砂漠と餓鬼と塵芥43

 ガービレッジで治療院を営む埴輪型医者のスパッツァトゥーラのもとに一人の老女が訪れていた。足腰ともに弱り杖を突きながら歩む足元はいささかおぼつかない。弱っていたのは足腰だけではない長年の不摂生が祟って内側もガタがきていた。


「内蔵疾患が酷いね、投薬で治るけどよろしいのですか? ズバールさん」


「もう、こんな生活飽き飽きしてたところだよ。ちょうど良いね、若い頃は死にたくない一心だったけど、無駄に長生きすると身体のアチコチが痛いし早く死にたくて仕方ないね。痛みを抑える薬だけでいいよ」


「なんの対処にもなりませんよ」


「それでいい。自殺するつもりはないけどね、かと言って無理に生き長らえるのも虚しくなってね」


「失礼ですがズバールさんとも思えぬ発言ですね。もっと生や金に執着してる方だと思っていましたよ。義体への換装という方法もありますがよろしいのですか?」


「もう面倒臭いんだよ、生きるのも金儲けも。私の人生ね、今まで何一つ良いことなんてなかったんだよ。だからもう潮時さ。薬はもらってくよ。それじゃ死ななかったらまた来るよ」



 ……ふむ、元からシニカルな人間であったが、アクタが居なくなったこの数日より酷くなったように見受けられる。



 まだ日は高いがコツコツと杖を突き酒場へ向かう老女。昼間から開いている酒場は何軒かあった。電脳に娯楽アプリを入れていない者や飽きている者、タカタカ砂漠で日銭だけを稼ぎ宵越しの銭を持たぬ者、重度のアル中や飲み場の喧騒が恋しい者達が集うためだ。ここのところ毎日のように店を早じまいしてはズバールもまた昼間から酒を飲むようになっていた。



 何が二、三日アクタを借りるだ。アイツが連れて行ってそろそろ十日、もう戻っちゃ来ないだろうね。そんなことわかっちゃいたが……どうもね。厄介者を拾ったと思ったが、アタシとしたことが依存してたのかね。たいして面白くもない人生だったけど、まあ最後くらいは少々マシだったか──


 

 鎮痛剤を質の悪い醸造アルコールで流し込み、そのまま飲み始めて何杯目になるのか記憶から消える程度の時間が経った。やがて日が落ち店内が賑やかになり始めてまだそれほど時が経たぬ間にズバールは酩酊し、錆びついた鉄板テーブルで突っ伏してしまうのだった。




 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇




 膝の上にちょこんとアクタを座らせオジサンの車はほぼ丸一日走らせガービレッジへと舞い戻ってきた。ナビの自動運転により半分くらいは二人共車内で寝て過ごしていたが、それでも狭い中での移動というものは疲労が蓄積するもので到着後手足を伸ばして酸素を取り込む。


「あ、アクタ…… 帰って来たのか。」


 偶然通りかかった見覚えのある顔が声をかけてきた。まだ青年になる手前くらいの坊主頭、この村でピッカーで生計を立てる子供達のリーダー格でもある者だ。以前は幼いアクタを裸にひん剥いたりして虐めの対象とし、せっかくピッキングした金目の物をカツアゲしていた悪ガキでもある。


「あ、スルレギ! ただいま! ねえ、ラージの足の具合はどう? 元気になった?」


「え、あ、ああ。もう元気だよ。なんか接骨嬢とかいう高速再生薬のおかげでもう走れるよになってるよ」


 コイツにはかなわないな……、帰ってくるなりすぐに自分を虐めていた奴の心配をするアクタの人の良さに胸の内でため息をスルレギ。


「良かった! ね、じゃあさ缶蹴りやろうよ!」


「え、いいけどさ、帰ってきたばっかりでもうかよ」


「うん! ね、オジサンも!」


「マジかよ。俺もうゴロンしたいんだけど、缶蹴りとあっちゃ昔缶蹴り無双していた頃の血が騒ぐな」


「オジサン強いの?」


「『缶蹴りマスターアジア』とは俺のことだ」


「知らないけど……」


「だろうな、今考えた」


「僕始めてなんだけど、ルールって?」


「オニを決めるだろ、それ以外の誰かが缶蹴り飛ばすだろ、それをオニが拾って元の位置に戻す間に他の人は隠れる。オニは缶を守りながら隠れた人を探して見つけたら名前を呼んで缶を踏む。オニが探してる隙に他の人が缶を蹴ったらまたオニは引き続きでやり直しだ。オニを複数人でやるパターンもある」


「簡単だね。でもオニの人は大変そう」


「ふっ、俺は強いぞ。なんなら最初は俺が一人でオニをやる、その強さに驚愕するがいい(始めだけ適度に付き合ってとっとと休むか)」


「じ、じゃあ仲間集めるからウチの牧場に集合な」


「うん!」


「ふっ、血が滾るぜ」



…………



 牧場のなだらかな丘の上に飼育小屋やサイロ、農機具倉庫、住居、がポツンポツンとあった。広大な敷地にはラージやサンパーをはじめ十数人のスルレギの子分が集まっていた。名前だけの自己紹介をしたあと缶蹴りが始まるのだが──


