13 熱

13 熱


 頭痛がする、いつもの事だ。だけど、いつもよりもその力は何倍にもなっている気がする。いや、きっと主観的な痛みの所為でそう感じるだけで、実際には大して痛みは増していないのだろう。だが、事は頭痛だけに止まらない。鼻も詰まっていて呼吸がし辛いし、身体も熱い。自分の身体がどこにいるのかさえもよく分からなくなる。眠ろうと思っても、目を閉じる度に夢ばかり見てすぐに目が覚めてしまう。おまけに見る夢と言ったら、どれもこれも支離滅裂で混沌とした夢ばかりだった。

 ライオンの上で象が逆立ちをしていて、それを追い払う事を伝統にしている部族が、ラッパを吹きながら輪島塗の割り箸を武器に決闘を挑む。ライオンを先に倒すか象を先に倒すかで揉めている間に熊が登場する。今度はその熊を倒すために、3歳くらいのターザンの男の子が登場してくる。そして、いつも倒し切らない内に目が覚めるのだ。

 枕元の水を飲むのも一苦労だ。手を伸ばし、身体の軋みを感じながらも精一杯掴む。そこまでして手に入れた水は、それ程身体に効果があるとは思えない位にしか、染み込んではこない。

 脇に挟んだ体温計が、存在を忘れた頃に鳴る。

 取り出して薄目で見ると、普段見慣れない電子文字が浮かぶ。

 39,4℃

 なかなかの高熱である。熱があると認識すると具合が悪くなるタイプでは無いが、実際に熱が高いのだから仕方が無い。

 天井もぼやりと歪んで見え、体中が破裂せんばかりに脈動している。呼吸も浅く、上手く息が出来ない。

 その時、ドアの開閉する音が聞こえた。

「武文様、おやすみになられておりますか?」

 アワレだ。首を動かすのも辛いので目では確認はしないが、この屋敷で俺に流暢に話しかけるのはアワレしかいない。

「……アワレか?」

 我ながら酷い声をしている。

「ご無理をなさらずに。声を出さなくても大丈夫です。お水を新しくしてきました」

 そう言ってアワレは額に乗っていた、もうすっかり俺の体温と変わりなくなったタオルを一度水に浸け、再び乗せてくれた。

 冷たい感触が心地いい。少しでも熱を吸い取ってくれるような気がする。目を閉じた時の呼吸が少しだけ楽になったようだ。

「リンゴの擂ったものをお持ちしました。武文様、食べられますか?」

 うっすらと見えるアワレに首肯する。身体を起こそうとした時、背中を支えられた。大して力は入れてはいないのに、身体が楽に起き上がった。アワレのおかげだろう。

「はい、あーんして下さい」

「あ、いや、流石に食べられる……」

 向けられた蓮華を力無く断り、器を受け取って啜る。口の中に甘みと水分が広がり、とても美味しい。だが、飲み込む時に喉が動くので、痛みは抑えられない。それでも、さっき飲んだ水に比べれば、随分と楽に身体に吸収されて行くのを感じた。

 熱が出たのは昨日の夜。それから少しずつ熱は上がって、きっと今頃ピークだろう。熱が一度上がりきれば、身体のウイルスを殺してくれる。そうなれば、後は下がるのをじっと待つだけだ。

「ありがとう……」

 精一杯食べたが、それでも半分程残してしまった。

 差し出された薬を飲む。今更甘いシロップを好む訳では無いが、その粉薬は殊更苦く感じた。先程までリンゴの甘さを感じていた分、尚更だろう。

「こちらもお飲み下さい。ビタミンのサプリメントです」

 促されて、それも飲み込む。錠剤が喉に突っかかる為、水を多めに飲む。その時に咳き込み、喉が更に痛んでしまう。

「今、何時だ?」

 気になったので聞いてみると、今は13時28分でございます、と言う返事が返ってきた。昨夜から、まだ半日しか経っていないらしい。もう何日も苦しんだような気がするのに、不思議だ……。

「ゆっくりとお休みになって下さい」

 そう言われて横になるが、上手く眠れそうも無い。

 身体が熱くて熱くてしょうがなく、それに伴い全身のあらゆる箇所を痛みが襲う。そして、普段よりも調子付く頭痛達の波状攻撃で、精神的にもきつくなってきた。その時、不意に頬に冷たさを感じた。

「気持ちいい……」

 思わず呟いていた。頬に触れていた物を手で触る。それは、アワレの手だった。

「アワレめの体温はいつも同じ温度を保っております故、熱の高い武文様には冷たく感じるのでしょう」

 俺はそんなアワレの言葉を半分だけ聞きながら、その手を離さなかった。

「ちょっと……、このまま、手を握っていてくれ……」

 熱に浮かされ、人恋しくなっていたのかもしれないが、後にして思えば実に恥ずかしい事を言っている。

「はい、仰せのままに」

 俺の手に、もう一つ手が重なるのを感じる。アワレが両手を添えてくれているのだろう。手が冷たくて気持ちいい、なのに、温もりと安心感で満たされる。

 風邪の時、誰かに手を握ってもらう事で、こんなに心が楽になるなんて知らなかった。

 アワレのお陰か薬の効果か、程なくして俺は、眠りの淵へと沈んで行った。

 闇が、心地いい……。


 目が覚めた時、熱は随分と収まっていた。まだ少し体はふらつくと思ったが、それでもさっきよりも随分と楽になっている。

 部屋が暗かったので電気をつけ、それから枕元の水を引っつかみ、飲みながら時計を見る。

 18時34分。

 しっかりと眠れていたようだ。

 空腹を覚え、俺はまだ覚束ない足取りで部屋のドアを開けた。

「武文様! まだ歩き回ってはいけません!」

 外に出てすぐに、背中から声を掛けられる。振り向くと、箒を持ったアワレが駆け寄ってきた。

「心配かけたな、もう大丈夫だ」

「いけません。先程までフラフラでしたのに、まだ寝ていないと」

「いや、もう大分調子がいいんだよ」

 そう言うと、アワレは失礼します、と一度会釈をしてから、俺のおでこに自分のおでこをつけてきた。 アワレの顔が近い……。

「37,4℃」

 そう呟いて、顔を離したアワレは少しだけ眉根を寄せて俺を見た。

「武文様、先程の高熱と相対的に比べ、今は落ち着いているように感じるだけでございます。普段よりもまだ体温は高ぅございますので、ご自愛下さいますようお願いいたします」

 そう言われては敵わない。

「わかったわかった、今日は大人しくしている。とりあえず、腹が減ったから外に出たんだ」

「そうでしたか。何かお持ちしますが、お粥などは食べられそうですか?」

「ああ、大丈夫だと思う。食欲もあるし」

「畏まりました。それではすぐにお持ちしますね」

 そう言うと、アワレは箒を持ったまま階段を降りて行った。手間のかかるお粥をすぐ持って来られると言う事は、予め作っておいてくれていたのだろう。そうぼんやり思いながら部屋へ戻り、ベッドに再び横になった。

 身体中の痛みは喉と頭痛以外は随分楽になっている。鼻が詰まっていて呼吸がまだ不完全なのが難点か。しかし、先程と比べれば、頗る調子はいい。相対的なものだと理解しても、やはり楽だと感じる。人間の体調なんて、いつでも相対的なものだろう。前日よりも調子がよかったか悪かったかで、その日の体調が決まるようなものだ。幸せを感じる度合いによく似ている。

「武文様、アワレでございます」

 ノックの音がしてから、アワレが入ってきた。片手には小さな土鍋を持っている。

「お熱いので、ごゆっくりお召し上がり下さいませ」

 ベッドのすぐ横に椅子を持ってきて、アワレはそこに腰掛けた。土鍋の蓋が開けられて、濛々と上がる湯気と共に、美味しそうな粥が姿を現す。梅が入っているのだろう。甘酸っぱい匂いに加え、赤い点がいくつか見える。

「アワレめが食べさせてさしあげましょうか?」

 クスっと笑うアワレの誘いを丁重に断り、土鍋を受け取る。

 熱々のお粥を冷ましながら頂く。熱さと共に薄い塩加減、それにさっぱりした梅の香りが口の中にじわりと広がっていく。お粥が身体に染み込んでいくのを感じながら、矢張り自分の身体はまだ万全では無いことを知る。

 普段よりも長い時間をかけてお粥を食べて、そのまま起き上がろうとした所をアワレに制された。

「いけません。今日はこのままお休みになって下さい」

「もう元気だぞ?」

「いけません。一先ず、こちらのお薬をお飲み下さい」

 さっきの苦い薬を渡され、思わず眉根が寄る。

 水と一緒に一気に飲み干すが、昼間よりも味覚が戻っている所為か、より一層苦い……。

「苦い……」

 思わず漏れた言葉に、良薬口に苦しです、と言う答えが返ってくる。

「さ、今日はそのままお休み下さいませ」

「まだ眠れるわけないだろ。今日一日寝てたんだから」

「それもそうですね。でしたら、このアワレめが何か、ご本を読まさせて頂きます」

「本? お前、本なんか読めるのか?」

「お任せ下さい。私どもHR‐C7型には、朗読機能が標準装備されております」

 得意気に言うその顔を見ていても、その機能が果たして必要なのかどうか疑問だ。

「どれがいいですかね?」

 アワレはそう言いながら、部屋の本棚を見回し始めた。そして、一冊の本を掴んで持ってきた。

「武文様、これだけ絵本なのですが、何か意味がおありですか?」

 アワレは、俺の部屋に一冊だけある絵本、『ロボットのまちのビリー』を持って来た。

「ああ、それは、父さんが初めて俺に買ってくれた本なんだ」

 懐かしい記憶が蘇る。

 昔、そう、俺がまだ小学校にも行ってない時の、クリスマスだった。サンタさんが父さんだと分かった衝撃的な夜でもあった。

 俺はその日、なんとしてもサンタさんの正体を暴いてやろうと必死になって起きてたんだ。普通の子供は途中でダウンしてしまうんだろうが、俺はものの見事にその任務を遂行してしまった。その時の慌てふためく父さんの思い出と共に、忘れられないプレゼントとなっている。何せ、ある意味俺の少年時代が終わるきっかけになった本だ。

「どんな内容なんですか?」

 アワレに聞かれて考えるが、はて、とんと内容は浮かんで来ない。

「いや、すまん、全く覚えてない……」

 言うが早いか、アワレは嬉々として、じゃあこれにしますねと頬を上気させた。いや、実際は上気はしていないのだろう。俺の目に、そう映っただけだ……。

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