第三章 受付嬢ヴィオレッタの秘め事(4)
仕事に出るのは憂鬱だったが、何日も無断欠席をするわけにはいかない。
戻って来た翌々日、落ち込んだ様子で出勤してきたヴィオレッタに、アーティもマーサも心配そうに声をかけて来る。
「大丈夫? 顔色良く無いよ。無理しないほうが」
「ううん、大丈夫。気にしないで。仕事してたほうがまだ楽だと思うから」
「そんなにあの騎士さんのこと気にしてたのね」
「違うわよ。……」
言葉の上では否定しても、説得力が無い。アーティとマーサは視線を交わして、ちょっと肩を竦めた。
「心配しなくても大丈夫だとは思うけどねぇ。」
ヴィオレッタが窓口に腰を下ろすと、隣からマーサが話しかけて来る。
「気休めかもしれないけど、あの若い騎士さん、たぶん腕は良いよ。そういう雰囲気だった。ただ、経験値がね。」
「判ってますよ。それくらい」
「あらま」
「心配なのはそこじゃないですから」
はあ、と小さくため息をつき、ヴィオレッタは、いつものように窓口の中から斡旋所の入り口のほうに視線をやった。そろそろ始業の時間だ。
国境近くの町からこのカームスまでは、半日ほどの距離。ルシアンが戻って来るとすれば、今日あたりだろう。
けれど予想に反してその日、ルシアンは斡旋所に姿を現さなかった。
いつものように時間が過ぎ、いつものように日が暮れて仕事が終わり、後片付けをして、家に帰ろうと通りのほうに目をやった時、ヴィオレッタは、通りの暗がりでもじもじしている青年の姿に気が付いた。
「…ルシアンさん?」
「やあ」
青年は片手を挙げ、笑みを見せた。
「えっと…何してるんですか、そんなところで」
「君を待ってたんだ。言っただろ? 戻ってきたら食事に行こうって。これから、どう?」
「えっ、…あっ!」
確かに、そんなことを言っていた。言ってはいたが、まさか本当に誘いに来るとは思っていなかったのだ。それも、こんなに早く。
「お礼もかねて。ねっ?」
「…うう」
無邪気な瞳で目くばせされると、断る言葉も喉に詰まってしまう。
結局、流されるようにルシアンに付き合って、繁華街に出掛けることになってしまった。
(私、何やってるんだろう…)
ルシアンは、慣れた様子で高級そうな洒落たレストランに入っていく。こんなところを同僚の誰かに見られでもしたら、翌日大騒ぎだ。人目を気にして左右をきょろきょろしながら、ヴィオレッタは、小走にルシアンの後に続いた。
驚いたことに、通された部屋はレストラン二階の個室で、テーブルと、向かい合わせの椅子が二つだけ。他のお客は誰もいない。
「えっと…?」
「ああ、ごめん。びっくりするよね。でも、君と少し落ち着いて、内緒話がしたかったから」
そう言って、彼は笑顔を見せる。
「心配しなくていいよ。食事代は僕のおごりだから。お礼も兼ねて、ね」
「はあ」
ヴィオレッタは、おずおずと椅子に腰を下ろした。
特に気負いもせず、レストランの一室を貸切るなんて、彼はきっと裕福な名家の出身なのに違いない。女の子を誘って食事に行くくらい、きっとよくある、慣れたことなのだ。多分。
窓からは谷間の町カームスの、段差のある街並みがよく見渡せる。開かれた窓ごしに吹き込んでくる夜の風と、歓楽街の活気。
「あの、戻っていたならどうして、依頼報酬の受け取りに来なかったんです?」
「うん、今回の依頼は実質、失敗したようなものだからね。君の助けを借りてしまったし。それに、僕はべつに報酬目当てで仕事を請けたわけじゃないから。あ、依頼主には報告してきたよ。捕えた盗賊たちも引き渡してきた。だからあの依頼は完了扱いになって取り下げられるはずさ。」
「そんな、…」
「こんな仕事ぶりで報酬を貰っちゃ詐欺だ。今回はちょっと情けな過ぎたしね。ただ、少しでも誰かの助けになれたならそれでいい。――なれたんなら、だけど」
「なったと思いますよ」
ルシアンがあまりにも寂しそうな顔をするので、ヴィオレッタは慌てて言った。
「私のほうこそ、余計なことをしてしまって。だけど難しそうな依頼だったし、もしあなたが死んだり大怪我したりしたら、その。私が斡旋したわけですから…」
「ああ、そうか。心配して来てくれたんだ。ヴィオレッタは優しいんだなぁ」
「いや、…そういうわけ…じゃ…。」
何か疑う素振りなど微塵もない、屈託ない笑顔で言われると、何も言い返せなくなってしまう。
給仕が入ってきて二人に飲み物を訊ね、前菜と一緒に運んで並べてゆく。
これではまるで、本当にデートか何かのようだ。そう思いながら、ヴィオレッタは半ば上の空で飲み物のグラスを傾けた。
ルシアンは一体どういうつもりで、自分をここへ誘ったのだろう。本当に食事に誘うつもり、だけなのか?
「…聞いてもいいですか」
「何かな?」
「あの戦い方、なりたての新米騎士の戦い方じゃなかったです。そりゃ、落とし穴には落ちたかもしれないけど、それが無かったら、私が助けるまでもなかったですよね? …ルシアンさん、あなた一体、何者なんですか」
「何者、か。うーん、難しい質問だな」
首を傾げると、青年は、どこか遠くを見つめるような顔つきになった。
「戦い方を覚えたのは、それが家業だったから、なんだ。父も兄たちを騎士をしている。だから僕も、って…それだけさ。少しばかり向いていた。それで剣術大会で上位になったり、大人たちからは期待されたり…。強いて言うなら、それだけ。ただそれだけなんだ。取り立てて凄い家柄でもないし、何か凄い力があるわけでもない。今の僕は、ただの新米騎士だね。」
「……。」
「そういうヴィオレッタは?」
「えっ?」
「ただの斡旋所の窓口係が、心配な初心者の依頼請負人をつけたりしないだろ? いつも、こんなことを?」
「ま、まさか! ただのお節介ですよ。今回だけ。その、だって、あなたは、あんまり強そうに見えなくて――」
「ふうん、じゃあ、今回だけの特別?」
「そうですよ」
「特別かあ。…それは嬉しいな」
「! あっ、特別って言っても別に、変な意味じゃ無くて!!」
「ふふ」
「…ううっ」
全く、調子が狂ってしまう。数日前の夜はあんなに、まるで別人のように、――見惚れてしまうほどの剣術の腕前を見せたのに。
そうだ。
命のやり取りに慣れた盗賊たち相手に、この青年は一歩も退かず、怖気づきもしなかったのだ。それは彼が、命のやり取りの場を、今までに体験してきたことを意味している。
「実戦は…初めてだったんですか」
「うん。だけど戦場なら知っている。父に連れられて何度か、ティバイスとの小競り合いの場に行ったことがあるからね。」
ティバイスというのは、すぐ隣に勢力圏を接するティバイス首長国のことだ。
食事を口に運びながら、彼は淡々と続ける。
「兄の一人は戦場で死んだ。まだ騎士見習いだった頃に、冷たくなりかけた遺体を引き取ったこともあるよ。そういうのが騎士の仕事だってことは、知っている」
「…そんな。まだ子供だったんでしょ」
「まあね。でも、いつか通る道だ。それが早いか遅いかだけなら、早いほうがいいと父は思ったんだろう。騎士なったら僕らは、すぐに戦場に出ることになる。小競り合いはいつでも、どこかで起きているから。」
そう、斡旋所に務めていればそれはよく判っている。募集をかける勢力が変わるだけで、内容はいつも、ほとんど同じだ。貼りだされる傭兵募集の掲示が途切れることはない。
「だけど、いつもいつも人殺しばかりじゃ気が滅入るよ。せっかく騎士になったんなら、少しは人のためになることだって――ああ、ごめん。そういえば僕のことばかり話てしまったね。君のことも聞きたいな。」
「へっ、いや…あの、私べつに話したいことないですし」
「そう? あの日、君の細腕でどうやって大柄な盗賊を倒したのかとか、その秘密、教えてくれない?」
「それは…その、奇襲ですよただの! 実家が森にあるので、罠は慣れてますし。…あっ! そうやって話をさせるつもりですね? 何も言いませんからね!」
「残念だなあ」
「残念でいいんです。私はただの斡旋所の窓口! あなただって、その。…これから、騎士の任務とかあるんでしょう? 正規の騎士さんたちが斡旋所に来るのは、最初だけですからね。」
「…そういえば、そうか。」
ルシアンは笑って、杯を傾けた。
叙任されたばかりの新米騎士たちは、斡旋所で腕試しをしたあとは、それぞれ、騎士団本部からの任務に従って各地へ散ってゆく。このカームスの街を再び訪れる時があるとすれば、階級が上がる時か、何かの大祭に出席する要人警護に着く時くらい。次に会う機会があるとしても、ずっと先のこと、のはずだ。
結局、話をしていたのはほとんどルシアンのほうだった。
いつしか時間は過ぎ、食事のコースが終わり外に出る頃には、夜も更けている。表通りの人の数は減っている。
「ありがとう、今日は楽しかったよ。」
別れ際、ルシアンは笑顔とともにそう言って、ヴィオレッタの手を握った。
「それじゃあ、いつかまた。」
「…はい。お元気で」
結局、言いたいことは言えないままだった。秘密を守ってくれるよう念押しすることも出来なかった、
でも多分、彼は誰にも、何も言わないだろう。細かいことなど気にしない、そんな雰囲気の持ち主だった。
胸の奥をざわつかせる奇妙な感情とは裏腹に、彼女は少しほっとしていた。あの屈託のない笑顔で訊ねられたら、いつか、隠している自分の素性をばらしてしまうか、あるいは、何かやらかして気づかれてしまうと思ったからだ。けれどルシアンが街を去る日はそう遠くなく、この先、二度と合う機会もないはずだった。
(もし私がイーリス人と知れたら、家族にも迷惑がかかる。イーリス人の末裔である私には、他の選択肢はない…。)
通りに背を向けて歩きだしながら、ヴィオレッタは、自分に言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返した。
器用なアーチェならもっと巧く立ち回れたかもしれないが、自分にはこれが限界だ。決して明かせない秘密を隠したまま生きる以上、越えられない一線は存在する。
春の新米騎士たちが去り、やがて半年たてば、また次の叙任式が行われ、同じように新米騎士たちが斡旋所やってくる。
斡旋所の日々は変わらず過ぎてゆく。毎日多くの人が訪れて、顔を見て、言葉を交わす。けれど窓口を通して言葉を交わす限り、どんな秘密を抱えていようとも、ヴィオレッタは数いる無個性な「窓口の人」で在り続けられるはず、なのだった。
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