第二章 傭兵ヴィルヘルムの仕事(2)

 依頼人は、マウリツィオと名乗った。

 おそらく偽名だろうが、そのあたりはヴィルヘルムにはどうでも良かった。男はティバイスの近隣の街からきたと言っていたが、口にする言葉の訛りは、このティバイス首長国の隣にあるリギアス連合国――二十ほどの小国が寄り集まった勢力――の西部、つまりは、少し先にある国境の向こうから来た可能性を示唆していた。

 (後ろめたい依頼だから隣国の斡旋所で、ということか? …良くある話ではあるが。)

男に指定された場所に向かって馬を走らせながら、ヴィルヘルムは、依頼の内容を思い返していた。


 曰く、男はとある豪商の家に使える番頭で、主人が先祖代々受け継いできた秘蔵の魔法道具アーティファクトを、再婚した兄嫁の連れ子が勝手に持ちだしてしまったのだという。形状は首飾りで、娘はいつもそれを身に着けて移動している。身内のことゆえ騒ぎ立てず穏便に済ませたい、というのだ。

 目標の娘が乗っているのは、二頭立ての黒い馬車。

 通過する予定なのは、この先の、ティバイスとリギアスの国境に近い三差路。


 男の語り口はなめらかで、依頼内容も明確だったが、何か隠し事があるとヴィルヘルムの勘は告げていた。そもそもの魔法道具アーティファクトについても、首飾りだというだけで詳しい特徴や形状の説明もなく、不審な点がある。それに驚いたことに、前金まで渡してきた。金貨十枚、並の依頼なら成功報酬の十回分ほどだ。前金としては多すぎる。よほど金銭感覚が無い裕福な家に仕えているか、相場を知らなさすぎるのか、あるいは、有無を言わさず引き受けさせたいか、だろう。貧民街あたりで胡散臭い傭兵をつのっていたら、いいカモにされていたところだ。

 (とはいえ、稼ぎとしては…悪くはない)

仕事前から懐が暖かい、というのは、あまり無い経験だ。

 しかし、二十年以上もこの仕事をやってきたヴィルヘルムの勘は、あの男はただの世間知らずの家令ではないことを継げている。どうにも妙な予感が消えない。

 果たしてこの依頼は、滅多にない千載一遇の仕事なのか、それとも、罠なのか。




 指定の三差路に到着したヴィルヘルムは、空を振り仰いで太陽の高さで時間を測った。

 今はちょうど、昼を過ぎた頃だ。目標の馬車は今日、昼間のうちにこの場所を通り過ぎる、と気の小さいマウリツィオは言っていた。護衛などはいないはずだ、という。娘の名はセレーン。明るい栗毛に緑の瞳をしているという。年は十六というから、ヴィルヘルムの長女と同い年だ。

 大きな街道から外れたこの辺りの道は人通りが少なく、なだらかな起伏が多い。待ち伏せにはもってこいだ。馬に草を食べさせながら、ヴィルヘルムはのんびりと待ち人を待っていた。

 そのまま、いくらか時が流れた。

 道の向こうに黒い馬車の姿が現れたのは、太陽が西へ傾き始めた頃だった。

 (来た。あれだな…)

二頭立ての馬車に、年老いた御者が一人。車輪の軽さからして、中に乗っているのは小柄な娘一人だけか。馬の手綱に手をかけると、彼は、距離と方向を狙い定めて一気に丘を駆け下りた。馬車の行く手を塞ぎ、止めることが目的だ。

 「う、わあっ」

御者は大慌てで馬の手綱を引いた。その頃にはもう、ヴィルヘルムは自分の馬から飛び降りて、洒落た形の馬車の扉を開けている。

 「あっ?! 何を…」

御者の声が外から聞こえて来る。

 扉の開かれた馬車の中で、大きな緑の瞳を見開いた少女が、硬直した状態のまま両手を胸元に握りしめている。その手の中に首飾りのようなものがあることを、彼は瞬時に見て取った。

