、窓口係が説明に四苦八苦している。

 傭兵の出自は様々で、都会に出て来るのが初めてというような辺境出身の者もいれば、文字の読み書きや計算が出来ない者も少なくはない。そのために、ここには依頼内容を口頭で読み上げて伝えたり、書類への記入を代筆する係がいる。ひとくちに傭兵といっても、その出自も、得意分野も様々なのだ。ただし、元騎士などという経歴の持ち主で、敢えて汚れ仕事と見なされている傭兵をやろうなどという者は、滅多に居ない。


 前の仕事の報酬を預けて身軽になったら、次に向かう先は会計係のところだ。

 ヴァイスは、この斡旋所を通じて幾つかの依頼を出している。その進捗を聞くためだ。


 依頼主のための受付は、斡旋所の裏にある、厳重に警戒された建物のほうにある。

 依頼の中には非合法のものもあるし、誰が依頼を出したのか知られたくないものも少なくないから、誰が出入りするのかは、徹底して分からなくされている。中で別々の依頼主がカチ合うことのないよう、声も洩らさぬよう、建物の構造すら分からない作りになっている。

 けれどヴァイスは、自分が依頼を出していることを隠してはいないし、依頼内容も特に非合法のものではない。いつも彼が通されるのは、建物の入り口に近い、応接室のような小さな部屋だった。騎士としての礼儀作法はどこかへ置き去りにして、ヴァイスは、だらけた格好で長椅子に寝そべった。


 出された酒と菓子をつまみながらしばらく待っていると、丸眼鏡をちょこんと鼻の上に載せた小太りな男が、身体を軽快に左右にゆすりながら現れた。

 「やあ、ヴィンセント。久しぶりだねえ。仕事の区切りがついたのかい?」

笑顔で言いながら、向かいの椅子に腰を下ろす。応対に出て来る係はいつも同じ。もう十年来の付き合いになる、この斡旋所の依頼主担当の受付係であるクラーリオ。風体の上がらない格好だが、澄んだすみれ色の瞳が妙に目を惹く男だ。彼は報酬の会計係も兼ねている。

 「いまどき本名で呼ぶのはあんたくらいだよ、クラーリオ。まぁいいけどな、ここなら誰も聞いちゃいないし」

 「正しいだろう? ヴァイスというのは傭兵としての仕事用の名前で、こっちが依頼主としての登録名なんだから」

手にした書類を二人の間の小さな卓に置き、彼は、すぐさま仕事の話に入っていく。ヴァイスが、世間話より単刀直入なほうを好むのを知っているからだ。

 「ええとね。依頼の状況だけど、まず、探し人の依頼のほうは完結したよ。死亡確定だ。」

 「へえ、どこで死んだ」

 「三年前、ランドン会戦で。傭兵だったんだ。ただし、うちに登録はしていなかった。どうも、依頼主をゆすったり、雇い主の持ち物に手を付けたり、ずいぶん筋の悪い傭兵だったらしい」

 「なるほど。そりゃ、斡旋所に堂々と登録は出来ねぇな。ま、それなら仕方無ぇか」

頬杖をついて書類を見下ろすヴァイスの口調は、やけに淡々としている。クラーリオは書類から顔を上げ、彼の顔色を伺った。

 「残念じゃないのかい? この男、君の仇の一人なんだろう」

 「直接の仇ってわけじゃねぇし、こいつは、本命に雇われたただの下っ端の一人だ。もしこいつを確保していても、おそらく雇った奴のことは何も知らなかっただろう。…だから、まぁいい。生きてたら念のため会いに行っただろうが、その手間も省けた」

 「そうか。…」

数秒の沈黙が落ちる。

 クラーリオは、小指で丸眼鏡を押し上げると、書類を捲って続けた。

 「依頼報酬は提示の金額で清算済み。次の依頼だ。シルシラ平原周辺の巡回は異常なし。平穏そのもので何も特筆すべきことは報告されていない。…どうする? このまま定期巡回の依頼は続けるかい?」

