12 デッサン

12 デッサン


 赤々と燃える暖炉の火が部屋の中をぼんやりと照らす。談話室でのんびりと新聞を眺めていると、窓の外に影がちらりと映った。見ると、雪がちらついている。

 窓の近くへ行き、外を眺めた。すっかり葉を脱ぎ払った木々が、空からの雪の洗礼にじっと耐えている。心の中では、また今年も冬がやって来たと溜息でも吐いているのかもしれない。

 部屋の隅では、アワレが暖炉にくべる薪を運んでいた。一度に6束を両手に抱えてるもんだから、3往復もすれば今年の冬は事足りるだろう。その後、自分が運んだ薪の後を丁寧に掃いている。絨毯に残った木屑は瞬く間に掃除され、そのまま暖炉へと放り込まれた。

 ソファに戻り、深く腰を下ろす。

「この絵は、どなた様が描かれたのですか?」

 暖炉の上にある絵画を見て、アワレはそう呟いた。

「随分と名のある画家の作品なのですか? とても素敵です」

 その絵は、教会をバックに、平和を象徴する白い鳩が幾羽も空へと羽ばたいていく絵だった。太陽の光が眩く射し込み、その光に向かい鳩達は飛んでいく。荘厳と言えば荘厳な絵だが、俺は然程いいと思った事は無い。

「ああ、その絵を描いたのは祖父さんだよ」

「武文様の、お祖父様ですか?」

「そう、お祖父様。俺は会った事無いけどな。うちの家系は代々絵が趣味らしくて、父さんもこの屋敷にアトリエを作るくらいだったけど、今は仕事が忙しいだろうし、随分描いてないだろう」

「武文様もお描きになるのですか?」

 アワレが暖炉に新たに薪をくべながら聞いてくる。

「まぁ、昔はよく描いたな。基本的に無生物ばかりだったが……」

 小さい頃は、よく母さんに誘われて、一緒に庭の樹を描いた。鳥や動物は動いていたため、花や風景などをよく描いた。母さんも絵が上手くて、俺はどうやっても綺麗な母さんの絵に勝てなかった。その内父さんも庭に下りてきて、三人で屋敷の全体像を描いたりしたものだ。

 部屋の中ではリンゴやバナナなどの果物を描いたが、描き終わった後にすぐモデルを食べてしまう為、実際に似てるかどうかは比べられなかったな。

 クスっと笑いが零れたところで、アワレは朗らかに言った。

「素敵な思い出があるのでございますね」

「まぁ、な」

 そんな子供の頃のどうでもいい事を思い出し、絵筆を置いてからどれ位になるだろうとふと思った。

「久々に描いてみるかな」

 ふと口にした言葉に、アワレはにこやかに反応した。

「それは素晴らしいです。それではアトリエから何かお持ちしますね。武文様は油絵を描かれていたのでございますか?」

「いや、俺は基本水彩だったが、今日は久々だし、デッサン用の木炭でも持ってきてくれ」

「かしこまりました」

 アワレはすぐに行動に移ると、アトリエからデッサン用の画材道具を一式持ってきた。ご丁寧に木炭とパンが飛び散らないように、ビニールシートまで持ってきている。準備がいいと言うのは、気が回ると言うのと同義語かもしれない。

「それでは、ごゆっくりお楽しみ下さい」

「待て待て」

「はい、まだ何か御用でしょうか?」

「御用も何も無いだろ、そうだな」

 俺は自分のソファをずらし、簡易式の折りたたみ椅子に腰掛ける。

「アワレ、このソファをそっちに移動させてくれ」

 指示すると、アワレは3人掛けのソファをあっさりと、キャンバスに向かい合う場所に置いてくれた。

「よし、座れ」

「あの、武文様。もしかして、私を描くつもりですか?」

「他に無いだろう」

「ですが、私は他にも雑務がありまして……」

「俺が描きたいんだ。そんなに時間は取らせない、頼むよ」

 アワレは暫し逡巡する素振りを見せたが、すぐににこやかに笑った。

「綺麗に描いて下さいね」

 椅子に座り、ピンと背筋を伸ばすアワレの頬に、暖炉の火が影を添える。

「少し堅いな。肩を少し楽に」

「楽に……とは、どうずればよいのでしょう?」

「あー……」

 予想外の質問に戸惑う。楽にとはどうすればいいかなんて、聞かれた事もなかった。

「力を適度に抜いて、それと、笑ってくれ」

 適度に、と言う言葉がよかったのか、アワレの肩は随分力が抜けた。笑顔の方は筋金入り、こちらは何も心配していない。

 木炭を右手に持ち、キャンバスにイメージを載せる。アワレの映像を自分の中に写し、それをそのままキャンバスに描き出す。一本、また一本線を引くたびに、少しずつ輪郭が鮮明になっていく。

 空間を占めるのは、時折薪が火に襲われ爆ぜる音と、木炭とパンでキャンバスを擦る音、それと穏やかになって行く俺の呼吸音だけだった。静謐だが、暖かい空気が回りを包む。この瞬間、俺は頭痛を忘れる事が出来た。

 改めて見つめなおしたアワレは、本当に人間みたいだった。

 躓いたら零れ落ちてしまうのではないかと思うような、大きな瞳。

 ダークグレーの落ち着いた雰囲気に、活発なイメージのショートヘアー。

 肩の周りには厚めにパッドが入っているのか、実際の骨格の所為なのかは分からないが、肩幅が少し広いように感じる。

 全身を包むのは、手弱かで華奢なイメージ。薪の束を6個、分厚い参考書を3冊持てるような頑強な腕には、とてもではないが見えない。

 唇には、穏やかな微笑み。頬には、淡い桜色。楚々とした雰囲気の中に感じる、不思議な暖かさ。

 木炭を滑らせる間、アワレは微動だにしなかった。

 そこでふと感じた。

 俺は、相変わらず無生物ばかり描いている、と。

 その奇妙な思考が、目の前の現実と結びつかなくて、妙に擽ったかった。

 20分程だろうか、緩やかな時間はするすると流れていき、キャンバスの中には、少し歪なアワレが佇んでいる。

「出来たぞ」

 アワレが、見てもいいですか? と小首を傾げる。

「ああ、まあ久々だから、期待はしないでくれよ」

 アワレは近づいてきて、キャンバスを横から眺めた。そして、ほぅっと一つ息をついた。

「素敵です。私、こんな風なんですね」

「こんな風って、自分の顔知らないのか?」

「いえ、そうでは無くて、言葉が足りなくて申し訳ありません。私は、武文様にはこう映っていると思うと、とても嬉しく思います」

 ――俺に?

 アワレはこちらに向けて、スカートの裾を軽く摘み、傅いた。

「綺麗に描いて下さいまして、ありがとうございます」

「機械でも、やっぱり嬉しいのか?」

「勿論で御座います。武文様にお心づくしを頂きました事は勿論で御座いますが、設定上私の思考は、やはり女性をメインにしております。美しく可愛く形容されて、喜ばない女性はおりません」

「そう言うもんか」

 いつまでもニコニコと絵を眺めているアワレを横から眺め、自分の絵と見比べて思った。

 実際は、もっと可愛いけどな……。

 上手く形容出来ないのが何だか申し訳なかったが、アワレが喜んでいるから、よしとする事にした。

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