 無言に腕をつかみ、力を込めて開かせようとする。

 「い、嫌。何をするの」

抵抗する少女のか細い声に、かすかに罪悪感を覚えたが、泥に埋もれてしまった故郷の再建のためなのだ。ここで止めるわけにはいかない。

 「そいつを渡せ。そうすれば何もしない」

 「だめ…これは…あっ」

鎖が千切れ、手の中から仄かに青く輝く楕円の石が転がり落ちる。

 ヴィルヘルムは素早くそれを拾い上げ、馬車から離れようとする。だが、少女は、思いもよらなかった行動に出た。

 「返して!」

叫びながら、ヴィルヘルムの背中に両腕でしがみつき、全体重をかけて止めようとしたのだ。

 「お嬢様! いけません、危のうございます」

老御者はおろおろするばかりで、助けに入ることもできない。

 「む…離せ。あんたに用は無いんだ。ケガをするぞ」

 「離さない! 返して! …それは、母様の形見なの!」

面倒なことになってきた。

 ぐずぐずしている時間はないというのに、少女は、どんなに押しやっても離れようとしない。ヴィルヘルムとしては、あまり手荒なことをして、怪我をさせたくはないのだが、手加減しては振りほどけそうにない。

 そうこうしているうちに、別の馬車がこちらに向かってくるのが見えた。このままでは、揉めているところを見られてしまう。

 「仕方が無いな…あんたごと持っていくか」

ヴィルヘルムは少女の身体を軽々と肩の上に抱え上げると、そのまま馬によじ登った。

 「きゃっ、ちょっと…」

 「お嬢様!」

 「どうっ!」

掛け声とともに、馬が走り出す。担がれたままの少女は声も出ず、暴れるのを止めておそるおそる、恐ろしげな赤毛の巨漢を見下ろした。見るからに手練れの傭兵で、力も強そうだ。力ずくで抵抗することは不可能だし、ここで騒いでも馬から放り出されて怪我をするだけだ。

 「私をどうするの?」

 「俺に必要なのは、この魔法道具アーティファクトだけだ。あんたはそのへんの街にでも適当に置いて帰る。その年なら自分で家に帰れるだろう? セレーン。」

 「! どうして、私の名前…あっ」

肩の上に担がれたまま、少女が息を呑んだ。「もしかして、叔父様に雇われたのね?」

 「さぁな」

 「そうでしょ、叔父様なんでしょ?! 母様が亡くなってからずっと、それを寄越すか封印を解くかしろって言ってたもの! ひどい…、いくら血が繋がってないからってこんな」

 「家庭内の事情は知らん。どっちが、この魔法道具アーティファクトの正当な持ち主かも興味はない」

 「私よ、決まってる!」

ヴィルヘルムの肩の上で身をよじると、少女は、男の身体と馬の首の間に巧く身体を滑り込ませた。強い決意の色を秘めた瞳が、髭もじゃの男の顔を見あげる。

 「私はセレーン・ワイト。私の母は半年前までワイト家の当主だった。――あなたが請けた依頼は、ワイト家伝来の家宝を奪え、っていうものなのよ!」

 「…ほう?」

聞くつもりはなかったのだが、相手が自ら話してくれた場合は別だ。


 ワイト家の名くらいは、知っている。リギアス連合国側の有力諸侯の一家で、ティバイスと国境を接する部分に領地を持っている。血気盛んで戦上手、過去のティバイス側との小競り合いでは常に優位を保って来た一族と言われるが、この少女の気の強さを見れば納得だ。

 「なるほど。ワイト家ね。しかし、あんたの言うことが本当かは分からんな。あんたはワイト家の直系なのか? 連れ子じゃなく?」

 「当たり前でしょ。確かに母は亡くなる数年前に再婚したわ。だけど元々直系の当主だったのは母のほうよ。叔父様は、再婚した今の父様の弟。剣も槍も扱いが下手で、いつも父様に叱られているから、だから魔法道具アーティファクトを欲しがってるんだわ」

 「……。」

ヴィルヘルムは、無言のまま馬を走らせ続ける。この少女の言うことが本当か嘘かは分からない。けれど、少なくとも、あの胡散臭いマウリツィオの言うことよりは信頼できる気がした。


 行く手に、小さな街が見えて来た。

 黙ったままの男に、少女はなおも食い下がる。

 「――ねえ、あなた傭兵なんでしょう? 幾らで雇われたか知らないけど、それよりもっと払うわ。それでどう? 私の首飾りを返してくれない?」

 「百二十だぞ」

 「え?」

ヴィルヘルムは、視線を正面に向けたままで言う。

 「百二十だ。俺が請けた依頼の代金はな。それ以上なんて大金、あんたに払えるのか?」

 「……っ」

少女は唇を噛み、しばらく考え込んだ。それから、きっとした表情で顔を上げ、髪をまとめ上げていた櫛を外して、挑むような目つきでヴィルヘルムに差し出した。解けた髪の束が流れ落ち、風に長くたなびく。