 「ああ、一応続けてくれ。どうせ何も起きんだろうが、それならそれで構わない。あそこにはもう、何もないという確証にはなる。で、魔法道具アーティファクトについての調査は?」

 「そっちも今のところ、動きは無しだ。闇市でも、斡旋所の情報網でも、あんたの探しているような魔法道具アーティファクトについての情報は引っかかって来ていない。…さすがにもう十年だ。情報があったとしても…いや」

はっとして、クラーリオは慌てて口をつぐんだ。それは依頼主に無駄な依頼だと忠告するようなもので、本来言うべき言葉ではないのだ。


 だがヴァイスは、気にした様子もなく、菓子をつまみ上げている。

 「そういや、あんたんとこで依頼出し始めてから、もうそんなになるのか。早いもんだな」

 「…なあ、ヴィンセント。もしこのまま、何の手がかりも掴めなかったらどうするつもりだ? その、…これは斡旋所の職員としてではなく、あんたの古い友人の一人としての忠告なんだが。あんたほどの腕と才能があれば、こんな仕事を続けなくても、幾らだって新しい人生は歩めるだろうに」

 「それじゃ駄目なんだよ」

彼は小さく首を振り、寝そべっていた姿勢から体を起こした。声色に、僅かに感情が籠る。

 「オレの仕えるべき主人は今も一人だけだ。…あの方がどうして殺されたのか、一体誰の仕業なのか、オレは絶対に突き止めなきゃならない。でなきゃ家族にも、殺された仲間たちにも顔向けできねえ」

 「……。」

 「ま、歩みは遅遅たるもんだが、ようやく少し手がかりが見えて来たところだ。これでいい。何も無駄にはしていない。――また来る。じゃあな」

ソファから立ちあがると、彼は、おもむろに部屋の扉を開けた。外には案内係が待っている。出口まで、他の依頼主と鉢合わせないよう、また建物内で怪しい動きをされないよう案内するためにいる。逆に言えば、ここでは自由に動き回ることは出来ないのだ。


 曲がりくねって入り組んだ廊下を通り過ぎ、ようやく外の景色が見えたかと思えば、そこは、入って来たのとは全く別の通りに面した建物の中。

 案内係に外に送り出されたあとは、振り返ってももう、そこには壁しかなく、戻ることは出来ない。

 (念入りなことだ。――だがまぁ、十年も通ってりゃ、判ることもある)

ヴァイスは周囲を見回してから、上着のポケットに突っ込んでいた片手を引き抜いた。その指には、前の持ち主のせいでブカブカになった指輪が、ほとんど引っかかるようにして嵌められている。その手で壁に触れると、微かに端のほうが動く気配がした。

 (やっぱりな)

彼は口の端を吊り上げて薄く笑い、指輪を上着の中に戻して歩きだした。




 この十年、ずっと"仇"を追って来た。

 かつて仕えた主君、アイギス聖王国の王弟ルートヴィッヒを惨殺した相手。

 誘い出されるようにして罠にかかり、騎士団の仲間たちともども皆殺しにされたのだ。護衛の騎士たちのうち、ただ一人の生き残りだったヴァイスは、主君と仲間を見捨てて逃亡した腰抜けと糾弾され、任を解かれ、逃げるようにして国を出奔せざるを得なかった。

 年若い新参者で、家柄も高くは無かった彼の証言を、誰も信じてはくれなかった。犯人が使っていたものが、どうやら魔法道具アーティファクトという道具で、それがその時点ではだれも存在を知らない未知の種類だったことを知ったのは、国を出て、情報を探して斡旋所に辿り着いたあとのことだった。


 犯人を見つけ、王子殺害の理由を問いただし、あの時の雪辱を晴らしたい。

 そうすることでしか、胸を張って故郷に、かつての主君や仲間たちの墓前に帰ることは許されない。

 ――そのために、斡旋所に出入りしながら魔法道具アーティファクトについての知識を深め、犯人の足取りを追い続けてきたのだった。


 リギアス連合国に流れ着いたのも、貴族たちに取り入るような仕事をするようになったのも、あまり知られていない魔法道具アーティファクトが彼らの元に多く所有されていたからだった。

