第19話

 ガラガラと馬車が走っている。今まで乗った乗合馬車でも、長距離用馬車でもない。それよりももっと上等な箱馬車は、座席にはふかふかの綿を詰めて革張りがしてあり、さらにはクッションまで並んでいる。しかも広い。広い上に清潔だ。どこにも軋みも腐りもなく、変な匂いもしない。しかも、その馬車を引いている馬は四頭だ。馬の数が多ければ多いほど、馬車の持ち主のステータスが高い。

「ルダ教って、いい馬車持ってるのね」

 思わず呟く。

「知らなかったわ。宗教って、お金がたくさん入るものなのね」

 もちろん嫌味だ。しかし、向かいに座るアウレリオの表情は変わらない。何故かラビットが焦ったように自分とアウレリオの顔色を窺っている。ノアは、はあとため息をついた。

 薔薇祭りを五日後に控え、ノアは今城へと向かっている。そこで薔薇妃候補と称して、第一王子の護衛をするためだ。このことは、国王を通して王子にもすでに連絡が行っているらしい。おかげで、飛び入り参加のノアが、すんなりと候補者の中へ紛れ込むことが出来た。

 しかし、本気で自分を即席の薔薇妃候補にしてしまうとは。

 話によると、現在選ばれている薔薇妃候補は三人。そのうち二人はやんごとなきご令嬢で、もう一人は裕福な商家のお嬢様という。やはり第一王子の花嫁となるものが、庶民の出では困るからなのか、それともただたんに偶然そうなったのか、気になるところだ。

 そのうちの一人は魔術が使えるらしい。そしてその娘が今のところ最有力候補なのだそうだ。

「そのご令嬢たちがまさか暗殺犯だなんてことはないわよね?」

「一応彼女たちの経歴などは調査済みですが、警戒することに越したことはないかもしれません。あなたには、王子以外のすべての人間は敵だと思ってくださって結構です」

「・・・・・・ずいぶんと恐ろしいこと言うのね。じゃあ、城の中にあってほとんど孤立無援じゃない。あんた無力でか弱い女に、いったい何をさせる気よ」

「ご安心ください。一応、ラビットをあなたの付添い人としてお側に置いておきますから。彼は、これでもグリア伯爵の子息ですから、城の中の人間関係には、私よりも詳しいのですよ」

 ノアは、じろりとラビットを見る。彼は何故か照れたように頭を掻いた。

「あんたが、その裏切り者じゃないといいわねぇ」

「なっ、僕は決してこの国を裏切ったりはしません! それはガールレーダを裏切ることですから!」

 鼻息荒く叫ぶ。ノアは自分で言い出しておきながらさして興味のない顔をする。

「それは良かったわね」

 馬車の小窓から、城の屋根が徐々に近づいてくるのが見える。ぼんやりとそれに視線を向けていると、

「本当にそのドレスで良いのですか?」

 アウレリオの言葉に、ノアは自分の体を見下ろした。彼女が着ているのは、黒に限りなく近い濃紺のドレスだ。フリル飾りはほとんどなく、胸元も首筋まで詰まったような、まるでお堅い家庭教師か、修道女のような服だった。唯一袖口が肘の辺りまでフレアになっていることだけが、少女めいた華やかさを物語っている。

「もっと明るい色のドレスにするか、せめて真珠か、あなたの瞳の色に合わせたルビーの宝飾をつけたほうが華やかだったのではありませんか?」

「別に、いいわよ。華やかな色なんてあたしには似合わないから。それに、本気で薔薇妃候補になるわけでもないし。適度に目立たないほうが、護衛しやすいでしょう」

「しかし・・・・・・かりにも王子のお側に侍る娘が、これほどまでに地味だというのも・・・・・・しかも似合いすぎているところがこれまたまた・・・」

 頬に手を当ててため息を吐くアウレリオに、ノアが食いつく。

「悪かったわね、地味顔でっ!」

「誉めているんですよ」

「誉められた気がしないわよ!」

「あ、あのお二人ともそろそろ城門ですよ」

「ああ、もうそんな時間ですか。では、レディ・リデルくれぐれもおしとやかにお願いしますね」

「言っておくけど、あたしは最初に無理だって言ったからね。そこへ無理難題押し付けてきたのはあんたたちなんだから、たとえあたしがへましたとしても、文句言わないでよ」

「大丈夫、あなたはやり遂げますよ」

 何故か強い確信を込めるアウレリオに、ノアは目を眇めた。

「星の神、アウグスタの予言だかなんだか知らないけど・・・・・・あんたのその盲信振りには呆れるわ」

「そう誉められると、照れてしまいますね」

「誉めてないわよ、ちっとも!」

 この男にはまったく嫌味が通用しないらしい。どんな面の皮をしているというのか。ノアが苦々しく顔を顰めたとき、馬車が止まった。彼女ははっと表情を引き締める。アウレリオが返事を返すと、扉が開いて制服姿の門番が二人、敬礼と共に中を覗きこんできた。

「中を改めさせて頂きます」

 四つの目が、じろりと馬車の中を撫で回す。彼らは聖衣姿の二人に目礼し、訝るようにノアを見た。問われる前に、ラビットが説明する。

「彼女は最後の薔薇妃候補の方です」

「報告は受けています。どうぞ、お入りください」

 馬車が再び動き出す。ノアは手を伸ばして、小窓に掛かっていたカーテンを大きく開けた。城が、目前に迫っていた。

「懐かしいですか?」

 その問いかけに、ノアはちらりとラビットを見つめ、またすぐに視線を窓の外へ向けた。

「まったく懐かしくないといえば嘘になるわ・・・。でもね、あたしが王妃としてこの城で暮らしていたのは一年にも満たなかったのよ。あの頃は戦争が終わってすぐの頃で、城にいることよりも事後処理のために国中をあちこち飛び回ってばかりだった。だから、夫になったルカと一緒に過ごした時間も、結婚するより前のほうがずっと多かったわ。懐かしくないわけじゃないけど、特別な思い出があるほどこの城で暮らした記憶がないっていうのが、正直なところよ」

 その戦後処理がようやっと片付き始め、城で落ち着いた生活を始めようという矢先に、ノアは夫を失った。それ以後は、城はおろかルーヴェの町へも足を踏み入れたことはなかった。

 馬車が止まり、正面の広場に着いたのだ。先にラビットが降り、ノアは最後だった。アウレリオに差し出された手をとって、降り立つ。眼前には巨大な扉がある。そこに掘り込まれているのは、剣と薔薇の彫刻だ。それがあらわすのは建国の英雄王ルドヴィカと薔薇の魔女だ。剣と薔薇は、二人の象徴だった。かつての、ノアと夫の紋章。それが五百年を経ても、まだ残っている。

 ひどく奇妙な気持ちがした。

「覚悟はいいですか?」

 隣に並ぶアウレリオが、耳元で囁いた。

「・・・・・・ええ、いいわ」

 彼女は、一歩を踏み出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薔薇の魔女 あきわ @akiwa_s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