 「銀の櫛よ。飾りの宝石と合わせて三マルクくらいにはなるはず。これも、ほんとは…母様の形見だけど…手付金として渡すわ。残りは私を館まで送ってくれたら、その時に。それでどう?」

 (ふん。どうやら、あの自称・番頭よりも、このお嬢ちゃんのほうが交渉の仕方ってものを知ってるな)

にやりと笑ったのも一瞬のこと、ヴィルヘルムの表情は、すぐに真面目なものに戻った。

 「生憎と、依頼主を裏切るのも、請けた依頼を途中で勝手に放棄するのも、傭兵の世界じゃご法度だ。この首飾りは依頼人のところに持っていく。――ただし、あんたが付いて来たいというのなら、それは止めやせんぞ」

 「…どういうこと?」

 「今夜、依頼人とある場所で落ち合うことになっている。ブツと金を交換すれば契約は終了だ。その後なら、別の依頼を請けられる。どうする? 運搬料を払ってくれるなら、このまま馬で運んでやってもいいが?」

 「!」

少女の顔が、ぱっと明るくなった。意味を理解したのだ。

 「ええ、お願いするわ。それじゃ、この櫛は運搬料ね。」

 「生憎と釣銭は出せんのだ、そいつを受け取るわけにもいかん。運搬料代わりに、あんたの故郷の話でもしてくれ。ワイト家の出身だと言ったな? 国境の向こう側にはほとんど行ったことが無い。どんな感じだ」

 「変わったこと聞くのね。あ、判った。あなた傭兵みたいだし、戦争になった時に攻め込むための情報収集でしょう。」

 「どうだろうな。大きな紛争はもう数十年、起きていない。今んとこ、ティバイスの首長は北のトラキアスのほうばかり伺っている。…お嬢様が戦争に興味なんてあるのか?」

 「あら、将来は私がワイト家の当主になるのよ。戦い方くらい知ってないと、当然でしょ? 馬の乗り方と槍の使い方は覚えたわよ。父様は、優秀な戦士を夫に取ればいいだけだと言って戦場に出してくださらないけど…。」

それからセレーンは、ヴィルヘルムの求めに応じて様々なことを語った。


 住んでいる館のこと、領地のこと、半年前に女丈夫だった母を事故で亡くしたこと。

 一人っ子なので自分が直系として家を継ぐべき身の上であること。今回の馬車の旅は、叔父がどうしても会ってほしいと強引に設定して来た叔父の知人との見合いの席の帰り道で、だから余計に叔父を疑っているのだ、ということなど。


 ヴィルヘルムは、相槌を入れるくらいで、ほとんど黙って聞いていた。快活に語る少女の言葉には、何の偽りも、迷いも感じられない。それに、筋が通っている。こちらの言うことが正しいとすれば、あのマウリツィオの語った内容は嘘だったことになる。

 斡旋所が信用度の低い依頼人からの依頼を疑ってかかるのは、こういうことが多いからなのだ。

 依頼の一部、または全てが嘘だったり、非合法な依頼を合法だと言い張ったりする。斡旋所を通した依頼がどれほど安全か、彼は、今さらのように納得していた。たとえ報酬の幾らかを手数料として取られるにしても、依頼人は厳選してくれたほうが仕事がしやすい。




