第一章 フレーゼ家騒動顛末記(2)

 夜明け前、ヴァイスは手早く身支度を整えて厩に姿を現した。

 馬は既に用意されている。ノエルも、置いて行かれないよう少し早めに起き出して待っていた。

 「本当に、一人で行くつもりなのか?」

 「ええ。むしろ邪魔されると困りますので、連中と接触したらノエル殿は離れていて下さい」

 「……。」

ノエルは、ちらりと館のほうを見やった。執務室の窓からは、リュキアが心配そうな顔をしてこちらを見下ろしている。

 斡旋所に出した依頼は、よほどのことがない限り、その依頼を果たせそうな者に依頼を請けさせる仕組みだという。――登録している依頼の請負人に対して、過去にこなしてきた仕事の難易度や評判、期限の厳守率などを記録して、そこから信頼度をつけているのだという。斡旋所が、依頼の「斡旋」所として重宝されている所以だ。依頼が完遂されなければ斡旋所に手数料が入らないのだから、斡旋所のほうだって、ヘタな請負人は送り込めないのだろう。

 その斡旋所が、この依頼に対して選んだのだから、口先だけのコケ脅しではない、…はずだ。


 館を出ると、ヴァイスの乗る馬は真っすぐに、昨日ノエルとともに見に行った岩山を目指して走ってゆく。

 邪魔をするなと言われているノエルのほうは、少し離れたところを、兵を十人ばかり引き連れて走っている。

 まだ辺りは薄暗く、通り過ぎてゆく村々のほとんどは寝静まっており、家の外に出ているのは、これから釣りに出るらしい漁師や、涼しいうちに畑仕事を終えてしまいたい勤勉な農夫くらいのものだ。

 やがて行く手に、岩山が見え始めた。

 傭兵たちの根城にされているところにはかがり火が焚かれ、どこにいるのか遠目にもはっきりと分かる。

 「この時間でも見張りは一応立てているのか。感心なものだ」

呟いて、ヴァイスは背負っていた袋の中から、ひょいと細長いものを取り出した。木を十字に組み合わせ、弦がぴんと張ってある。後ろで見ていたノエルは、思わず眉を寄せた。

 剣士見える傭兵がクロスボウを持ち歩いているとは、意外な組み合わせだ。

 振り返って、ヴァイスが怒鳴る。

 「ついて来なくていい。あの火が消えるまでは、そこにいろ! いいな」

それだけ言って、返事を待たずに馬に拍車をかけた。

 岩山を取り囲む森に一人突っ込んでいく男を、ノエルは、兵たちとともに見守っている。


 見張りが気づいたらしい。

 かがり火の焚かれている辺りで人影が動いた。何か叫んでいる声が、風に乗って途切れ途切れに聞こえる。身振り手振りからするに、敵襲だ、起きろ、とでも仲間たちに言っているらしい。

 その見張りの体が突然斜めに傾いて、岩山の斜面を転がり落ちていく。

 「あっ…」

後ろから出て来た別の一人も、同じように。

 ここからでははっきりと見えないが、下から矢で射られたのだ。一体どこから狙っているのか、ノエルにもさっぱり分からない。しかもこんな薄暗がりの時間に、崖下から狙って命中させられるとは。

 洞窟のあたりから怒声が響く。

 的になりたくないしく、次の人影は現れない。

 崖を駆け上っていく人影が見えた。きっとヴァイスだろう。かがり火のところまで難なく辿り着くと、彼は火を靴で蹴飛ばして吹き飛ばし、こちらに向かって片手を上げた。

 "火が消えるまでは、そこにいろ。"

 ――そう言っていたのだから、もう来てもいい、という意味のはずだ。

 「行くぞ!」

ノエルは兵たちに声をかけ、真っ先に馬に拍車をかけた。あっけに取られて見ている場合ではない。男はもう、洞窟に侵入してしまった。急がなければ、戦いが始まってしまう。何かあってからでは遅いのだ。




