11-4:イリナ・アドラー
カイゲン伯爵と別れたあと、私達はすぐには広間に戻らなかった。
二人で少し話したいと私から言ったからだ。ハルとは今日中に、どこかで話をしなくてはならない。
神殿の中に詳しいというハルが、ちょうどいい場所があると先導してくれる。離れた場所に待機していたノアが合流してきて、三人で神殿の階段を上がっていった。
「この先は、街を囲う城壁の上に出られるんだ。今の時間なら、誰とも遭遇しないだろう」
あの高い壁の上は、幅の広い通路になっていた。一定間隔で燃えている松明は、精霊の力で一晩中火が消えることがないらしい。
「私はここで人が来ないか見張っておきます」
空気を読んだノアは、そういって扉の向こう側に待機した。余計なことは言わなかったけれど、一瞬私を見た不安そうな目に、できる部下でなく七年の付き合いの彼が現れていた気がする。
『私はまだ十分にトワ様の役には立っていないと思うのですが……』
パーティーの身支度をする際に、ぼそりと彼がこぼしていた。
校長の執務室での会話から、私と精霊であるハルの間に何が起こっているかを察している。このあとどうなるか、読めなくて心配なのだろう。
「昼間来たら、とてもいい眺めでしょうね」
すっかり陽が落ちて、壁の上から見下ろす街の外は真っ暗だ。
「人の住むほうは夜も明るい」
ハルの言う通り、人間の住む壁の中は家の灯りが見えて星空……とまではいかないけど、綺麗だった。
まるでここは、精霊と人間の世界の境目のようだ。
「ハル、今日は七日目でしょ。私――」
「先に答え合わせしてもいいかな?」
遮るように言われた言葉に、すぐにはピンとこなかった。
「最初に約束しただろう? 君が誰を殺したいか当ててみせると。僕はまだ答えを言っていない」
「忘れてた。そういう話もあったわね」
トウカ行き特別寝台列車の彼の部屋に押し入ったときの会話だ。
私はつい「セイレンには人を殺しに行く、と言ったらどうするか」なんて口走ってしまった。
ハルは私の殺したい相手があてられるか勝負をしようといい、冗談だと思った私は賭けにのった。
「当てたらなんでも言うことを聞いてやる、だったよね? 答えを言っていいかな」
「……いいわよ」
あのときの私は、とてもひねくれた気持ちでそれを口にした。どうせ当たらない。
そう思って煽るように彼を見る。
「君が殺したかったのは一人じゃない。まずはコラク公国第二王女ユリア。この逃亡劇の一番の目的だ。君は自分の成功が彼女の死に繋がると考えてたから」
「容赦ないわね」
「でも君にとっては、予想の範囲内の答えだろう?」
「まあね」
だからずばり言われたところで、特に傷ついたりはしない。
「彼女の死について『君が殺した』なんて思う必要はないと僕は思うけど……。まあ、これは僕の見解だ。今ここで議論はやめよう」
「そうしてくれると助かるわ」
彼の言いたいことはわかるけど、私もここで議論したくはない。
少なくとも今は、下手な慰めを長々と聞きたい気分ではなくて、それを理解してくれるのがハルだ。
「次はロベルト・ヴィーク。コラクの第二王女の婚約者に内定しておきながら、彼は遠く離れたセイレン島で勝手に別の女性と恋仲になっていた。だがその事情は暴かれたし、そもそも王女の一件でヴィーク家はかなりの力を失うだろうね。社会的な意味で死ぬと言える。さっきの一件でトドメだ」
「もう少し裏で済ませるつもりだったのよ。あんなに派手な形になったのはロベルトの自業自得」
まさかパーティーで婚約破棄を叫ばれるとは思っていなかった。
結果的に、私の目的は手間をかける間もなく達成された。
ついでにジェニファーや取り巻きも巻き込まれたけど、そこまで気を配る気はない。悪いけど、私はそこまで優しくはない。
「あなたの答えはその二人?」
「いいや?」
即答される。ようやく私は彼に警戒する気持ちが生まれた。
松明の光のせいか、余裕そうな彼が余計に何を考えているかわからない、底の読めない相手に見える。いや実際に読めない。
「君が殺そうとしたのは、あと一人いる。違う?」
「ジェニファー・エーブルは正解じゃないわ」
「だろうね。君が殺そうとした三人目は、トワ・グレイ公爵令嬢だ」
私は真顔になった。
「それは私の名よ。私が自殺するとでも?」
「君が王女の逃亡を成功させることは、すなわち『第二王女の影武者役を殺すこと』に繋がる。そういう意味だよ。違うかな?」
すぐには答えたくなくて、私は唇を噛む。
「第二王女は死んだ。そして今、君の前にはセイレン精霊研究学校生として生きていく道がある。あのカイゲン卿が素性はたしかだと太鼓判を押すくらいだ、戸籍なんかもしっかり用意されているんだろう。君はそうしようと思えば、トワ・グレイを亡き者にし、堂々とイリナ・アドラーでいられるんじゃないかな」
得意げでも、こちらを窺うでもない。
ただいつも通りの調子でそれらを言い切るハルが、ちょっと憎らしい。
でも、この答え合わせを誤魔化すつもりもなかった。
「正解よ」
こちらがこれ以上なく深刻な顔で肯定したというのに、相手は悪気なく正解を喜ぶ顔をする。
そこに一種の人外さを感じつつ、私は彼の答えの補足をした。
「でも最初からそういうつもりで『イリナ・アドラー』の名で書類を用意したわけじゃない。いつか何かのためにと用意しておいた人物の情報を、ちょうどいいから使ったらこうなってしまっただけ」
「それにしては、かなり念の入った来歴のようだけど」
「これは例え話だけど――」
彼になら、語ってみてもいいかもしれない。ちょっとしんどい物語も。
「もしかしたら、グレイ公爵家には王女と顔立ちの似た娘なんていなかったのかもしれないわ。遠い昔に王家と血縁関係のあった商人が公爵家に出入りしていて、その娘が王女に似ていると知って養子にとった――なんてこともあるかもね。物語なら」
「なら策略家の公爵が手配して、いつか何かのためにと、その商人の娘が養子に出されていないように見せておくこともありえるか」
「きっとその養子に取られた子はね、公爵家に引き取られた後すぐに逃げ出すの」
「逃げ出す?」
「そうよ。自分の役目を簡単に受け入れきれずにね。すぐに終わる逃亡劇だと知った上で、逃げ出すの。そして逃げ出したおかげで、誘拐された子供を見つけて助けることができる」
ハルが小さく目を見開く。ようやく彼を驚かせられたようで、私はちょっと溜飲を下げた。
「……私がここに来た一番の目的は、王女が目的を達するまで追手をかく乱すること。それは本当よ」
「もちろん、わかってる」
「王女の手紙を取り返して破棄したかったのも、王女を裏切った相手を悩ませてやろうとしたことも本当。私の人生を運命づけてしまった王女のことを、好きだったことも本当なの」
ハルの言った、私が殺したかった三番目の人物のことは、優先順位からいったら一番下にあったのだ。
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