カクヨム甲子園って残酷だ。

青キング(Aoking)

カクヨム甲子園は残酷だ。

 カクヨム甲子園も今年で五回目の開幕となる。

 作者は第一回から第三回にかけて参加した経験があり、ロングとショートどちらも参加したが箸にも棒にもかからなかった。

 まあ言ってみれば才能がない。

 

 俺には才能があるから受賞できる、と意気込むのはよいが個人の頑張りなど高い確率で報われないぞ。

 ほんの一握りの者しか嬉し涙を流せない残酷で非情なイベントだ。

 本気で止める。やめとけ、今なら引き返せる。

 受賞者しか栄光のスポットライトを浴びせてもらえない。こんな悲しいイベントがあるか?

 しかも作品をジャッジするのは顔も知らない他人なのだ。自分だけでどうにかできる範囲なんて、ほんの些細に過ぎない。

 だから、やめとけ。落ち込みたくなかったらやめとけ。

 


 代わりに、メモリスポーツに挑戦してみてほしい。

 才能に左右されにくく、努力が結果として確実に表れ、他人の定規で測られない。

 小説とはほぼ真反対の優しい世界だ。

 

 ちなみにメモリスポーツというのは、別名で記憶力の格闘技とも呼ばれる脳を使ったスポーツだ。

 野球やサッカーなど身体を使うスポーツはどうしても体格差が生じてしまうが、メモリスポーツは本来の記憶力の良さなど微々たる差にしかならない。

 偏差値41の工業高校で成績中位だった作者でも、取り組んでいるうちにジョーカーを抜いたトランプ52枚のランダムな順番を一分半の時間で記憶できるようになった。

 メモリスポーツについては、作者の作品を参考にしてくれるとありがたいです。



 世の中、頑張りが認められないほど悲しいことはない。

 直接ではないにしろ才能がないと言われているような気分なって、落選を機に挫折してしまう者も少なからずいるだろう。

 実に勿体ない。

 伸びしろがあるのに小説をやめてしまう。その人は十年後には作家になっているかもしれないのに、現在の指標だけで無能と選別されてしまう。

 しかし、何かをきっかけに大作家に化けるかも知れない。未来の大作家を他人基準の選考という言葉ない虐げで潰してもいいのだろうか。



 速筆なだけでも作家としての価値があるし、海外在住の経歴だけでも日本から出たことない作家には書けないリアルな物語を書ける可能性があるし、元ホームレスでもホームレスとしての経験から味わい深い作品が生まれるかもしれない。

 けっして上手い下手だけで断じていい世界じゃないと思う。

社会そのものが優しい目を持っていれば、今は下手でも将来へと期待をかける余裕がきっと生まれる。

 

 世界が資本主義である以上はどうしても即物的になりやすい。

 目の前にある価値だけでなく、将来的な価値も見込んで評価するべきだ。

 未来の大作家をつぶさないためにも、栄光に隠れた残酷さは削ってほしい。

 

 


 と、まあ、思いの丈をぶちまけました。

 カクヨム甲子園の出場資格を失った今だからこそ言わせてもらう――

 

 二万字ってロングストーリーなのか? 二万って短編じゃね?

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