第1話

「・・・いい女いねぇもんかなぁ」

 真昼の賑やかな市。華国の都一、活気を誇る市の一等地に構える飯店は様々な客でごった返している。仕事合間の男やら友人と連れ立った女達やら忙しく働きまわる給仕。そして、卓に頬杖をつき足を組み堂々と女性客をなめるように見る男。自分をいやらしい、邪な目で凝視されたら誰しもが不快感から顔を顰める事だろう。しかしこの男は違った。見られる女達はもれなく全員顔を桃のように赤らめチラチラと男を見てはきゃあきゃあとはしゃぐのだ。何故か。その答えは単純明快だ。

 男の容姿が極めて優れているからだ。要するに色男過ぎるのだ。

 切れ長の黒檀の瞳、綺麗な弧を引く薄めの唇、肌は女も羨む白磁の様な美肌。その男の体はどこを見ても感嘆しか出ないほどに整っていた。それはもう花天月地、花鳥風月どんな美しい比喩表現も当てはまるぐらいに美男子なのだ。女達が色めき立つのも仕方ない。だって顔のおかげで邪な思惑は隠されているのだから。

「ったくよ、あんたはそればっかだな。つかこんな昼間の飯店で女物色してんじゃねよ。なのに何で女はお前を選ぶんだ?なぁユウォンよぉ!」

 色男の名はユウォンというらしい。共に飯を食べていたやたらと筋肉質な男が悔しそうに言った。

「そんな事言ったってテオ。俺の顔が女に人気なのは今に始まったことじゃないだろ?」

 テオと呼ばれた筋肉質な男は顔を思いっ切り顰めた。

「本当あんたいい性格してるよな。あんたの見目に騙されて捕まった女は果たしてどれぐらいいるのかねー。少なくとも両の手じゃ足りんのは確かだよなぁ。あーあ、可哀想に。一夜が過ぎればそれまでなのになー」

 どうやらユウォンは相当の遊び人らしく、ユウォンの餌食になった女は数えきれないほどらしい。

「人を雑食みたいに言うなテオ。俺にだって趣向はある」

 心外だと言わんばかりにユウォンはテオに言った。

「え、そうなの?俺ぁてっきり女なら何でもいいのかとばっかり・・・」

 思わず飯を運んでいた手をピタリと止めてテオは、ユウォンの女の好みに興味を示した。

「テオ。お前にだけ特別に教えてやろう」

 別にユウォンの女の嗜好をテオが聞いたところで何の得になるのか。しかし今まで雑食だとばかり思っていたユウォンにも好き嫌いがあったとは。テオは好奇心を抑えられなかった。身を乗り出して聞いた。

「まず瞳が大きく絹糸のような長い黒髪。白磁のように滑らかな肌に少し肉付きの良い赤い唇。そして何より・・・」

 ユウォンは口を止めて大いに間をとる。次が余程大事な所なのだろう。テオも食い入って言葉を待つ。


「丁度いい乳房だ」


「あんた本当に最低だな」


「はぁ!?ここが一番大事だろ!いいか?大きすぎても小さすぎても駄目なんだ!手に収まるぐらいが一番良いんだ!分かるか?な!」

 どうやらユウォンの女の選考基準は胸部らしい。浮世離れした美貌の癖してそこは俗物的かよ。と、テオは思った。まぁ、分からなくはないけどよぉ…と妙に理解しつつもそれを認めるのは何かに負けた気がする…と、複雑な気持ちをテオは抱く。しかし複雑な気持ちを抱くのはテオだけではないらしく、何故かユウォンもまた、複雑な面持ちをしていた。何であんたがそんな顔してんの?という疑問が素直に顔へ出たテオを見つめて、ふっと形のいい唇で自嘲気味に弧を描きユウォンは言った。


「でも、一番はあかが似合う女だよ」


 紅が似合う女とは一体どんな女なのか。しかしテオはユウォンの真意が分かったらしくそれを追求したりはしなかった。ただ、自身の脳裏に浮かぶ何かを見つめるだけだった。どれ程時間が経ったのか。しかし客が少なくなり始めた飯店が2人に時間の流れを思い出させた。