 だが、それは杞憂だった。

 ノエルたちが駆け付けた時にはもう、ほとんどが終わっていて、ヴァイスは、洞窟の奥にただ一人残された大男と対峙していた。


 足元には、気絶するか、死にはしないが戦えない程度に怪我を負わされたゴロツキたちが転がっている。

 「いいところに来たな。そいつら適当にふん縛っといてくれ。適当にお仕置きするなり何なり、あとは領主殿にお任せするぜ」

剣を構えながら、ヴァイスは背中越しに言う。全く疲れた様子もない口調だ。

 「ちッ…どいつもこいつも、使えねぇ」

壁際に追い詰められた大男が毒づく。

 「おいおい。それをあんたが言うのかよ。」

 「俺ぁ十人一括で雇われた安い三流どもとは違う!」

吠え猛る獣のような声が、洞窟の中にびりびりと反響する。ノエルは思わず耳を押さえた。

 大男、傭兵ゴランは鞘を投げ捨てて、湾曲した大きな剣を抜いた。片刃で幅広、刀身は黒く、その端にちろちろと赤い炎が燃え盛っているのが見える。

 「ほーぉ。炎の剣か、なかなか状態のいい品だな。好事家に売りゃあいい値になるぞ。どこで手に入れた?」

 「その昔、俺のご先祖が戦場で手に入れたものよ。ふふん、どうだ、恐れを成したか? ただの炎じゃないぞ。こいつはなぁ…」

男は剣を振りかざし、上段から力いっぱい振り下ろした。その勢いで、刃の纏う炎が一気に燃え盛った。風とともに炎が走る。ヴァイスは、ひょいと避けながら後ろのノエルたちのほうに叫んだ。

 「その転がってる連中連れて外に出てろ! 火傷するぞ」

 「そうだ、火傷するぞ! はっはっは、テメェもさっさと逃げろ、ん? 燃やされてェのか」

 「……。」

ヴァイスは、何故か心底呆れたような顔をしている。

 「何だ。恐れを成してものも言えんのか」

 「違う。…言っても無駄だからだ。はぁ…」

ぽりぽりと指で額をかくと、彼は、剣を鞘に仕舞った。

 そして、無造作に足元の石を拾い上げ、あっと声を上げる暇もなく、それを手に男に殴り掛かったのだった。

 「んなッ?!」

とっさに、剣で受け止めようと前に突き出した刀身に向かって、石が振り下ろされる。ガキン、と鈍い音。刃が大きく欠けて、黒い破片が散らばった。

 「なっ、あ…あっ…」

唖然としている男の目の前に、今度は素手の拳が迫る。鈍い音とともに鼻づらに一発。眉間を横から殴り飛ばし、流れるように足払い。態勢を崩したところに、素早く抜いた剣で指先を一閃する。

 すっぱりと飛んだ親指とともに、刃の割れた剣が地面に落ちる。

 ほんの一瞬のことだ。最初から見ていなければ、何が起きたか分からなかっただろう。

 利き手を押さえて転がっている男の喉元に、剣が突き付けられる。冷たい視線が見下ろしていた。

 「馬鹿が。この魔法道具アーティファクトは振り回さないと火が出ないうえに、その機能のせいで一部が薄くなってる。打撃に弱いんだよ。…何故、一流の傭兵が魔法道具アーティファクトを使わないと思う? こんな使い方が限定された隙だらけの武器で生き残れるほど、この業界は甘くねぇぞ」

