おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編15

 グラウンドスクラッチ後生きるだけでだれもが精一杯だった。軍出身だった私は戦いの心得があったとはいえ、あの乱れた世界を生き抜くには強さだけではどうにもならなかった。幸か不幸かそれなりに私の身体は需要があった。その日も見知らぬ男達の相手を終え寝床に帰る道すがら、溢れる涙もでないのになぜだか夜空を見上げたときだった。

 星ではない何かが夜空に見える。

 落ちている。

 自然落下ではない、どこかに着陸しようという意志を感じる落下だ。

 私は走った。

 轟音が響く。

 さらに走った。

 あった。

 その物体は見覚えがある。

 月面基地にいたとき見たやつだ。

 傷病など基地で対処できない緊急時に地球へ送るための一人乗り小型シャトルだ。

 脳裏に何かが走った。

 飛びついて開けた。

 中には人ではなく多様なデバイスと電脳が保管されていた。

 デバイスには基地のここまでの研究資料や現状の報告、そして月で産まれた子供のデータが記録されていた。

 その中にサクラの電脳もあった。

 サクラは私が最も親しくしていた友人だ。

 名前の語感が似ているのが仲良くなったきっかけだった。

 彼女は仕事は真面目で素敵な星のスケッチを描くこと以外、私生活はチャランポランだ。

 ことあるごとに私が説教しては小姑みたいにうるさいとよく言われたものだ。

 電脳を接続する。

 彼女のナビ、ボヤージの声が聞こえる。

 お願い教えて、色々と。

 映像を脳内で流す。

 みずみずしい記憶が蘇る。

 懐かしさで涙が溢れた。

 彼女は子供を育てていた。

 サラと名付けられていた。

 女の子だ。

 私との間にできた子だ。

 基地に残された私の遺伝子を無断で使ったのだ。

 勝手なやつだ。

 相変わらず。

 今度あったら説教だ。

 今までで一番長い説教をしてやらなくては。

 私は会いたかった。サクラとサラに。

 なんとしてでも会いたかった。

 どれほどの時がかかろうとも。

 

 そして、その時が来た──

 



 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇



 生きている。


 その言葉に地球側の三人は喜びよりも先に耳を疑った。ポラリスを筆頭にサーラやジョドーのように全身を機械化し、定期的に換装することで一世紀以上生き長らえることは不可能ではない。実際に錫乃介は旅をするなか何人も出会っている。しかし、設備や資源が限られた月面基地でそんなことが可能なのか? 三人はいちようにその考えがよぎる。



「生きている? 私みたいに全身機械化したの?」



 サーラの問いかけに、いやいや、とあたかも首を横に振ったかのように軽く否定される。



“数人くらいならできなくはないだろうけどさ。実はね、君たち地球で言う機獣化がこの月でも起きたんだ。それも人間だけに”



 再び衝撃だった。無辺を質問攻めにしたくなる逸る気持ちにブレーキをかけ、でかかる言葉を飲み込む。



“こちらでは突発性自動人形化症候群、もしくはオートマタ化なんて呼ばれてて最初は病気扱いだったんだ。死亡確認したはずのとある遺体が動きだしたことから始まってね、最初はパニックだったよ”


「もう、それゾンビ映画まんまやん。そっから基地内パニック状態で内部分裂してバッドエンド一直線──」


 たまらず声を出した錫乃介の問いかけに、そう思うよね、と返される。


“でもゾンビ映画のように人を襲うわけじゃなく、生前の人格と記憶をもったままだった。調べたら機獣化した電脳から侵食が生前から始まってて、亡くなったと思われた時には既に脊髄やニューロンが入れ替わっていたんだ。最初に発病したその人が感染源かどうか定かじゃないんだけど、無作為に他の人々を診断したら半数以上が同じような症状だったんだ。でも発狂するわけじゃないし、誰かに危害を加えるわけでもない。身体の一部がメタリックになったり、硬質な爪が生えたりして、あまりにも不明な部分が多すぎて不安は残るけど生活する分には問題なかった”



 サーラとバラッドはいささか狼狽しながらも無言で頷きながら話を聞いている。錫乃介は機獣化したウイルスのことを思い出していた。



 あのさ、エアビーって機獣化したウイルスじゃん? 人間だけを機獣化させる能力をもった機獣ウイルスがいてもおかしくはないよな?


“地球では今のところ生きた人間の機獣化の報告はありませんけどね。もしそうなら、この月面基地でだけ進化した個体がいるかもしれません”


 いまさらだけど機獣ってなんなんだろうな。


“新しい進化のかたちってサンドスチームでルーラー様に熱弁ふるってたじゃないですか”


 あんなの口からでまかせだ。



 錫乃介の思考は少々脱線するも、ところがね、と無辺の説明は続いてる。



“問題があった。要は死んだはずの人間が蘇ったんだ。しかも老化すら止まってる。つまり死なない。この閉じられた世界でだ。そりゃ、身体をバラバラにでもすれば死ねるんだろうけどそうはいかない。僕はスーパーシャッフル後に子供をじゃんじゃん産んで育てて月の国でも作りなよって助言をしたもんだから人口調整が大変でさ、限界近かったんだ。あれはさすがに言ったこと後悔したね”



 なんて助言をしてるんだ……とはじめに呟いたのはバラッドだ。


「撤回すればよかったじゃないか」 


“そうはいかないよ。スーパーシャッフルでみんな落ち込んでたからね、わかりやすく子供を育てるっていう生きる目標を掲げてあげないと。それに大見得切って言った手前撤回なんてハズいじゃん”



 こいつバカなんか? 


“錫乃介様には言われたくないと思いますよ”



「趣味や遊びのコンテンツにも飽きたら大変ね。ただでさえ娯楽は制限された世界だったし」


“ああ、その辺は案外大丈夫だったみたい。みんなねっからの研究者でオタク体質だったもんだから、ものすごい業績をあげてるよ。今送ってるデータとかみてびっくりするんじゃないかな。全部視聴するのに10年かかるアニメを作った人とか、発酵や醸造を神のごとく操って過去存在した発酵食品を再現する人とか、スーパーシャッフルの原因究明に最も近づいた人とか、あらゆる男女の恋愛パターンを網羅し登場キャラクター50億人のゲームを開発した人とか、仮想空間で120年間休まず延々と野球のペナントレースしてる人達とか、生命倫理のタブーを破りまくった研究もあるよ。あ、映像回線繋がりました? それじゃあ本日のメインイベント、マダムサーラ! 月に残された家族サクラとサラに120年以上の時を経てごたいめーん!”


「え! ちょっ! そんな突然!」


 と、慌ててサーラが髪を弄り始めるやいなやモニターには妙齢の美しい女性が二人映しだされていた。

 カメラを通じ見開いた眼でお互いを凝視する。


 最初に口を開いたのは──



「あなたがもう一人のお母さんのサーラさんね、サラです。サクラお母さんから凄く口うるさくていつも怒られてたって言ってたからどんな怖い人かと想像してたけと、びっくりするくらい綺麗でセクシーな人じゃない、ね、お母さん?」


 少し小柄で透けるような白い肌のサクラそっくりな女性は、ニコリと笑った。


「そうねサラ。でもああ見えて、とっても怖い人なのよあの人──サーラは」


「本人がいないところで悪口はよしなさいっていつも言ってたでしょ。ボヤージから私の知らないことも全部タレコミがあったわよ。サクラ」


「いけない、口止め忘れてた」



 それからたっぷりの間があった。




 会いたかった──




 二人の声が重なった。

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