「そろそろ勘定するか」

 ユウォンが勘定をと席を立った瞬間だった。

「おいおい!俺を誰だと思っているんだ。あぁん!?」

 見るからにガラの悪い男が店の者に絡んだ。どうやら飯代を抑えたいらしい。何者かは知らないが迷惑なものだ。別にこの後用がある訳ではないがごねる男にしびれが切れたユウォンは文句を言ってやろうと男の近くに足を進めた。

 しかしユウォンが声を出すよりも早く、別の客が声を上げた。


「貴方恥ってものを知らないの。人前でしかも店の中で声を荒げて値切りですって?どこの誰か知らないけど恥晒しもいい加減になさい!他の人に迷惑でしょう!」


 凛とした態度で言い放つのは頭から足までをすっぽりと覆い包む外套を纏う女だった。しかしその口調や佇まいからは市井の飯店には似使わない高貴さを感じた。

 女の勢いに一瞬たじろいた男だったが、相手が女と分かるや否や、事もあろうか女に掴みかかろうとしたのだ。流石にまずいとユウォンが間に入ろうとした瞬間。

 なんと男の体が宙を舞ったのだ。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかったユウォンだったが、どうやら外套を纏っている女が男を投げ飛ばしたらしいと頭が考えていた。しかし心は女の事を考えていた。顔をも覆うようにしていた外套のが、男を投げ飛ばした勢いではらりと落ち女の顔が露わになっている。女は、大きな瞳に絹糸のような長い黒髪、ユウォンに負けない白磁のように滑らかな肌、少し肉付きの良い唇。そう、ユウォンの嗜好に見事命中した容姿をしていたのだ。ユウォンはその美しい上に自分の好みど真ん中の女に見とれていた。だが投げ飛ばされた男が黙っているわけがなく、懲りずに、今度は女に殴り掛かった。


「恥の上塗りは感心しないな。女に手を上げる等、男のすることではない」

 先程まで女の美しさに心奪われていたユウォンは何処にも居らず、そこには毅然とした何とも優美な、しかし有無を言わさぬ圧力を放つ秀麗なユウォンが女を庇うように立っていた。

「去れ。二度は言わんぞ」

 男はユウォンの圧力に怯み、そそくさと飯店から出て行った。そしてユウォンは振り返り女に声を掛けた。

「さて美しいお嬢さん。勇敢なのは素晴らしいが余り褒められた行動ではないな。貞淑たる淑女ならば自ら危険に身を投じるべきではない」

 いやいやその人の美顔に見とれてたあんたが何格好つけてんの。つかあんた淑女云々の説教を人に出来んでしょうが・・・とテオは呆れながらユウォンを眺めた。さっきの男と同じく投げ飛ばされたらいいのにと面白半分に見守っていたテオの期待を裏切り女はこう答えた。


「そうね。淑女の行いでは無かったわ。はしたない所を見せてしまって恥ずかしい限りです。ですが助けて頂いた紳士な方にお礼もせずに別れるのは淑女以前の問題…よろしければ甘味などご一緒にいかがかしら?」


 先程までの勇ましい女の影はなく、そこには優雅な貴婦人然とした女がいた。

 大丈夫貴女は十分淑女だよ…テオは感嘆を零した。寧ろユウォンの方が慇懃無礼で不躾な遊び人だからそんなお誘いわざわざしなくていいから。つかユウォン。あんたこの辺でビシッと決めねぇと本気でいい所無いぞ…とテオはユウォンを心配そうに見やった。しかしユウォンはテオの心配をよそに、あくまで優雅に、紳士に答えた。

「美しい女性に誘われて断るような野暮は出来ませんから」

 そう、女性なら思わずため息をつきたくなるような麗しく、甘美な声と笑顔で。

「では私行きつけの甘味処に行きますか」

 だが女はユウォンの美貌には目もくれず、ただお礼のためだという雰囲気を前面に出しながら先を歩いて行く。テオはあのユウォンの本気の色香に中てられない女を心底尊敬し、同時に思った。ユウォンざまぁ見ろ。

