おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編16
どれくらい時がたっただろうか、ハンターユニオンや軍が各街に設立され治安が保たれるようになっていった。私もハンターとして活動を始め月の観測をしつつ街々を旅していた。
ボヤージを相棒にしてるせいか、それともサクラの映像を見すぎたせいか、荒れた生活をしてるせいか、最近ボヤージに “似てきたな” と言われる。あのチャランポランだった人間と比較されるなど憤慨ものだが、軍人として規律ある生活スタイルなどハンターを始めた今は不可能だ。そんな中とあるリクエストで元月面基地の職員達と出会った。彼等も生き抜くだけで精一杯な境遇は変わらないが、私の月に行きたい願いを話すと笑うことなく協力してくれ、必然的に生活を共にするようになった。
数十年が経った。サクラが生きのびていることを期待するにはあまりにも時が経ちすぎた。子のサラだって老齢だろう。でも子孫を残しているかもしれない。私は諦めることなくしぶとく生きた。同じ目標を掲げた仲間達は私と違い世代が代わっていった。
バラッドはその中で最も若い世代のうちの一人だったが、両親は機獣との戦いにより帰らぬ人となっていた。私はまだ青年前だった彼をひきとり、一人でも生きていけるよう軍人としての訓練を行い厳しく育てた。
それからまたしばらくの時がたった。事故で亡くなった者、戦いで亡くなった者、実現しない目標に見切りをつけた者、仲間は減っていったがバラッドだけは付いてきてくれた。恩義を感じての行動なら気にしないで自分の好きなように生きろと放逐しようとしむけたこともあったが、月面基地の研究内容や価値そのものにすこぶる興味があるらしく、私の元から出ていくことはなかった。真意は定かではない。
そしてあの日だ。私はちょっとしたミスからデザートバイトの群れに追われ、逃げ込んだ廃ビルで私より前に籠もっていた男と出会った。
絶望的な状況下でもあっけらかんとしていて、私を見るなり口説いてくる図太さがあった。こちらの事情を話すと、月へ行くのを協力するから私を愛人にしたいなどとどこまで真面目でふざけてるのかわからない。身体目当ての男は今まで星の数ほどいた。殆どは体よく使ってやるだけだが、実際に抱かれたことも数限りない。この男もそのくだらないやつらの内の一人かと思いきや、とんでもないラッキーガイだった。まさか私の悲願を成就するための大きな一歩を踏み出す存在になるとは予想だにしなかった。
この男の協力なしではいまだにサクラとサラに出会えなかっただろう。まだ月に連れて行ってもらったわけではないが、彼になら前払いして良かった。
それなのに
そう決めたのに
この男は──
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「バラッド、連れションしようぜ」
「あぁ、そうだな」
音を立てずにそっと二人の男はモニタールー厶をあとにする。
「……本当にトイレに来るとは思わなかったぞ」
十ほどの立ち少便器が並んだ場所で一つ間を空けて二人の男は用を足していた。
「通信が繋がる前からめちゃくちゃ行きたかったんだよ。それなのにこのタイミングで復活しやがってよ……」
「それはまた──けっこう頑張ったな」
「だろ?」
ぶるんぶふんと愚息をふるって雫が手にかかるも裾で拭う。
「あ、これ渡しておく」
「なんだこれは?」
少し汚い物を見る目で、錫乃介から渡されたタブレットを受け取ると、ティッシュで持ち手を拭き取る。
「新宿って街が最近見つかったのは知ってるだろ。そこの交易で出た利益の一部を報酬として受け取るための権利書だ。それと俺は現地妻を作る費用全額をハンターユニオンから経費として落ちる契約を結んでいる。適当こいて引き出せ。それらの権利書が中に入ってる。シャトル作る資金の足しにしろ。それじゃ、俺行くから船出して」
「どんな生き方をしてきたらそんな両極端な契約をとることになるのだ……」
「色々あってな」
コツコツとトイレを出た二人の足音が廃墟に鳴り響き、通路を抜けるとジャノピーが停めてある場所に着く。
「本気で行くのか? 金を置いて何のつもりだ?」
「俺ぁまだアイツを月に連れて行ってやれてねぇからな。だけどこれ以上俺にできることはねぇ。だから今はその詫び賃だと思ってくれ。でもこれの真意はこれから始まるであろう月とのやりとりでなんやかんや利益がでる。それにこの街も発展し交易もうまれる。その利益の一部を俺が貰うための投資だ。年10%、忘れんなよ」
「ボリ過ぎだせいぜい1%だ」
外はもう日が落ち始め赤く焼けた空が広がっていた。錫乃介はジャノピーに、バラッドは武装ビークルに乗り込みエンジンをかけると、投光器で交渉がはじまった。
「9%」
「1.25%」
「8%」
「1.5%」
「……7%」
「1.75%」
「6パーセント!」
「2%」
「あのさ、格好良く去ろうとしてんのに、小数点刻んでくるなよ、気持ちよく去らせてくれよ。5パーだ5パー」
「馬鹿を言うな、君の脱出に協力するのだぞ。気持ち良く自己満足で君は去れるかもしれないが、私は後からサーラに何を言われるかわかったもんじゃない。2.25%」
「BGMに『Get Wild』流したいんだよ! 4パーセントぉ!」
「ゲトワイ……? なんの話だ? 2.5%」
「カッコつけて去る時の定番ソングなんだよ! 3.75!」
「私の知ったことか。3.25%」
「え! 一気に上がった⁉ もうひと声3.5%」
「強欲な男は損をするものだ。3%に下げる」
「のぉぉぉぉ! もういいよそれで!」
「言質はとったぞ」
「ほら、ゲトワイ流す前に桟橋着いちゃったじゃん!」
「本当に行く気ならさっさと乗れ」
「ああ! もう、ビャッ! って行ってくれ」
言われるがままにボロ船は出航する。旧式も旧式のエンジンの荒々しい音に伴って排気筒からバイオ重油の黒焦げた煙がモウモウと立ち昇ると、次第にスピードを上げ白い波しぶきと青黒い海流のコントラストが海峡に船の轍を残していく。
波に揺れる操舵室では舵輪を握るバラッドと、その横で床にどかりと座り込み、煙管で紫煙をくゆらせる錫乃介がいた。
「サーラはよく男を連れ込んでは、わざわざ私に見せびらかしていた。なぜだと思う?」
「やぶからぼうだな。そうだな、最初はお前を嫉妬させてからかってるのかと思ったが違うな。アイツはお前の事を育てたって言ってたから…… わざとお前に嫌われるため。うん、この線だな」
「そうだ、どうしようもない姿を見せて私を月へ行くという呪縛から解き放とうとしていたのだろう。遊び半分だから気にするなと。だが、されればされるほど私は意地になって付いていった」
「月の研究データが目的じゃないのか?」
「目的だったさ。大いに好奇心を昂らせる。だがそれは後付だ。最初はサーラに付いていく口実だった。しかし、そのデータを手にした今私はなんと言って彼女の元にいればいいものか」
「なんだよ、やっぱ惚れてんじゃねぇか。一緒にいたきゃいたいでいりゃいいだろ。だけどな、俺の見立てじゃサーラとサクラって子の仲は本物だ。それでもよけりゃ、な」
「……惚れてたのか、私は」
「育ての親だろうが何年一緒にいようが所詮男と女だ。同性だってホレあの通り一世紀以上も時を経て想い合ってんだ」
「そうか…… そうだったな」
二人の男が対岸に着く頃には、日は沈み赤く染まる満月が夜空に浮かぶ。
「ほとぼりが冷めたころにまた顔を出す。進捗、楽しみにしてるぜ」
あばよ、と一言残して片手を挙げると振り返ることなく錫乃介は去って行った。消化不良が解消したような表情のバラッドはジャノピーが巻き上げる砂煙を見つめながら、ボロ船を出航させるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
“いいんですか?”
勿体ねぇけどな、ありゃ抱けねぇ。
“サーラ様に何か問題でも?
サーラに、ってかサクラと二人の関係にな。俺の国には昔から言い伝えがあってよ、それに触れちまうんだ。
“言い伝え?”
百合の間に挟まる男はダンゴムシに襲われ死んじまうってな、タブーなんだよタブー。どんな宗教の戒律よりもタブーなんだ。美しくないんだよ。百合は外から眺めてるのが美しいんだよ。
“はぁ、それで財産まで渡したのは?”
投資ってのは本当だ。月事業とでもいうか、これから予測もできない規模で発展していくだろ。あの街も人が集まるのは間違いない。だけどそれ以上に──
“それ以上に?”
サラちゃんが可愛い! 可愛すぎる! 早く会いたい!!!
“確かに清楚な感じで美少女でしたが、バインボヨン好みな錫乃介様のタイプではないんじゃないですか?”
そんなことはどうでもいいくらいに可愛かった! 早く愛でたい! 撫で撫でしてペロペロしてクンカクンカしたい! 早く月に行きたい!
“わざわざ文無しになってまで…… ここまで変質変態倒錯異常者とは思いませんでした”
ハンターが狙う獲物を変えただけだ。さ、一段落したからBGMを頼む。
“さっき流しそびれた『Get Wild』でもかけますか?”
いや、ここは『Fly Me to the Moon』といくのが定番なんだろうが、あえて外してSmashing Pumpkinsの『Tonight Tonight』をかけてくれ、MV付きでな。
“メリエスの月世界旅行をモチーフにしてるやつですね”
そうそう、今夜の月は不可能が可能になりそうなくらい眩しくて綺麗だろ、月世界旅行日和だからな。
“三分前まで変態変質者だった人がいきなりポエミーにならないで下さい”
月の魔力に魅了されちゃったかな……
“だからやめろって”
錫乃介を乗せたジャノピーは次の目的地も決まらぬままあてもなく走る。夜空には舞い上がった砂煙にキラキラと月の光が反射していた。
あ、衛星地図もらい忘れてんじゃん!
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