 「ひッ…」

 「…立て。お前みたいなザコ相手に剣を汚すのも面倒だ。五秒だけ待ってやる。とっとと去れ」

あたふたと辺りを見回すと、ゴランは、まるで脱兎のように洞窟の出口を目指して駆けだした。その巨体に似合わぬすばしっこさだ。

 はっと我に返ったノエルが、慌てて後を追いかける。だが、ゴランは既に洞窟から山を駆け上り、その向こう側へと逃げていこうといるところだった。

 「おい! どうしてあいつを逃がしたりしたんだ。」

 「どうしてって、こっちは十人しか兵を連れて来ていない。倒したのも十人。あのデカぶつを引きずって館に帰るだけの人手が無いでしょう」

 「そんな理由で…」

 「冗談ですよ。あれには伝令として、役に立ってもらう必要がある」

 「伝令と?」

 「自分の手駒が壊滅したことを、ファリダ嬢には一刻も早く知っていただきたいので」

ヴァイスは、にこやかに笑いながら、刃の大きく欠けた剣を拾い上げる。

 「ま、ご心配なく。玩具は壊しましたから、あのデカぶつはもう何も出来んでしょう。次の手は読めています。まずは館へ戻って、領主殿に報告といきましょう」

 「…そう、だな。」

ノエルは、縛られたゴロツキたちが縄に繋がれて引き立てられていくのを横目に見ながら、頷くしかなかった。

 この男が、ただの口先だけの傭兵でないことはよく判った。ただ、あまりに凄すぎて予想の範疇を越えていた。

 (本当に、二十マルクだけで良かったんだろうか…。)

今さらのように、そんなことまで思い始めていた。




 賊が退治された、という報せは、瞬く間に街から村へ、領内に知らされた。

 村人たちは大喜びで、お祝い騒ぎになっている。だが、領主リュキアの表情はまだ晴れなかった。根本的な原因が解決したわけではないからだ。

 ――異母姉ファリダは、この程度では諦めないだろう。また、次の傭兵を雇って嫌がらせを仕掛けてくるかもしれない。そのたびに傭兵を新たに雇うのは、現実的な話では無かった。

 ノエルもそれが分かっているから、手放しには喜べない。

 「あのヴァイス氏を、もうしばらく雇っておけないだろうか。彼なら、どんな相手を雇われても対処は出来そうなんだが」

 「それだけど、本人は今回でケリがつくって自信満々に言ってたよ。あと、依頼の内容はまだ完遂したわけじゃないから、もうしばらくはここにいる、って」

 「完遂?」

 「斡旋所に出した依頼の内容は、『嫌がらせをしている者たちの捕縛もしくは戦闘不能』、『首謀者については無傷で捕えること』。後半は"できれば"の希望条件だったけど、そこまでやらないと報酬は受け取れないと言ってた」

 「って、…ファリダを捕まえるつもりなのか? 無理だろう。彼女はレイナス家の別荘に引きこもっているんだぞ。おそらくは護衛もいる…力づくで別荘に乗り込みでもするつもりなのか? それはまずい」

 「いや、必要ないらしい。向こうから出て来る、…だそうだ。」

 「出て来る?」

 「詳しくは教えて貰えなかった。」

腕を組みながら、ノエルは、窓の外に視線をやった。件のヴァイスは、戻って来てからずっと一人で館の周囲をぶらぶらしている。何か策を立てているようには見えない。

 「…けど、ここまでは全てあの人のいう通りになったんだ。信じるしかない」

 「そう、…だな」

結局、その日は特に何も起きず、――事態が動き出したのは、その日の夜も遅くなってからのことだった。




 街の門が閉ざされ、館からはほとんどの灯が消えている。

 人目を憚るように周囲を見回して、ヴァイスは一人、夜間用の木戸を静かに押し開け、街の外へ出ていく。

 呼び出しの手紙が届いたのは夕方のことだった。夕食のパンの下に小さく折りたたまれた紙が隠されていたのだ。館の中の誰かの仕業だろう。そこには、待ち合わせの時間と場所、要件が、簡潔に書き込まれていた。


 街を出たところにある、既に廃墟となった小さな牧場の、納屋の裏。

 月明かりの中、彼はそこで足を止める。

 「時間通りですわね」

女の声とともに、待ち合わせの人物がフードを降ろしながら姿を現した。若い令嬢――年は二十代に差し掛かる頃に見える。顔立ちはリュキアやノエルとはあまり似ていないが、髪の色だけは同じだ。素性を隠しているつもりでも、高価そうな指輪や耳飾りがちらつく。気の強そうな目鼻立ちをしている。

 「お目にかかれて光栄です、ファリダ・レイナス嬢。このような夜分にお呼びだし、どのようなご用件でしょうか?」

 「手紙に書いた通りよ。あなたを雇いたいの。…三十マルクで」

赤く塗った口元に笑みを浮かべ、女は、甘ったるい声で囁いた。

 「ゴランが負けて、リュキアの依頼は終わったんでしょ。なら、次はわたしに雇われて頂戴な。斡旋所を通さずに直接請けたほうが、手数料も取られなくていいでしょう? どう。悪くないと思うんだけれど」