 (そう、全ては必要なことだった。)

壁にもたれ、日が暮れてゆこうとしている街並みを眺めながら、彼は心の中で呟いた。

 自ら騎士団を組織し、国中の隅々まで兵を配置しているアイギス聖王国では、傭兵の仕事はほとんどない。斡旋所も、国境に近い場所に数カ所があるくらいで、その存在や大陸中に張り巡らされた情報網の大きさに気づくには、アイギスから外に出るしか無かった。

 魔法道具アーティファクトについても、そうだった。

 アイギス聖王国は、かつてイーリス魔法王国を滅ぼしたハイモニアの直系の後継国に当たる。現在の王家も、かつてのハイモニア王家の子孫なのだ。

 ハイモニアがイーリスを滅ぼした経緯やその歴史、ハイモニア王国の瓦解とともに散逸した魔法道具アーティファクトの行方は、アイギスではあまり表立って語られることは無かった。

 だが今なら、かつて知り得なかったことも知っている。十年前は出来なかったことも出来る。




 目の前で斡旋所の裏口が開き、仕事を終えた職員の一人が荷物を抱えて現れた。裏口に鍵を卸し、家路につこうとしている。

 ヴァイスは壁を離れると、丸っこい、その人物の背後に音もなく近付いて、静かに肩に手をかけ、傍らの路地に引きずり込んだ。

 「よう、クラーリオ」

 「――ひっ?!」

小さく声を挙げて振り返った男の目の前で、見覚えのある男が口元に指を当てながら薄い笑みを受かべている。

 「あ、ああ…なんだ、ヴィンセントか…」

 「ちょいと話があってな。仕事の外での話なんで、終わるのを待ってたんだ」

 「そんな、気を使って貰わなくても良かったのに」

苦笑しながら、クラーリオは落ち着かなさげに辺りに視線を彷徨わせた。どうしてこの男は、わざわざこんな乱暴な方法で、自分を路地裏に引きずり込んだのか。どうして今、退路を塞ぐように目の前に立ちはだかっているのか。それに、――まるで逃がさないというように、肩には手がかけられたままだ。

 「あんたに言っておくことがあってな。聞きたいこともあるが、それはまぁ、どうでもいい」

 「な、何だ」

 「オレは、これからトラキアス王国の"虹の樹海"へ行く」

 「はっ?!」

小太りな男の顔がさっと青ざめ、汗が滲みだすのを見て、ヴァイスは口元を吊り上げた。

 「知ってんだな?」

 「あ、当たり前だ。あそこは、かつて魔法王国のあったと言われる場所だぞ? 魔法王国が滅びる際に最後に使われた防衛のための魔法道具アーティファクトのせいで、誰も近付けず、立ち入れない…異常に成長した森の木々によって、帰らずの迷宮と化している。

 君だって知っているだろう、ときどき魔法道具アーティファクト蒐集家の探索依頼が出されるが、請けて無事に戻って来た者は居ない。確かにあそこなら誰も知らない魔法道具アーティファクトの手がかりがあるかもしれないが、…いくら君でも、危険すぎる。早まるな」

 「オレは敗ける戦はしねぇよ。勝算がある」

言いながら、彼は片手でポケットから、銀の指輪をつまみだして見せた。

 「こいつが何か判るか? "幸運の指輪"だそうだ。かつてハイモニアがイーリスを滅ぼす時に使ったカラクリの一つ。こいつを持つ者には、イーリス兵の攻撃はひとつも当たらず全部避けていった…とか何とか。ま、そんな言い伝えはともかく、こいつなら、樹海に仕掛けられた罠もどうにかしてくれるはずだ」

 「か、確証は無い…」

 「確証ならあるさ。」ヴァイスは、ちょっと肩をすくめてみせる。「今日、あんたらの使ってる仕掛けで試してみたからな。斡旋所のあちこちに作られてる隠し通路――あれを解除する鍵として使ってみた」

