第12話〈完〉
実際に当日の仕事は、というと実にあっさりと終了した。
トラブルもなく、交通渋滞もなく、予定よりも早めに空港へ到着。
打ち合わせ通り、業務用の荷物搬入口へ車を入れ、そこから職員用通路を通り特別に用意された待機室へ。
空港職員の対応もスムーズで、待機室へ到着してすぐ、ニックの国のアイロウ職員が現れた。
ニックと父親が緊張の面持ちでパスポートや本人確認の様々な手続きを進める間、隼也と同行したワタナベが書類の受け渡しを済ませる。
とは言っても、書類のほとんどはネットでやり取りが済んでいるから、紙媒体でやり取りするものなど限られている。
ニック親子の手続きや身体検査、荷物チェックの方がはるかに時間がかかった。
担当のアイロウ職員たちは積極的に親子に話しかけていた。当然、母国語の会話で、内容は分からないが、時折冗談でも言うのか、3人の間に笑みがこぼれる。
到着した時より、はるかにリラックスした表情になってきた頃、
「確認、終了しました」
と、荷物の検査官が告げた。
「ブジ、カクニンデキマシタ。ヒキワタシ、アリガトゴザイマス」
一番年長と思われる職員が進み出て、父親よりはるかにカタコト感の強い日本語でそう言いながら、ワタナベと隼也に握手を求めた。
握手をするのにふさわしいシーンかどうかは分からなかったが、求められるままに手を出す。
ふと、顔を向けると、複雑な表情わしたニックと目が合った。
国へ帰れる安堵感と、これからの不安と、寂しさとが入り混じって、どんな顔をしたらいいのか、わからないようだ。
「思ったより優しそうな人たちでよかったな」
隼也は率直に思ったことを言ってみた。
ニックの顔が一瞬、泣きそうなシワを刻んで、それから目一杯の笑顔になる。
その顔に、なんだか隼也の方がぐっときたが、もちろん、平静を装った。
「ありがとうございました。須藤さんにも、ありがとうって伝えて下さい」
一礼する親子を後に、隼也とワタナベは部屋を出た。
30分後、隼也とワタナベは展望ロビーにいた。
ニック親子を乗せた飛行機は、すでにボーディングブリッジを離れ、滑走路へ向かっている。
本来なら、向こうの職員へ引き渡したら、こちらの仕事は終了なのだが、
「飛行機が出るまで確認する。受け渡しは完了したんだから、ここから先、何があっても俺らの責任ではないがな」
そう言って、このロビーまで隼也を連れてきたのは、ワタナベだった。
やはり、仕事に関しては厳格な男だ。
展望ロビーには傾いた日差しが入り始めている。
空は快晴。母国までのルートも晴天が続いているらしい。
「時間通りだな」
と、ワタナベが呟いた。相変わらず、不機嫌そうな顔のまま。感慨も安堵感もその表情には見えない。
先日の会話から察すれば、厄介払いできてよかった、くらいの感想は持っているのだろうか。
自分は、と考えて隼也は己の感情が一言では言い表せないことに気づいた。
何色とも判別できない色に塗られた部屋に、押し込められた感覚。
ただーー最後のニックの笑顔を思い出すと、混沌とした色合いの中に、明るい光が混じる。
あの子に会うことは、二度とないんだろうなと、今更ながらに思った。
やがて飛行機はややオレンジ色が混じり始めた空へ、飛び立っていった。
※※
隼也が仕事の達成感と共に、珍しくセンチメンタルな気分になったのも、ニック親子を見送ったその日ぐらいだった。
翌日からはまた、最終報告書の作成に追われ、一方で須藤からは新たな調査を命じられた。
「外国人中心のイベントサークルを主催してる人物なんだけどね、周辺で行方不明者が何人か出てる。警察では資金繰りの方も調べてるようなんだけど…ああ、本人は日本人だよ」
サークルを紹介しているSNSでその代表者の顔を見せながら、須藤は続けた。
「最近、テニスサークルの運営も始めたみたいでね。桜木くん、テニスできるでしょ。ちょっと、潜入調査して来てくれるかな?」
「はっ?!」
また、唐突にそんなことを言われ、言葉に詰まった。が、もう隼也の意思に関わらず、決定事項のようだ。
あかりから、集めたそのサークルの資料や代表者の調査書を受け取った時、ニック親子を見送ってからちょうど1週間が経っていた。
ふと、気になって
「あの親子のその後とかって、情報、入るんですか?」
と聞いてみる。
向こうの国で保護されたウィンガーとなれば、情報は入るはずもないか、と思ってはいたのだが、あかりはすぐに反応した。ただ、表情は曇っている。
「私も桜木くんに教えようと思ってたとこ。実はね…あの人たち、向こうに着いて保護施設まで移動する間に行方不明になったそうなの」
あまりに予想外な展開に、隼也は言葉も出ず、目を見開いた。
「はっきりはしないんだけど、どこかの組織に拉致された可能性が高いみたい。ウィンガーが関係したテロ事件て、ちょくちょくあるでしょ。そういう人達の手に身柄が渡ることを向こうの政府も恐れてね、大規模に捜索活動してるらしいんだけど。手がかりはないって」
「なんか、それって…やりきれないんですけど」
あかりのせいではないことは充分わかっているが、口調がキツくなってしまう。隼也の脳裏に最後に見たニックの笑顔が浮かんだ。
「そうよね…初仕事の結末がコレって、いい気分じゃないわよね」
あかりが隼也の顔を心配そうに伺いながら、ため息をついた。
「でもね、外国人ウィンガーを送還した時には、たまにあるのよ…」
