第11話
父親との面談後、姿を見せなかった須藤がふらりと部屋に入ってきた。
ワタナベとアベは何か用向きがあるらしく、2人で外出していて、今は隼也しかいない。
「あ、いた、いた」
隼也を見るなり、須藤はいつも通りの軽い調子で話しかけてきた。
「ちょっと、ニックのところ、一緒に行ってみない?」
行ってみない?も何も、一緒に来いと言うことだろう。
「はい。…あの、お父さんの方は帰られたんですか?」
面談はあの後、とても続けられる状態ではなかった。いずれにせよ、強制的に処遇が決まったことで、これ以上の事情聴取も必要なくなったらしい。
須藤の横顔に、少し気怠げな翳りが浮かぶ。
「帰った、というか、一人で帰せる状態じゃないからね。先生に頼んで、市立病院に一晩入院させてもらうことにした」
先生というのは嘱託医のことだろう。
「ここ何日か、まともに食事もしてないようだよ。精神的にもかなり消耗してるって、先生も言ってたしね」
それは隼也の目にも、明らかだった。
気の毒だとも思った。だが、隼也には、かける言葉が見つからなかった。
ニックが滞在している五階の通称『宿泊エリア』は、銀行の金庫を思わせる、分厚い頑丈な扉を抜けた先にあった。
外から見れば窓はあるのだが、いわば、ダミーだ。宿泊エリア内から、外の様子を見ることは出来ない。
4つある個室は全てツインベッドで、小学生などを保護した場合、親も一緒に宿泊できるようになっていた。
監視の都合上、浴室はエリア内に一つだけだが、洗面台、冷蔵庫、テレビ、アクセス制限はあるもののネット環境完備。要するにホテルの部屋と変わらない。ドアが最新式の電子ロックで外側からロックされることを除けば。
ニックは暴れたりする危険性が少ないこと、翼のコントロールがほぼ出来ていると見なされたことから、部屋のロックをかけられているのは夜間だけだった。須藤と隼也が宿泊エリアを訪ねた時も小さな談話室で本を読んでいるところだった。
「よっ、お疲れ様」
須藤がフレンドリーに声をかけるとニックは小さく会釈をし、笑顔を見せた。
浅黒い、彫りの深い顔立ちに白い歯が映える。
笑顔はこちらのご機嫌をとるためのものではなさそうだった。なんとなく、須藤とニックの間にそれなりの信頼関係、とは言わないまでも、ある程度、打ち解けた雰囲気を隼也は感じた。
ウィンガー同士、何か通じるものがあるのか、須藤の人柄なのか。
「差し入れ、持ってきたよ」
そう言う須藤に促され、隼也は持ってきたビニール袋の中身をテーブルの上に出した。一階のコンビニにから買ってきたものだ。
スナック菓子に炭酸飲料、マンガ週刊誌…この年頃の子の好みそうなものだ。
ここら辺も須藤の作戦なんだろうな、と隼也は思いつつ、二本入っていた缶コーヒーの一本を受け取った。
「ありがとうございます」
遠慮がちにそう言いながらもニックは飲み物に手を伸ばす。
「さっき、室長さんが来ました」
ニックは自分から切り出した。
「ボク、送り返されることになったって、言ってました」
父親とは対照的に落ち着いている。自重気味な笑みを浮かべる様子は悟りを開いた僧侶かと思わせるほどだった。
「落ち着いてるねー」
流石の須藤も感心したように呟く。
「こうなるかな、とは思ってたから」
隼也がよほど驚いた顔をしていたのか、ニックが面白そうに笑った。
「そっか、多分1週間以内には出発することになるだろうから、早めに家に帰って荷物まとめられるように手続きするって言ってたよ。忙しくなるね」
須藤の言葉にニックは頷きながら、少し表情を曇らせた。
「でも、あの、お父さん、どうなりますか?」
「ああ、それなんだけど、今日はお父さんに会えてないよね」
須藤は前に身を乗り出し、続けた。
「お父さん、だいぶ疲れてるよね。今日は、君が送り返されることが決まったって聞いて、さらにショックだったようだから。ちょっと病院で検査受けてもらってる」
「検査?お父さん、具合悪いの?」
須藤はニックの目を見て首を振った。
「君もこの間、言ってたでしょ。お父さん、ちゃんとゴハン食べてるかなって。多分、ほとんど食べてないと思うんだ。だから、体調が心配だからさ、病院で検査受けて、ゴハンもちゃんと食べてもらおうと思ってね。今日だけだよ」
「本当?お父さん、元気?」
不安そうなニックに、須藤は苦笑を浮かべた。
「元気、とは言えないだろうけど。大丈夫、病気じゃないよ」
不安そうな表情を残しながらも、ニックは頷いた。
「お父さんも強制送還されるの?」
「いや、お父さんの方はビザも残っているから…日本に残ろうと思えば残れるよ。ただ、残る理由はないだろうね。君を守ることがお父さんの目的なんだから」
ニックは思慮深そうな眼差しで、宙を見たまま、少し黙り込んだ。
「…うん、今のまま仕事続けるのは大変だと思う。でも、帰ってもきっと大変だよ。ボクのお母さんも、妹もきっと大変。…仕方ないけど」
須藤や自分を恨む気持ちはきっとあるのだろう、と隼也は思った。穏やかに話してはいるが、父親も友人もそばにいない今、そうしていないとやりきれないのかもしれない。いずれにしろ、大した自制心だ。
「ニック、正直いうとさ」
須藤の口調からふっと軽さが消え、真顔になった。
「君を国に帰すのは残念だ。誰にも教わらずに、それだけ翼をコントロールできるなんてね、すごいことなんだよ。アディがあの不安定な状態で今まで隠してこれたのも、君がいたからだろ。このまま日本で、後輩の子を指導する立場になって欲しかったね。僕の個人的な希望だけど」
思いがけない言葉だったらしく、ニックは戸惑った様子で顔を赤らめた。
「悪いね、そうは言っても何にも君の役には立てなくてさ。ただ、帰ってからも自信持ってウィンガーですって、胸張っていけよ。引け目を感じる必要はないんだから」
そこまで言って、須藤はちょっと首を傾げた。
「あ、引け目って意味、分かる?」
「…わかる…」
ぽそっと言ってニックは大きな目をしばたいた。
「わかった」
もう一度言って、ニックは大きく深呼吸してから頷いた。
その後、須藤は特別に送ってもらったという画像をニックに見せた。
タブレットの画面に映し出されたのは、アディだった。トレーニングの様子を撮影したものらしい。背中には白い翼。
ピッチングマシンから打ち出されるボールを取るという、単純なゲームのようなトレーニングだが、ボールは相当早く、打ち出される方向はランダムだ。アディは見事なというより、隼也から見ればありえない俊敏さで、乱れ打ちされるボールに反応している。と、取り損なったボールが後ろの壁に跳ね返り、とんでもない方向からアディに向かってきた。同時に次のボールも打ち出される。
「余裕!」
アディが叫び、仰け反りながら右手で一つ、更にそのまま身体を反転させ、床を蹴ると左手でもう一つのボールをキャッチした。顔には得意げな笑みが浮かんでいる…
2分ほどの短い動画だったが、ニックは
「元気そうだ。よかった」
と、安堵の笑みを見せた。
「トレーニングって、あんななの?ゲームみたいだ。ボクでも余裕だよ」
「だろうねー、まあ、彼は体を使うトレーニングより、座学の方が辛いんじゃないかな」
「ザガク?」
「机に座って勉強することだよ。ウィンガーの今の状況とか、歴史とか、本を見ながら授業を受ける時間があるんだ」
「それ、アディ絶対寝てるよ」
ニックは須藤と顔を見合わせて、声を出して笑った。
隼也はなんとなく、居心地の悪さを感じながら、2人のやりとりを見守っていた。
なぜ、須藤は自分までここに連れてきたのだろう?そう思っていると、不意に須藤が隼也の方を見た。
「そういえばさ、猿の話してたおじいちゃんがいたでしょ」
「え?あ、ああ、あの団地の」
妙に熱心に、猿の話をしていた老人を思い出す。
「この間、アディを自宅まで送った時に途中であそこに寄ってみたんだよ」
「え、そうだったんですか」
ニックは何の話かと怪訝そうに2人を見比べていた。
「君たち、市営住宅から崖のぼって帰る時に、見てる人がいたの、知らなかっただろ」
「がけ?あ…」
ニックはまだキョトンとしている。
「おじいちゃんなんだけどね、夜ベランダに出てる時とかあったらしくて。夜だし、目もあまり良くないみたいだから、人間だと思わなかったんだろうね。時々、猿が崖を登っていくんだって、話してくれたんだ」
ニックがしまった、という顔をする。
「知らなかった。気をつけてたはずだけど。見てた人、いたんだ」
「アディを連れて行って、あのおじいちゃんに崖登るの見せたら…すっごい喜んでくれてさ。はしゃいでるの、可愛かったよ。アディも得意げでね」
須藤はすっかりいつもの軽い調子に戻っている。得意げに語る様子はおそらくアディにも劣らないだろう。
「あの、須藤さん…あのおじいさんにそれ見せるためだけにアディ、連れて行ったんですか?」
思わず、隼也は口にしてしまった。
「いや、あのおじいちゃんに崖登るとこ、見せてあげたいのもあったけど、一応本人実演で可能なことを証明してもらおうと思って、だよ」
「あ、なるほど…」
とは言ったものの、どうも後半の方が後付けの理由に思える。
ニックと目が合うと、ニヤッと笑った。隼也と同じことを思っていたようだ。
「あ、そうそう、帰る日程が決まったら、彼が空港まで送るよ。空港でアイロウの職員に引き継ぐまでのボディガードだ」
不意に須藤は隼也の肩を叩きながら、相変わらずのすまし顔でそう言った。
「え、あ、そうなんですか」
突然の業務命令に隼也は思わず声をうわずらせた。
(そのために一緒にここへ連れてきたのか。それにしても、相変わらず、唐突な…)
そう思いつつもどこか須藤のペースに慣れてきている自分がいる。
ニックはそのやりとりを面白そうに見ていた。
小馬鹿にされるのも気にくわないので、隼也はすぐにポーカーフェイスを装って、
「分かりました」
と頷いた。
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