第三章 受付嬢ヴィオレッタの秘め事(3)

 ここからは、慎重に行動しなければならない。

 顔を隠す覆いをしっかり口元まで巻いていることを確認してから、ヴィオレッタは、森の中に踏み込んでいく。 

 目的は、ルシアンに気づかれないよう、そっと手助けして帰ること。先回りして盗賊の何人かを行動不能にしておくとか、武器を奪っておくとか出来れば一番いいのだが。

 考えながら、我ながら物騒だなとヴィオレッタは思わず苦笑した。

 受付嬢などより傭兵をやったほうが合っているのでは、と、冗談交じりに父に言われたことがあるが、そうすると故郷を遠く離れなければならない。それは絶対に嫌だった。

 夏の遅い時期まで雪を被ってそり立つ、壁のような山々と、その麓に広がる森と、深い谷。そこを長く離れて暮らす仕事は、したくない。

 この「七里跳びの靴」だって、仕事が休みの日に実家まで一瞬で帰れるようにと母に頼み込んで借りだして来た品なのだ。ちなみに杖のほうは護身用だ。あまり人には言えない威力の攻撃を放つもので、かつてはイーリス魔法王国が自国を防衛するために使っていたものだという。そんなものを何故、祖先が持っていたのかは謎だが、こちらも幸いにして現存する数は少なく、ほとんどは好事家の蒐集しゅうしゅう棚に収まっている。

 これがあれば、相手が何者であれ、そうそう負けることはないはずだ。

 (さて、と…)

夜の真っ暗な森も、実家で管理している森を子供の頃から歩き回っていたお陰で怖くはない。それにイーリス人は元々、夜目が効く。かつてのイーリス魔法王国は森の奥深くにあり、基本的に森の民だったからだ。

 絡み合う木の根を避けながら、彼女は、どこかにルシアンの気配が無いかと探りながら、奥へ奥へと進んでいった。




 この森に潜む盗賊たちについて、斡旋所に依頼が出されるようになったのは少し前だが、依頼者が提供した前情報によると、盗賊の被害は、数年前から始まっていた。

 頭目と思しき男は傭兵崩れの剣の達人で、捕縛しようとした州兵の盾を切り裂いたとかいう話もある。その他に仲間が何人か。短剣使いに力自慢、口先だけの詐欺師など、その時に応じて何人かの仲間と一緒に行動しているようだが、一味が全部で何人かは分からない。

 ただし彼らは頭目の男がいなければ烏合の衆で、依頼も、頭目を捕縛もしくは行動不能にすることが達成の条件となっていた。

 (と、いうことは、ルシアンに依頼をこなしてもらうには、頭目は残したほうがいいのかな。それとも、最初に頭目を倒して残りを退治してもらう? うーん…どうしようかな…)

杖を手にそろそろと進んでいた彼女は、ふと、行く手に違和感を感じて足をとめた。


 何やら茂みが不自然に置かれている。

 試しに小枝を拾って探ってみると、張られた縄に触れた。誰かが足を引っかけたら、そのまま宙づりにされるという獣獲りの罠を応用した仕組みだ。

 (あー、これ、うちの実家でもよく使うのよねえ…)

ひょい、と罠を避け、進んだ先には、あからさまに地面の色の違う、落とし穴らしきものもある。

 罠があるということは、盗賊たちがこの辺りをウロついている、ということでもある。どうやら、この道で正解らしい。そして、ルシアンが引っかかっていないところを見ると、彼はまだここを通っていないか、よほど器用に避けていったか、どちらかだろう。

 (まず依頼人のいる街に寄ったのかもしれないわね。だとしたら、反対側の街道沿いから来るはず。どっちが近いのかしら? 間に合うといいんだけど)

 それにしても、この森には動物の気配が、ほとんど無い。

 あちこちに罠が仕掛けられているのは、もしかしたら、侵入者を捕まえるだけだけではなく、森の奥に潜む盗賊たちが獣をとらえて食料にするためでもあるのかもしれなかった。

 そのお陰で、大型の動物の動く気配はすぐに判る。

 荒々しい息遣いが近づいてくるのに気づいたヴィオレッタは、とっさに、木の上に飛びあがって身を隠した。やって来たのは赤ら顔をした巨漢で、木の上にいるヴィオレッタところまで酒臭さが漂ってくる。

 「…ひっくっ…」

酔っぱらったまま罠を確かめ、舌打ちをする。「ちっ。また何もかかっていやしねぇ。そろそろ、この森もおさらばか…」

 ぶつぶつ言いながら、さらに森の奥に向かって歩いて行こうとしている。

 今だ。

 杖を振り上げると、ヴィオレッタは、男の後頭部に狙いを定めた。空中に出現した氷の塊が、真っすぐに男の頭に激突する。


 ごつん!


 「かっ…は…」

あまりにいい音で、やりすぎて首の骨を折ってしまったかと冷や冷やしたくらいだ。だが、さすがの大男は、頭を押さえてふらついただけで、まだ気を失っていない。

 ヴィオレッタは焦らずに、さらに氷つぶてを出現させた。


 ごんごん、ごんっ!


連続で落ちて来た氷に殴られて、さしもの大男もがくりと膝をつき、そのまま、木の根元にもたれかかるようにして倒れ込んだ。

 地面に飛び降り、そろそろと近付いて軽くつついてみる。

 「…うう」

 (よし。うまく一人、気絶させられたわね。)

ほっとして、その場を後にする。辺りの落ち葉をかき集めてそれとなく隠しておいたのは、他の仲間が巡回して来た時に見つかりにくくするためだった。あと何人残っているか、判らないのだ。

 やがて、行く手に小さな灯りが見え始めた。

 何人かの人間がまとまっている気配。それと、不快なものが腐ったような匂いと酒臭さ。地面には、食べかすらしい何かの骨が転がっている。

 「おおい、グラドの奴はどぉした? まだ戻って来てねぇのか」

 「でけぇほう出してんじゃねぇですかね」

ゲラゲラと、品の無い笑い声が響き渡る。木々の間に掘っ立て小屋があり、その前で焚火をしている数人の男たちがいる。酒樽を傍らに、どこかから連れてきたらしい家畜の肉を炙っては口に放り込んでいる。どちらも、近くの街か村から盗んできたのだろう。


 用心深く掘っ立て小屋の裏に回ろうとしたヴィオレッタは、木に何かが括りつけられていることに気づいて、はっとした。

 頭を垂れ、さるぐつわを噛まされて項垂れている。手は木の幹に回すように後ろ手に縛られ、装備は全てはぎ取られ、殴られたのか額から血が流れ落ちている。

 ルシアンだ。まさか、もう森の奥まで突入していたなんて。

 慌ててヴィオレッタは駆け寄って、顔を見られないよう木の後ろから囁きかけた。

 「ルシアンさん、ルシアンさん」

 「…ん」

良かった、意識はある。

 「もう、無茶するから…ちょっと待っててね。今、解きますから」

帯に挟んであった短剣を取り出して、縄にこすりつける。盗賊たちはご機嫌で酒宴の真っ最中で、捕虜のほうには興味がないらしい。だが、見回りに出た仲間が他にいないとも限らない。周囲を警戒しながら、大急ぎで縄を切っていく。

 「どこかで会ったことが…? いや、君、もしかして斡旋所の窓口の?」

 「さ、さあ。気のせいじゃないですか」

縄が外れた。

 顔を隠したまま一歩後退り、ヴィオレッタは、青年を急かした。

 「早く、こっちへ。逃げますよ、今のうちに」

 「待ってくれ。このままでは終われない」

だがルシアンは、立ち去ろうとしていない。

 「僕はまだ、ここの頭目と勝負していない。卑劣にも罠に掛けられて囚われてしまったんだ。聞けば剣の達人だという。是非、手合わせ願いたい」

 「え、えぇ? そんな…この期に及んで?」

強敵に会った時に妙に奮い立ち、勝負したがるのは、エデン教に関わらず騎士や一部の傭兵たちの特徴だ。技を競い合うと楽しいらしいのだが、命を懸けてまでやるべきことなのかは謎だ。男の人のこういうところは、本当に判らない、

 「武器を探さないと」

おろおろしているヴィオレッタをよそに、ルシアンは掘っ立て小屋のほうに向かって歩きだす。いくら酔っぱらっているとはいえ、こんな間近をうろつき回っては、盗賊たちに気づかれないはずもない。

 「ん? おい、あいつ…」

 (ほら! 見つかったじゃない!!)

木陰に身を隠しながら、ヴィオレッタは冷や汗をかいていた。危なくなったら助太刀しよう、と杖を握りしめる。幸い盗賊たちは、ルシアンの動きに気を取られて、彼女の存在には気づいていない。

 そのルシアンのほうはというと、掘っ立て小屋の壁に無造作にたてかけられていた自らの剣を回収すると、嬉しそうに鞘から剣を引き拭いて、刃こぼれがないかを確かめている。

 「良かった、これを無くすと騎士団から除隊させられるところだった。」

のんびりと、そんなことを言いながら軽く剣を振って向きなおった。その頃にはもう、盗賊たちはめいめいの武器を手に、焚火を背後に腰を上げている。

 「いい度胸じゃあねえか、え? 騎士の兄ちゃんよ」

ぎらつく鋭い目をした赤毛の男が一歩、前に進み出る。まだそばかすの残る年頃だが、顔つきからして、既に人の血は見慣れているだろう。斡旋所には対人戦専門の傭兵も訪れる。そんな人々の眼差し宿る業のような炎を、この一年、ヴィオレッタは、何度も間近に見て来た。

 後ろの二人も同じ。この盗賊たちは、人を傷つけることにも、命を奪うことにも、何のためらいも抱かない連中なのだ。

 ほとんど実戦経験の無さそうな、無垢そのもののルシアンとは違う世界に生きている。そうでなくとも三対一。とても勝ち目はない。


 だが、――ルシアンは落ち着き払った様子で、微かな笑みさえ浮かべて、盗賊たちと対峙している。

 「君たちの強さは認めるよ。この森の地形を熟知した立ち回り、奇襲。とても参考になった」

 「は? 何を言ってやがる。おいてめえ、自分の今の立場、わかってんのか」

 「当然。ここは君たちの得意な戦場、森の中には他にも仕掛けはあるだろう。姿を見失えば終わりだ。だから――」

剣の先端がすうっと上がった時、ヴィオレッタははっとした。

 それまでの、どこか間の抜けたようだったルシアンの気配が、一瞬にして変わったのだ。

 「逃げる前に倒す」

 「な、」

その瞬間、青年の姿が消えていた。

 いや、消えたように見えたのだ。腰を屈め、一呼吸のうちに距離を詰め、目にもとまらぬほどの早業で赤毛の盗賊の腹に一撃を入れた。…反応したのは、ひょろりと背の高い男だけ。もう一人の頭を剃り上げた男は、唖然としたまま、隣でくずおれてゆく仲間を見つめている。

 その喉元に、剣が突き付けられた。

 「ひっ!」

 「いい声だ」

薄っすらと微笑んで、ルシアンは剣の柄を振り上げた。そして無造作に後頭部に重たい一撃。

 あまりにも鮮やかな、予想さえしていなかった腕前に、木陰に隠れているヴィオレッタですら信じられない思いだった。

 (嘘でしょ…叙任されたての騎士の動きじゃない…何これ?)

 「ただの新米騎士じゃあ無ェ、ってことか」

一人残った長身の盗賊も、同じことを思ったようだった。用心ぶかくじりじりと間合いをとりながら、腰に下げた、刀身の短い剣を引き抜いた。容姿の特徴からして、依頼にあった盗賊団の頭だろう。かつては名うての傭兵だったという男。剣の達人だという前情報のとおり、構えには隙が無い。

 揺れる焚火に照らされて、対峙する二人の男の影が踊る。

 先に動いたのは、ルシアンのほうだった。

 「!」

ギリッ、と甲高い金属の擦れる音。空を切った刃の鈍い輝きに、思わず息が詰まりそうになる。危なくなったら加勢するつもりではいたが、二人の動きが早すぎて、どこで加勢すればいいか見きれない。勝負はきっと、ほんの一瞬で決まる。その時には、どちらかが致命傷を負っているかもしれない。

 「ほう、初歩的な落とし穴に引っかかるような間抜けにしちゃ、いい腕だなぁ」

盗賊の頭が、ぼそりと呟いた。「だが実戦とおままごとは違う。いくら才能があっても、悪賢いほうに頭が回らなきゃあな」

 「落とし穴のことは、恥ずかしいので忘れて貰いたい」

ルシアンは真面目な顔で言って、剣を構える。

 「剣術の先生も同じことを仰っていた。実戦は騙し合い、傭兵が相手ともなればお行儀よく作法に則った試合などしてくれない、と。思ったとおり、傭兵の仕事はいい勉強になる」

