16 イヴ
16 イヴ
チャイムの音が響いて、そのすぐ後に入り口のロイドに驚く配達員の声が微かに聞こえた。昔は何時もどおりだったそのやりとりに、今はアワレの声が重なっている。
「驚かせてしまって申し訳ございません。この子は、入り口でお客様をお迎えするのが仕事なんです。嫌いにならないで下さいね」
遠くでフォローするアワレの声をBGMに、俺は雪が積もり続ける庭の木々を眺めていた。
この時期になると、街外れにあるこの家からでも、街の煌びやかさが目に入る。あの街にいる人達は、きっと今頃家族や恋人と幸せな時間を過ごす為に、精一杯の努力をしているのだろう。
父さんは今日も仕事、そんな人もいるんだという事を世間に分からせたかったが、昨今では意外とそう言う人の方が多いのかもしれない。
「武文様」
ノックの音に続いて、アワレの声がドア越しに聞こえてくる。
「うん、入れ」
アワレは二つの小包を片手に、部屋へ入ってきた。
「武文様にお荷物が届いておりました。こちらはどうしましょう?」
「ああ、その辺に置いておいてくれ」
そう言うとアワレはソファの横に箱を置いて、部屋を出て行こうとした。
「それでは、失礼致します」
「なあアワレ、そんなに力入れたものは必要ないぞ? どうせ俺しかいないんだし」
「何を仰います。確かに、食事は武文様が食べられる量で抑えるつもりではいますが、飾り付けはさせて頂きます。折角のクリスマス・イヴなのですから。他の者達も嬉々として作業をしております。7時になりましたら、どうぞ食堂へお越し下さい」
「ああ、分かった分かった。お前が楽しんでるならいいんだよ」
「はい、とても楽しいです。これも、武文様のお陰でございます。それでは失礼致します」
アワレは満面の笑顔を残り香に、部屋を後にした。
時計を見ると5時50分。
まだ時間はあることを確認して、俺は届けられた荷物を開いた。
先週ネットで注文をしたものだが、うん、いい選択をしたと思う。
俺は箱の中身を取り出して、テーブルの上に置いた。
不意にもう一度窓の外を見る。遠くの煌く光にも、この静かな庭にも平等に雪は降り続いている。
食堂に入るなり目に飛び込んできたのは、色とりどりに飾られたテーブル、そこに料理がいくつか並んでいる。部屋を見渡せばあちらこちらに金や銀の飾りつけが施されてあり、部屋の隅には煌びやかなツリーが電飾を纏いながら佇んでいる。薄く流れるBGMには、ベートーヴェンの歓喜の歌。オーケストラでは無く、ピアノとバイオリンの弦楽二重奏と言うシックなものだった。鼻を擽るのはスープの匂い。テーブルの上には小振りのホールケーキ。白い生クリームの舞台で苺が軽やかに腰掛けている。それらの食事が飾られている席の横で、アワレがこちらに笑顔を向けていた。
「さ、武文様、どうぞこちらへ」
アワレに促され、席につく。
「いつにも増して、彼らが腕によりをかけました。どうぞお召し上がり下さいませ」
そう言われ、一番手元にあった鶏肉に手をつけた。
一口含んだ瞬間、柔らかい肉が口の中でするする解けていき、それと同時に口一杯に肉汁が広がっていく。普段よりも相当長い時間、手間暇を込めて調理したであろう事を感じた。
「美味い」
自然と零れた。
「それはよう御座いました。この穏やかな時間を、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい」
俺はそこで、アワレに夕方届いた物の中身を手渡した。
「武文様、これは?」
「今日はイヴだからな」
そう言っても、アワレは箱を抱えたままキョトンとしていた。
「だから、あれだよ」
アワレは、あれですか? と頭にハテナを浮かべたままだ。気恥ずかしさを抑えながら、俺はアワレに呟いた。
「……プレゼントだよ」
その瞬間、アワレは目を真ん丸くした。
「……あの、私に、ですか?」
「他に誰がいるんだ?」
「あの、本当に本当に、宜しいのですか?」
「嫌なら別に、無理にとは言わないが……」
「い、いえ! 滅相も御座いません! このようなお心づくし、アワレには身に余るご好意に御座います」
喜色満面、アワレはその場でアタフタしながら何度も頭を下げている。
「開けてみろよ」
「は、はい」
丁寧に紐を解き、包装してあった紙を慎重に剥がした。蓋を開けて、中を覗きこむアワレの顔が、可愛らしい。。
「……まぁ」
口を抑えて息を漏らすアワレが見られて、俺は満足だった。実際に息は出ていないのだろうが、その吐息は嬉しさの証だろうと感じたからだ。
実際、アワレにプレゼントを渡そうと思いついた時から、随分と悩んだ。何をあげたら喜ぶだろうとか、何をあげるのが適切だろうかと考えて、ネットの海を泳ぎ続けた。やっとたどり着いた島で更に思案、結局こんなギリギリに届くようになってしまった。
「武文様、ありがとう御座います。これで更にお掃除が捗りますわ」
アワレは箱をギュッと抱きしめながら、深々と頭を下げた。
アワレに贈ったものは、組み立て式の新しい掃除機だった。ただの掃除機じゃない。吸う力はとても強いのに、音はとても静かだと言う最新型だ。どういう仕組みなのかはよく分からないが、排気口を沢山の細い穴にして、人間には聞こえない音域の音で排気をするらしい。常々この広い屋敷を箒で掃除するのは骨が折れるだろうと思っていたのだ。以前から専用の掃除ロボットは居たが、アワレはもっと細かい所までやってくれている。事実、アワレが来る以前は目立っていたタンスの隙間や部屋の隅などの埃は、綺麗に無くなった。今でもメインはお掃除ロボットがやっているのだろうが、そのアワレの仕事振りに感謝をしても罰は当たらないだろう。それに、掃除好きのアワレなら、きっと喜ぶと思っていた。
「私は果報者で御座います。本当にありがとうございます。ああ、ですが、私は武文様に何もご用意出来ておりません。せめて、今日のこのディナーを楽しんで頂けたらと思います。これからの仕事振りで、精一杯返させて頂きます」
「そう言うと思ってた」
アワレの言葉を聞いて、俺はもう一つの箱を取り出した。
「これを貰ってくれ」
「あ、あの、これは?」
「これをお前にあげる事が、お前から俺へのプレゼントになるんだ」
「あの、よく意味が分からないんですけど……」
「まぁ、そうだな……。食事が終わったら、俺の部屋へ来てくれ」
「はい、畏まりました」
俺は今一つ掴みきれないと言った表情のアワレとは対照的に、何だか温かい生き物が住み着いたように、胸の内が擽ったくなった。
舌鼓を盛大に打ち鳴らしながら、歓喜の歌を耳に、俺は食事を続けた。
ケーキは、食後に部屋に持ってきてもらおう……。
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