 話している間にも馬は走り続け、幾つかの街を通り過ぎていた。

 やがて日が暮れる頃、目的地の街の灯が遠くに見え始めた。

 馬の速度を緩めて街に入っていくと、ヴィルヘルムは、マウリツィオに指定された受け渡しの場所である酒場を探した。それほど大きくない街で、店はすぐに見つかった。

 「ここで降りろ」

少女の身体をひょいと抱えて地面に降ろす。

 「あんたがウロウロしていると、俺のほうの依頼人が出てこないかもしれないからな。それに、お嬢ちゃん一人で酒場は目立ちすぎる。適当に隠れていろ。」

 「分ったわ。…でも、あの」

少女は、眉を寄せたまま、ヴィルヘルムの手元を見つめている。

 「…私の首飾り、渡してしまうのよね?」

 「そうしないと契約は終わらん」

と、ヴィルヘルム。

 「だったら、契約が終わったらすぐ雇い直すから。すぐよ! それまで待ってて。お願い」

 「やれやれ、事前交渉とは。まぁ、同じ品で二度儲けられるってのは傭兵としちゃあ美味しい話だ。心づもりはしておこう」

 「ありがとう!」

そう言って笑ったセレーンの笑顔は、薄暗い田舎町の裏路地には似つかわしくないほど鮮やかで、眩しい。この娘の母親はきっと、同じように魅力的で力強い笑顔の持ち主だったのだろう。けれど、ヴィルヘルムのほうは複雑な気分だった。

 ――かつてティバイスとの間で起きた小競り合いで、リギアス西方の小国群の先頭に立ってティバイス勢を追い返してきたのはワイト家を筆頭とする諸侯だった。もしかしたらヴィルヘルムもどこかで、セレーンの家族や親族とも戦ってきたかもしれない。


 だがそれも、もう何十年も昔の話だ。

 この少女はまだ、その時には生まれていなかった。無関係な話だ。

 馬と少女を路地に待たせ、ヴィルヘルムは一人、酒場の中へと入って行った。




 見回すと、賑やかな酒場の一画に、俯きがちにこそこそしている小男の姿があった。目深にフードを被って隅のほうに陣取り、人目を避けているつもりらしいが、あまりに挙動不審で、かえって目立っている。ひとつため息をついてから、ヴィルヘルムは、大股に依頼人に近付いていった。

 「おい」

 「ひっ! …あ、あ、なんだ…あんたか」

 「何をビビってる。後ろめたいことでもあるのか?」

向かいの席にどっかと腰を下ろすと、ヴィルヘルムは、慣れた仕草で給仕を呼び、酒の大杯を注文した。マウリツィオは辺りを見回し、ひそひそと話しかけてくる。

 「ブ、ブツは…」

 「ここにある。簡単な仕事ではあったが、あんた、嘘をついたな?」

 「何の…ことだ」

 「魔法道具アーティファクトの正当な持ち主だ。あの娘、ワイト家の次期当主じゃねぇか。で、品はワイト家の家宝。違うか?」

 「…っ!」

男の顔がみるみる青ざめるのが分かった。この小男には誤魔化すだけの度胸も、頭もない。

 (まったく、演技の一つも出来んとは…。)

溜息まじりに酒を一口。それから、無造作に懐に手を突っ込むと、布にくるんだ首飾りをテーブルの真ん中に投げた。布の隙間から、千切れた鎖がはみ出して、きらりと輝く。

 「…ま、それはともかく依頼は依頼だ。残りの金を寄越せ」

小刻みに震えながら、マウリツィオも、懐に手を入れて重たい金貨の袋をどさりとテーブルの真ん中に置く。

 (こんな大金を持って出歩くとはな。途中で物取りにでも襲われていたら、どうなっていたか)

呆れながら、ヴィルヘルムは袋を手に取って中身を確かめる。マウリツィオのほうも、掻っ攫うようにして布の包みを取り、そっと中身を確かめ、安堵の溜息を洩らす。

 飲み干して空になった大杯を降ろすと、ヴィルヘルムは席から立ちあがった。

 「契約は終了だ。それじゃあな」

 「…ま、…待てっ」

 「ん?」

去りかけていた彼は、ふと、周囲にただならぬ殺気が漂っていることに気が付いた。入り口のあたりで談笑しながら酒を飲んでいた数人の男たちが、突然、武器に手をかけてこちらを向いたのだ。

 振り返るとマウリツィオのほうは、血相を変えて震えながら、じりじりと店の奥のほうに移動している。

 「し、知られたからには…生かしては…。や、や、や、やっちまえ!」

合図とともに、荒くれどもが椅子を蹴り飛ばしてこちらに向かって突進してくる。給仕をしていた酒場娘が金切り声を上げ、のんびり酒を楽しんでいた他の客たちは大慌てで逃げ惑う。


