第2話


「はっははは!男前が出来てんなぁユウォン!」

 様子を見に来たテオは部屋に入るや否や大声で笑った。理由はユウォンの格好だった。ユウォンは何故か左の横腹を押さえて蹲り、頬は左だけ綺麗に赤く染まっている。先のルナの言葉を信じるなら横腹に蛇国将軍の息子直伝の蹴りを、頬には渾身の平手打ちがお見舞いされたのだろう。そしてユウォンは呆けた表情でいる。色恋は百戦錬磨のユウォンの未だかつて見たことのない何とも滑稽な姿にテオは大笑いせずには居られなかった。

「ぎゃはははははは!本当ルナ最高!ユウォンに靡かないどころか張り倒すとか!で、何があったか詳しく教えろよぉユウォン!それと蛇国将軍の息子直伝の蹴りはどうだぁ?」

 大笑いしながら自分の醜態を尋ねてくるテオを真顔で見返し、ユウォンは痛む横腹をさすりながら近くにあった椅子に腰かけた。なるほど、この痛みは蛇国将軍の息子直伝の蹴りだからか…と妙に納得しながらユウォンはルナと何があったのか、ぽつりぽつりと話し始めた。



「矢張り茶だったか。媚薬が盛られていたのは」

 口付けが拒まれ、更には媚薬を盛っていた事に気付かれていた。しかも分かっていて飲んだ。この事実を目前にユウォンの思考は全く働いていなかった。ただ呆然と己の腕の下で満足気に笑うルナを見つめるしか出来なかった。

「ふむ…腑に落ちんと言った表情だな。先刻話しただろう?蛇国は薬が発達していると。媚薬の類も例外ではない。それに私は薬品にはある程度の耐性がある。この程度の薬なら何の問題も無いぞ」

 そんなの有りかよ、と己の失敗を漸く理解したユウォンだったがもう遅い。しかしここまで来て引き下がれる訳もない。

「へぇ、薬が盛られてるって知ってこの状態ってことはルナもその気ってことで良いよな?」

 渾身の甘い声と優しくも淫靡な手付きでルナの頬をなぞる。ユウォンには最早強行突破しか手段が残されていなかった。しかし勝算はあった。何せ、ユウォンに落とせなかった女は居ない。どんなにお高く止まっていた女も、純真無垢な女だってユウォンに甘い声で囁かれて、迫られて、頬を桃色に染めなかった女は居ない。きっとルナも頷き、自分を受け入れる。

「そうだな。私だって何も知らない子供ではない。この続きをしても…いやユウォンの好きにして構わない」

 ほらな。と己の完全勝利を確信し、一瞬消えた自信を取り戻したユウォンはルナの言葉通り、事の続きをしようと再びルナの顔に近付いた。


「ユウォンが私よりも強いならな」


「え?」

 と声を発した刹那。ユウォンの身体は右に飛んだ。え?何が起きたんだ?は?と自分の身に何が起きたのか全く理解出来ていないでいると、寝台から身を起こし立ち上がってユウォンを見下ろし、ルナが言い放つ。


「悪いが私は私よりも弱い男に抱かれる気は無い。私の好みは私よりも屈強で目先の欲に簡単には食いつかない、そんな男だ。華国の男がどんなものか気になって態と押し倒されてみたが大したことは無いな。矢張り私に勝てる男は居ない」




「で、最後に礼だっつって平手打ちしていきやがった」

 ルナとのやり取りを話し終えたユウォンは叩かれた頬を押さえ俯き呻き始めた。

 そんなユウォンを見てテオはというと、ニマニマとしながら笑い声を押さえるのに懸命だった。しかし時折唇の隙間から、ぷふふ…と堪え切れずに吐息と共に笑声しょうせいが漏れ出た。

