11-5:攫ってほしいと口にしたら
「だけど、ずっとどんなものだろうって想像してた。ずっと……二人で」
もしユリアが精霊王の予言を受ける立場になかったら。
もし私が、彼女に似ていなかったら。
顔を見られないよう気を遣ったり、引きこもりのフリをして城にこもったり、気を許して話せる相手を極端に制限されたりしない。
似合わないヘアメイクをして、王女の周りの人間関係にアンテナを張り、ときに身代わりとして振る舞うこともない。
もし万が一が起こったとき、苦しむこと死ぬことの覚悟を常にしておく必要がない。
公爵家に養子に入って心構えを説かれたとき、いずれ諦めのつくときが来ると言われたけど来なかった。
すべてが辛い毎日だったわけじゃない。楽しいことだってあった。でも、自分達よりもっと自由に生きる者を目にしてしまうと、どうしても欲してしまうものなのだ。
「こんなこと、話せる相手は他にいなかったから、二人だけでときどき想像していたの。好きに外を出歩けて、面白おかしく毎日を過ごせたらどうなるかって」
年齢が上がるとともにその話をすることは少なくなった。でも、なくなりはしなかった。
「泣かないで」
「泣いてないでしょ」
「でも泣きたそうに見えるよ」
そんな顔をしていた自覚はなかった。
「だって……ユリアも、ここにいられたらよかったのに」
そんなこと無理だってわかっている。
一緒に歩いて来たと思っていた戦友ともいえる相手は、先に遠いところに行ってしまった。
「彼女は私に『面白おかしく生きて』って言ったわ。自分の分まで。遺言であり主人からの最後の命令ね。でもいきなり私一人で放り出されたって、どうすればいいかわからない」
あんなに夢見て期待した解放された人生なのに、いざそうなってしまうとただ喪失感だけがある。
元に戻りたいという気持ちだって湧いてこない。本当にただただ空虚な気持ちで何をすればいいのかわからないのだ。
こんな重大な命令を最後に下して去るなんて恨みそうだ。恨んだところで、彼女は明るく笑い飛ばすだろうけど。
「『
王女の逃亡劇は終わった。個人的な八つ当たりだって、相手にこれ以上なくトドメを刺して終わってしまった。
「僕にとっての君は、今も昔もハル・キタシラカワを助けようとしてくれた『イリナ・アドラー』だ」
こんなタイミングでそんなことを言う彼は、優しいのか酷いのかわからない。
私は今度ははっきりと泣きそうになっていると自覚を持って彼を見る。返されるのが腹黒そうな笑みなのが最高に癪に障るし、同時に彼らしくてとても安心した。
「ねえ。とりあえず僕と一緒に面白おかしく生きてみない?」
「なにそれプロポーズ?」
「契約のお誘いだよ。どうすればいいかわからないなら、僕を理由にするといい」
これ以上なく、彼は真剣だった。
「力のある精霊王が、なんの変哲もない一人の人間のために尽くしてくれるの?」
「精霊というのは、気に入った者のために働きたいものだからね。どうかな」
「……嫌」
「え、この流れでそんなあっさり却下する?」
「私のためにとか、そういうのはいらない」
誰かのためにと意識し続けるのは、結構疲れることだ。
「だけど、もしどうしてもあなたが私と契約したいのなら……言葉の通り、一緒にこの世の面白おかしいことを探してくれる? 尽くすなんてことは考えないで」
「君がいれば僕の世界は退屈でなくなる」
微妙に噛み合ってるんだか、噛み合ってないんだか。
でも、楽しそうなのはわかるし伝わってくる。彼となら……私も自由で楽しい日々とやらを探せるかもしれない。
一緒に過ごしたのは短い時間なのに、そんなふうに思ってしまうほど彼に心を移してしまっている。
これは逃避? それとも――。
「ああでも、一つお願いがある。君が殺したい相手を当てたことだし、聞いてもらえるかな?」
「私にできる範囲なら、検討する」
「気にいった相手に尽くしたいのは僕の性質で楽しみだから、止めないでくれ」
「……検討する」
さすがに度合によっては普通に止める。
なので確約はしなかったけど、彼は「ありがとう」と納得してくれた。意外に甘い。
私は、懐から一枚の封筒を取り出した。
手のひらサイズの夜色の封筒には「ハル・キタシラカワ様」と宛名を書いてある。
