第8話

事件から暫く後、高田の教え子が投稿した記事が新聞に掲載された。

 『僕が尊敬していた先生が過ちを犯し、職を辞した。先生のした事は間違っているが、だからと言って、今までしてきた事まで否定されるべきではないと思う。僕の家は貧しく、母は自分が生きていく事に精一杯で、僕の世話までする心の余裕がなかった。他の先生は身なりも汚く、勉強も宿題もしない僕を透明人間の様に扱ったが、先生だけは違った。掃除もしていない僕の部屋に何度も足を運んで、母と話し、放課後手伝いをさせると言う名目で、勉強を教えてくれた。洗濯の仕方や、穴の空いた靴下の繕い方も、これは家庭科だと笑いながら教えてくれた。節目節目にも必ず声を掛けてくれた。僕が道を反れずに大人になれたのは、必ず見ていてくれている人がいると信じられたからだ。他の人がどんなに先生を批判したとしても、僕が先生を尊敬する思いは変わらない。』

 高田はこの記事を切り取ってお守りにしている。 

 

 『ケイスケ』は警察に逮捕され、検察庁に送致され、家庭裁判所で保護観察の処分が下された。異例の刑の軽さだった。今は保護司の方の元から、専門学校に通っているらしい。将来は食物関係の仕事に携わりたいそうだ。保護司の方が『ケイスケ』の手紙を届けてくれた。手紙の内容はお詫びと、感謝だった。あの時は『ケイスケ』との暮らしが現実だったが、今は遠い記憶の若者だ。

 

 私が家に帰宅してからすぐ、年配の刑事さんが来て、『ケイスケ』の生い立ちと、警察での様子、そして小さく畳まれたメモを置いて帰った。

 1.ご飯を作って貰う。

 2.一緒にご飯を食べる。

 3.お弁当を作って貰う。

 4.一緒に寝る。

 5.喧嘩をして、仲直りをする。

 6.お祭りに一緒に行く。

 7.一緒に映画を見る。

 8.一緒に外食をする。

 9.抱きしめて、頭を撫でて貰う。

 10.お花見をする。

書き足してあった一文があった。

『箸の持ち方を直す』  

涙と思い出が溢れて止まらなかった。

 

 私は保護司さんに尋ねた。

「彼はお箸ちゃんと使えてますか?」

「こないだ一緒に蕎麦食べた時は、気にならなかったですけどね。」 

「そうですか。これ、彼に渡して貰えますか?」

私は小さな手紙を渡した。

「拝見してもいいですか。」

『お花見はいつか愛する人として下さい。くれぐれも体に気を付けて。』 

「必ず、渡します。」

そう言って保護司さんは帰って行った。

 

 その夜、メモの9番を思い出していた。 

 いつもは隣で寝ていた『ケイスケ』が私の布団に入ってきた。『ケイスケ』はそっと私のパジャマの前をはだけた。寝る時は下着は付けない。今更、男と女の関係になるのかと怯んだが、もうなる様にしかならない。心の中で夫に侘びた。『ケイスケ』はそっと私の胸に頬を寄せた。

「頭を撫でて欲しい。」

私は『ケイスケ』が寝るまで頭を撫でてやった。ただ、それだけだった。

 メモは誰にも見せるつもりはない。誰にも見付からない様に、私の下着の引出しに閉まっている。 

 

 豊田は今日も配達に勤しんでいる。あの事件の時は、村人の倍の取材陣が押し寄せた。豊田も毎日取材され、集落の有名人になった。あの家には誰も住んでいない。配達のついでに、あの家の庭から集落を見渡す。良いところだ。自分がここを守らねば。心新たにまた、豊田は配達に向かう。 

 

 朝、ごみ捨てに行く時、『ケイスケ』を思い出す。洗濯物を干しながら、見上げる夫に手を振る。桜の背中に忘れ物はないかと送り出す。そして、空を見上げる。また、何でもない一日が始まる。



終わり。

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BBAが誘拐されました @nezumiusagi

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