「いやぁ…ルナもすげぇ女だなぁユウォンよぉ…」

 笑いを堪えつつ、テオはユウォンに話しかけた。ユウォンは呻くのを止め少しの沈黙の後、むくりと上体を起こして言った。

「決めた…あの女…ルナを絶対に落としてやる」

 固く決意した表情で至極真面目な声色で言った。かなり無茶なことを。

「はぁ?あんた本気かよぉ。ルナに言われたんだろ、ルナより弱いあんたはルナの範疇外だってよぉ」

 無駄に対抗心燃やすなって…とユウォンを宥めるテオだが、ユウォンは全く耳を貸さず、

「私に勝てる男は居ない?俺をその辺の有象無象と一緒にするなよ!絶対に俺のものに…いや!ルナから俺を求めてくるようにしてやる!」

 轟々ごうごうとルナへの対抗意識を燃やすユウォン。あ、これは何言っても聞かねぇやつだと、テオはユウォンを宥める事を諦めた。熱を上げたユウォンが簡単には引き下がらない事をテオは長年の付き合いでよく理解している。なので諦めてユウォンのみちを眺める方が楽しめるということも分かっていた。そうして妙に冴えたテオの思考は一つの疑問を浮かべた。そして聞いた。

「つかよ、媚薬が効いてるかどうかあんたなら分かんだろ?何で気付かなかった?」

 それもそうだ。よくよく見てみれば媚薬の効果が演技かどうか分かる筈。絶対的な自信を持って薬を盛る辺りから媚薬の利用経験が無い訳では無いのだろう。しかしユウォンは全く気付かず事に及ぼうとして返り討ちに遭うという滑稽な事になっている。

「なん、ていうか…効いてると思ったら早く次に進みたくなった」

 その時を思い出しながら絞り出すように呟いた。その顔は自分でも何故早まったのか、自分の真意が見えていないと言ったものだった。

「いや、あんたどんだけ余裕無かったんだよぉ」

 テオは単にユウォンに堪え性が無かったのだと言った。確かに堪え性が無かった事はユウォンも自覚している。しかしその理由は。余裕が微塵も無く、いつもの自分らしからぬ行動の真意は何なのか。だがそれを紐解いてしまうと自分はルナを己がものにせんという決意が揺らいでしまいそうな気がしてユウォンは深く考える事を辞めた。そしてただ眼前の目的を達成する事に思考の舵を切った。



「お、この簪はどうだルナ」

「ふむ…悪くないが私は翡翠よりも琥珀の方が好きだな」

 太陽が真上に昇る晴天の下、賑やかな市の装飾品を並べる露店に髪飾りを選ぶユウォンとルナの姿がある。ユウォンが先日の非礼を詫びるという名目でルナを散策に誘ったのだ。テオは、断られるんじゃねぇの?と余り協力的では無かったがテオの予想に反してルナは二つ返事で快諾してくれた。こうしてユウォンはルナと二人きり楽しく昼間の市を散策している。


 なんて甘い展開な訳はなく。

「おい!ルナ様に近づき過ぎだ!あの最低野郎を抹殺してくる!」

 二人から少し離れた場所で殺気立ったスアがユウォンを必殺せんと匕首あいくちを握りしめてまるで親の仇と言わんばかりの形相で凄んでいる。そして飛び出していきそうなスアをテオが引き留めているのだ。

「落ち着けってスアちゃん。ユウォンだってルナを取って食おうとしてる訳じゃねぇよぉ。単純にこの前の詫びだって」

「貴様は阿呆か!この前既に取って食おうとしたのはどこの誰だ!それの詫びだなどと詭弁にも程がある!誰が前科持ちを信用する!」

 そりゃごもっともだ…返す余地の無い正論にテオは押し黙った。しかしユウォンの邪魔をするのもユウォンに仕える身としては少しばかり気が引ける。だが異常なまでに力が強いスアを引き留めるのはそろそろ限界だ。と、その時だった。

「見つけたぞユウォン!」

 何やらただならぬ気配の男がユウォンとルナの前に立ち憚った。その男はユウォンを知っているようで、ユウォンに睨みを利かせている。しかし当のユウォンは男に心当たりが無いのかきょとんとしていた。不思議に思ったルナが、ユウォンの知人かと尋ねてみるとやはり知らないと答えが帰ってきた。

「あー…悪いが誰だ?俺はあんたに全く覚えがないんだが」

 ユウォンは思い返すことを諦め、男に自分との関係を問うた。すると男は顔を顰めて答えた。

「俺はお前に誑かされたダヒョンの恋人だ!」

 男はユウォンに誑かされたダヒョンという女の恋人だという。ならばこうして恋敵であるユウォンの前に現れたという事は、つまり、復讐という事だろうか。男は愛しい恋人を奪われ怒り心頭、まさに復讐の炎に身を焦がしていた。