 「その依頼は、私にこの領地への嫌がらせを引き継いでほしい、という意味でしょうか」

 「嫌がらせだなんて。わたしはただ、自分の正当な取り分を要求しているだけですわ」

いかにも気位の高いお嬢様、といった口調で、彼女はつんとそっぽを向く。それから、口調を変えて上目遣いにこちらを見る――計算され尽くした仕草だ。リギアスの社交界ではよく見かける――大抵は、男性の気を引くために行われる。

 「ご存知ですの? リュキアの母親は酒場娘なんですよ。卑しい街娘の息子が、どうして家を継げるというの。それでもまぁ、お父様の遺言ですから、家督を継ぐことくらいは認めて差し上げてもいいのです。ただ、姉であるこのわたしに、何の相続権もないと主張するのはあんまりでしょう?! この家の資産の十分の一でいいと、破格の交渉をしているのに。本来なら半分いただくところですわ! それをあの子ときたら…」

ヴァイスは苦笑したまま、ファリダの熱弁を聞いていた。うんざりした表情で、どこか遠くを眺めている。


 そして、息を継ぐために言葉が途切れた隙をついて、きっぱりと言った。

 「この話は、断らせてもらう。」

 「なんですって?」

同情をひくような演技をしていたファリダの顔が、見る見る間に怒りに染まってゆく。

 「三十では気に入らないというの? なんて強欲なの。それなら、四十――」

 「金額の問題じゃねぇんだ、お嬢様。傭兵ってのはな、信頼が大事なんだ。オレは仕事の契約をしてここにいる。一方的な契約破棄も、依頼主を裏切るのもご法度だ。」

 「何て生意気なことを。傭兵なんて、金が目当てでしょう?! 何が信頼よ。金のために何でもやるような、薄汚い連中に――」

 「おっと」

ヴァイスは、指を一本突き出して、片目をつぶって見せた。

 「淑女が、それ以上汚い言葉を使うのはお控えになったほうがよろしいのでは? この嫌がらせの件、レイナス家には内緒でやっている独断でしょう。ご実家に知られたら、当主殿はどう思われるでしょうね。」

 「なっ、…」

 「貴女は今、ルドミラ公爵家の次男との婚約を画策している最中だ。玉の輿に乗るための持参金が欲しかったんでしょう? かと言って、人を雇って義弟を暗殺したのでは、貴女の仕業とバレバレだ。それで、こんな手の込んだ嫌がらせで巧く金を巻き上げようとしたんでしょう。――まったく、浅知恵にもほどがある。」

男は不敵な笑みを浮かべたまま、両手を広げ、優雅に踊っているような振舞いでくるりと回転した。

 「ま、ご安心ください。長くこの仕事をやっていればつくらでもツテはある。貴女の企みは"噂"として既にバラ撒いておいて差し上げましたから、どのみち縁談の件は破談です。これからご実家に呼び戻されて詰問されるでしょうが、巧いこと言い逃れするなり、諦めて謹慎するなり、逆ギレして家出するなりお好きにどうぞ。」