「じゃあ最初はオジサンがオニやるんでいいんだよな?」


「え、ああ、うん。でもさスルレギ君、一つ聞いていいか?」


「なんだよ」


「これさ、缶は缶でもドラム缶じゃない?」


「そりゃ缶蹴りに使うのってドラム缶だろ」


「その辺の認識がほんのちょっとだけオジサンと違うかなぁ……」


「ちょっとだろ、気にすんなよ。いつもはオニと子でチーム決めてやるんだけど、オジサン一人でやるって言ってたもんな。それじゃ皆で蹴るぞぉ!」


「え、ちょ、ちょっとじゃないの! まっ!」


 オジサンの狼狽えは無視され十数人の子供達は一斉にドラム缶に跳び蹴りをおみまいする。アスタもキャッキャ言いながら体当たりしていた。グラリと倒れたドラム缶に追い打ちをかけて蹴り転がしていく子供達。そしてドラム缶は丘の斜面を転がり始め……


「え、嘘でしょ! 待てよ! 蹴りって一発じゃないの⁉ 大勢って卑怯じゃん! ってか待てよ!」


 コロコロと、いや、グワングワンと丘のデコボコに煽られながら右へ左へ進行方向を急変するその姿は、スキーのモーグルか。飛び跳ねながら速度を増してオジサンが駆け出す頃にはもう遥か彼方。振り返れば子供達は蜘蛛の子散らすとよく言うが、ここでは蓋をしていた石をひっくり返すしたときの蟻の巣とでも表現しようか、ものの数秒でガランとした空間普段なら心地よいはずの風が吹いていた。


「嘘やん、あれここまで一人で持ってくんの?」


“空のドラム缶なんかたかだか20キロです。いつも30キロ以上の荷物背負っているのですからなんてことないでしょう”


 いや、あるわ!

 


…………



 ぜぇぜぇ、と息をこれでもないくらいに切らしてドラム缶をえっちらおっちら転がし、担ぎ、丘の上まで運んで元の位置に立てる頃にはオジサンの体力はもはや底をついていた。


“いや〜まさか干し草が詰まっているとは思いませんでしたね。総重量60キロ超えですよコレ。さぁ、こっからがスタートですよ。子供達を見つけないと”


 わーってるわ……おかしいだろこれ……なんでドラム缶なんだよ……缶踏んだ……って踏めねぇだろうがコレじゃあよ……


“そんなこと言ったってここのご当地ルールを聞きもせずにやるからいけないんですよね”


 マジレスすんじゃねーよ! って予想もつかねーわ! なにをどうしたら180ミリの缶使ってた遊びが200リッターのドラム缶になるんだよ! おかしいだろ!


“マジギレされましてもねぇ……”


 けっ! どうせこの広大な敷地といえど開けた牧場、隠れ場所なんて決まってるわ! 所詮建築物のどこかよ! 


 風になびく牧草が開けた場所の隠れ場などは確かにそうあるものではない。隠れ場所は飼育小屋やサイロ、農機具倉庫などが筆頭なため検討はすぐにつく。

 とはいえ突入すればよいのかといえばそうではない。ここまで持ち上げたドラム缶をまた落とされたら元も子もない。まずは倉庫だ、と最新の注意を払い一步二歩と近づいていく。背後を注視し振り返りながら半分くらいの距離にきたところだろうか、先ほどは蟻だか蜘蛛だかと表現された子供達は、突いた蜂の巣のように各建築物からワラワラと出現し、缶を踏むために戻ろうと足を踏み出した直後のオジサンは子供達に跳ね飛ばされ、その勢いのまま突撃されたドラム缶は再び丘の上から転がり落ちていくのだった。



 ちょ、ま、まて、おまえら…… マジか、これ俺またオニやんの、か……?


“ですね”


 虐めだろ……



…………



「オジサンいつまでオニやってんだよー!」

「すっげー弱いじゃん!」

「隠れるの飽きたよもう!」

「缶蹴りマスターベーションなんだろ」

「口ほどにもないよなぁ」

「これだから大人ってな」

「ホントつかえねえーな」



 疲労困憊で倒れた牧草地帯。顔面からは芳しい堆肥の香り。ああ……こんな時代でもこの香りを体験できるとは……懐かしさが胸からこみ上げる──いや、込み上げていたのは懐かしさではなく行き場のない怒り──


「き、きさまらぁ! 全面戦争じゃあ! 今度子分百万人連れて来たるからな! 部屋の隅で小便垂らしながらガタガタ震えてお祈りしてろ!」


 

 もはや負け犬以下の遠吠えをしながらアクタを攫うと車に押し込み、その場から逃げ去るオジサン。

 スルレギ、ラージ、サンパーの三人はさすがに恩人へ罵倒こそしなかったものの、あまりの小物っぷりの発言に呆気に取られ事態を静観することしかできないのであった。

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