10年前に戻ってからのテスト ⑥
佐伯ゆい
やっぱり、直人くんの様子がおかしい気がします。
朝、直人くんの顔を一目見た時から青ざめたひどい顔をしていましたが、教室でもちらちらと様子を伺っていると、時間がたてばたつほどより一層気分が悪くなっていくように見えました。
目が合うと、直人くんは心配するなとでも言いた気に笑っていましたが、その顔はあまりにも力なくて無理に笑顔を作ってるようにしか見えず、どうしても大丈夫のようには見えませんでした。
だから、わたしは昼休みにいつもより早くご飯を食べ終わって校舎裏に向かうことにしました。
校舎裏にたどり着くと、扉を開いた瞬間、直人くんが“倒れている”のが目に入って、
「直人くん!?」
わたしは大慌てで直人くんに駆け寄りました。
「大丈夫ですか!?」
覗き込むと、スースーと寝息を立てているのに気づいてほっと胸をなでおろしました。
どうやら眠っているだけみたいです。
「あはは、本当に死んだかって思うみたいな寝かたしてるからびっくりするよね」
そんな声をかけてきたのは近くに座っていた楠陰くんでした。直人くんが倒れているのしか目に入らず気づかなかったのですが、楠陰くんもいつものようにこの場所にいたみたいです。
「い、いたんですね。楠陰くん」
「あはは……僕って空気薄いかな……」
「いえ、その……ごめんなさい直人くんが、心配で……」
意識が直人くんに集中しすぎていたせいで、楠陰くんの存在に気づきませんでした。
「それにしても、楠陰くんをほおっておいて、なんで直人くんはこんなところで寝てるんですかね」
わたしがあきれるようにぼやくと、楠陰くんは「佐伯さんは知らないんだね」と意外そうに呟き、
「ほとんど寝てないくらいテスト勉強頑張ってるみたいだよ」
「へ?」
わたしは楠陰くんの言葉に思わずぽかんと口を開いて驚いてしまいました。
「な、直人くんって、寝てないんですか!?」
様子がおかしいと思ってはいましたが、寝てないとまでは思っていませんでした。
気分が悪そうにしてると思ってはいましたが、寝てなかったからだったんですね……。
「うん、そうらしいよ。そんなに具合悪いんだったら保健室行ってくればって言ったんだけどね。ちょっと寝れば大丈夫だって言ってそこで寝だしたんだ」
「そう……なんですね……」
わたし口をつぐんで直人くんの頭が硬いコンクリートに無造作に頭をおいているのが痛々しくてわたしは直人くんが少しでもゆっくり休めるように、彼の頭をそっと持ち上げてわたしの膝に乗せました。
わたしが頭を持ち上げても直人くんはよほど疲れていたのか起きることはありませんでした。
「あはは……。僕、邪魔ものみたいだから帰るね」
楠陰くんは急いで荷物をまとめると、校舎裏から出て行ってしまいました。
わたしは直人くんを膝枕したまま二人きりになって、スースーと寝息をたてている寝ている直人くんを見つめました。
「……直人くんは馬鹿なんですか」
ボソッと呟くと、涙がにじみ出てきて視界が濁りました。
膝枕して直人くんの顔を眺めていると、寝顔もそんなに顔色がよくなくて疲れているんだろうなってわかります。
わたしは少し前から直人くんが過労死させてしまって後悔する未来についてのリアルな夢を何度も見ていました。
その夢の中の直人くんのお葬式でみた死に顔と今の顔色の悪い直人くんの寝顔が重なってしまって……。
このまま、直人くんが無理を続けたら、直人くんが過労死する夢が正夢になってしまうんじゃないかって思ってしまうんです。
昔から直人くんは一生懸命やると決めると、マラソン大会で倒れてしまうくらい無理して走ったり本気で点数を取ると決めた試験で夜遅くまで頑張ったりと無理しすぎてしまうところがあります。
でも、今回の直人くんはいつも以上に鬼気迫るものを感じていました。
それこそ、過労死してしまうような……。
