第5話 新しい作品が完結しました。

 別サイトに載せていたノンフィクション作品「学校は女の顔をしていない」をこの度、カクヨムに移植することにした。

 元サイトで評価が伸びていたのと、コンテスト応募の結果が出たために多くの人に読んでもらいたいと思いこのような運びになった。多くの人に読んでもらえたら私としても嬉しい限りである。

 そして、200字程度ではあるがカクヨム版のあとがきを作った。ぜひ、読んでいってほしい。


 さて、近況報告である。

 ここ最近は新しい公募向けの作品執筆に時間をかけている。資料を倍読み込み、合間合間に書き続けていき、現在、進捗はおおよそ七割ほどとなった。

 自分で言うのもなんだが、この作品はかなり面白い。

 他人からの評価が出ていないので何ともいえないが、少なくとも自分では現時点の最高傑作と思っている。かのチャップリンが「私の最高傑作は次回作である」と言ったように、私自身も新作を書くごとに進化していけるようになりたいとは思うのだ。ここ最近は気分の不調でかなり精神的に追い詰められている。本も満足に読めず、小説や戯曲も満足に書けない。それでもゆっくり書き続けているのは本当に自分自身と周りに感謝したい。

 しかし一方で、続けられるかどうかという不安がある。

 私自身、インターネット上で新人賞を受賞してデビューするか、公募新人賞からデビューするかはまだ分からない。あくまでいろいろなものに挑戦していき、手を差し伸べてくれる方がいたらそれに乗るだけである。

 もちろん、自分自身の研鑽を忘れてはならない。小説家は常に生きるか死ぬかの世界である。そこに身を投じる以上、最高傑作を作り続けることは宿命だ。何より重要なのは、安定した生活基盤と筆力の向上である。

 新人賞でデビューしたものの、打ち切りとなってしまったある小説家のエッセイを読んで、その思いというのは一段と強くなっている。よく、デビューしたときに編集の方から言われるのは以下の一言だという。


「絶対に、今の仕事をやめないでください」


 小説家というのは罪作りな職業だと思う。文章を書いて、本として売れたらそれが収入となる。小説家そのものを金の生る木だと思って、それまでの安定を捨てて筆一本で食べていこうというのは、少なくとも今は考えない。公募新人賞であろうが、インターネット上の賞だろうが、そこから続けられるかどうかは運と実力にかかっている。どんなに筆力があっても、どんなに表紙が惹かれるものであっても、どんなに有名な賞を取っても。買う人がいなければ意味がないのだ。

 同じことは戯曲にもいえる。

 戯曲というのは簡単に言えば演劇の台本である。私は小説ほどではないが戯曲も書いている。二つの作品の制作過程は思いのほか異なっていると私は思う。

 そのことはまた次回にでも書こうと思う。

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