 そして渾身の笑顔が不発に終わりどんな顔をしているのか、中々に下衆な興味本位でユウォンの顔を覗いた。そこには悲嘆に暮れるユウォンが居る

「・・・良い。あの女絶対に俺の女にする」

 訳もなく。

 自分の色香に中てられるどころか素っ気ない態度をとる女に寧ろ、自他共に認める遊び人の血が騒ぐのをユウォンは確かに感じていた。絶対ものにしてやると意気込むユウォン。ユウォンの感じた血の騒ぐ感覚。しかし果たしてそれは遊び人故のただの対抗意識だったのか。他人がユウォンの感じた血の騒ぎを同じくして感じたならばもしかすると、別のものと感じたかもしれない。だが生憎、ここにはその細やかな勘違いに気付く者はいない。今ここに居るのはただ女を落とそうと燃えるユウォンと、そんなユウォンに呆れるテオと、2人の心中を微塵も知らない女だけだ。

「やっぱあんた最低だよ」

 テオの呟きはもう既に口説く算段を熟考するユウォンには届かずに消えた。



「へぇ、ルナちゃんって言うんだ。可愛い名前だな。俺はユウォン。よろしくな」

 女__基、ルナは彼女の行きつけだという甘味処に2人を連れてきていた。ニカッと人懐こい笑顔で名乗り返すユウォン。しかし先程の優美な紳士然としたユウォンではなかった。

「ユウォンあんた紳士とか何とか言っといて紳士の仮面落ちてんぞ」

 ここぞとばかりに弄るテオ。

「いや構わない。寧ろ今の方が気楽でいい。先のあれは芝居臭くて嫌いだ」

 ふっと綺麗に微笑みながらルナがテオの弄りをさらりと流した。ルナもまた、先程の優美な淑女然としたルナではなく、何とも男らしい口調で話す。恐らく今の彼女が本来の彼女なのだろう。先程とは打って変わって表情が柔らかく自然だった。そしてよくよく見てみるとルナの顔立ちは本当に整っていて、天女ってのはこんな感じなのか…とテオが思わず見とれてしまうほどだ。と言うのも、テオは普段から、ユウォンに群がる女達を嫌というほど見てきている。その女達は傾向こそ違えど着飾り、美しい容貌だった。なのでテオの目もそこそこ肥えているのだ。しかしルナの美貌は全く違った。ユウォンに群がる女達のように高い白粉や紅を塗っているのでもなく、ましてや雅な衣装を着ている訳でもない。なのに、いや寧ろ人の手が加わっていないからこそ輝くというか・・・テオは頭の中でルナの美貌についてあれこれと考えてみたがしっくりくる表現がまるで分らなかった。今度詩家の友人にルナを会わせてみて一曲作ってもらおうか。そんな事をぼんやり考えていた。とりあえず結論だけ言うと。

 とにかく美しい。 それだけだった。

「あのさルナちゃん。飯店で見せた武術の腕前、中々なものだったけど武道の嗜みがあるんだ?」

 ユウォンがルナに尋ねた。

「あぁ。私の父は蛇国の将軍でな。幼い頃から両親と兄姉に鍛えられた。それと敬称は要らない。ルナと呼んでくれユウォン」

 蛇国の将軍の娘。蛇国の将軍といえば中華でも指折りの武人ばかりだ。その娘ともなればかなりの家柄のご令嬢ということになる。素朴な疑問が生まれたユウォンはルナに問うた。