「た…たぶらかされた女、だと…?あの最低野郎!他に手を出した女性が居てルナ様に近付いたのかぁああ!」

 そして男の復讐の炎がスアのユウォンへの疑心の可燃材になってしまったのだった。テオの制止を振り切り、スアは一気に駆けた。そしてユウォンに対峙する男の隣りで止まり、男の肩に手を置いて言った。

「名は知らんが青年!よくやった!愛しい恋人を奪われさぞ辛いだろう!あの最低野郎が憎いだろう!さぁ一思い《ひとおもい》に殺すがいい!」

 目を爛々と輝かせてまくし立てるスアに男は若干引きつつ、スアに引っ張られる様に言葉を続けた。

「そ、そうだ!お前のせいでダヒョンは俺から離れたんだ!」

 いいぞ青年!とスアは嬉々としていた。

 何だこの状況…俺の味方は居ないのかとユウォンは自分の状況を嘆いた。

「おいユウォンよぉ…ダヒョンってあのダヒョンだよなぁ」

 事情を知っているらしいテオが苦笑いを浮かべながらゆっくり近づいてきた。

「あぁ…全く困ったもんだ…」

 頭を抱えて項垂れるユウォンを見遣り、ふむ…と少し考えて今まで沈黙していたルナが口を開いた。

「そのダヒョンという娼妓しょうぎは余程の器量良しなのか」

「え…」

 ルナの突然の言葉に驚くユウォンとテオ。

「ルナ…何でダヒョンが娼妓と思ったんだ?」

 恐る恐るユウォンが尋ねた。ルナは男を見てはっきり言った。

「あの男の服。かなりみすぼらしいだろう?しかし振る舞いが庶民のものではない。恐らくかなりの地位に居た高官だろうな。だがこうして身を落としていてダヒョンという女に固執するという事は女と婚姻関係にある訳ではないだろう。そうすると、ダヒョンという女が娼妓でこの男がダヒョンに入れ揚げ破綻したと考えただけだ。そしてユウォンに固執するのはユウォンがそのダヒョンという女に手を出してダヒョンが惚れたからではないか」

「違っ…俺から手ぇ出したんじゃなくて…」

 ルナに自分が節操の無い男と思われて焦るユウォン。その姿が余りにも必死でテオが詳しい事情を話した。

「あのなぁ、ダヒョンは一方的にユウォンを好いていてなぁ。一晩だけでいいからっつって近寄ってきたんだ」

「しかし一晩を共にした事に間違いは無いのだろう」

 ルナに痛いところを突かれ押し黙るユウォンとテオ。ルナは他に何か言おうとするユウォンを無視し、スアに圧倒されている男の前に歩み寄った。

「な、なんだ…」

 男は読めない表情で近づいてくるルナに怯えたが、ルナは意に介さず言葉を紡いだ。

「想った女のためにここまでやる気概。見知らぬ人間に迷惑を被らせるのは頂けないがその気概は称賛に価する。その度量があるのならお前は、何処ででもやっていけるだろう。そんなお前を棄て、あの男を選ぶような女ならば忘れるといい。お前ならば、もっと良縁に恵まれるだろう」

 男の肩に優しく手を置き諭すルナ。そしてルナの言葉を真摯に受け止め涙する男。

「お、俺でも…こんな俺でもまだやり直せますか!?ダヒョンに振り向いてもらうために財産をつぎ込み、家と職を失い友人にも見限られた俺でも!!!」

 どんだけだよ…と遠い目をするユウォンとテオ。

 それはもう手遅れでは?と救いの無いことを思うスア。

 しかしルナだけは、喚きながら身の上を語る男の目を真っ直ぐ見据え、慈愛に満ちた表情で語った。

「当たり前だ。人は変わろうと思ったなら誰でも変われるものだ。その時期に遅いも早いもない。ただ気付くか気付かぬか。それだけだ。名は知らんが男。其方はこれからいくらでもなりたい其方になれる」

「うぅっ…俺変わります!ダヒョンの事は忘れて新しい自分になります!名乗り遅れて申し訳ありません!俺はシゥインと申します!天女様!!!」

 男はシゥインと名乗り跪いてルナを天女と崇め始めた。

「天女など買いかぶり過ぎだ。私の話に耳を傾け己を顧みたのは其方の持つ素直な心根こころねわざだ。私は少しばかり私の意見を申したまで。気にするでない。私の名はソ…ルナという。もしまた会う時があればその時は共に茶でも飲もう」

 ルナはシゥインにそっと微笑み、そのまま帰路につかせた。流れるように問題を解決し、更には問題を起こした男を諭し説き伏せたルナにユウォンとテオは只々、驚くだけだった。しかし驚いて佇むユウォンに近付いたルナは、ユウォンに砲弾を落とすのだった。

「ユウォン。悪いが気分が優れない。私は帰らせてもらう」

 唐突な言葉にユウォンは狼狽えた。

「な、何で…まだ…」

 ユウォンは咄嗟にルナの手を掴む。しかしユウォンの手は掴んだ瞬間、ルナによって振り払われた。

「はっきり言わぬと伝わらないようだな。ユウォン、もうお前の顔は見たくない」

 これ以上私に構うな。そう言い残しルナはその場を後にした。スアもルナに続いて去って行った。去り際に勝ち誇った様な笑みを浮かべて。




「おいユウォン…飯持ってきたぞぉ。食え」

 ほかほかと湯気を立てる美味しそうな食事を膳に乗せてテオはユウォンの部屋に入って来た。ここは先日の宿、ではなく。ユウォンが任されて取り仕切る商団の拠点にある一室、ユウォンの私室である。余り飾り気のない部屋は書き物をする為のたくと筆記用具。そして寝台のみという簡素な部屋だった。

「…要らねぇ」

 寝台に寝そべり、布団を頭まですっぽりと被りテオに背を向けてユウォンは食事を拒んだ。

「ったくよぉ、いつまでも拗ねてねぇで仕事しろぉ。あんたが目を通す書簡しょかんがかなり溜まって…」

 テオが深いため息と共に小言を零すと、ん。と言って布団から腕のみを出して卓を指した。テオが膳を卓に置いて卓の上の書簡を見るとユウォンの字で署名や内容が書かれていた。どうやら拗ねつつもやるべき事はしっかりとこなしている様だった。しかし食も取らず部屋に引き籠り早三日は経つ。流石にテオも心配になりユウォンに話しかけた。

「なぁユウォン。流石に三日も部屋から出ねえでよぉ、仕事だけってのも体に良くねぇぞぉ。せめて飯食え飯。飯食いながら話してみろぉ。話すとすっきりするかもしれねぇぜ?」

 テオの気遣いが効いたのか、それともユウォン自身限界だったのか。ユウォンはのっそりと上体を起こした。その顔は暗く落ち込み、幼馴染のテオですら見たことない程に憔悴している。余りの落ち込み様にテオは次の言葉を思わず吞み込んでしまった。それほどまでにユウォンが気落ちする理由。まぁ、大方分かるのだがこれはどうしたものかとテオは己の語彙を総動員して言葉を考えていた。しかしテオが言葉を見繕う前にユウォンが口を開いた。


「…俺はルナにもう会えないのか」

 

 余りにも弱々しく呟くユウォンにテオは言葉を見繕う事を忘れて心のままに言った。

「そんな事ねぇよ!確かにあんたの過去の所業の一部が露見してルナが引いたかもしれねぇがよぉ!」

「…お前俺に恨みでもあるのか…」

 ユウォンは傷心の所を局所的に塩を塗り込むテオを睨んだ。

「違うって!あんたがルナを好いてるってことはちゃんと伝わってるって!それにルナだってあんたの事憎からず思ってるってよぉ!じゃねぇとあんなに怒ったりしねぇ…って、あんたその顔…」

 テオはユウォンの顔を見て言葉を止めた。何故ならユウォンが顔を赤らめてぽかんとしていたからだ。


「お、俺がルナを好いてる…?」


「あ、あんた自覚無かったのかよぉ!」

 なんとユウォンは自分がルナを好いてると気付いてすらいなかったのだった。

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中華紅小国物語 桃陽 @momoya0411

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