何をすればいいかわからない私が、自分のためにとりあえずできたのは、この七通目を書くことだけだ。
「七日目の贈り物を渡せば、君と僕との契約が成立する。僕は窮屈で退屈な毎日から抜け出せるが、君は逆に自由を失うかもしれない」
「まさか、どこかに閉じ込めたりはしないでしょう?」
「うん。君が望まない限りはしない」
答える彼の笑顔があまりに眩しくて怪しかったので、一瞬手を引っ込めそうになった。
気付いた彼が、上がり過ぎた口角をちょっと下げる。
「安心して。本当だよ」
「ほどほどに信じておくわ」
「君からの評価としては、きっと高いほうだよね。それ」
その通り。全面的にすべてを信じるよりも、ほどほどのほうが現実的だ。
そして彼は、信頼できると判断できる相手。だって自分の願望を押し通すタイプに見せておいて、なんだかんだ押し通し切らずにこちらの選択に委ねているのがわかる。
何度も念を押すのは、私に逃げる余地を与えている。逃げても多少は追いかけそうだけど、本気の拒絶を見せれば去って行く気がしていた。
だけど私だって、本当に嫌だったら曖昧な答えで濁してとっくにここから去っている。
私は彼に向き合うと、両手でカードを差し出した。
「受け取ってくれる?」
「いいのかい」
「もちろん」
「……震えてるよ」
私の両手をそっと彼が包み込む。そんな優しさを見せる前に、さっさとカードを抜き取ってくれていい。一周回って意地悪だ。
本当は怖い気持ちも大きい。コラク王家に加護を与えた精霊王のせいで、ユリアは死んだともいえる。そんな経験をしたくせに、目の前にいる精霊王と契約と結ぶなんて正気といえないかもしれない。
だけど……。
「だって誰かが契約しないと、あなたは人間の世界で存在できないって言ってた」
仮契約の相手だった校長はいなくなった。私が今ここで断れば、彼は別の相手を頼るか、もしくは目の前から去っていってしまう。
それはどちらも嫌だった。
どういう感情からなのか、今はまだ説明するのは難しい。だけど、とにかくそれは嫌だと思ってしまったのだ。
「あなたを見守るのは、私の役目だわ。だって頼まれたじゃない? 九年前に」
「頼んだ?」
「攫ってくれって」
ハルは虚を突かれた顔をして、その後思いきり破顔した。
「あはは。あれを本気で叶えてくれるんだ」
「当然よ。あのときのやりとりは、ずっと覚えてたんだからね」
「僕も覚えてたよ。でも攫うってどこから?」
「そうね……退屈な日々から?」
彼が今逃げたいのは、そこからのようだから。どこへどうやって連れていけばいいのかは私もわからない。でも、どうにか試してみるのは悪くない。
言われたハルは、初めて見る顔をしている。嬉しそうなのに戸惑っていて、切なそうで苦しそうな笑い方。
気の利いたことをもう少し言いたくて口を開くけど、うまい言葉が出てこない。
彼もまた何も言わず、ただ私の手から夜色のカードを抜き取り受け取ってくれた。
これで契約は成立だ。
王女の影武者の役を殺したと思ったら、精霊王の契約者という役を手にしてしまった。
これがどんな未来に繋がるのかわからない。
だけど二人とも悪巧みは得意なほうだし、問題が起こっても案外乗り越えられるんじゃないかと思う。ノアもいるし。
もしかしたら面白おかしい日々に繋がっているかもしれない。
ハルがいなかったら、あの列車で出会わなければ、今こういう気持ちにはなれていなかった。
「あ……」
「鏡」の所有者であるユリアが精霊王に尋ねて与えられた予言を、私は最大限活用できたと思う。追手をかく乱し、手紙を破棄し、今こうしてハルの手をとったことで未来への期待が芽生えている。
そして精霊王の言葉は、「鏡」の所有者の幸せに繋がるものが与えられるのだ……。
「イリナ?」
「いえ。なんだかとても……簡単なことを見落としてたって気付いて」
「僕が聞いてもいいこと?」
「今度、ゆっくり話すわ」
今はまだ、言葉にしてしまうと泣いてしまいそうだから。
ふと柔らかな風が吹いた。
一瞬、優しく包み込むようにして吹き抜けていった風は、きっとこれからの私達を励ましてくれた気がした。
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