もしも、直人くんが死んでしまったら、なんて……考えるのも嫌で、直人くんの寝顔を見ているだけで、泣きそうになってしまいます。
絶対にやめさせないといけません。
直人くんにこれ以上無理してもらわないように起きたら怒ってやろうと決めて直人くんの寝顔を眺めながら直人くんが起きるのを待つことにしました。
山岸直人
俺はゆっくりと、まどろみから覚醒して目を開けると、そこにゆいの顔があって少し驚いた。
「……ゆい?」
寝起きでカラカラの喉から声を絞り出すと、ゆいは一安心したかのようにほっとした表情を浮かべた。
「直人くん……! 起きたんですね?」
「あ、ああ」
硬いコンクリートに寝ていたはずなのになぜか枕元が妙に温かく柔らかくて心地がいい。
ゆいの心配そうな顔がすぐにあることから、どうやら膝枕のような姿勢になっているらしい。
「大丈夫……ですか?」
「ああ、言ったろ? 寝不足だから寝ていただけだって」
本当は熱が出ているのではないかと思うくらい体調が悪かったのだが、ひと眠りしたら随分と体調がよくなっているように感じる。
「よかったです」
ゆいはほっと安堵したように微笑み、オレンジ色に染まっているゆいの微笑んでいる顔を眺めた。
「ん?」
そこでふと疑問に思う。
昼休みに寝たはずなのにどうして夕日が差しているのだろう。
「……なあ、今何時くらいだ?」
「多分もうすぐ6時間目が終わるくらいですかね」
「は? はあああ???」
驚き過ぎてつい声を上げて叫んでしまう。
俺は昼休みの間だけ仮眠をとっておくだけのつもりだった。
テスト前の授業はテストのそれなりに重要だと思っているので、もちろん出席するつもりだったのだが、二時間分の授業を丸々飛ばしてしまったらしい。
「な、なんで起こしてくれなかったんだ? それに、お前も授業サボったのかよ」
ゆいは真面目な方で、授業をサボったことなんて見たことがない。
中学の頃は委員長だってやっていた割と真面目なタイプだ。俺を起こしてくれば何の問題もなかったのに、なんでこんなことをしたのだろう。
「だって……」
ゆいは口をつぐむと、怒ったように俺をジトっとした目で睨んでくる。
「楠陰くんから聞いたんですけど、最近ほとんど寝てないって本当ですか?」
何となくだが、あまり寝ていないことをゆいには伝えたくなかった。
だが、楠陰には別に口止めしていたわけではないし、俺が最近まともに眠っていないのは事実なわけだ。伝わってしまったなら仕方ない。
「ああ、そう……だけど」
「なんで!!!!」
諦めて認めると、ゆいはきっと眉間にしわを寄せ、そう叫んだ。
「なんで……そんなことしてるんですか!! 直人くんは馬鹿なんですか!?」
「馬鹿って……」
天塚にはよく馬鹿と罵られている気がするが、ゆいに馬鹿と言われるのは随分と久しぶりな気がして、結構ショックだ。
「仕方ねえだろ……。テストまでやらないといけない範囲が多すぎてだな」
「それでも、徹夜したって頭に入るわけないじゃないですか?」
「効率は悪いかもしれないが……、それでも時間がないから仕方ないだろ」
たしかに睡眠時間を削って勉強すると、効率が落ちるかもしれないが、点数を取るためにやらなければならない範囲が広すぎて、睡眠時間を削らないととても終わりきらないのだ。
「全然、仕方なくなんてないですよ!」
ゆいは声を荒げて悲し気に見つめてきた。
「そんなに無理するくらいだったら……別にテストの点数なんてどうでもいいじゃないですか!」
テストがどうでもいいと言われると、俺がやっていることが全て無駄みたいに感じてしまいちょっともやつく。
それに学生の本分は勉強である。勉強することをそこまで否定される意味が分からない。
「どうでもいいって……ゆいは……なんでそんなに怒ってるんだ?」
「なんでって! だって……! だって…………」
ゆいは言葉を詰まらせると、顔をしかめて急に目が真っ赤になってきて。
そして、涙がぽつりと俺の頬に振ってきた。
彼女は直前まで怒っていた様子だったのにどうして突然泣き出してしまったのか全くわからず、そうしている間にも彼女の涙があふれだしてくる。
「す、すまん。俺、そんなにひどいこと言ったか?」
何をやってしまったかはわからないが、何かやってしまったと思ってとりあえず謝る。
「いえ、その……グス……これは違うんです。これは別に……グス……直人くんがひどいこと言ったとかじゃなくて……」
ゆいは涙ながらに声を詰まらせて、懸命に言葉を紡いでいる。俺が心配そうに見ていると、ゆいは涙を無理やり飲み込むと、俺を真剣な目で見つめてくる。
「直人くん……お願いがあります」
「なんだ? 俺は何をすればいい?」
好きな女の子の涙を見せられると、心苦しくなってなんでも聞こうと、思って訊ねた。
「無理……しないでください」
目を潤ませて、涙をのみながら言った。
「そう言われても……俺は、別に無理なんてしてないぞ?」
俺は10年後のブラック企業時代でこれくらい慣れている。
慣れているから、無理していないはずなのだ。
「寝てないなんて無理してないわけないじゃないですか……。直人くんは……なんでそんなに頑張ってるんですか?」
「それは……俺はゆいに相応しい人間になるために努力するって言っただろ」
俺がただゆいの隣にいていいと認められるようになるために、ただ自分のためだ。
そのためだけに俺は自分を変えるときめたのだ。そのために自分を変えるためにまずは勉強から始めることにしたのだ。
そのために休んでいる暇なんてなくて……。
ここで数時間眠ってしまって無駄にした時間を取り戻さないといけないのだ。
「だからって、これからは……徹夜とか絶対にしちゃだめです……! いくらテスト前だからって徹夜なんてしないで……ちゃんと休んでください」
ゆいが涙で真っ赤にした目で俺を真っすぐに見つめて。
「じゃないと……直人くん死んじゃいます!!」
悲痛を感じさせる声で叫んだ。
「死ぬって……そんな簡単に死ぬわけ……」
ないだろと言いかけて、俺は言葉を止めた。
ちょっと待て。
俺は、10年後の世界で俺が死んだ時もこんな簡単に死ぬわけないと思っていなかったか。
いつものように社畜として死ぬほど働いていつも通り寝たつもりだったのに過労死していたはずだ。
一度、無理して死ぬまで働いて死んだくせに、俺は全く凝りていなかったらしい。
それどころか、社畜時代これぐらい毎日やっていたから大丈夫なのだと言い聞かせていた。
過労死したくせに昔やっていたのだから無理していないと思っていたのか。
いくら頑張ったって、死んだら何の意味もないじゃないか。
例えば、俺が必死に勉強し続けて何とか医者か弁護士になることができたとしよう。
そうなったとしても、きっと俺はこのままいけばいつも徹夜して乗り切っていたのだから大丈夫なのだと言い聞かせて働き続けてしまい、また過労死していたかもしれない。
命あっての物種。
成功できたとしても、死んでしまえば、ゆいと一緒に居ることができなければ……俺にとって何の意味もないのだ。
さすがに二度目の死も死後の世界も天使に助けられるような展開はあり得ないだろう。
「直人くんが、無理して死んじゃったら、わたし……わたし…………」
ゆいがまた声を詰まらせて涙を袖(そで)で拭(ぬぐ)っても、大粒の涙がぽとぽとと雨のように涙が降ってくる。
ゆいにもう泣いてほしくなくて、右手を上に伸ばして彼女の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ」
俺ができるだけ安心させようとして微笑んだのだが、ゆいの涙は止まりそうになかった。
「全然……大丈夫じゃないですよ」
ゆいは涙を止めることはなく必死に首を振って言った。
どうやら俺が別にこれくらいは大丈夫だと強がって言っているのだと勘違いしているらしい。
「いや、そうじゃなくてさ。もう無理はしない。だから大丈夫だ」
「本当……ですか?」
「ああ、本当だ」
俺はそう言って頷いたのだが、俺に信頼はないのかゆいは怪しんだ目で見てくる。信頼されるために俺は理由を話すことにした。
「……それに、これからももしも俺が無理をしそうになったら、またお前が止めてくれるだろ? だからきっと大丈夫だ」
10年以上一緒に居たのだ。俺自身もゆいの様子がおかしければ絶対に気づく自信があるのと同じように、俺の様子がおかしければゆいも気づいてくれるだろう。
「はい……! 止めます! 絶対止めますから、絶対無理しないでくださいね」
「これからは……そうだな。無理しない範囲でできる限り努力するさ」
何度も言うが、ゆいに相応しい人間になるために努力すると誓った。これだけは揺らぎようがない。
けれど、今回の一件で死ぬほど努力すれば良いというわけではないことは分かった。
地道に一歩一歩。無理しない範囲で努力するしかないだろう。
けれど……。
未来の俺は頑張ったけど負け組にしかなれなかった。
地道になんて努力量で、俺は本当に未来を変えることなんてできるのだろうか。
「ねえ、直人くん。わたしは直人くんが努力しないと釣り合わないようなそんなに大した人間じゃないですよ?」
ゆいは俺の名を読んで真剣に見つめると、そんなことを言った。
「はい?」
「頭はそんなにいい方じゃないですし、身長も前から数えた方が早い方です。それに成績だったら直人くんの方がいいじゃないですか」
「そう……だったな……」
たしかに現時点ではゆいはただの高校生だ。
まだ未来の知らないゆいにとっては何もないように思えるかもしれない。
「だから、直人くんは今でも十分わたしに相応しい男の子なんです。なんならわたしの方が直人くんに相応しいのか分からなくなっちゃうくらいです。これ以上素敵な男の子になったらわたしの方が困っちゃいますよ」
「それでも、ゆいには声優の才能があるだろ? 俺には何もないから……努力するしかないんだ」
ゆいは現在も養成所に通っている声優であり、未来では有名声優になれるくらいの才能を持っている。それに比べて俺は何もない。
「わたしの声優の才能って……別に養成所に通っててちょっと褒められたくらいでわたしにも何もないです。
だから、直人くんも焦らないで大丈夫ですよ」
……焦るか……。
「たしかに……焦ってたのかもな……」
言われてみてから気づいたのだが、俺は随分と焦ってしまっていたらしい。
焦っていたから、自分のことを見えなくなって無理を押し殺して必死に勉強に取り組んでいた。
「安心してくださいよ。わたしはずっと一緒にいますから」
俺を安心させようとなのか、ゆいはにこりと笑ってみせた。
「きっと二人でいれば何があっても大丈夫ですよ」
俺がふがいない姿をみせてしまえば、ゆいが離れて行ってしまうのではないかとずっと思っていた。
だから、気が付けば焦ってしまっていたのだ。
けれど、ゆいのその真っすぐな言葉を信じられないほど、人間不信ではなかった。
その言葉で俺は心の底から救われた気分になり、俺はゆいの頬に手を当てると、俺は安心したようにうなずくと自然と笑みがこぼれていた。
「そうだよな。二人でいればきっと大丈夫だよな」
ゆいの言う通りだ。
本来の歴史とは違い、疎遠になるきっかけだった告白イベントを終えても一緒にいることができているのだ。
確実に未来は変わっている。
本来の10年後と最も変わっているところはゆいが俺と一緒に居てくれているということだ。
俺がもしも失敗しそうになっても今回止めてくれたように、ゆいはきっと俺を見て助けてくれるだろう。
ゆいが隣にいてさえくれれば、何が起きてもなんとかなる。
そんな気がして心の底から安堵していた。
10年前に戻ったら再会した幼馴染がぐいぐい来る件について 空田ゆう @sowriter
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