第59話 何もできない自分
スギコの目の前が、元の真っ暗な空間に戻っていった。
何の音もしない。
ただただ、焼けこげた匂いと血が放つ鉄の臭いだけが漂っていた。
スギコは、必死で這う。
ずるずると泥にまみれた体を引きずりながら、ヒイロがいた場所へと這いずる。
どれぐらい時間がかかったのだろうか。
スギコは、やっとヒイロがいた場所へとたどり着いた。
だが、そこには何もない。
ただ丸くえぐれた地面があるだけだった。
うつぶせるスギコの体が腕を伸ばして、その土を掴む……
指の間から、ボトボトと落ちていく土の粒。
その瞬間、スギコは泣き叫んだ。
もはや、何を言っているのか分からぬ言葉……
スギコの目から堰を切ったかのように、涙がこぼれる。
分かっていた。
分かっていたのだ。
自分の息子が、目の前で光となって消えたのを見ていたのだから……
だが、それは夢かも知れない。
それは幻かも知れない。
しかし、このえぐれた地面。
その中心に穿たれた足跡。
それは紛れもなく愛息子の足の形なのだ。
否が応でも、あれが現実なのだと突き付けられる。
目の前で消えていく息子を見ながら、何もできなかった自分。
あれほど、守ると決めていたのに、守り切れなかった。
愛するユウヤから託された想い。
それを自分は、守ることができなかった。
私は、やっぱり何もできない女だ……
ユウヤさんも守れない……ヒイロも守れない……何も守れないんだ……
そんな地面をぼーっと見つめながらスギコは座っていた。
何もするわけでもなく、ただ座っていた。
いつ振り出したのか分からぬ雨が、スギコを濡らしていた。
髪を伝って落ちる水滴が、うつむく視線の先へと落ちていく
そんなスギコの肩に手拭いが置かれた。
「スギコ……風邪ひくよ……」
スギコの肩を抱くようにアキコが膝をついていた。
だが、何も言わないアキコは、スギコの頭をグッと抱き寄せると、自分の胸に強く抱いた。
漏れ落ちるスギコの嗚咽。
「ヒイロが……ヒイロが……ヒイロが……」
アキコは、やさしくスギコの肩を叩く。
途端、スギコはアキ子の胸に顔をうずめて、大声を上げた。
アキコもまた、静かに涙を流し、スギコの背を叩き続けていた。
時は少しさかのぼる。
朱雀の背負われるアリエーヌは、夜の冷たい風に銀髪をたなびかせていた。
朱雀の羽毛を掴む手に力が入る。
ワラワは無力だ……
いまだに魔王とマーカスが激闘を繰り広げる轟音が、はるか遠くにこだまする。
しかし、その音と光がどんどんと小さくなっていく。
それは、マーカスとの距離が離れていることでもあった。
マーカスと離れることがこんなにも心細いとは……
今更ながら自分の心の鈍感さに失笑を禁じ得ない。
だがもう、その音と光は、はるか遠く。
こんなに遠くに来ていたのか……ワラワたちは……
誰しも当初は、姫様のままごと冒険と噂した。
2、3日もすれば飽きて帰ってくるだろうとたかをくくっていた。
だが、今や日は過ぎ、旅立ってから半年を超えていた。
その間にいろいろな危険があった。
大型のモンスターに襲われそうになったり。
毒の池にはまったり。
汚れた体を洗いたいと、風呂をねだったり。
3時のおやつにはケーキが欲しいと言ってみたり。
その都度、マーカスが何とかしてくれた。
アリエーヌは思う。
マーカスがおったから、なんとかあそこまで行きつくことができたのじゃ……
だが、その最後の始末もまた、マーカスが背負う。
本当に、ワラワたちは、無力じゃ……
キサラ王国の近くの草原で、朱雀は地面に降りた。
魔獣が、王国内に舞い降りれば、それこそ騒動の元である。
人目のない草原で、まずはアリエーヌを降ろしたのである。
そして、その場所を示し合わせていたのかのように、遅れて白虎や青龍、玄武も集まった。
四匹の魔獣に囲まれて4人の女の子たちは肩を抱き合って、互いの無事を確かめた。
だが、すでにそれまでの戦闘で四人の服はボロボロ。
パンツ一丁で胸をさらけ出している状態。
だが今は、その裸体をいやらしく凝視するマーカスはいない。
パンツにテントを張って、仁王立ちするマーカスはいない。
マーカスは今、たった一人で魔王と戦っているのだ。
自分たちを逃がすための時間を作るために。
ここに無事立っていられるのは、そんなマーカスのおかげなのである。
魔王がいたはるか向こうを仰ぎ見る四人。
その瞬間、夜空に黒い大木が大きく成長した。
漆黒の闇が夜空の中にみるみると大きく広がっていく。
それは、見る四人を畏怖させる。
世界の終末が始まったと本能が直感した。
これから襲ってくるだろう死の恐怖が、否が応でも体を襲う。
四人の体はガタガタと震え、ついには立つこともできずに膝をつく。
今更ながら後悔が渦巻く。
自分たちは、なんと恐ろしいものと戦っていたのだろうか……
どうしようもない恐怖が四人を襲っていた。
しかし、次の瞬間、世界を覆いつくさんと成長していた黒い木が、急速にしぼみだした。
天空に夜空に星の瞬きが戻っていく。
そして、はるか遠くの暗い空間に一筋の光を打ち立てたかと思うと、スッと糸を引くようにして消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます