第三章 受付嬢ヴィオレッタの秘め事(2)
結局、翌朝、ヴィオレッタはあまり良く眠れないまま出勤した。
ぼーっとした顔で窓口に現れた彼女を見て、マーサは心配そうな顔をしている。
「どうしたんだい。身体の調子でも悪いのかい」
「いえ…。ちょっと考え事を…。」
「乙女の病ってやつよ。今はそっとしておいてあげて」
訳知り顔のアーティが、にやにやしながら余計なことを言う。
「何だい? まさか昨日の騎士の坊やたちの中に、お気に入りでもいたのかい?」
「違いますってば…。マーサさんまで変なこと言わないで下さいよ…。」
掲示板には、今日も新しい依頼が張り出されようとしている。昨日のうちに達成が報告された依頼や、依頼主が取り下げたものは無くなり、新たに入ってきた依頼が掲示される。
「あれ、これって」
貼り出されたばかりの依頼を見て、アーティが声を上げた。「先月も出てたやつじゃない。報酬が上がって再掲…ってことは、前回の人、失敗しちゃったのかな」
「え? 何番?」
「十二番」
ヴィオレッタは、手元の控えに目をやった。そこにも、貼りだされているのと同じ内容が記されている。
内容は、ありふれた盗賊退治だ。
近隣の街から盗んだ品を抱えたまま、森の奥に根城を築いて立てこもっている盗賊を退治してほしい、という、よくある依頼。
「ああ、それ。連絡が来ているわね。なんでも急ぎの案件らしいんだけど、失敗続きらしくってねぇ」
と、マーサ。
「盗賊の中に相当厄介な相手がいるらしいんだ。今までに雇われた傭兵は森の奥まで辿り着けないか、罠に引っかかって大怪我して敗退だって。とはいえ被害は続いてるもんで、掲載料を余分に払ってでも早く解決したい依頼ってことねぇ」
ヴィオレッタは眉を寄せた。
「そんな危険な依頼なのに、請負条件なしで良いんですか? このままじゃあ、新人さんが報酬額だけ見て請けてしまいそうですけど」
「だからこそ、窓口がしっかり説明してふるいに掛けろってことなのよ。この依頼人は町役人さんで身元はしっかりしてるけど、斡旋所に依頼を出すのは今回が初めてだから、難易度の設定が出来ないのよ。とはいえ、うちとしても何とかしてあげたいのはやまやまだし…。まあ、社会貢献ってやつよね。ちなみに今回は特例で、再掲手数料は貰っていないわ。」
「はあ、…」
斡旋所の、そういうところは未だによく判らない。
確かに、公共関係の緊急の依頼に敢えて腕利きに頼んで請けてもらったり、貧しい村人の困りごとを破格の安値で引き請けたりといったこともたまにはあるのだが、反対に、表に出せないような闇の仕事、たとえば要人の暗殺や、財宝の盗み出しなどの依頼が出て来ることもある。表と裏の顔がある、と言うべきなのか。まだここで働いて一年にしかならないヴィオレッタには、まだ、その辺りはよく理解出来ていない。
とはいえ、仕事は仕事なのだ。
たとえどんな依頼だろうと、依頼人と志願者の間を仲介するのが自分たちの役目。
始業開始の時間になり、ヴィオレッタは窓口の奥でにこやかな笑みを作りながら、今日の最初の志願者を待った。
いつも通り、傭兵たちが出入りする忙しい窓口業務の中、予想もしていなかった来客があったのは、昼を少し回った頃のことだった。
ちょうど窓口の手が空いて、一息つきながら顔を上げた時、ヴィオレッタは、見覚えのある青年が、なにやら真剣に掲示板を見つめていることに気が付いて思わず腰を浮かせた。
「…あっ…」
今日は私服だが、間違いない。あの、透き通るような青い目だ。
視線に気づいた青年は、ヴィオレッタに気づいて振り返る。
「あれ、君は…」
表情をほころばせ、大股に近付いてくる。後ろではアーティが、何やら手で合図しながらにやにやしているが、今のヴィオレッタには迷惑でしかない。
「受付の人だったのか。こんにちは」
まさか、今日になって現れるなんて。一体何のつもりだろう。新人向けの依頼はほとんど、昨日のうちにはけてしまった。まさか、冷やかし? それとも…何かに感づいて、堂々と脅しをかけに来たのか。
「あ、あの…あのこと、誰にも言ってないでしょうね」
「ん? 寝言の話? 言ってないよ」
青年は、くすくす笑いながら、警戒した様子のヴィオレッタに顔を近付けてそっと囁く。青い瞳の位置が近い。昨日の昼休みの件とはべつの意味で恥ずかしくなり、彼女は、赤くなりながら体を引いた。
「そ――それで? 今日は一体、どのようなご用件でしょうか。どれか、ご依頼の説明が必要ですか?」