 これは予想外だった。が、初めての経験というわけでもない。

 「はあ…。なるほど、そういうことかい」

額に手をやって、ヴィルヘルムは深いため息をついた。それから、両手を腰の剣にやるまで、ほぼ一瞬。右手に太い片刃の剣、左手に短めの、背にノコギリ刃を持つ短剣。打ち下ろしてきた最初の男の剣は、そのノコギリに噛まれて真ん中から折れ飛んだ。

 「なっ…」

驚く間もなく、顔面に拳。後ろに向かって吹っ飛んだ男の身体が、続こうとしていた二番手の仲間に派手にぶつかって一緒に床に転がる。三人目の戦斧の男は、ヴィルヘルムが振りかざした右手の大剣の勢いに恐れを成して、立ち向かうどころか青ざめた顔で入り口との距離を目で測っている。

 「帰って家で女房の乳でも飲んでろ、小僧ども。俺を誰だと思ってる?」

雷鳴のとどろくような太い声が、店中にびりびりと響き渡る。

 「ひ、ひぃっ…!」

絵に描いたような小悪党の反応とともに、斧の男は逃げるように外の闇に消えていく。後には床に長々と延びた男二人。おそらくは、適当にその辺で雇われた荒くれどもだろう。

 (最初から生かして帰す気は無かった、ってぇとこか。俺に渡した報酬をこいつらで三等分すれば、人殺しの相場に近くなる。…)

振り返ると、マウリツィオの姿は無く、窓が開け放たれていた。おそらくは、ヴィルヘルムが戦いに気を取られている間に、そこから人に逃げ出したのだろう。

 (どうやら俺は、あいつを見くびりすぎていたらしい。)

 「傭兵さ…きゃっ!」

駆け込んできたセレーンが、延びている男たちを見て驚いたように口元に手をやる。

 「悲鳴が聞こえたから飛んで来たのよ。何があったの?」

 「俺を殺そうとしてきたんでな。説明は後だ、マウリツィオを追うぞ」

 「追う、って…あ! もしかして、私の首飾り!」

 「そうだ」

ヴィルヘルムは、苦々しい顔で頷いた。「襲われた隙を突かれた。…が、あんたの話が正しいなら、そいつの行先は、あんたの叔父とやらの居場所だろう。判るか?」

 「勿論よ! 案内するわ。一緒に来てくれるわよね?」

 「本当は一筆、契約書を書いてもらうところだが…まあ、この状況だ。後にしよう」

路地裏に繋いでおいた馬に飛び乗ると、ヴィルヘルムは、セレーンの言うとおりに街道に沿って走り出した。

 「館に戻れば父様がいるから、きっと別荘よ。湖のほとりの森にあるの。それに、魔法道具アーティファクトを盗んだなら絶対、使うはずだもの。あそこは――湖は、魔法道具アーティファクトで封印されている場所なの」

ヴィルヘルムの背中のほうから、馬の後ろに乗せた少女の声が聞こえて来る。

 「聞いてもいいか。今更だが、あの首飾り、一体どういう魔法道具アーティファクトなんだ」

 「詳しいことは私も知らないの。だけど母様は、あれは鍵だって仰っていたわ。湖の真ん中にある小島で使えば何かが起きると言われていて、それは湖には封印されている、ある強力な装置を起動させるものだとも…。」

 「強力な、ねえ。」

 「信じてないでしょ?」

 「実用に足る魔法道具アーティファクトなど、そうそう残って無いからな。まあ、空振りならそれはそれでいいさ。仕事の手間が省けていい」

 「…もう。」

少し拗ねたような口調で呟いて黙り込んだあと、セレーンは、再び口を開いた。

 「そういえば、あなた、名前は何ていうの」

 「ん?」

 「契約書を作るなら、名前は書かなくちゃいけないでしょ。」

 「ああ、そうか。――俺はヴィルヘルムだ。ヴィルヘルム・アッシャー。家名は気にするな。親族が辺境で小領主をやっている、それだけだ」

 「そ。それじゃ、改めてよろしくね、ヴィルヘルム」

言ってから、少女は男の広い背中に体を持たせかけた。

 「……。」

行く手には青い月が、地平線の近くに昇って来ようとしている。

 三差路を過ぎ、その先には、国境を示す二つの勢力の旗ざおが、少し離れた場所に建てられている。

 間もなく国境。その先は、ヴィルヘルムにとってはほとんど行ったことのないリギアス連合国、その最も西に位置するワイト家の領土だ。

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