 「!」

クラーリオは、声も上げずに表情を引きつらせた。大粒の汗がしたたり落ちている。ヴァイスは少し気の毒な気分になっていた。この男は、根っからの善良者なのだ。隠し事こそしていても、嘘や誤魔化しは得意ではない。


 あまり刺激を与えないよう、だが手の力は緩めないまま、ヴァイスは、淡々と後を続けた。

 「あんたに落ち度があったわけじゃ無ぇ。十年も利用してりゃ、嫌でも気づいちまうってもんさ。それにオレは、請負人としても依頼主としても、――表と裏の両方から、ここを見ていたわけだからな。どこまで気づいてるかって? まぁ、そうだな。斡旋所の仕組み自体が、魔法道具アーティファクトを利用してる。で、それを扱うために、職員にイーリス人の末裔が何人も、それとなく紛れてる。あんたもそうだろ? クラーリオ。ここの戸締りに使われている魔法道具アーティファクトを扱える、あんたもイーリス人の末裔のはずだ」

 「……どうやって、…いや、…そうか。」

気持ちを落ち着かせるように、男は、震える手でゆっくりと眼鏡を押し上げた。

 「君は仇を探すために、世の中に存在する、あらゆる魔法道具アーティファクトの種類と在り処を調べていたんだったな。それに…、魔法道具アーティファクトの効力が効きづらいという、生まれつきの素質の持ち主だ。そのお陰で、かつての襲撃も生き残れた。…だったな」

 「ああ。依頼主用の通路のあちこちに仕掛けられた目くらましには、最初から気づいていた。ま、疑い始めた切っ掛けはそこだ。だから、あんたのせいじゃない」

はあ、と小さくため息をついて、小太りな男は俯いた。

 「イーリスは滅びた。あの奥にあるものは…ただの廃墟だろう。樹海の奥には、求めるものは何もないと思うぞ、ヴィンセント」

 「それならそれで構わない。けど、賭けてみるのも悪くないだろう? 手がかりがあるとすればもう、望みは、あそこくらいのもんだ。聞きたかったのはな、クラーリオ。あんたらイーリスの末裔は、本当に、あの奥にと思っているのか、ってことだ。」

 「……。」

沈黙。

 「ああ、やっぱりそうか。ま、――そうだろうなと思っていたよ。」

明るく笑って、ヴァイスは男の肩から手を離した。

 嘘をつけない善良なこの男が沈黙してしまうのなら、その答えは、一つしかない。

 「なあクラーリオ。オレは別に、あんたらを恨んでるわけじゃ無ぇんだ。魔法道具アーティファクトのせいでこんな目に遭ってるとはいえ、元はといえば、オレの仕えた主人のご先祖様たちが、あんたらのご先祖様の国を滅ぼしたのが原因だからな。あんたら斡旋所の連中が、どんな思いで素性隠して生きてるかも何となくは判ってる。

 敢えて樹海に行くことをあんたに言っておきたかったのは、そうだな。…ま、ケジメみたいなもんだと思ってくれればいい」

ヴァイスは、懐から取り出した書類の束を、男の手元に押し付けた。斡旋所の窓口で貰える申請書ばかりだ。

 「もしもオレが戻らなかったら、こいつを提出しておいてくれ。今残ってる全ての依頼の取り下げ申請と、預金口座の解約申請だ。残金はいつもの送金先――国の家族に送ってもらうことになっている。それまでに依頼に動きがあれば、清算もよろしくな。会計はきっちり頼むぜ、クラーリオ」

 「おい、ヴィンセント…」

 「じゃあな、行ってくるよ」

 「……。」

まるでちょっとした旅にでも出るかのように去ってゆく男を、クラーリオは、その場に立ち尽くして震えながら見送っていた。額からしたたり落ちた汗が顎を伝い、涙のように、地面に零れ落ちていた。

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