蟹が吹くとき

 スッと音もなくドアを空けて、女ハンターを襲う蟹男に躍りかかると見せかけて、錫乃介は抜き足差し足ソロリソロリと蟹男の背後をとると、背中の甲羅目掛けて飛びつく。



 「おいおい、そいつ俺の女なんだよね。手ぇ出しちゃった? もうこれは高くつくよ〜」


 ”美人局ですか……”


 「す、錫乃介……って、い、いつからアンタの女になったのよ!」


 「フガ! フンガフンフガフンガフンフー」


 “ぬ! 我が女犯、邪魔するものは、ハサミに挟まれ圧死せよ、と言っています”


 ナビはフィドラーの言葉がわかるらしい。



 「やってみやがれ! 蟹はな背中には手が回らねぇんだよ! 知らなかったか蟹の癖に」


 「フンガ、フガガーー!」


 “ならば、こうだ! と言っています”


 

 ナビの解説が終わらぬうちにフィドラーは高く後ろに飛び背中から床にダイブする。

 甲羅にしっかり捕まっていたせいで、逃げる間も無く、グエッ! っと挟まれ肺の空気を全部押し出される。あまりの圧力で一瞬気を失いそうになるも、ナビの全身ショックで無理矢理目覚める。


 ゴロリと横に転がり体制を立て直すフィドラーを余所に、拘束を逃れたアッシュはダボダボコートを手にして距離をとりながら羽織る。


 

 「ちくしょう! まだ裸見てねぇのに!」


 後ろに飛び跳ね、フィドラーと距離をとりながら軽口を叩くも、内面にはそれなりにダメージがある。


 「エッチスケベ変態ムッツリ!!」


 「褒め言葉だね!」


 「フンガフフフフフガガガ!」


 “我もまだしなやかで濡れたような穢れなき背中しか見てないのに! と言っています”


 「羨ましいわボケェ!」


 と叫んでグロックの9ミリ弾を三発顔面に発射するも、まるで効いた様子はない。


 「そいつ全身換装済みよ! 拳銃じゃダメージ通らないわ!」


 「先に言えぇ!」


 錫乃介に突進しつつ、身の丈のハサミを鈍器の代わりに振り下ろす。

 横っ飛びで側転しつつ、グロック19をアッシュに投げ渡す。



 「それ持って逃げろ。お前なら下の雑魚共ワケねぇだろ。どうせ蟹の威を借る船虫どもだ」


 「私だって怪我してんのに……」


 「グズグズすんな! ……ジャノピーよろしくな」


 「戻らなかったら、私の物だからね」



 捨て台詞を残してドアに向かって走るアッシュ。出て行く瞬間錫乃介をチラリと僅かに見つめる。そうはさせまいと追おうとするフィドラー。しかし足先に転がりこむ手榴弾が目に入り、大きく後ろに飛び退くが、そのまま爆発することなく、沈黙していた。



 「フガフガフガ!フガガフンガフガ」


 “フハハハハ! 不発ではないか。 と言っています”


 「そりゃアッシュ巻き込むかもしれねぇからな、ありゃ元々不発弾だよ。ビビってやんの、だっせぇ〜〜」


 「フガガ、フガガッガガ!」


 “おのれ、謀ったな! と言っています”


 「へへへ、さぁもう1ラウンドといこうじゃねぇか」

 


 とは言ったものの勝ち筋見えないんだけど。


 “だから、設定が長過ぎたんですって”



……………………



 アジトに来る前のことである。頭陀袋に入って顔だけだしてる錫乃介を、ジャノピーのリアボックスに入れる時アッシュは冗談まじりに言ったのだ。



 「ねぇ、アンタ死んだらこのジャイロキャノピー頂戴」



 ふっざけ……と言いかけて、自分死んだらどうせ身内なんていないんだからそれでもいいか、と了承した。



 「どうすんだ? 売り飛ばしてカジノでも行くのか」


 あくまでも錫乃介は冗談だった。どうせ家に養わなきゃいけない家族とか、せいぜい貢いでる男がいるとか、そんなもんだと思っていたが、アッシュは目を背けて一瞬の沈黙が流れた。



 「おいぃぃ! 俺の目を見ろぉ!」


 「な、な、なによ、カ、カ、カジノなんてどうせ今休業中じゃないの」


 「答えになってねぇよ!」


 「お、弟がいるのよ、ショウロンポンには」


 「だから答えになってねぇよ!それにどうせあれだろ、弟という名の男だろ」


 「失礼ね、正真正銘血の繋がった弟よ!」


 「どうだか。そのネタに何度騙されたことか。それよりギャンブルハマってんのかどうかだ!」


 「い、いいから早くアジト行くわよ! 静かにしててね!」



……………………




 なんか、アイツ助けた事激しく後悔してきたんだが……


 “今更なんですか、ホラ来ますよ今度は振り下ろしじゃなくて、薙ぎ払いです。タイミングでバックステップ。ハサミを振り抜いたところで、スタングレネード投げつけて、そのまま左に抜けてダッシュで頭陀袋回収。いいですね”



 「フガフガフガガ」


 “南無阿弥陀仏、なんて言ってます。後45秒”


 「ほざけ!」


 フィドラーが錫乃介に向かって強く踏み込むと、右手が大きく振りかぶり、大振りの薙ぎ払いが襲ってくる。床を削りながら迫るハサミを、MAXまで上げている動体視力でハサミに片手をつけハンドスプリングで避ける。もう一歩の片手でスタングレネードを顔面に投げつけ、左側フィドラーの右脇腹を抜け、そのまま入り口近くに投げ捨ててあった頭陀袋を回収。背後で大きな爆発音と強い閃光が起きる。ここまではナビの言う通りだったのだが……


 錫乃介は強い衝撃を左脇にくらい、部屋の海を一望できる窓ガラスに打ちつけられる。一瞬にして白く蜘蛛の巣ようなヒビが錫乃介を中心にして防弾ガラスを鮮やかに飾りつける。


 床にボテっと落ち、ゴフッと強い咳と血を吐き出しながら、クッソ、と呟きフラフラと、立ち上がる。



 “ハサミでスタングレネードを潰して閃光を抑えたようです。想定外でした。あと25秒”


 化け物め……


 “仰る通り、アレ人じゃないです。機獣ですよ”


 だ、だろうな、ウゴッ!


 再び迫りくるフィドラーのハサミを避けられずに胴体を挟まれる。


 

 「フガフガフガガン、フガフガガガガフフガガガフンガーフンガーー」


 “この死が最後となり再び輪廻に戻らぬよう念仏を唱えよ小賢しい猿め、と言っています。あと7秒”

 


 防弾ガラスに強く二度三度とうちつけられ、とうとうガラスを突き破る。そのまま落とされるのかと思いきや、ハサミの圧力は強まり、錫乃介を圧死させようとしている。



 アガガァァァァ、し、シヌ……


 “大丈夫です。時間です”



 ナビのカウントダウンが終わると共に、フィドラーの背中でひと筋の閃光が煌めいたかと思うと、巨大な爆発が起きた。

 それは強靭な肉体と隔壁のような甲羅を持つフィドラーさえも抗うことが出来ない強烈な衝撃で、錫乃介もろとも外に投げ出された。

 そう、最初に錫乃介が飛びついた時、時限爆弾が既に背中の甲羅に取り付けていたのだ。アッシュを逃すため少々長めに時間設定をしてしまったのは大きなミスであったが。


 ナビは錫乃介のかろうじて残る意識を叩き起こして覚醒させる。


 “このまま落ちたら死にますよ!”


 わかってるよ!

 「ヌ゛オ゛オォォォ!!」


 今まで自分を掴んでいたハサミを逆に掴み返して抱きかかえると、ぐるりと身体を回す。


 「フ、フンガガ⁉︎」


 “な、なんだと⁉︎ と言ってます”


 「喰らいな、高校以来の一本背負い!」


 落下の勢いのまま地面に叩きつければ石畳みの地面に亀裂が縦横無尽に走る。

 


 「フ、フンガ……」


 “ふ、ふんが……と言っています”


 「へっ、お、俺の勝ちだ……」



 フィドラーをクッションにしたとは言え満身創痍の錫乃介は、身体を横に転がして頭陀袋から残った手榴弾を取り出し、トドメを加えるべく震える手でピンを抜こうとするも、ムクリと起き上がった背後の影に頭をハサミで掴まれ、首吊りのように持ち上げられる。



 “な! まだそんなに動けるんですかコイツは”


 「フガフガフガ! フガフガフガフガフンガーフンガーフガフガフガフガフガ!」


 “このエテ公が! 永久不滅の真我は貴様らには程遠い、再び輪廻の輪に戻してやろうぞ! と言っています。あ、でも大丈夫ですよ、私達の勝ちです”

 

 「あ、頭ガガぁぁぁぁ!!」



 必死でハサミを掴みながらも、もはやナビの言葉に返す余裕もないその時、聞き慣れた発射音が前方より聞こえ強い複数の衝撃と共に頭の拘束は緩まり、地面に落とされる。

 うつ伏せに倒れたまま上を見上げると、頭上では何発もの砲弾がフィドラーの腹部の甲羅を貫き、その身を踊らせ、膝を付き、崩れ落ち、沈黙した。


 倒れた錫乃介の側にエンジン音が近づき、前を閉じたダボダボコートのアッシュがジャノピーから降りて駆け寄る。リヴォルバーカノンはまだ熱を帯びた硝煙を上げていた。



 「どう、良い腕してるでしょ私」


 膝を付いてフレームだけとなった黒縁眼鏡を近づけ尋ねる。


 「ざ、残念だったな。こ、この通り生きてるみてぇだ」


 ゴロンと仰向けになり、ニヤリと笑う錫乃介を見てフゥと鼻から息を吐く。


 「それは残念。しかも賞金取り損ねちゃった」



 台詞の割には悔しそうな表情はなく、晴れ晴れとした笑顔で語るアッシュに、頭陀袋から先程よりも震える手で取り出したデバイスを差し出す錫乃介。



 「何コレ?」


 「か、幹部から、奪った、金だ。おめぇが受け取る、はずだった賞金だ」


 「馬鹿」



 ペシリとおでこを叩かれた錫乃介が見た光景は、爆発した部屋からモウモウと立ち登る煙がまるで、蟹が口から泡を吹く建物の姿だった。

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