第10話
その後の数日は、事務処理を覚えることで過ぎていった。
隼也にとっては得意な仕事ではないが、別に物覚えは悪い方ではないから、教えてくれたあかりやワタナベに不愉快な顔はさせずに済んだようだ。
アディの方は、さっそくトレーニングセンターへ送致された。
母親は付き添うためには仕事を辞めねばならず、かなり迷ったようだが、結局息子に付き添ってセンターへ行くことにしたらしい。
「10年くらい前までは、家族の付き添いなんて認められなかったんだがな。10代、特に10代前半の子供には、保護者の付き添いがあった方が、精神状態も安定して過ごせるからって、今は下手すると両親揃って付き添うようになってる。甘やかし過ぎはいい結果なんか生まないのにな」
アディを見送った後、いつもの仏頂面でワタナベはそう言った。
親の滞在費用も税金で負担してもらえるのが、ワタナベとしては一番気に入らないらしい。
そうですね、とアッサリ同意するのもはばかられ、隼也は黙っていた。
一方のニックの方は処分保留のまま、対策室の宿泊施設に拘留されていた。
夜は警察官1名と対策室の職員1名が警護に付いている。
毎日、仕事帰りに面会に来る父親は、日に日にやつれているようだった。
保護されてから5日後の昼過ぎ。
面会に訪れた父親を、隼也は須藤の指示でいつもとは違う面談室へ案内した。
しっかりした防音設備が整えられ、室内の様子を動画撮影するため、カメラも設置されている。公的な記録を取るための部屋だということは、言われなくても分かっていた。
ニックが保護され、最初に父親が訪れた時もこの部屋に案内されている。
何か感じたのか、父親は不安げに部屋を見回した。顔立ちはニックとよく似ている。ただ、息子よりも神経質そうで、日本語がたどたどしいせいもあってか、おどおどした物腰が見ていて気の毒なほどだった。
状況からして仕方ないだろうが、眉間に皺を寄せ、思いつめた表情しか隼也は見ていない。
ニックの方がよっぽど落ち着いて、堂々と事情聴取にも応じていた。
差し入れられた着替えを、ニックへ渡しに行くのを隼也が頼まれたことがある。
紙袋を受け取ったニックは、中にチョコレートが一枚、入っているのを見つけて、笑顔になった。
「チョコ、好きなのか?」
思わず、隼也が聞くと、小さな声で
「はい」
と、頷いた。
「日本のチョコ、おいしいです」
はにかんだ笑顔を見せながら、目はこちらの反応を伺っている。その大きな黒い瞳は、決して心を許してはいなかった。
年齢よりもずっと大人だ。というか、子供を装っているだけに見える。
あのニックの目を思い出しながらこの父親を見ると、親子の立場が逆転しているようにすら思えた。
父親が来たことを須藤に伝えに行くと、室長の向田もいた。
「お互いに大きな初仕事になったね」
向田が気さくに声をかけてくる。
「いえ、その場にいただけで、何もできませんでしたが…」
がっしりした向田の手が隼也の肩を叩いた。
「いやいや、これからでしょう。そういう僕も須藤君に教えてもらう一方でね。勉強することばかりだよ」
須藤はにこやかに2人のやり取りを見守っている。
向田はその須藤の方に向き直った。
「彼にもお父さんとのやり取り、見てもらったらどうだろう?初めて関わった案件だから、結末というか、うちで最後に出来るところまで見ておきたいんじゃないかな」
最後は隼也に向かって言った。
「室長の許可がいただけるなら、そうしたいと思ってました。今後の参考にもなりますから」
須藤がそう言って、隼也に頷いてみせる。いつもの人を茶化すような調子はない。
「モニタールームで面談室のモニタリング出来るから、見ておくといいよ。情報処理部の人に聞けば、使い方は教えてくれるはずだから。あ、あとアベくんもいたでしょ。彼にも声かけて」
須藤が、いいですよね、と確認するように室長を振り向く。向田はもちろん、というように大きく頷いた。
アベと2人で情報処理部へ向かいながら
(情報処理部の人、といっても声をかけやすいのはあかりさんくらいだな…)
と隼也は考えていたが、
「桜木くん、アベくん」
情報処理室へ入るとすぐにあかりの方から声をかけてきた。
