XX
XX-1:十日ほどあと
「まもなく、五番線からキュタウ行き特別寝台列車が発車しまーす。ご利用のお客様は、お早めにお乗りくださーい」
どこか間の抜けたような声の、背の高い車掌がのんびりと、でも慣れた調子で歩いていく。
客でごった返すホームを、私はその車掌の後に着いて進んでいた。人混みの中を歩くのに彼の後ろはちょうどよい。
目的の車両を見つけ、私はポケットから少し前に買った切符を取り出す。
トウカ発キュタウ行特別寝台列車の一等車の切符だ。
車両に乗り込む。人の姿はない。一等車の利用客は少ない。価格のせいでほとんど乗る者がいないのは相変わらず。
この列車の運営は大丈夫なのかしら。なんて余計なお世話を考えつつ、私は切符に書かれた個室のドアを開け――。
「え、どうして?」
個室の扉には鍵がかかっていなかった。人の気配も感じなかった。
しかし中には先客がいた。
「ああ、来たね。遅かったからちょっと心配した」
そこにいたのは、少し変わったデザインの黒いロングコートを着た綺麗な男だ。寝台に腰掛けており、膝には読みかけらしい本が開かれている。
窓には厚いカーテンが引かれ、柔らかな色の照明がつけられている。昼過ぎなのにもう夜のようだった。
少し前の再現のようだと、一瞬混乱する。
だけど今の私は逃亡中の王女じゃない。目の前にいるのも、初対面のはずの青年ではなくよく知る相手。
キタシラカワ伯爵家の次男で、実は精霊で、私と契約を結ぶハルである。
「ここ、私の部屋だと思うんだけど……。あなた、隣でしょ?」
ノアが用意してくれた切符と扉の表示を見比べるけど、間違ってはいない。
「うん。でも道中は一緒に車窓を見ながらお茶しようって言ったじゃないか。だから一足先に待ってたんだ。ノアは食堂車でお茶の準備をしてくれてる。もう少ししたら、ここに持ってきてくれるよ」
「なんだか浮かれてるわ」
「だって君と旅行は初めてだから。コラクに行くのを匿ったときは、旅という感じではなかったし」
「まあね……」
入学試練から十日ほど経って。
新入生はあと数日で学校が始まるという時期。私はコラク公国へ向かおうとしていた。ここはトウカの駅で、この列車はコラク方面に向かうもの。
「似合ってるよ。黒コート」
「……ありがとう」
私も彼と同じ名誉島民候補生の黒いコートを羽織っていた。
これから私はセイレン精霊研究学校生になる。イリナ・アドラーとして。
いろいろ考えたけれど、精霊王と契約した者として、精霊について学ぶために学校に通うことを決断したのだ。
だけどトワ・グレイの存在を死なすわけではない。
やっぱり九年も演じた公爵令嬢は簡単に消すわけにはいかない。だからとりあえず学生生活の間はイリナとしてセイレンに滞在する、ということだけ決めた。
その調整もあって、一時的にコラクに戻るのだ。ユリアの件に関して報告が必要だから、どのみち一度は帰る必要はあった。
学校生活を始めるのは他の生徒達より遅れてになるけれど、事情が事情なので、特例としてセイレン神殿に認めてもらっている。
というか、もし認めたくなくても認めざるをえなかっただろうと思う。
ハルという存在はセイレン神殿にとってはとても大きくて、彼がこうしたいと望むことに、よほどの理由がない限り神殿も否を出せないのだ。
「オーダーメイドで自分に似合うコートが作れるなんて知らなかったわ。お金でデザインに遊びを出せるって、さすが貴族ばっかりの学校ね」
大きな変更は加えられないが、自分の身長や体形に合わせた多少のアレンジは許される。サイズもきっちり合わせたものを頼むことができるのだ。そして今着ているのは、入学試練直後にハルが注文してくれていて、今日受け取ったばかりのもの。
彼のものとはちょっとだけ腰回りなどのデザインが違う。
「他にも何種類か頼んであるんだ。セイレンに戻ったら出来上がっていると思う」
「いつの間に……! 代金はコラクに戻ったら払うから」
「いらないよ。僕があげたいんだから、素直に受け取って」
「でも貰いすぎだわ」
「同じ学校の後輩に対する、先輩からのささやかなプレゼントだよ。これから頑張ってねっていう」
「ささやか……?」
セイレンの彼の屋敷の一室は、私がこれからセイレン精霊研究学校生として過ごすために必要なもの――文具とか本とか服とか鞄とか、その他いろいろがすでに山積みだ。
「本当は、精霊からの貢ぎ物だけどね」
「う……」
そういう言い方をされると、まだいい返し方がわからない。
今のところ、彼の正体を知るのは私とノアの他はセイレン神殿関係者の一握りだけ。キタシラカワ家にも教える予定はないとハルが言うので、それに従っている。
