ゲルっていっても石破さんじゃないよ
ドンキーホームの前で立ち止まったまま、男は動かなくなっていた。
チョーカーをつけたことにより、電脳が起動し、今まで体験した事のない感覚に襲われていた。膨大な情報が一度に流れ頭が割れそうである。頭痛とは違う。単純に脳内から何かが膨れ上がり、頭蓋骨を押し開けようとしているみたいで、不快な事極まりない。
ぬぬぬ、これはキツイな。
あ、頭の中でパソコンが起動してるみたいだ。アイコンがいくつか出てきて…
おっと、変な感覚が収まったな、良かった。
あれがずっと続くんだったら、電脳なんて無理だったな。成る程、脳内でこのアイコンを
クリックするわけだな。まずは言語アプリだな。
ヨシっと。
お、お、お、おおぉ!
男が言語ソフトを起動させると、周りの店にかけられている看板の文字が読めるようになっていく。
後ろを振り向くと、日本語以外の5ヵ国で書かれたドンキーホームの看板が読めたことに、男は歓喜した。
すっげぇなこれ!未来の技術ハンパねぇ!
通訳の人可哀想だな、職失うぞこれ。
これで、もうマーケットも怖く無いな!
ヨシっ!他の機能は飯でも食いながら試しますか。
空腹も疲労も限界だが、未来の技術に男はテンションが上がり、その勢いのまま飲み屋街に足を向けた。
太陽は既に沈みかけており、赤く染まった空を宵闇が覆おうとしていた。
逢魔ヶ時、黄昏時ってやつか。鳥山石燕は百鬼夜行の始まりとして描いてるな。怪しいものに出会う時間、暗闇に相手が誰かわからなくなる時間、柳田國男は「誰そ彼時」が語源と言ったか。大きな災禍が起きる時とも言ったな。既に俺の身には大厄災が起きちまったが、これから更なる有象無象の魑魅魍魎が俺の前に跳梁跋扈するのかね。おっと、四文字熟語を3回も使っちまった。
でも、夜空は俺の時代よりも綺麗にみえるね、それだけは救いだ。
そんなことより、酒と飯だな。
ドンキーホームの側を抜けたところには、朽ちた廃ビルの壁を利用したバラック小屋がひしめき合うように並んでいた。
この光景難民キャンプっぽいな。でも、活気がある。立ち飲みっぽい店もあるけど、とりあえず、すぐに座れて食べられる店にしよう。
『酒と銃と男と肉』
飲んで飲んで飲まれて飲みそうな店だな。
ここにしよう。
「サーセン」
「はいよ!そこどこでも座ってお待ちになってくだせぇ」
中に入ると赤錆びた金属製の丸いテーブルが店の中心にあった。直径2メートルはありそうだ。店の大部分を占めている。
鼠色のツナギの作業服に身を包んだ、長身のガタイが良い男が奥の、キッチンとも呼べないくらい、一畳分くらい狭さの作業場から声をかけていた。
このテーブル大型旋盤テーブルじゃねぇか。(わからない人は"大型旋盤テーブル"で調べてみよう)すんげぇリサイクルだな。椅子は弾薬ボックスか。ってか、屋根支えてる柱が鉄パイプかと思ったら大砲の砲身じゃねぇか。
かっけぇな、バラック小屋のクセに。
「今日今の今まで飲まず食わずできたんで、ツマミとなんかボリュームのある肉と、酒は何があります?」
「酒は赤白ワインの他ミード(蜂蜜酒)とウォッカとアクアヴィット(芋酒)がありますぜ」
「レモンはあります?」
「ありまっせ、合成果汁ですがね」
「んじゃ、ミードをレモン水で割ったものを大ジョッキで下さい」
「大ジョッキだね!あいよ!」
やっと、やっと、水分がとれる、そんで飯だ!