隼也が夕方近くにオフィスに戻ると、須藤が一人でパソコンに向かっていた。
自分でも何を言いたいのか、聞きたいのかよく分からなかったが、須藤とニックの話がしたかった。
「ああ、聞いた?うん、ひどい目に合ってなきゃいいんだけどね」
あかりから聞いた話を須藤に告げると、そう言ってすぐに顔を上げた。
「あかりさんが、こういうことはたまにあるんだって言ってましたが」
須藤は眉間にシワを寄せて自分のパソコンの画面を指差した。
須藤の隣に回り込んで画面を覗くと、ネットのニュース画面が映っている。
全て英語で書かれた記事だが、見出しの英語でニック親子が行方不明になったことを報じる内容だとなんとかわかった。
「ここの国、5年…6年くらい前になるかな、クーデターで軍が政権のトップについたでしょ。軍部が政権を取ったなんていうとあんまりよく言われないけど、前の政権が独裁でひどかったからね。今は前より国民の生活もよくなっているらしいよ。…ウィンガーもね、その能力を守るのが国益になるって、以前よりきちんと保護されるようになってきた。社会の底辺に追いやられて、テロリストの仲間に取り込まれたりしたら、国にとっても社会にとっても害にしかならないからね」
「そういう連中に拉致られた可能性が高いってことですか?」
隼也の口調にいつにない何かを感じたのか、須藤が覗き込むように見つめてくる。
「やっぱりどうにかして、日本に留まらせてやればよかったと思う?でも、現実問題として無理だよ」
「いえ…そうは思ってません」
そう答えながら、納得出来ていない自分も自覚していた。
「これ以上してやれることがないのもわかります。ただ…この先もこういうことが起こる可能性があるなら、どうにかならないのかとは、思います」
須藤はパソコン画面に視線を戻し、頬杖をついた。
「テロリストに拉致されるよりも最悪なパターン、てのもあってね」
隼也は軽く息を飲む。
「世界にはいろんな人がいるわけ。ウィンガーを悪魔の使者なんて言って、殺しちゃうカルト集団とか、研究と称して人体実験に利用する科学者崩れとか」
隼也の表情を見て、須藤は苦笑した。
「小説か、映画の世界みたいだけどね、実際あるんだよ。そんな連中に捕まってないことを祈るしかない。桜木くんの言う通り、ニックたちにこれ以上してやれることはないんだ。彼らの運と、能力に期待するしかない」
「運と能力、ですか」
須藤が椅子の背もたれに寄りかかる。軽く、軋む音がした。
「ウィンガーが狙われるのは、その能力ゆえ。ならばその能力で我が身を守れ、ってね。昔、言われたことがある。日本にいたからって、拉致や襲撃の危険が無いわけじゃないんだよ。ウィンガーは結構、危機意識を持ちながら生活しててねぇ…割と肩身は狭い」
隼也は返す言葉もなく、須藤の言葉を聞いていた。
「あの子は頭のいい子だ。冷静で、度胸もある。僕がわかる限りのいろんな情報は教えといた」
須藤が、ニッと笑う。
「あとは、あの子の運と能力で切り開くしかない。きびしいけどね」
そうあって欲しいと隼也は心から思った。それは今までの人生で一度も感じたことのない感情だった。
自分の感情に戸惑いつつ、須藤の達観したような笑みを見ていると、結局この男には敵わないな、と思ってしまう。
これから先もこんなことが繰り返されるのか、と思考の海に落ちそうになった瞬間、
「というわけだから、君は次の事案に集中してね」
いつもの飄々とした調子で須藤が肩を叩いてきた。いつもより、若干強くてよろめきそうになる。
「え、あ、はい!」
ハッとして踏ん張った。
「あの、でもテニスなんて、高校以来なんですが」
確かに高校ではテニス部に入っていたが、1年でやめてしまった。以来、ラケットにも触っていない。
「他の人じゃダメだったんですか?」
「ワタナベさんはテニス全くの未経験、アベくんもテニスって感じじゃないでしょ」
須藤が子供のように口を尖らせる。
「僕が行ってもいいけどさ、夢中になって羽出しちゃうとマズイから」
翼のコントロールなんて、完璧にできてるくせに、とは言えなかった。
「あ、羽有りの僕とテニス対決してみたい?なかなかのスピードサーブをご披露できるよ」
隼也の思っていることを察してか、ワザとらしくそんなことを言ってくる。
「やるなら"羽なし"でお願いします」
憮然と隼也が言い返した時、
「お疲れ様でしたぁ」
体育会系のノリでアベが入ってきた。
「もしかして、ギョウザの話ですか?」
いきなりそう聞かれて、隼也も須藤もキョトンとする。
「え…いや、羽付きとか無しとか言ってませんでした?」
説明するのもバカバカしく、隼也が天井を仰いでため息をついたのと対照的に、須藤は吹き出した。
(そっちの羽の話なら、気楽なもんだけどな)
まだ笑っている須藤を見ながら、その背中の翼を思い出す。
美しくも、恐ろしい翼だ。関わらずに済めば、その方がよかったのだと思う。だが、今まで見たこともない世界が覗き見られるような気もする。今は、その期待の方が膨らんできていた。
ーまあ、なるようになるか。
中華料理を食べに行こうかと話し始めた、須藤とアベを見比べながら、隼也は心の中で呟いた。
flappers 0 〜hunter's smile〜 さわきゆい @sawakiyui
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