「こっちよ。もう、準備してあるから」
説明をするまでもなく、カードキーをひらひらさせながら、奥の扉へ誘う。結局のところ、須藤が事前に根回ししていたわけだ。
(食えない人だな…)
何か釈然としない思いを腹に抱える隼也に対して、アベは
「ここ、使うの初めてですよね」
とはずんだ口調であかりに話しかけている。
あかりも
「そうよね〜、これからの運営の参考にもなるし。私もご一緒させてもらうね」
と、新しい設備を使えるのが楽しみな様子だ。
とはいえ、部屋の広さは大したことはなかった。もともとはそれなりのスペースを確保していたのだろうが、3分の1ほどはコンピュータだの音声の機材で埋め尽くされている。
壁に据え付けられたモニターもかなりの大きさだから、あまり近づくとかえって見づらい。
机と椅子はちょうど見やすそうな場所に置いてあったが、4人分の椅子はかなり窮屈な感じで置いてある。
アベのようなガタイのいい人間が混ざると3人でも肩を寄せ合って座ることになった。
あかりが細身でよかった。
壁のモニターはあかりの手元にあるノートPCで操作できるらしい。
画面の電源が入ると、接続確認の表示の後、面談室で待つニックの父親が映った。案内した時と同様、胸の前で組んだ両手の指をせわしなく動かしながら、キョロキョロと周囲を見回している。
「こんな感じにもできるんだけど」
あかりがマウスを操作すると、画面が4分割表示に切り替わり、さまざまな角度から部屋が映し出される。
「4台のカメラ画像、一緒に出したパターンね」
「へぇ、二台分だけとかもできるんですか?」
隼也は聞きながら、あの父親は自分が撮影されていると知っているのだろうかと気になった。
あかりが画面を二画面のバージョンに切り替える。モニターには父親を斜め後ろから捉えた画像と、ちょうど反対側に当たる、彼の右斜め前方から捉えた画像が映った。カメラは部屋の上方に付けられており、見下ろすような形になる為、カメラの方を向いた時しか父親の表情はよく見えない。
コンコン、とノックの音がした。
『失礼します。お待たせしました』
ドアが開く音と向田の声。
『失礼します』
と、須藤の声も続く。音声もクリアだ。
父親の向かいに腰かけた2人は通り一遍のあいさつの後、部屋の中にあるカメラを示しながら、映像と音声が記録されていることを告げた。
父親の顔が若干、怒りを含んだように見えた。
あかりが気を利かせ、画面をズームする。
「こ、ここは、警察ではありませんね。わ、わたし、犯人ですか…」
父親は両手を大きく動かしながら、震えた声で言葉を続けようとしていた。
須藤がそっと手を挙げてそれを制した。
「ーー」
一瞬、隼也は須藤が何を言ったか理解できなかったが、すぐに英語だと気づいた。正直、英会話なんてほとんどわからないが、なんとなく
「英語の方が良ければ英語で答えてもいい」
というようなことを言ったのは分かった。
隣のアベも隼也の方を困ったようにチラ見しているところを見ると、同じくらいの語学力と思われる。
父親は須藤の言葉に一瞬、ためらってから
「ダイジヨウブです」
と答えたものの、幾分ほっとした表情が伺えた。
「わかりにくい時は言ってください。あなたの言う通り、私たちは警察官ではないし、これは取り調べじゃありません」
向田はゆっくりとした口調でそう言ってから、後半部分を英語で言い直した。須藤同様、流暢な発音だ。
「私たちが調べたことをあなたに確認したいんです。もちろん、息子さんにもね。違っていることがあったら、どこが違うか、教えて欲しいんですーOK?」
父親がしっかり頷くのを確認し、向田は手元の資料を開いた。
「来日…日本へ来たのは3年前ですね。それまでは高校の先生をされていた。日本へ来たのは、息子さんに日本で教育を受けさせたかったからと、この間もお聞きしましたが…」
「その通りです」
父親は頷いた。向田はゆっくり続けた。
「今の会社に就職したのが去年の4月ですね。こちらへ引っ越してきて間もなく、ニック君は翼を発現した。就職してすぐにトラブルを起こしたくないと、翼のことを隠すように言ったと言うことですね」