盗賊の目に、驚きとともに、苛立ちのような炎が走るのが見えた。

 「勉強? …はっ、お坊ちゃんめ。気楽なもんだな」

はっきりとした殺気。慌てて、ヴィオレッタは身構えた。次の一撃は、手加減なしで来る。

 「俺たちゃ命のやり取りをしてるんだぞ。もっと真剣に――やれや!」

けれど、彼女が手を出すより早く、ルシアンのほうが動き出していた。

 きっ、と口元を固く結んだかと思うと、向かってくる相手に真正面から挑みかかる。まるで腕が延びたかのように、身体と一体化した剣が相手の剣劇の隙をぬって、胴へと届く。

 「…!」

一瞬の間と、ふいに訪れる静寂。

 そして、――

 盗賊は、口から赤いものを吐き出して、がくりと地面に膝をついた。

 「――な、…なぜ」

 「"殺さないか?" …初めて殺す相手は選びたい。それだけだ」

 「……。」

どさり、と身体が落ち葉の上に落ちる。

 息を止めたまま見守っていたヴィオレッタは、剣を収めて振り返ったルシアンと視線が合って、はっと我に返った。

 「ヴィオレッタ、だったよね?」

 「あ、あああ――え、ええとっ…」

慌てて、ヴィオレッタはフードを両手でずり下げて顔を隠しながら、背を向けた。もはや今更だと思いながらも、必死で誤魔化そうと試みる。

 「私はただの通りすがりの――えっと――知らない旅人です!」

 「ははっ、そっか。じゃあ、通りすがりの旅人さん、助けてくれてどうもありがとう。」

 「……。」

人の良い、朗らかな笑顔と声に、調子が狂ってしまう。先ほどまでの、まるで別人のような研ぎ澄まされた気配とは打って変わった、隙だらけの雰囲気だ。

 「助けは…要らなかった…ですかね」

 「いやあ、あれが無ければ危なかったよ。さすがに僕も、縛られたままじゃ何も出来なかったし。やっぱり実戦は模擬戦や試合とは全然違うね。斡旋所で言われたとおりだなあ。『この手の仕事はただ腕っぷしが強いだけじゃ成り立たない』って」

 (あ…。)

それは、斡旋所の窓口でマーサが言っていた言葉だ。


 肩越しにちらりと振り返ると、ルシアンは、気絶した盗賊たちを前に何か考え込んでいる様子だった。澄んだ水色の瞳にちらちらと、焚火の灯りが写り込む。

 そうしていると、ただの人の良さそうな、新米騎士にしか見えないのだ。けれどどこか、底知れない。

 「このことは、黙っててくれると嬉しい。落とし穴に落ちたなんて、恥ずかしいからさ」

 「ええ。黙ってますよ。私のことも、そのう、言わないでもらえると…」

 「うん。約束するよ」

顔を上げて笑った顔にどきりとして、ヴィオレッタは、慌ててフードを被り直し、背を向けた。

 「あ、あの…もう一人、この先の道で落ち葉に埋もれてるはずですから」

 「え?」

 「それじゃ私は、これで! さよならっ!」

彼女は、逃げるようにして駆けだした。地面を蹴り、次の瞬間には森の外へ飛び出している。考えと感情が頭の中をぐるぐる周り、どうしていいか分からなくなってしまったのだ。

 ひとまず、ルシアンを助ける、という当初の目的は達せられた。盗賊団の頭を捕えたことで、これで、長年この辺りを悩ませていた盗賊の問題も解決する。

 けれど、そういえばヴィオレッタは、思い切り助けに来たのが彼女だと気づかれてしまったのだった。

 いるはずの無い場所にいたヴィオレッタを、ルシアンはどう思っただろう。それに、盗賊のうち一人を倒したのが彼女だと暗に報せてしまった。冷静になって考えてみると、あまりにも粗が多すぎる。それに、知られたくない秘密を自分から増やしてしまっている。


 帰り着いた自室の寝台に倒れ込むなり、彼女は頭を抱えて呻いてしまった。

 依頼を達成したルシアンが報告のために戻って来た時、一体、どんな顔をして窓口にいればいいのだろう?

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