「ん、ああ。あの十二番の依頼について、教えて貰えないかな」
「え?」
思わず聞き返してしまった。「十二…って、あの、盗賊退治ですか?」
「そうだよ」
「無理ですよ、あなた新人でしょ? あれは手練れの傭兵がもう何人も失敗している依頼で」
「だけど、困ってる人が居そうだ。もしここで依頼を試してみるとしたら、人助けになることがしたいと思ってた」
「……。」
そんな言葉を、純真な瞳で言う志願者など、この仕事で初めて見た。
ここへ来るのは大抵、金のためなら何でもする、と腹を括った傭兵や、楽して稼ぎたいと考えているような人たちばかりなのに。
ヴィオレッタが言葉に詰まっているのを見て、横の窓口からマーサが口を出す。
「あのねえ、お兄さん。あんたがどれだけ腕利きかは知らないけど、この手の仕事はただ腕っぷしが強いだけじゃ成り立たないもんなんだよ。長年のカンや経験、運も必要なんだ。ひよっ子じゃあ、せいぜい身ぐるみ剥がされて叩き返されるのがオチさ」
「だけど、試すくらいならいいでしょう。困っている人がいるなら助けてやりたい。成功報酬と書かれているから、請けられるのは一人だけってわけでもないんでしょう? もし僕がぐずぐずして失敗してしまったら、他の腕利きの人が達成すればいい」
「はあ、あんたも頑固だねえ。まあ、いいよ。あたしら窓口の仕事は、仲介だけだからね」
溜息をついて、マーサは衝立の向こうに引っ込んでしまう。別の志願者が窓口に立ったからだ。
そう、この仕事は難易度の設定がされていないから、規則で志願者を拒否することが出来ない。
依頼の難易度が設定されている場合はそれ以下の志願者を断ることが出来るが、そうでないならば、たとえ明らかに無理そうだと判っていても、敢えて死地に送り出すこともある。
「…お勧めは、しないですよ…。無理だと思ったら、すぐに引き返してくださいね…。」
ヴィオレッタは、契約書を取り出して青年の前に置く。
「依頼の詳しい内容はそちらに記載されている通りです。支払いの条件等をご確認の上、署名をお願いします。それと、あなたの場合は今回がはじめての仕事なので、登録証も作ります。こちらに記載をお願いします」
「ふうん、こういうのがあるんだな。ちゃんとしてる…依頼中の怪我、ないし落命は自己責任。死亡の可能性があるため、登録の際に非常用の連絡先を記載すること…へええ」
「依頼を達成後に後遺症などで死亡した場合、報酬は登録された遺族の方にお支払いします」
言いながら、ヴィオレッタは、そうはならないで欲しいと思っていた。騎士になりたてで舞い上がっているにしろ、世間知らずのお坊ちゃんにしろ、「人のためになりたい」などという理由で最初から危険な仕事を請けようとする若者には、酷い目に遭って欲しくはない。
けれど、若い騎士に迷いはなかった。
必要書類の全てを書き込み、最後に契約書にも名前を記入して、控えを受け取る。
書類の不備が無いかを確認しながら、ヴィオレッタは、相手の名前を確かめた。書かれている名前は、ルシアンだ。ルシアン・エディルフォード。
「これで契約は成立です。いってらっしゃい…」
俯きがちにそう言った時、立ち去りかけたルシアンがふと足を止め、振り返って訊ねた。
「ああ、そうだ。君、名前は? まだ聞いてなかったよね」
「私? 私は…ヴィオレッタです」
「そう。じゃあ行ってくるよ、ヴィオレッタ。戻ってきたら食事にでも行こうよ」
「なっ」
まるで、不意打ちを食らった気分だった。
きざに片目をつぶって見せ、意気揚々と表通りへと出ていく後ろ姿を、ヴィオレッタは、呆然としたまま見送っていた。
すかさずアーティが窓口に駆け寄って来る。
「あちゃあー…行っちゃった。戻ってきたら、って、あれ…無事で戻って来られるといいんだけど…」
衝立の向こうから、ちょうど接客を終えたマーサが顔を出す。
「なんだい? あの騎士さん、お気に入りだったのかい? だったらもっと厳しく止めたのに。うーん、契約も成立しちゃったし、今からじゃ無理だねえ…」
「……。」
ヴィオレッタは、頭を抱えて小さく呻いた。
秘密を知られたかもしれない以上、このまま生きて戻って来ないほうがいいのではないか。
いや、だが、…彼には死んでほしくはない。それに…、…何だろう。この、胸のもやもやする気分は。
この危険な依頼を彼に請けさせてしまったのは、果たして、正解だったのだろうか?
「ヴィー? ヴィーってば。…ああ、駄目ね。固まっちゃってる」
「仕方ないわねえ。アーティ、そこの窓口休止の看板をヴィオレッタのとこにぶら下げといて。小一時間もすれば戻って来るでしょ」
それぞれの持ち場へ戻っていく同僚たちをよそに、ヴィオレッタは、どうすれば一番いいのかを必死で考え続けていた。
考えているうちに夜になり、ぼんやりしながら家に帰ったあとも、まだ考え続けていた。
(彼はきっと、エデン教の信徒なんだ。でなきゃトラキアスで騎士なんてやらないだろうし…だから、あんな無茶を…)
"戦場に斃れし者たちに栄光あれ。"
"勇敢なる者たちに永遠あれ。"
確かにそれがエデン教の教えだった。戦って死ぬことは最高の名誉とされている。でも正式に騎士になった者が、無茶をして盗賊如きに殺されてしまうのでは、むしろ恥ではないかと思う。
斡旋所での登録の際に書いていた書類には、家族が住むと思われる住所や家族の名前が書かれていた。その人たちだって、きっと、叙任されたばかりの若者が任務でもない仕事を引き受けて命を落としたら、大怪我を負ったりするのは、悲しむはずだ。
「ああーっ、やっぱり止めるべきだった! もう、私の馬鹿…っ」
寝台に突っ伏してひとしきりゴロゴロ転げ回った後、ヴィオレッタは、おもむろに起き上がって敷布団の下から革靴と杖を取り出した。母からは、よほどのことが無ければ使ってはいけない、と言われていたもの。どちらも祖先がイーリスを離れる時に持ち出した
靴を履き、黒いフードで顔を隠し、そろりと裏口から外に出る。
(急いで行って、戻ってくれば…大丈夫なはず)
誰も見ていないのを見計らってから、彼女は、とん、と軽く地面を蹴って空に舞い上がった。
と、次の瞬間には、斡旋所の裏口の前に立っている。
革靴の効力だ。「七里跳びの靴」、ほんの一歩で長い距離を一気に移動できる、れっきとした|魔法道具《アーティファクトだ。昔の距離の単位で、七里まで跳ぶことが出来る。
ただし加減を間違えると、意図していない場所まで吹っ飛ばされてしまうという、使いこなせなければ危険な代物だ。それゆえに扱える者が限られ、殆んどが戦後、破棄された。
(何も言わないで、出ていくのはだめだから…。)
きっと書置きを残しても何か言われるだろうが、それはそれとして、いてもたってもいられなかったのだ。"明日は休暇を取ります ヴィオレッタ"と書いた紙を郵便受けに入れて、ヴィオレッタは、ひとつ呼吸を整え、今日、ルシアンが向かったはずの森の位置を頭に思い描いた。
ここから南東の、お隣のアイギス聖王国との国境に近い辺境のはずだった。馬なら半日で到着する。彼のあの様子からして、依頼を請けてすぐに出発しただろうから、きっと今ごろはもう、森に入っている。
方角と距離もだいたいのところは、地図で見て覚えている。
慎重に狙いを定め、もうひとっ飛び。
びゅーんと風景が流れていき、次の瞬間、目の前には、目指す深い森が、黒々と広がっていた。
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