みんなそうだから
数日後、俺は豊平川沿いのラブホテルの一室にいた。うらぶれた雰囲気のない、広くて清潔感のある部屋だった。夏は窓から花火大会を観られるだろう。
ドアの開く音がした。
ふたりの人間が入ってきた。
ひとりは細身のスーツを着た三十代半ばの男。ツーブロックのいかつい七三分けだし、靴先が尖っているし、千秋と違ってどう見ても堅気ではなかった。
もうひとりはオーバーサイズのパーカーを着た二十歳過ぎの男の子。片手で隠せそうな小さい顔に、傷や痣はなかった。殴らせるのは首から下なのだろう。マッチングアプリの中ではヒスイと名乗っている。
ヒスイは俺を見て身をこわばらせた。
「待って、三人で? そういうのは最初にちゃんと言ってよ」
隣のいかつい男に訴えるが、男は無視して、俺に言った。
「確認しといたよ。大きなバックはいないねえ。ただのガキのグループだから、締め上げても大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
俺は
「この程度の手間じゃ、あの相談料はもらいすぎだねえ。返さないけど」
ハッハッハと真木さんは笑った。俺もハッハッハと笑った。内心、緊張していた。こういう怖い人のジョークにはどう反応していいか困る。下手に軽口をかぶせたら墓穴を掘る。
ヒスイは部屋の内線電話に飛びつこうとしたが、真木さんに首根っこをつかまれて床に引きずり倒された。
「リーダーを呼びなよ。ヤバいのを引っかけちゃった、助けに来てって」
ヒスイは真木さんを怯えた目で見上げた。真木さんは楽しそうに笑っている。
三十分後にやって来たのは、丸眼鏡をかけて生成りのシャツを着た二十代前半の痩せた男で、荒事を取り仕切るタイプには見えなかった。目に宿る暗い光を除けば。
「
真木さんはリーダーに差し出させた免許証をスマホで撮っている。
「そちらに迷惑はかけてないはずですけど」
ふでぶてしく言い放ったのは立派だったが、貫禄が違った。
真木さんは大前を見つめた。ニコニコしているのが怖かった。
「僕が迷惑に思っているかどうかは僕が決めることだよねえ。お前、なに勘違いしてんの?」
傍で聞いているだけの俺ですらゾッとした。もちろんヒスイも大前も顔色を失っていた。
ヒスイが涙目で大前を見た。「ごめん、あの、僕」
「うるせえ、黙ってろ」
大前は冷たく遮った。うつむいたヒスイは、俺や真木さんより、大前を恐れているように見えた。
「大前くん、この黒縁眼鏡の人のお願いをよく聞いてね。さあどうぞ、滝口くん」
真木さんが俺の名前を言った。わざとだな、と思った。仕方がない。
たきぐち、と大前の唇が動いた。
「お前かよ、正義の味方を気取ってるやつって」
大前は凄む相手を俺に変えた。真木さんが「有名なんだねえ、きみ」と感心したように言った。
「正義の味方じゃない。脅迫をやめて動画を消してくれれば、それでいい」
「あんた、あのリーマンの彼氏?」
大前はせせら笑った。
「ちゃんと相手してやらねえからこういうことになるんだよ」
「友だちだ」と、俺は言った。
「あっそ。知らねえけど。ま、あんたも友だちをもっと選んだ方がいいんじゃねえの。男を殴らないとやれないような変態、
最後まで言わせず、俺は大前の顔面に拳を突き込んだ。
丸眼鏡が飛んだ。痩せた身体も飛んだ。
不眠症を解消するために、俺はいろいろなことを試した。空手もそのひとつだった。身体をいじめぬけば眠れるんじゃないかと期待したのだ。本来の目的は果たせなかったが、特技がひとつ増えた。
顔を押さえてうずくまる大前に、俺は摺り足で迫った。
ローキックを飛ばそうとして、止めた。ヒスイが覆い被さるようにして大前をかばったからだ。
「やめて!」
叫び声がホテルの部屋いっぱいに響いた。「殴らないで!」
俺はヒスイの必死の形相を見下ろした。それはただ、グループのリーダーを守っている顔ではなかった。自分に恐喝の片棒を担がせている大前が、この男の子にとっては大切な存在であるらしかった。
大前にとってヒスイがどういう存在なのかは、わからない。ただの駒なのか。あるいは。それ以上、俺は考えるのをやめた。
「これ以上、滝口くんを怒らせないほうがいいんじゃないかねえ」
真木さんがしゃがみこんで、大前たちと同じ目の高さになった。
「ひとり、客を忘れるだけだ。むしるなら他のやつにしろって言ってるだけ。簡単なお願いだと思うけどねえ、僕は」
*
「タッキー、ありがとう」
千秋が差し出した手を、俺は握った。千秋は強く握り返してきた。
いつもの「アウル」の奥の席で、揉めごとの解決を報告したのだった。
もちろん動画なんていくら消させても、どこかに複製を残している可能性はある。あとは大前たちが、真木さんの属する大人の
「千秋」
と、俺は友だちの名前を呼んだ。
「きついな。なかなか巡り会えない相手も、信じられるかどうかわからないのは」
「でもそれは、みんなそうだから」
そう言って、千秋は淡く笑った。きれいな笑顔だった。
鼻の奥が熱くなって、俺はあごに力を篭めた。こういう友だちなのだ。みんなそうだから、と言うやつなのだ。
あの夏、俺が、千秋に応えられる人間だったらよかったのに。
そう思って、すぐに頭から追い払った。決して口にしてはいけない言葉だった。俺だけが気分のよくなる、最低の言葉だった。
千秋が帰ってから、俺はしばらく、ぼんやりしていた。
おもむろに、口が開いた。涙がにじんだ。酸素が肺に入ってきた。
俺はあくびをしたのだった。
「眠れそうかい?」
マスターがカウンターの内側から訊いてきた。
現在の俺が唯一、眠りのしっぽを捕まえられるのは、こうやって人助けをした後なのだった。だから、仕事じゃない。自分のためにやっていることだった。
千秋も今夜はよく眠れるといいと、俺は思った。
「帰ります」
俺は腰を上げた。
よいこのよふかし 秋永真琴 @makoto_akinaga
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