だから私とハルの関係も、公には今回の騒動で知り合い、仲を深めた貴族の令嬢と子息同士だ。コラクに戻ったら、どう説明しよう。ただの友人として通すには距離がどう見ても近い……。
「座ったら?」
彼が腰掛けていた寝台の隣をぽんぽんと叩く。椅子ではなく。
だけど私は特に気にせず、言われるがままにそこに腰を下ろす。持っていた小さな旅行鞄は扉の近くに置いた。残りの荷物――といっても少ないものだけど、それらはノアに任せている。
今回はセイレンで雇っているキタシラカワ家の使用人の女性を一人同行させていて、私の世話は主に彼女がやってくれる。来るときとは違い、いわゆる上流階級らしい旅ができるだろう。落ち着かないので、多少は自分でしてしまうんだけど。
「カーテンを開けるよ。外の景色を見るだろう?」
「暗くしとかなくていいの? 精霊の特性なんでしょう」
「昼よりも夜を好むというだけで、明るいのが苦手とかじゃないんだ」
彼は窓に引かれた分厚いカーテンを開けるのを黙って見守る。あの時とは違い、窓は閉まっていた。
明るい窓の外をぼんやり眺めていたら、心配そうな声をかけられた。
「なにか不安?」
「いえ……ただ、あのときと同じことや違うことを意識しちゃって、ちょっと浸ってしまうみたい」
あのとき、というのが二十日ほど前に彼に匿ってもらった、九年ぶりの再会時のことだとハルもすぐ気付いたようだ。
浮かれていた雰囲気が落ち着いて、改めて私を気遣うように顔を覗き込まれる。
「コラクに帰るの、怖い?」
「怖い……? いえ、そんなことは」
ない、と言いかけて、もしかしたら少し怖いのかと思い直す。
帰ったら、いろんなことに向き合わなきゃいけない。ユリアの死が現実のものとして改めて眼前に突き付けられる。コラクに付き次第、最初にあるのは第二王女の国葬だ。
戻れば、私自身もハルを助けたただのイリナ・アドラーとして振る舞うことはできない。
別に今だって逃げてるつもりはなかったけど、やっぱり周囲の環境のおかげで、少しだけ逃避できていた部分もあったかもしれない。
私のそんな心中をどこまで察しているのか、ハルが思いついたように提案した。
「列車を降りて、セイレンに引き返してもいいよ。それとも……このままどこかに攫ってあげようか」
「え?」
なにかを図るように目を細めて私を見る彼は、どこか油断のならない雰囲気を纏っている。
「君は言ってくれたよね。僕を攫う役目は自分のだって」
「……うん、言った」
「僕だって、君を攫いたい。だって列車で再会したとき、君も僕に頼んだだろう? あのときはセイレンまでってことだったけど、望むならもっと違う場所にも攫っていく。行きつく先は面白おかしい日々かな」
彼がどこまでも本気だとわかるから、私の口角は知らないうちに緩んでしまっていたらしい。
「あれ? 笑うところ?」
「違うの。その……心強くて」
「どうする? 攫ってほしい?」
「今でも十分そうしてくれてる」
ちょっとしんどいと感じるところから、少し気が楽になる場所へ、引き上げてくれるのがうまい。
ハルはきょとんとして首を傾げた。毎度のことながら、あざといのが可愛くて、様になっているのが癪だ。
「コラクにはちゃんと戻るわ。だいたい、戻っていろんなところと調整したり許可をとらないと、セイレンで学生もできないんだから」
「面倒だけど、それが人間社会だから仕方ないね。だけど嫌になったらいつでも言っていいよ。人間社会自体に嫌気がさしたのなら、そこからだって攫ってあげる」
「そ、それはまた大胆な攫い方なんでしょう、ね……」
怖いことを言われた気もするが、今は深く考えないでおこう。
湿っぽいのか甘いのか、よくわからない空気を戻すように、私は冗談ぽく彼に言う。
「九年経ったら、だいぶ頼もしくなったじゃない?」
「君は九年前から頼もしすぎるんだよ。放っておくと一人でなんでもやってしまうし。少しは僕にやれることを残しておいてほしい」
「いうほど何でもできるわけじゃないけど。まあでも私達が二人して本気になれば……」
「なんでもできる?」
言葉を継いで問いかけられる。答えようとすると、その前に汽笛が鳴って列車が動き出した。
「……あなたはどう思う?」
わかっていて問い返せば、彼は活き活きとした顔で微笑んだ。
できて当然だろうと言わんばかりに、腹黒く。
私もまた同じように笑っていたらしいことを知るのは、お茶の準備を整えたノアが個室の扉を開ける、数十秒後の話。
令嬢イリナ・アドラーの逃亡劇 宮崎 @miyazaki_928
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