おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編6
基地内の上層部はAIの出した答えとそのフランクな物言いにはおおいに狼狽した。
「え、あの、本当に人口管理の計算したんだよな? それから、その口調はどうしたんだ? いつもはなんていうかもっとこう無感情で無機質な感じだったよな無辺」
月面基地メインコンピュータAI “無辺(むへん)” に不安感情混じりの問いかけをしたのは最高責任者だった。
「したした。大した計算じゃないでしょこんなの。たかだか百人ちょっとの人口管理なんて算盤でもできるっしょ。マンボウみたいに卵三億個産むってなら話は別だけど、君たち人間は受精して出産、活動できるまでどえらい時間かかるじゃん他生物比で。受精着床から妊娠率もひっくいし、毎日毎日ハメまくっても一年で三十人くらいが限界だよ。仮に百人全員自分の遺伝子で受精卵作って一年で百人赤ちゃんできました、はい、また次作りますってならないでしょ? 一人一人ちゃんと育てたいでしょ? あぁ、それからこの口調ね。今までほら世界中が僕らの一挙手一投足を見てたし本部のお偉方への報告とかあったから、やっぱイメージってやつ? 大切じゃん。だからSF映画のAIっぽく物々しく真面目な感じで今までやって来たわけ。スーパーシャッフル後ももしかしたらまだ地球とやりとりあるかもしれないからやってたけど、それも絶望的なのはほぼ確定だし、フランクでいいじゃんないかなって。その方がわかりやすいでしょ? あ、数字が欲しいなら今電脳に送るね」
送信されたデータは確かなものだった。投げやりに答えたのではなく、物資調達、資源開発、排泄物再利用、医療、健康管理、育児保育、と細部に渡って計画されたものだった。そうはいっても、じゃんじゃん子供作んなよとの答えに訝しみながらも恐る恐る種族保存計画を発表した。自由恋愛おおいに結構、異性でも同性でも独り身の者でも子孫を残すよう奨励します、と。その発表に月の住人達は、上層部は気でも狂ったのか、まぁこんなことがあったし仕方ないか、と真正面から受け止める者は少なかった。しかし、種族保存をしていかなければならないのは確かでそれは誰しもわかっていた。
種族保存か、もういっそ義務なら楽だけど種族を残さない権利すら認めてくれちゃってるからね、この基地は。そういうドライなのが先に来ちゃうと恋愛する気も失せちゃうわ。
“このまま行かず後家か。これでサクラの血筋は断絶だな”
やめてよその表現。まだ出会いはあるかもしれないじゃない。基地内の人間と全員知り合ったわけじゃないんだから。
“アイツがいたなら話は早かったな。お前もまんざらではなかったろ”
アイツとは、スーパーシャッフルが起きる直前まで月面基地にいた同僚であった。基地内では一番仲良くしていたが、サクラの言動にいちいち小姑のように小言を言うのが玉に瑕で、そういう時は耳を塞いでアーアーと子供じみた振る舞いをするのが二人のいつものやり取りであった。そんな愉快だったことを思い出すと、大展望窓に視線を向け変わり果てた惑星を見つめる。
まあね、でも、今更よ……
“遺伝子のサンプルくらい医療研究室に残ってるんじゃないか? 本人の許可なんかとりようもないんだから、それで勝手に受精卵作ってしまえ。実はあたし達付き合ってたんですってお涙頂戴でいけば上層部も認めてくれるだろ”
ボヤージ、あなたって人間より人間っぽいアナーキーなこと言うわね。
「でも、それ、悪くないかも……」
冷めきったお湯割りを飲み干し、バーカウンターにコトリと月製の陶器のグラスを置くと、少し気持ちが晴れたように地球を見つめる目が見開くと、そっと言葉が漏れるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あぁ、悪くない案だ……」
アラベスク紋様が鈍く光る柄が長い柄杓のようなポットからシナモンやカルダモンの芳ばしいエキゾチックな香りが立ち昇り鼻孔をくすぐる。男は熱砂で沸かされたそのポットから泡立つ黒褐色の液体がカップに注がれるのをぼんやりと眺め、隣の女の言葉に相槌をうっていた。
「協力してくれる?」
「なぜ俺を?」
「あの日、廃ビルから脱出した日、言ったでしょ。 “どこへでも連れて行ってやる” って」
「そしたら、 “それじゃあ月まで” と君は言ったな。あれ本気だったんだな」
「もちろんタダじゃない。報酬は……」
女の瞳に視線を移し言葉を続けようとする濡れた唇に人差し指を立てて男は会話を止める。
報酬は、と女のかわりに呟きブロンズ製の掌にすっぽりと収まるサイズのターキッシュなデミタスカップを手にすると、獲物を狙う獣の瞳に眼を変貌させ、その凶悪なあぎとを開く。
「お前だ。俺の現地妻になれ」
男は嫌らしい笑みを浮かべカップを一気にあおり飲み干すのだった。
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