父親は机の上で組んだ両手を何度も組み直していた。
「すいません、仕事、クビになりたくなかったです。ウィンガー家族、嫌がられると思った」
「ええ、わかります。ですがね」
穏やかに言いながら、向田は身を乗り出す。
「よく、コントロールできましたね。翼は発現した直後はなかなか大変なんですよ。ちょっとした感情の高ぶりで翼を出してしまう。そうすると、自分でコントロールできないほどの興奮状態になることが大半です」
父親の口元が震えた。
「わ、私の…む、息子は…いい子です。小さい時から、ちゃんと…言うことを聞く、いい子でしたね。興奮して暴れたり、ないです」
「ああ、なるほど。でも、翼が初めて現れた時のことはあなたとニック君で話が少し違いますね」
父親は何か言おうとしたが、向田は構わず続けた。
「はっきり言いますね。ニック君の翼が現れたのは日本に来てからではないでしょう。状況から見て、あなたたちは、ニック君がウィンガーになってしまったために、日本へ逃げてきたのではないかと、私たちは考えています」
激しく首を振る父親に、席を立った須藤が近づき、肩に手を置いた。
父親は画面でも分かるほど、震えていた。
「大丈夫ですか?落ち着いて…何か飲みますか?」
須藤の穏やかな声が聞こえる。
「あ、いえ、だ、大丈夫…です」
父親はそう答えたものの、須藤は部屋の隅にある給水機から紙コップに水を汲んで持ってきた。
ぎこちなく頭を下げ、父親はコップを受け取り一口飲むと、そっと机に置いた。
その間、向田は黙って様子を見ている。
「…違う、です。ニックがウィンガーになったのは、日本来てからです」
父親の口調には必死な響きがあった。
「私たちはあなたの国に確認をとりました」
向田は父親を正面から見つめ、ゆっくりそう言い、同じことを英語でも繰り返した。
「日本へ来る少し前、ニック君は1カ月近く学校を休んでた時がありますね。体調を崩して、奥さんの実家で療養させていると説明されてたようですが。 しかし、奥さんの実家ではそんなことは知らないと言ってます。そして同じ頃、突然日本で仕事をするからと、ビザの申請をしてますね」
「そ、それは、ニックに日本で勉強させたかったから…」
「なんで、ニック君だけ連れてきたんですか?娘さんはどうして一緒に連れてこなかったんです?奥さんも一緒に家族みんなで来ることは考えなかったんですか?」
畳み掛けるような向田の質問に、父親は口ごもりながら、だが日本語がうまく出てこなかったらしい。向田と須藤を交互に見ながら英語で答えた。
隼也とアベが顔を見合わせている様子を見て
「妹さんの方はまだ小さいし、奥さんは外国に来たがらなかったからって。ニックはとても頭の良い子だから、勉強させてやりたくて連れてきたって言ってるわ」
あかりが説明してくれた。
「わ、三嶋さんも英語、ペラペラっすか」
羨ましそうに聞くアベにあかりは苦笑した。
「んー、日常会話くらいは、ね」
ここがアイロウという、国際組織に関連した組織であることを改めて思い出す。
ある程度の語学力も必要なのだろうかと、隼也は内心焦った。
モニターでは、向田がさらに畳み掛けていた。
「あなたは高校の先生をされてましたね。次のシーズンから、もっと大きな高校で校長先生になることが決まっていたとか。あなた自身も家族も喜んでいたのに、急に日本行きを決めた。周りの人たちもかなり驚いて、随分引き止めた人もいたと聞きましたよ」
「いえ、あ、あの、ニック…ニックには…」
向田は父親の前に資料を開いて差し出した。その中の一文を指し示しながら、更に続ける。
「日本での就職を斡旋する業者…まあ、ブローカーですね。この男性があなたからかなりの金額を出されて、可能な限り早く、日本へ行けるようにしてほしいと依頼された、と証言しています。校長先生にまでなるはずの方が、仕事はなんでもいいから、と頼み込まれたのでよほど事情があるんだろうと、印象に残っていたそうですよ」
うつむいた父親の表情は、モニターではよくわからない。
「ニック君、お父さんのこと心配してますよ」
須藤が立ち上がり、父親の前に置かれた紙コップを取りながらそう言った。
給水機から水を注ぎ足し、父親の前に戻しながら続ける。
「体を使う仕事なんかあまりしてなかったのに、こちらへ来てからは製造業などの工場の仕事でいつも疲れていると。食事のことも気にしてました。ほとんど食事の用意はニック君がしているそうですね。お父さんは料理ができないから、早く帰ってあげたいと言ってました。…でもね、」
須藤は父親の横にかがみこんだ。
「きちんと事実関係を把握しないと…本当のことが分からないと、ニック君をどこで守ってあげたらいいのか、判断できないんです」
「…守る…?」
父親は顔を上げて、須藤を見た。
「ここはウィンガーを保護するための組織ですよ。彼を捕まえたいわけじゃないんです」
須藤の言葉に向田も頷く。
「ウィンガーはその能力をきちんとコントロールできないと危険です。周りにとっても本人にとってもね。その為にも、ニック君がいつから翼を持っていて、今どのような状態なのか、確認したいんです」
向田の言葉に、だが父親は首を振った。
コンコン、とノックが聞こえて、モニタールームの扉がそっと開いた。
顔を覗き込ませたのは、隼也と同じ年頃の女性スタッフだ。遠慮がちにあかりの方を見て、
「すいません…」
小声で言う。
あかりは狭いテーブルの隙間をなんとか通り、ドアへ向かった。
小声で短いやり取りをした後、
「ぁぁ…」
と、同意ともため息ともつかない声を漏らす。
モニターを見ながら、隼也は目の端ではそのやり取りを伺っていた。
あかりはモニターを向き直り、なんとも言えない表情を浮かべた。
気の毒がっているような、ほっとしているような…
自分を見ている隼也の視線に気がついて、あかりはふっと息を吐いた。
「外務省から連絡が入ったの。多分、向こうの国から…」
その時、モニターの向こうでも動きがあった。
ノックの音、ドアが開いて職員が
「室長、お電話です。至急の用件で…」
向田は父親に一礼し、
「ちょっと失礼しますよ」
と立ち上がった。
画面にはよく映らなかったが、ドアを開けたのは声と喋り方で、情報処理部の部長だと隼也たちにも分かった。
あかりが大きく頷く。今、あかりが言おうとしていたことと同じ内容が向田にも伝えられている、と言うことだろう。
残された父親と須藤は、黙って向き合っていた。
あかりが、向田と須藤が座っている側のカメラも映るように切り替えたので、間も無く戻ってきた向田の表情はよく見えた。明らかにどう切り出そうか、逡巡している。
椅子に座り、居住まいを正してから一呼吸置き、向田は父親を正視した。
「あなたのお国から、外務省を通じて要請が来ました」
向田は英語でまず、そう告げた。日本語よりも英語の方が理解しやすいと判断したらしく、その後の会話は全て英語になり、モニターを見ていた隼也とアベは、あかりの要約に耳を傾けていた。
「報告から、向こうの政府はニックが自国内で翼を発現した、と判断したみたい。国際ルールに乗っ取り、自分の国で彼の訓練、管理をするため、速やかに送還して欲しいと要請してきたの。ニックの親族や友人から証言を取って、自国内での発現はほぼ間違いないと、その資料も添付してきたわ。まあ、こちらでも同じ結論を出そうとしていたわけだから、問題は無いと思うけど」
ガタン!と大きな音が聞こえて、全員がモニターへ視線を戻した。
父親が立ち上がった瞬間に、椅子が倒れたのだ。
「NO!」
腕を振り回しながら、父親は声を震わせた。何を言ってるかはよく聞き取れない。英語と母国語とが入り混じった言葉で、それは叫びに近かった。
須藤が立ち上がり、なんとかなだめて座らせようとするが、父親はそのまま崩れるように、床に座り込んだ。
両手で頭を抱え、うずくまった体から激しい嗚咽が漏れる。
「NO、NO…違う、違う!全部、違う!」
ビリビリと空気が震えるほどの大声でそう叫んだ後は、言葉にならなかった。
モニタールームには、父親の号泣する声だけが聞こえてくる。
隼也とアベは、あまりの急展開に言葉もなく、しばし呆然としていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます