おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編7

 廃ビルから脱出後、砂中を根城にする機獣の攻勢にあったり流砂に呑まれそうになるなどのアクシデントはあったもののクリンカに辿り着き、とるものもとりあえず公衆浴場に入りたかったので名残惜しくも後でまた打ち上げをする約束をしサーラと別れた。最後に風呂に入ったのはアスファルトを出る前なので一ヶ月以上も風呂に入っていない。こびりつく砂埃と汗に伸び放題の髪の毛と髭はゴワゴワで体まとわりついた砂と垢は地層を成していた。この状態ではさすがの錫乃介も女の子とイヤンウフフンなことはする気も起きないし、そもそも相手にされない。そんなわけでサーラに教えてもらった浴場に向かうと白が基調の大理石にモザイクタイルで幾何学模様や唐草模様がびっしりと壁に描かれている。



 はぇ〜、公衆浴場なのに豪華なもんですなぁナビさんや。エキゾチックな感じがする。


“これはハンマームですね。ハマムやハンマなどとも呼ばれるトルコやアラブのイスラム様式のお風呂ですよ”


 ほぅ、これが本場のトルコ風呂か。


“この形式の風呂は古代ローマのテルマエにその由来を持ってる伝統的なスタイルなんですよ。


 あの奥から半裸のねーちゃんとか出てくんのか。


“浴場の壁の紋様はハンマームの特徴的なものですね”


 トルコ風呂って始めてマンガで知ったときさ、トルコってエロい女の子がいっぱいいるのかと思ってたよ。

 

“不思議なもので古代ローマもイスラムも日本も公衆浴場の壁は豪華に飾るって共通点があるんですよ”


 な、ボケてんだから突っ込めよ。


“……日本のトルコ風呂=風俗は昭和の頃の話ですが、元はと言えば西欧でも19世紀までターキッシュスタイルの風呂といえば売春サービスが盛んだったんで、あながちボケとも言えないんですよ”


 なんかマジに返されてつまらんな。



 グダグダと会話をし髭を剃り髪を切りコーヒーを飲んで水タバコを一服。入浴が終わり身だしなみを、ある程度、できる限り、錫乃介にしては、綺麗に整えサーラに会うべく浴場を後にした。



 クリンカの街を眺めながらジャノピーでトロトロと走る。碁盤目状に道が仕切られた区画とそれを取り囲むハイウェイの残骸、大きく中心から上を抉られた超高層ビル、イスラム様式の白いモスク、そして何より目を引いたのは海と呼ばれる黒い模様も正確に再現された月そのものな建造物があった。



 すげぇな、月一個街の中に作っちまったのかよ。どこだよここ。


“ドバイですね。あの建造物はドバイの月型リゾート施設です。破壊されて三日月みたいになってますけど元はちゃんと満月でした”


 ほう〜ドバイかぁ。前時代に一度は行ってみたかった場所だなぁ。おっとそろそろサーラが言ってた店か?


“そうですねここですマタァンム(レストラン)『投げキッスの壁』”


 イスラム圏の割にやけにファンキーな名前つけてるじゃねぇか。そういえば宗教としてのイスラムはまだ残ってるんかね?


“残ってるでしょうが、どこの方角に向けて拝礼するんですかね? 聖地がエルサレムもへったくれもない今”


 後でモスクひやかしに行ってみるか。


“止めてください”



 店内に入るとサーラが手を振ってテーブルで待っていた。お互いの無事を祝い会話もそこそこに運ばれてくる料理に手をのばす。見慣れぬご馳走に舌鼓を連打しながら次から次へと口に放り込み泡立ちあふれる命の酒をグビグビあおる。テーブルには、ひよこ豆をペースト状にし味付けしたマッシュポテトのようなフムス、魚に様々なスパイスと香草をつめ米と共に炊いた炊き込みご飯サヤディヤ、パスタと米と豆を煮込んだ炭水化物大爆発なコシャリ、豆を潰して油で揚げた豆コロッケのファラフェル、きゅうりとヨーグルトをあえたサラダのジャジュク、アラブの揚餃子のサンブーサといった全てレバノン、サウジアラビアをはじめとした中東の料理が並ぶ。

 美味い美味いとどれも平らげ食後の一服と別室に通されると落ち着いた暖色系のライトに床にはラグが敷かれ水タバコが用意されたくつろげる空間であった。

 


