第60話 勝手な人間たち

 当たり前の星空が、こんなにきれいだと思ったことはなかった。

 いま、込み上げる安堵の微笑みが、こんなに心地よいモノとは思ったことが無かった。

 頬を伝わる涙が、こんなに温かいものだと思ったことが無かった。

 自分たちは生きている。

 そして、これからも生き続けることができる。

 その様子を見る四人の目からは、涙が自然にこぼれ落ちていた。


 四人は確信した。

 魔王との戦いはついに終結したのだと。

 そして、あの恐怖の黒い大樹が消えた今、おそらく勝利はマーカスのものであると。

 そう、きっと、マーカスが魔王を打ち破ったに違いないと確信した。


 だが、遠く離れた自分たちに、あそこまでの畏怖、恐怖を植え付ける魔王である。

 勝利を掴んだとはいえ、マーカスは無事なのであろうか。

 不安になるアリエーヌたちを気遣うのか、朱雀たちがそっと寄り添った。

 頬を近づけるアリエーヌと朱雀。

「お前のご主人様は、きっと大丈夫じゃ……大丈夫……」

 震えるアリエーヌの声。

 まるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「ワラワが愛したマーカスじゃ……きっと、生きて帰ってくる……きっと」


 早く! 救援隊を向かわせなければ!

 勝利を掴んだとはいえ、マーカスもまたただでは済んでいないだろう。

 ならば、一刻でも早く。

 アリエーヌたちは、夜更けの街に向かって走り出そうとした。

 だが、その体はパンツのみ。

 咄嗟に、朱雀たちの体が光になると、四人の体を包み込んだ。

 魔獣のコスチュームが再びアリエーヌたちを包み込んでいた。


 もう少しで夜明けと言うのに、キサラ王国の街の通りには人が多く立っていた。

 それは、仕方ない。

 先ほどまで空を覆っていた黒い大木が、人々の本能に恐怖を目覚めさせたのだ。

 眠りについたものは、その恐怖で飛び起き窓を開けた。

 恋人と愛を語らっていたものは、その畏怖で咄嗟に言葉を閉じる。

 愛人と変態プレーを楽しんでいたものは、その殺気で相手を突き飛ばす。

 誰しもが、その空から降り注ぐ得体のしれないものを見上げていたのだ。

 だがしかし、その恐怖もすぐに消えた。

 ホッとした街の人々は互いに顔を見あわえて、今のは一体何だったのか? いやきっと魔王の力に違いないなどと噂をしていたのだ。

 ぽつぽつと降り出すやさしい雨。

 そろそろ、家に戻って休もうかと思った矢先であった。

 街の城門から飛び込む叫び声。

 四人の女の子の声が、街の中を駆け抜けていく。


 その姿を唖然と見送る街の住人達。

 それは、キサラ王国第七王女【アリエーヌ=ヘンダーゾン】さま

 それに続くのは、三大貴族の子女たち三人。

 たしか、アリエーヌさまは、魔王討伐に向かわれていたはず……それが、なぜ今叫んでいるのだ?


 アリエーヌたちは叫ぶ!

「早く救援隊を! 魔王を打倒したマーカスを助けに行ってくれなのじゃ!」

 四人の泣き叫ぶ声は、街を通り抜け王宮へと疾走する。

 その後には、しばらくして大きな歓声が沸き起こる。

 遂に、魔王をやっつけたぞ!

 これで、隠れて生きる必要もない!

 モンスターどももいなくなるに違いない!

 人類の勝利だ!

【チョコットクルクルクルセイダーズ】! 万歳!

【アリエーヌ=ヘンダーゾン】様! 万歳!


 そんな勝利を祝福するかのように、朝日が遠くの地平線に顔を出す。

 街が徐々に色づき出したころには、先ほどまで降っていた雨もやんでいた。

 まだ、街の通りは騒がしい。

 魔王討伐の一報を聞いた国民たちの興奮が冷めていなかった。

 だが、そんな人波をあわただしい馬の蹄が引き裂いていく。

 無数の蹄の音、50、いや、100騎はいるだろう。

 その先頭には、魔獣のコスチュームをまとうアリエーヌたち4人。

 その後を、王国の近衛騎士100騎が追従する。

 街の住人たちの目の前を怒涛の勢いで走り去っていく騎馬隊は、すでに草原の彼方へと消えていた。


 焼けこげた匂いも、血の臭いも、先ほどの雨が洗い流してくれたのだろうか。

 その雨も夜も明け始めたころには、すっかりやんでいた。

 ゆっくりと伸びてくる朝日が、焼けこげた黒い木の影を長く描いていた。

 明るくなっていく世界。

 そこは、何もない荒野のように、命の存在を感じられなかった。

 ただ、何もない寒々しい風景

 明け方に降った雨のせいなのだろうか、気温が少々さがり、さらに肌寒く感じられた。

 雨の中、泣きはらしたスギコは、今や、ぼーっと座っていた。

 共に泣いていたアキコもまた、座っていた。

 だが、いつまでもこうしていても仕方がない。

 アキコは立ち上がると、そっとスギコの手を引いた。


 アキコはスギコの肩を抱き、家路についた。

 その家は、ユウヤとの思い出の家、ヒイロと笑顔で生活した家である。

 だが、そこしか帰るところがないのである。

 そんな温かな思い出も、今のスギコにとっては残酷な思い出である。

 だが、今は少し体を休めよう……このままでは、スギコもまた……

 アキコの頬に涙がつたう。


 歩き続ける二人。

 周りの木々も緑をつけだしていた。

 道は雨のせいか、まだぬかるんでいる。

 力はいらないスギコを支えるアキコの歩みは遅い。

 すでに日は、高く昼頃になっていた。

 徐々に上がりだす気温。

 スギコと密着する肌に汗がにじむ。

 そんな時だった。

 はるか前方より、けたたましい馬の蹄の音がかすかに響く。

 その音は、徐々に大きくなり、その数を増やしてきた。

 瞬く間に近づいた騎馬の群れ。

 アキコ達に目もくれず、一目散に駆け抜けていく。

 その激しさ、馬の脚が駆けるたびに、ぬかるんだ泥をはね上げる。

 馬たちが走り抜けた後には、泥だらけになったアキコとスギコの姿があった。

 アキコは、走り去る騎馬隊をにらむ。

「クソ! 人間どもはなんにも変わっちゃいないんだ……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る