 「く、うう…っ」

顔を真っ赤にして、女は何も言い返せないままフードを引き下ろした。

 「覚えていらっしゃい!」

なんとも月並みな捨て台詞とともに、闇の中へと消えていく。どこか遠くから、馬の嘶きが聞こえて来る。そちらに付き人でも待たせているのだろう。


 既に、東の空が白み始めている。

 街の門がゆっくりと動き始め、買い付けに出掛ける行商人や市場の売り手など、朝早くから働く人々は、そろそろ起き出してくる頃だ。

 ファリダが去って行ったあと、ヴァイスは、振り返って通りの端の茂みのほうを見やった。

 「――いいんですか? あのまま行かせておいて」

声をかけると、隠れていたリュキアとノエルが姿を現した。ずっと、隠れてことの顛末を見守っていたのだ。

 「いいんだ。ここで彼女を捕えても、騒がれて面倒ごとが増えるだけだったし」

と、リュキア。

 「それに、あんたに言いくるめられて凹んでるところが見られたしな」

ノエルは満面の笑みだ。

 「スッキリしたよ。ありがとう、ヴァイス。だけど、いつの間に調べていたんだ? 公爵家との縁組の話なんて」

 「小耳にはさんだことがあったんで、まぁ。貴族連中の間で仕事してれば、噂には事欠かない。傭兵稼業は情報が命なもので。」

 「それじゃ、この依頼を請けた時から、全部分かってたっていうのか…。」

リュキアは、思わず額に手をやった。

 「はあ、凄いな。本職の傭兵ってのは…。何だか、この半年、ずっと悩んでいたのがばかばかしい。」

 「まぁそう言われますな。お陰で、ほら。領民たちがあんなに嬉しそうに、領主様に手を振ってるじゃないですか」

振り返ると、街の門を出ようとする馬車の荷台から、女性と子供がこちらに向かって手を振っている。

 「この半年、必死にあの人たちの暮らしを守ろうとしてきたんでしょう? その思いは通じてますよ。新領主様は、自分たちのことは考えてくれてる、って。」

 「そうだな。二人で頑張ったんだ。ぼく一人ではきっと折れていた。ありがとう、ノエル」

 「……。」

ノエルは、照れたように隣の従兄弟から僅かに視線を逸らした。

 「おれは何もしていない。ぜんぶ、リュキアのお陰だ」

 そう、自分のしてきたことなど、大したものではない。

 まだ年若く、おそらく家臣や領民たちからはまだまだ頼りない子供だと思われているだろう領主。家柄も、有力な後ろ盾もない――けれどリュキアは、そんな状況を覆して、この半年、領民の暮らしを守る最善の方法を考え、戦い抜いてきたのだ。

 でも、もし、ただ駆けまわっていただけの自分の仕事が少しでも役に立てていたなら、それはとても嬉しいことだった。


 満足げに頷いて、ヴァイスは、ふと東の空を見上げた。

 「依頼は完了ですね。では、リュキア殿、ノエル殿。私めはこれにて、失礼させていただきます」

 「えっ、もう行くのか?」

 「次の仕事が待っているもので。」

厩のある館のほうに向かって歩きだしながら、彼は、片目をつぶって付け足した。

 「ああ、それと、もしまた厄介ごとがあれば、ご指名での依頼もお請けしますよ。割高にはなりますがね」

夜が明けていく。これでようやく、長い戦いが――少なくとも一時的には――終わったのだ。

 ヴァイスの言ったとおりなら、ファリダは実家に連れ戻されて、しばらくは何もしてこないだろう。


 捕まえた傭兵たちは、結局、特におとがめなしに解放することにした。

 彼らはファリダに雇われただけだったし、村を荒らして回っていたとはいえ、人を殺したりもしていない。それに火をつけたのは、ほとんどがゴランだった。何より、フレーゼ家の狭い地下牢では、十人も住まわせておくほどの余裕が無かったのだ。

 ヴァイスが去って数日後、斡旋所からの依頼の完遂確認に返事を出していたリュキアは、ふと、傍らの従兄弟に訊ねた・

 「そういえば、あのゴランの剣って、どうなったんだ?」

 「ん? あの炎の出るやつ? ヴァイスが壊して、その後…見ていないな」

 「洞窟の後片付けに兵をやったんだが、現場に無かったそうなんだ。」

 「誰かが捨てたんじゃないか? どのみち、もう壊れてて使えないだろ」

 「それもそうか」

彼らは特に深くは考えなかった。炎の魔剣と恐れられてはいたものの、蓋を開けてみればただのこけ脅しだったのだ。そもそも、石で殴ったくらいで割れてしまうような剣は、剣とは呼べない。見かけに騙されて近付くことさえ出来なかったのが情けなく思えるくらいだ。もしまた同じ品を手に襲ってくる傭兵が出てきたとしても、今度は、誰かの手を借りずに倒せるだろう。