 月に行きたいの。


 食後の一服をしつついる二人の静穏な間に先に言葉を発したのはサーラだった。それを受けて食後の満足気な表情を変えることなく錫乃介は、唐突だな、と返す。


「月には月面基地があってそこに人が取り残されている。私はその人達を助けたい」


「無茶言うな、なんて言うつもりはないぜ。発表当時荒唐無稽と言われたジュール・ヴェルヌの月世界旅行を人間は可能にしたんだからな。通信が出来ない今それに代わる何か案があるんだろ?」


「ええ、有線でつないだ小型衛星を電波障害圏外に打ち上げ月面基地との通信を行うの。まずはこれだけで充分。それさえ成功すれば月へ行く事自体は現代の技術ならさして難しいことではない。どう?」


 サーラの出した案に複雑な紋様のクッションに身を沈め中空を睨めながらしばし思案する。フリをしてナビに聞く。


 どうだナビ?


“サーラ様の仰る通り月面基地からの管制があれば月へ行く問題は大部分解消されるでしょう。しかし技術的に難しいことではないとはいえ、その安くはない費用をどう捻出するのか疑問ですね。助けに行くとなればそれなりに離発着ができる大型なシャトルが必要になるわけですから”


 案自体は悪くないんだな。


“そうですね”


 ナビの答えを聞いた後しっかりと無意味な間をとり、ハードボイルドな重めの声を出す



「あぁ、悪くない案だ……」


 アラベスク紋様が鈍く光る柄が長い柄杓のようなポットからシナモンやカルダモンの芳ばしいエキゾチックな香りが立ち昇り鼻孔をくすぐる。男は熱砂で沸かされたそのポットから泡立つ黒褐色の液体がカップに注がれるのをぼんやりと眺め、隣の女の言葉に相槌をうっていた。


「協力してくれる?」


「なぜ俺を?」


「あの日、廃ビルから脱出した日、言ったでしょ。 “どこへでも連れて行ってやる” って」


「そしたら、 “それじゃあ月まで” と君は言ったな。あれ本気だったんだな」


「もちろんタダじゃない。報酬は……」


 女の瞳に視線を移し言葉を続けようとする濡れた唇に人差し指を立てて男は会話を止める。

 報酬は、と女のかわりに呟きブロンズ製の掌にすっぽりと収まるサイズのターキッシュなデミタスカップを手にすると、獲物を狙う獣の瞳に眼を変貌させ、その凶悪なあぎとを開く。



「お前だ。俺の現地妻になれ」



 男は嫌らしい笑みを浮かべカップの中身を一息に飲み干す。

 え、ちょっ…… 隣の女は驚愕に満ちた眼差しを向けると、男は更に不純で品のない表情をしたその瞬間、誤って踏みつけたカモメが仕返しに襲いかかってくるような声で猛烈な咳を男は始める。何度も何度もゲボッゲボッと溺れたウシガエルのような下品な咳をだし、しまいには涎と涙がポタポタとラグジュアリーな絨毯を汚し、抑えた手から顔にもベタベタに粉がついていた。


「まさか飲み干そうとするなんて驚いたわ。これって最後は少し残すものよ」


「ぞ、ぞうだっだ。こ、粉が気管にはいっだ……」


 粉ごと煮立てて抽出させるトルココーヒーはカップの底に粉が溜まるので、飲み干さず少し残して飲むところをこの男はテキーラを飲むかの如く一気にあおったのだ。男が出した提案よりもそちらの所作に女は驚いていたが、咳き込む滑稽な姿に笑みをこぼす。


「いいわ、そのくらいのこと」


 は? と鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたかと思えば、また盛大に男は咳き込む。


「ンゲホッ! グホッ! ゥン、アン、アーアーアー、本日は晴天なり。え? マジ?」


「なに意外そうな顔してるの。生娘じゃあるまいし、報酬を身体で支払うなんて今更よ。こんな作り物の身体でよければお相手するわ。それでもやり逃げされるのは癪に障るから後払いよ」


「あ、はい……」


「それじゃ詳しく説明するわね」



“なんで、残念な感じなんですか? 現地妻第一号ですよ。それも錫乃介様のお言葉を借りればドチャクソ・ドスケベ・ザ・エッチセックスな女性ですよ”


 いやさ、なんかさ、そう見えながらもここは身体をおさえてためらいがちになるとかさ、くっ! とか言って、なんてぇの恥じらい? 見た目とのギャップ? エッチに見えて実は貞淑とか、そういうのあるじゃん? 男心的にそういうシチュエーションを欲してるっていうの? 