「ルナ。何で蛇国将軍の娘なんて地位のあるお前が一人でこんなところに居るんだ?というか、そもそも何故華国に居るんだ?」

 するとルナはふと考えてこう答えた。

「父が今任で華国に来ていてな。私はその供というわけだ。市に来ていたのは…お忍びだな」

 お忍び。予想外の答えにポカンとするユウォンとテオ。ルナは若干気恥ずかしそうに目を逸らした。

「わ、私の話をしたんだからユウォンの話もしろ!ユウォンは何をしているんだ?」

 少しばかり顔を紅潮させ二人に話を振るルナ。ここに来て可愛さをも持ち合わせたルナにユウォンは動揺を気取られないように努めて平然として答えた。

「俺の親は商人でな。家は兄貴がいるから兄貴が継ぐが俺も普段は家の商売を手伝っているんだ。少しでも兄貴の力になれたらと思ってな」

 当たり障りのない答えをしたユウォンに、あんたそんな真面目にやってねぇだろ。と内心毒づくテオ。これでこの話が終わる、かと思いきや

「ユウォンの家は商家なのか!?華国の商人たちの腕は中華でも名高い!もしよかったら私にあきないの話をしてはくれないか!もちろん話せる範囲で構わないから!」

 あれ、そんなに興味持つのかと少し不思議に思ったユウォンだったが、何にせよこちらに興味を示してくれるのは好都合だと言わんばかりに承諾した。

「ちょ、あんたうっかり機密情報とか話さんでくれよ!?」

 テオはいささか不安だったが、ユウォンは全く気にせずに自身の経験をルナに語りだした。


「凄く勉強になる…矢張り華国の商売は栄えているのだな」

「まぁな。国王が他国との貿易や華国内の流通のために運河を建設したり、市の税を軽くしたりと色々してるからな。他の国に比べたら商いがやり易くその分、国が栄える。特に今は近隣諸国との休戦協定のおかげで執拗に兵役を課す必要が無いから余計にな。特に蛇国の王様には感謝してるよ。清星国と華国の間に中華最強の武術大国蛇国があるおかげで清星国は安易に戦をできないからな」

「感謝をするのはこっちもだ。華国が蛇国に持ち込む品々はどれもこれも見知らぬ物ばかりで蛇国は活気づき始めた。蛇国の威厳が他国の役にも立っているのなら喜ばしいことだ」

 ユウォンとルナが商いの話やら互いの国について語らい始めてどれ程時間が経ったのか。少なくともテオが余りの暇故に十分な昼寝をするぐらいには時が経っていた。話を始めた頃には高く昇っていた太陽が沈み、辺りは夜特有の賑わいを見せ始めているので凡そ二刻だろうか。そうなると流石のテオも目を覚ました。

「あんたらそろそろ帰らねぇの。ルナもあんまり遅くなると将軍の御父上が心配するだろ」

 テオに言われて漸く時の経過に気付いた二人だったが、まだ話し切れていない事が多いのか互いを見合わせ、まだ帰りたくないと言わんばかりの雰囲気を露骨に出した。するとユウォンがとんでもない提案をした。


「そうだ。俺の宿に来ないか?そこなら時間を気にせず話せるだろ?」


「は、はぁ!?」

 おいいいい!おまっ!はぁ!?何言ってんだこいつは!相手は蛇国将軍の娘だぞ!お前がルナに手を出したせいで蛇国と華国の関係に亀裂が出来たとか洒落にならねぇよ!!! 余りにもぶっ飛んだ、というより段階を何段も一気にすっ飛ばした発言にテオは言葉が続かなかった。しかしルナは、

「ふむ…そうだな。ならお言葉に甘えてお邪魔するとしよう。まだまだ話し足りない事だしな。そうだ、菓子も買っていくか。夜通し話すなら小腹も空いてくるだろうしな」

「え、ええええええ!?!?」

 まさかの交渉成立!?え!噓だろ!?しかも結構乗り気!!! まさかの展開にテオは頭が追いつかなかった。蛇国はそういうの有りなんですか…本気ですか、なら今度蛇国に行ってみようかな…等と思考が散らかり過ぎてユウォンとテオが宿泊する宿へと向かう二人の後ろを黙って付いて行くしか出来なかった。一方でユウォンとルナは、はしゃぎながら買い込んだ菓子を抱えて楽しそうに歩いていた。



「蛇国にはたくさん物珍しい品が多くあると兄貴が言っていたんだが、ルナは心当たりはないか?」

「珍しい品か…思い当たるのは薬品だな」

「薬品?なぜ?」

「蛇国の人間は戦いに長けている上に好戦的だ。とすると怪我は必至だろ。だから蛇国の医学は他国と比べて進んでいる自負がある。それに伴って薬も他の国には無いような物も蛇国には数多くある。蛇国は武人ばかりを優遇すると思われているがその実、医者や学者、文化人も同じぐらい優遇されているんだ。文化の発展を無くして国の発展は無い」

「なるほど…勉強になるな」

 買ってきた菓子とユウォンが手ずから淹れた茶を飲みながら政的な話から、文化的な話、はたまた自国の流行りの詩家の話まで、色んな話を飽いた様子もなく話していた。しかし時間が経つにつれ、ユウォンに変化が出てきた。ルナの様子を伺いながらも目が合うと不自然に逸らす、これを繰り返していた。少しばかり不審に思ったルナだったが特に尋ねる事もなくただ茶を飲んでいた。そうしてユウォンの態度に違和感が出始めてから暫し経ち会話が減り始めた時、ルナが口を開いた。

