おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編11
サーラに連れられ案内された部屋は、壁一面のモニターと数台の端末が設置され、そこには一人の男がワーキングチェアから立ち上がるところだった。痩身で黒短髪を七三になでつけ長方形の白縁眼鏡から薄い細目がのぞく。一見知的な印象を受けるが、椅子からの立ちあがり、足の揃え方、首の回し方、手先足先への神経の配りなどキビキビとした動作が特徴的だ。
「帰ったわバラッド。聞いて、今回彼が一晩でお蚕様を見つけてくれたラッキーガイよ」
錫乃介の隣から両肩に手をかけ身体を密着させ紹介するサーラ。
「バランドン・リーだバラッドでいい。頭脳労働担当で荒事は苦手だ、よろしく」
「荒事は俺も苦手なのに向こうからよってくる錫乃介だ、よろしく」
(嘘こけ、軍出身だろこいつ)
サーラの紹介を受け手を差し出すバラッドに応え錫乃介もその手を握ると、ただのデスクワーカーではないことがすぐにわかる。
「サーラに連れられているところを見ると説得力あるな」
(嘘だな、自ら飛び込むタイプとみた)
バラッドもまた錫乃介を一瞥しただけで、軽い言動や立ち振舞いから、ただの受け身の人間ではないことを見抜く。
「何よ、それじゃ私が厄介事みたいじゃない」
錫乃介の背中から顔を出すような仕草でサーラは反論する。やけに子供じみたパフォーマンスだ。
「他人からすれば厄介事そのものだろう。それからサーラ、蚕室から出る前に泥を落としてきてくれと言っているだろ。誰が掃除してると思ってるんだ」
「あら、ごめんなさい。彼に急かされて忘れちゃった。がっつくんですもの」
バラッドの小言で錫乃介にしなだれかかるサーラにわざとらしさを感じる。先程から突然距離を縮めてくる行動に、ははんと察する。あえて親しく振る舞うことで目の前の男の嫉妬心を煽り遊んでいるのかと。それならそれでのってやるかと心でニヤつく。
「まだがっついてねぇよ、まだな。後でたっぷりがっついてやるぜ」
軽く仰け反るサーラの腰に手を回して顔を近づけ、ウィンクをして荒っぽく答える姿はさながら社交ダンスのピクチャーポーズのようになっている。サーラも満更ではないようだ。
「お支払いはまだ先よ」
「おあずけすること後悔するぜ。忘れられない夜になるはずなのによ」
人差し指で顔を迫るのを止められながらもサーラの頬を撫でなおも顔を近づける。堰き止める指の門が開けば唇は触れ合う距離だ。
「そんな記念の夜になるならもう少し後にとっておきたいわ」
囁くように潤んだ瞳で錫乃介を見つめる。唇を堰き止める指の手を掴み少しづつその門を開けていく。
「次のお蚕様探索先候補だが割りと近い。この拠点から北西200キロ地点にある廃棄物の山だ」
(サーラのまた悪い癖がでたか)
「なんだよまた山か。さっきも岩山登ったばかりだぜ。まぁ、俺は落下したんだが」
(かかった! わけじゃなく、本気で関心なさそうだな……)
二人の世界を突如としてぶった切るバラッドに何事もなかったように向き直り受け答えする錫乃介。支えを無くしたサーラは後ろに倒れそうになり、腕をバタつかせている。
「ノリが良いな君は、いや悪いのか?」
(サーラ目当てじゃないのか?)
「こんな茶番付き合ってられるかっての」
(サーラの男ってわけじゃなさそうだな)
「そうか君とは仲良くなれそうだ」
「ご遠慮しとくよ」
「ちょっと私のことほっぽりださないでよ」
“珍しく錫乃介様がリードしてるだと……”
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「すまんな茶と呼べるものがなくてな、これはな……」
「クッソ懐かしいなこの形のコーヒー牛乳!」
「懐かしい? 最近北部の農村で開発されたものだが?」
「い、いや、形がね。昔コンクリ削ってこの形に固め直してブロック作って遊んでたんだよ。話しを戻すけど静止衛星ではあるが、静止軌道36,000キロまで打ち上げるわけではないと」
(あぶねぇ、またやらかすところだった」
ほっぽりだされたサーラはつまらなそうに蚕の糸巻きに向かい、残された男二人はこの計画について話し合っていた。一応客人ということで飲み物としてテトラパックのコーヒー牛乳が出されたのだが、それを見るなり思わず反応してしまう錫乃介であった。
「もちろんだ。36,000キロも糸を吐き出させるのにシルクロードがあと何頭必要であと何年かかることやら」
(懐かしいという反応、それに静止衛星の情報が古いな……)
「それよそれ、いくら沢山糸吐き出すっても十頭ちょいで距離がたりるのか? って疑問だったんだよ。でも既に低軌道で静止状態にもっていける技術が確率されているたぁね。デブリとかこっちから観測できない障害物は? あれ、これどっから飲むの?」
(あぶねぇあぶねぇ、ストローどこに挿すかわからないフリして誤魔化そう)
「そこのシールのところだ。デブリなんかは自動で回避できるシステムだ」
(わざとらしい仕草だな……)
「それらは宇宙人技術の賜物かね」
(なんとか誤魔化せたな)
「そのようだな。いまや衛星など打ち上げる者がいないだけで技術だけなら恒星間航行も亜光速飛行も可能だ。ただそこにまわすリソースや生産力、環境が許さないだけだ」
(まあ、いいか)
「んじゃあ、今回のプロジェクトが上手くいったら、ここは宇宙開発の中心地になりそうだな。なんてったってスクラッチ以後初の月世界旅行をなしとげるんだからな」
(俺はこの時代の一般人だからな)
「さてな。小型衛星だけなら我々だけでなんとか打ち上げられそうだが、月への往復それも向こうの住人を乗せるレベルのシャトルが必要だ。技術的に可能であってもその技術者は? 資材は? 期間は? なにより……」
(過去の人間だからと何か変わるわけでもなし)
「金か」
「そうだ。月へ行くだけで100億ドルかかると言われていた昔に比べれば、こんな世界とはいえ宇宙人の技術革新のおかげでだいぶ安くいけるだろう。とはいえ数億cは下らないはずだ。我々が用意できるレベルではない」
「そんなこと最初っからわかっていながらなんで諦めてないんだお前たちは?」
「それはサーラに聞いてくれ。毎日休む間もなくユニオンのリクエストをこなして稼いではコツコツ資材を調達している。凄まじい意志の強さだ。私は彼女が止まるまで協力するだけだ」
「なあんだ、やっぱ惚れてんのか?」
「ある意味な。だが恋愛のそれではない」
「煮えきらん奴だな」
「錫乃介、君こそ当初はサーラに誘惑された数いる男の一人かと思ったが、そうではなさそうだな。報酬は何を要求したんだ?」
「現地妻」
「……私の目も曇ったか。こう言ってはなんだが、いくら魅力的な女としたところで割に合うのか?」
「合わねえよ。だけどな、何処へだって連れて行ってやるって言っちまったからな」
「有言実行に背くと即死する呪いでもかけられているのか君は」
「即死はしねぇがインポになっちまう」
「似たようなものだな」
テトラパックのコーヒー牛乳を飲み干すと、それを皮切りに疲れたと言って立ち上がる。奥に休める所があるということでモニタールームから出ると、飛び回る外灯ドローンの淡い光によって、化け物の様に育った植物の触手に絡め取られたビル群が不気味にライトアップされている姿を一望できる通路を通る。錫乃介はその巨大廃墟建造物の光景を眺めながら、バラッドとの会話を反芻し暫くの間足を止めるのであった。
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