 …もし、そんな者がいれば、なのだが。



* * * * * * * * * 


 その頃ヴァイスは、依頼を請けた出発地点であるベリサリオの街に戻って来ていた。

 フレーゼ家のお家騒動の件のほうは、途中にある最寄りの斡旋所で完了の報告済みだった。依頼元であるフレーゼ家への確認が取れれば、報酬はいつもどおり、斡旋所の銀行窓口で作ってある口座に振り込まれるだろう。ベリサリオまで戻って来たのは、同時に請けているもう一つの依頼の報告のためだった。


 表通りに面した、一般の依頼向けの窓口を素通りし、彼は、裏通りに面したほうの入り口から中に入った。

 こちらは一般に公開されない、特殊な依頼むけの窓口だ。斡旋所で数多くの仕事をこなしてきた、信頼度の高いとされる傭兵だけが入ることを許される。ここ数年は、こちらの窓口にばかり世話になっている。

 ヴァイスが入っていくと、窓口の奥にいた顔なじみの受付嬢が、にこやかに声をかけてくる。

 「お帰りなさい、ヴァイスさん。相変わらず早いですね」

 「今回は楽だったよ」

言いながら、彼は荷物の中から包みを取り出して、受付カウンターの上に広げた。

 「依頼の品だ。確かめてくれ」

かすかな金属音とともに、黒い破片が現れた。洞窟で砕いたあと、それとなく荷物の中に紛れ込ませて持ち帰ってきたのだ。

 受付嬢は素早く破片を確かめる。

 「確かに。全て揃っています」

元通り包み直したそれを、別の受付嬢が奥へ運んでいく。ヴァイスの手元には、金貨を包んだ小さな袋が寄越された。

 「それではこれで、『魔法道具アーティファクト/炎の剣』の回収依頼を完了と致しますね。報酬の二十マルクはこちらに」

報酬の枚数を袋の上から指で確かめながら、彼は、何気ない口調で言う。

 「なあ、毎度ボロ儲けさせてもらってて言うのも何だが、この魔法道具アーティファクト回収の依頼、一体どこから出てるんだ? 普通の好事家なら、使えないにしてもせめて原型くらいは保ってないと報酬は減額だろ。それが、持って来さえすれば満額支払うなんて、只者じゃねぇだろ」

 「依頼主の情報は極秘事項ですよ? いくら信頼度最高ランクの請負人でもそれはさすがに教えられません」

 「ちっ。ま、分かってるけどな…。」

ちょっと肩を竦め、彼は報酬の袋をふところに入れて、背を向けた。

 「それじゃあな。また来る」

 「あ…そうだ、次の依頼は?」

 「次の依頼の予約はもう入ってるんだ。昔の仕事のツテでな。ま、何カ月かしたらまた来るよ。」

背中越しに片手を上げて、男は、扉の向こうの裏路地へと姿を消した。

 「相変わらず、忙しそうですね。あの人」

包みを奥へ運んでいった受付嬢が、戻って来る。

 「そうですね。あのランクになると名前も顔も売れてますし、斡旋所を通さず指名で依頼されることも多いようですから」

 「しかし、次はどこへ行くんでしょうか…。」

 「またリギアスのどこかじゃないんですか? 最近ずっとリギアスを回ってるみたいですよ。」

 「貴族ウケがいいですものね。さすがは元騎士っていうだけあって。」

受付嬢たちの他愛もない噂話をよそに、ヴァイスは間も置かず、再び馬上の人となっている。

 行先は、ベリサリオからそう遠くはないカルマン子爵家だ。自ら売り込みをして、一年以上も前から入り込む隙を伺っていた。今回ようやく、依頼が舞い込んだのだ。この機会を逃すわけにはいかなかった。


 傭兵の仕事をするのも、斡旋所を利用するのも、貴族たちの依頼をこなすのも――彼にとっては全て、ある目的のための手段でしかなかった。斡旋所が魔法道具アーティファクトについて隠していることについても、薄々気づいていながら指摘しないのは、まだその時でないからだ。


 どうしても成し遂げなければならないこと、探し出さねばならない人物がいる。

 次の仕事こそは、その突破口になるはずだった。

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