ふぁ〜
「あいよ!まずミードね、これがうちの大ジョッキだ!」
と、そこにドンと置かれたジョッキ、否ステンレスのバケツには酒が並々と注がれていた。
男は"どうも"と一声返すと、すぐ様バケツを手に取ると、ゴッゴッと盛大な音を立てて飲み始めた。
ゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッ
ゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッ
「一気するきですかい?」
「プッはーーーー!」
店主が驚いてバケツを見ると既に1/4くらいになっていた。
「すげー飲みっぷりですねぃ!」
「いやー生き返った!五臓六腑に染み渡るったぁこの事でぃ!いやね、ほんっと一日中なーんも飲んでなくて、炎天下の中何時間も歩き詰めでしたから」
「それにしたって、驚かそうと思って大ジョッキ出したんですがね、こっちが驚かされましたよ」
「いやいや、驚くどころじゃなかったもんで。それにしても美味いミードだ。飯も楽しみですよ」
「おっといけません、あまりの飲みっぷりに見惚れちまいましたよ。ちょいとお待ちを」
あ〜一心不乱に飲んじまった。もったいない次は味わって飲むべし。甘いミードとレモン汁の酸味が効いて、即席のスポドリだ。効くなー!お、なんか来た。
「まずは芋と塩漬け肉の炒め物です」
「うまっそー、あ、飲み物白ワイン下さい」
「もう、大ジョッキ飲みきったんですかい?最速記録だわこりゃ!」
「はっはっはー!多分こんな飲み方できたの今日だけですよ」
お、炒めもん旨いね。なんだローズマリーっぽい香りに塩漬け肉はグアンチャーレか。良いね〜シンプルに美味い!ワインが進むねぃ!
おっと次の料理はっと。
「へい、こちら塊肉の赤ワイン煮込みにたっぷりクスクス」
「良いね〜良いね〜、肉が俺の拳よりも大きいよ。クスクスも旨味を吸って最高だね」
「うちはそこらのカルチャッドミート(培養肉)じゃなくてデミブル(亜牛)でしてね、自分でハントしてきてるやつを30日以上熟成してますんで」
「へぇ〜美味いわけだね〜ちゃんと熟成させてんですね。んじゃ、その肉のステーキできます?」
「もちろんです。肉の部位のリクエストはありますかい?」
「そこは王道の肩ロースで、あと赤ワインボトルで」
「あいよ!」
電脳機能の確認など綺麗さっぱり忘れ、男が酒と肉をこの世の幸せを噛み締めるがごとく腹がはち切れるまで堪能した後、お会計を頼むと200cだった。
今日は特別飲んで食べたけど、10,000円くらいか。大将も気持ちが良い人だったしな。また来よう。
残金3,514c
さてと、次は宿か。
ってか寒っ!
砂漠は寒暖が激しいって聞くけど、こんなんなんだな。
多分これ体感気温一桁だぞ。
明日着るもんも買わないとな。
えーとゲルの宿がこっちの方だったな。
男がドンキーホームの裏側に行くとゲルがいくつも立っている場所に出た。ゲルはモンゴルにある移動型住居のことだ。
なんかモンゴルに来たみたいだな、行ったこと無いけど。
ところでどれが宿なんだ?
おっと、あれかな?それらしい看板が
『宿ドルジ』
まんまだな。
入ってみよう
男がゲルの中に入ると好々爺っぽい老人が入り口付近に座っていた。
中は獣の匂いがキツくは無いが漂っているのがわかる。
「サーセン」
「はいよ」
「あの〜ここ宿だって聞いたんですが、泊まれますか?」
「はぁ、今日はどのゲルもいっぱいですかな。なんせ、デザートスチームがきてますからな。冒険者の方がいっぱいお見えでして。お一人ですかな?」
「ええ、一人です」
「であれば、私とこのゲルで同部屋ということで差し支えなければ、ご宿泊いただけますよ」
「構いません、助かります。おいくらですか?」
「通常は30cなんですが、100cでよいですよ」
「イレギュラーで安くなるのかと思ったら高くなるのか…」
「ええ、他行くとこないのでしょう?」
「足元みやがって…」
弱味を見せるのがいけませんな、と言って老人はふぉっふぉっふぉっと笑っていた。
「老害が!だが言う事はごもっともだ、勉強料として払ってやんよ」
「素直ですな。あなた長生きしますよ。毎度アリでございます。どうぞその辺空いてますから、お財布と命は肌身離さずよう願います。補償はありませんからな」
ベッドなど無く獣の毛皮が絨毯のように敷き詰められており、ふわふわとゲルの床はどこも柔らかく暖かい。ゲルの中心では暖炉が燃えており、パチパチと音を立てている。煙は煙突から外に排出されている。この暖炉はキッチンも兼ねている様だ。獣の毛皮を毛布がわりにくるまり寒さをしのぎつつ、電脳の試運転やこれからのことを考えたかった男だが、獣臭さと老害のイビキが聞こえるゲルの中で、あまりの疲労と満腹になったおかげか、静かに寝息を立て始めていた。
それは、男の長い長い1日がようやく終わりを告げた瞬間であった。
残金3,414c
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