“いちいち贅沢なんですよ”



「ね? 聞いてる?」


「あ、はい。聞いてます。小型衛星ですね」


 悲願の現地妻第一号を手に入れたはずなのに、どうにも釈然としない錫乃介は水タバコから淡い紫煙を吐き出す。香りは甘くコク深いデーツとほろ苦い味がする。


「その小型衛星を他の街でも打ち上げれば月面基地を介した地上の通信網も復活しますから、こりゃエアビーの拠点潰しより早そうですね」


「なにエアビーって?」


「あぁ、まだこの情報来てないっすね。電波だけじゃなくレーザーを含めたあらゆる無線通信ができない原因で、通信を食らっちゃう大気中に漂うウイルス型の機獣ですよ。つい最近その存在が確認されました」 


「なにそれ、大ニュースじゃない! でも本当なの? ユニオンでもそんな話聞かないし、噂レベルの眉唾じゃないの? 」


「噂も何もその発見に関わったの俺です。でもその後サンドスチームが沈むっていうそれを上回る事件があったせいで、なんか有耶無耶になった感じはします。ユニオンにはちゃんと報告したはずですよ、発見者であるハンニャンの科学者が」


「その科学者天才ね。世が世ならなにかしら賞をとってるでしょうね」


「ア美肉メカロリフェチの変態ですがね」


「アビ……? なにそれ?」


「アンドロイド美少女受肉の略ですが覚えなくてけっこうです。そんでもって各地に点在してるであろう前時代の遺物、機獣化した量子コンピューターを根城にして共生してましてね、俺っちこれを探して潰す依頼をユニオンから受けてるんです。こっちのユニオンにもそろそろ依頼の詳細貼り出されるんじゃないですかね。まあ、それはいいとして本題を続けましょうよ」


「なんでさっきから敬語なの?」


「お構いなく。その月面基地にまだ人が生き残ってる、いや正しくは子孫がいるってのは確かなんですかい?」


「間違いないわ。200年前アポロ11、14、15号で運ばれたリフレクターが月面基地の近くにあるんだけどまだ生きてるの。本来なら砂埃で覆われて反射が弱くなるはずなのに依然として元のまま。誰かがメンテナンスしなきゃこうはならない。」


「確かに」


 そして何より、と言ってどこからか取り出した手のひらサイズのタブレットを見せてくる。


「こちらが2040年スクラッチからまだそうは経ってない。そして2060年、2080年、2100年。あまり精度が良くない天体望遠鏡の映像だけどどうかしら?」


 映し出された映像には年を経るごとに小さな滲みが徐々に大きく広がっている姿が見て取れた。


「これが本当に月面基地ならどんどん拡大していますね」


「そう、残された人達はただ死を待ってるなんてことをしなかった。少ない資材をやりくりして現代までその命を繋げているのよ」


 口調が徐々に熱を帯びてきたサーラに対して、先程から少し冷め気味な錫乃介は一つの疑問があった。月面基地に取り残された人を助けたいという気持ちはわからんでもない。しかし、今は生きるだけでも皆大変な時代だ。裕福に安穏な人生を過ごしている者などごく僅かだろう。パトロンになる貴族のような人種もいない。130年以上も経ち子孫が生き残っているかもしれないとはいえ、あくまで可能性でしかないのだ。孤児を養うとは経済的にも物理的にも次元が違う労力がかかることをなぜするのか。


「どうしてこんな昔からの月面基地の映像があるんですか? 今はまだしもスクラッチからそうは経っていない生きるだけでも精一杯な時代から。受電設備の技術者ならわからんでもないですが、ムッチンボインな君が撮ったんですか?」


「そうよ」


「もしかして……君は月面基地の生き残りですか?」


「ええ、もう実年齢160歳は過ぎてる。機械化に機械化を重ねて現代まで生き延びてきたわ。同僚達を助けたくて亡霊みたいにね」


「そうか」


「驚かないのね」 


「初めてじゃないし」


「私以外にもいたなんて驚きね」


「俺の勘だとその同僚たちの中にいるな」


「なにが?」


「君の大切な人が、だ」


「……さぁ、どうかしら」



 ふっ、とキザったらしく大袈裟に鼻で笑うと、さ、まずは何をすればいい? と、その場を立ち上がる。と、サーラからフローラルな香りのハンカチを手渡される。


「まずはそのコーヒーの粉まみれのお顔を拭いてね」

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