「…ユウォン。すまないが少し寝台を借りてもいいか…先から体が怠くて仕方ない…」

 目をとろんとさせて、寝台を貸してくれというルナ。ユウォンは口角が上がりそうになるのを抑えながら言った。

「いいぞ」

 すまないな…とユウォンに断りながらルナは立ち上がり寝台へと歩いた。ルナが寝台へと歩き始めた時、コトンと湯吞みを台へ置いたユウォンはつかつかとルナへと歩み寄り、背後からルナを抱きしめるようにして寝台に倒れ込んだ。

「ユ、ユウォン…な、なんだ…いきなり…」

 いきなり押し倒されたことに驚くルナ。そして戸惑うルナを見下ろして満足気に微笑むユウォン。

「いきなりじゃないだろ?男の部屋に二人きりで居て、何もないと思ってたのか?それと、そういう状況で男から渡された物を簡単に口にしたら駄目だぞ」

 薬盛った俺が言えた事じゃないんだけど。薬の効果は早いはずなのに何も無いから焦ったぞ…ま、何にせよこれでルナは俺のものだな。と、心の中で勝利を確信しほくそ笑んだユウォンが未だ呆けているルナの顔に近づきその紅い唇に触れようとした。瞬間に、ユウォンとルナの間に白い手が現れ阻まれた。あ、れ?と少し顔を離してみると口付けを阻んだのはルナであった。呆気に取られるユウォンを見て、今度はルナが満足気に言った。

「矢張り茶だったか。媚薬が盛られていたのは」

 


「はぁあああああ.......」

 本気で大丈夫なのかユウォンはよぉ…何でよりにもよって蛇国将軍の娘なんだよ、綺麗な女ならもっと他にもいるだろうがよぉ…と盛大に大きなため息をつきながらテオは宿の庭に居た。ユウォンは仮にも華国商家の息子なので念の為の護衛なのであろう。テオの腰には日中には無かった剣が差してあった。しかし態度はとても護衛とは思えない緩さであった。

「あーあ!ユウォンは蛇国の美女とのっぴきならない情事にふけってるってのに俺はその護衛かよぉお!」

 それはテオの心からの叫びであった。


「その話、詳しく聞かせてもらいたい」


 声のした方を向くとルナが着ていた外套と同じものを着た女が立っていた。会った時のルナと同じく外套の被り物を目深に被っているため表情こそ分からないが、声や雰囲気から敵意があることは明白だった。

「何の話かな、お嬢さん」

 テオは自分に敵意が無いことを示そうと自分の出せる精一杯の優しい声色で聞いた。しかし女は敵意を薄めるどころか益々敵意を強めた。

「貴様が言った蛇国の美女の事だ!」

 女はどうやらルナの事を言っているようだった。

「あー、ルナか?ルナなら…」

 ユウォンと部屋に居る。とテオが言おうとした時だった。テオの頭めがけて刃物が飛んできたのだ。間一髪刃物を避け、一瞥すると刃物は壁にぐさりと刺さっていた。その投擲とうてきの威力と軌道の加減が女が只者ではないことを物語っている。これは厄介な相手じゃねぇの…と女を正面に捉えて剣に手をかけた。

「貴様ぁああ!!!ルナ様を…あのお方を呼び捨てだと!?」

 どうやら女はテオがルナを呼び捨てにしたことに腹を立てているらしい。えぇ、そんなことでいきなり刃物投げるかよぉ…とやるせなく思ったテオは女に反論した。

「言っとくけど、敬称は要らないから気楽に呼べって言ったのはルナの方だからな。俺からじゃねぇし」

「そんな事はどうでも良い!貴様が様付けしたら良いだけの話だろ!あのお方を誰だと思っている!」

「蛇国将軍の娘なんだろ。知ってるよ」

「なっ、知っていてその言い草かぁあああ!!!」

 どうやら女の怒りは頂点に達したらしく、テオに向かって無数に刃物を投げつけてくる。テオは剣ではじくか避けるかで攻撃をしのいでいた。少しすると刃物が底をついた様で、外套の下に隠してあった小刀を素早く抜いてテオへ斬りかかってきた。しかし女相手に斬りかかる気がテオにはさらさら無く、降りかかる攻撃をとにかく捌く他無かった。

「ルナ様は何処に居られる!言え!」

 激しい攻撃を繰り返しながら女はテオに迫る。

「あーもー!ルナはユウォンとしけ込んでるよ!今頃二人で楽しんでるんじゃねぇの!俺は護衛だから知らねぇけどなぁあ!!!」

 余りにも強い攻撃の雨にテオは半ばやけ気味に叫んだ。瞬間絶え間なく続いていた攻撃が止む。お、納得したのか?なんて吞気に思いながら女の顔を見たテオは思わず慄いた。何故なら、女の顔があり得ないほどに歪んでいたからだ。怒りに打ち震え、今にも人間の一人や二人ぐらい簡単に殺しそうなほどに。

「お、落ち着けお嬢ちゃん!」

 宿に駆け込もうとした女をテオが後ろから羽交い絞めにして押さえる。抑え込まれても尚、暴れ続ける女は本当に女なのかと思うほどに力が強かった。流石にこんな怒り狂った只者ではない人間をユウォンの下に行かせる訳にはいかない。ユウォンがどうなるか分かったものではない。テオの個人的な気持ちとしてはこのまま女をユウォンの所へ案内したいぐらいだがユウォンの実家の事を思えばそうはいかなかった。

「落ち着けだと?この野蛮人が!!!ルナ様!今すぐスアがこの野蛮人共を一掃しお助けします!!!!」

「あ!今さり気に名前言った!スアちゃんって言うんだ!可愛い名前だね!一旦武器しまおうか!落ち着こうかスアちゃん!」

「気安く名前を呼ぶな!あと私に触るな野蛮人が!!!」

 スアというらしい女はルナに余程心酔しているのだろう。何が何でもルナも御身を守ろうとしているのが痛いほどにわかる。そして十割ユウォンの責任であるが故にテオはスアをどうするか決めあぐねていた。

 テオは幼い頃ユウォンの兄に助けられその恩に報いるため必死の思いで武を修めユウォンの兄に仕えた。そしてその過程でユウォンと出会い、歳が同じだったことから意気投合した。何だかんだで優秀なユウォンの周りには敵が多く危険な目に遭うことも少なくなかったユウォンを兄は常々心配していた。そこでテオをユウォンの護衛にと遣わしたのだった。今では主従というより悪友のような感覚なのだが、それでもユウォンの身に何かあればユウォンの兄上に合わせる顔がない。しかし同じく仕える身としてはスアの気持ちはよく分かる。それに乗り込まれて痛い目を見ても正直、ユウォンの自業自得だ。

「この…放せ!!!」

 しまった…!

 テオの意識が思考へと傾いた隙を突きスアはテオの腕から抜け出した。そして一直線に宿へと、諸悪の根源であるユウォンを必殺せんと駆け出した。しかし、


「何の騒ぎだスア。鼠でも居たか」


 ルナが宿から出てきたのだ。中で何があったのか詳細は分からない。ただルナの雰囲気と衣服や髪が宿に入る前と何も変わってない点からユウォンにとって甘い展開で無かった事だけは分かった。

「ルナ様!!!」

 ご無事でしたか!?とルナに駆け寄るスア。その表情は主が良からぬ輩にあらぬ事をされたのでは無いかと本気で心配している顔だった。ルナもそれを汲み取り優しく微笑んで言った。

「大丈夫だ。私が簡単に男に肌を許すとでも?兄上直伝の膝蹴りを食らわせてやったわ」

 ふふん、と小粋に鼻を鳴らして自慢げに語るルナは心底楽しそうだ。何がそんなに楽しかったのか疑問に思ったテオだが、もしルナの機嫌を損ねて蛇国将軍の息子直伝だという蹴りを食らうのは勘弁だ。なんとも言えない苦笑いをするテオに一瞥をくれたルナは不敵な笑みを浮かべて言った。

「ユウォンに言っておいてくれ。楽しかったぞまた会おうとな」

  帰るぞスア。と今一つ腑に落ちないといったスアを引き連れてルナは宿を後にした。スアはテオを一度睨んでルナの後ろに付いて行った。

 ははは、何て痛快なお嬢様だっての…と独りごちたテオはスウォンの様子を見るために足取り軽くスウォンの居る部屋へと向かった。

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