第1話
本文内の(N)はナレーション&ひとり語り、(M)はその場の状況説明です
【キャラ設定】
シエル
バッカス家の主人。山中(さんちゅう)の豪邸に住み、アンティークやジュエリー等の商品を扱う。
アリシア
ジュエリーとワインの目利き。勘が鋭く、先読みができる。デュエルと双子。
デュエル
アンティークと新鮮な食材の目利き。家事が得意で世話好き。アリシアと双子。
カイン
ワイン農家を営み、毎年、町にワインを卸(おろし)に行く。妻はマリー。一緒にワイン造りをおこなっている。妻のマリーを心から愛している。
マリー
カインの妻。子供の頃からワイン造りに関わり、カインと一緒にワイン造りをしている。身体が弱く、体調を崩しやすい。カインを愛している。
【本編】
シエル
(N)『私の名は、シエル・バッカス。双子の娘 アリシアと、息子のデュエルと共に山中(さんちゅう)で暮している。成人したふたりは、私の仕事の手伝いをする。アンティークやジュエリー、絵画等を取り扱うのが仕事だ。アリシアとデュエルは、子供の頃から本物を見続けてきているからか、20歳にしてふたりは商品の目利きが良い。そんな私たち一家(いっか)は、世界的にも名の通った貴族だ。まそして、なぜかこの邸(やしき)には、ときどきかわった客迷い込んでくる…そう。今日も…』
-雨が強くなる
カイン
(N)『自家製ワインの配達中、突然天候が変わり、豪雨の中を馬車が走っていく。馬車の中には、妻のマリーを乗せ、大粒の雨に容赦なく打たれている。体が冷える。マリーも、限界そうだ…』
マリー
「…はぁ…はぁ……」
カイン
「マリー。大丈夫か?」
マリー
「カイン…寒いわ。冷えて、指先の感覚が…ないの」
カイン
「くそっ。目的地の半分も走ってない。何かいい方法が…あぁ、寝たらダメだ、マリー!」
マリー
「あ…えぇ…雨、やみそうもないわね…」
カイン
「そうだな…何かいい方法は…ないのか……」
マリー
「この先に、あの有名なシエル様のお邸(やしき)があったはず…。天気も酷くなるばかりだし、事情をお話して、助けていただきましょう…」
カイン
「あぁ、そうだな。シエル様なら、助けてくださる。道もだいぶぬかるんできた。頼むよー、私の可愛いお馬さんたち。しばらくの辛抱だ。もうすぐお邸(やしき)に着く。マリー、がんばってくれよ」
マリー
「えぇ。それにしても、今日はなぜこんなに冷たい雨が降るのかしら…木々がざわめいてる…。寒い…」
アリシア
(N)『時(とき)は少し遡り(さかのぼり)』
アリシア
「お父様。今日はこれから天気が悪くなりそうよ。鳥たちが騒いでる。その嵐のせいで、お客様もいらっしゃいそうだわ」
シエル
「そうか」
デュエル
「へぇ〜。どんなヤツが来るんだ?明日の赤き月の夜まで、邸(やしき)にいるのかなぁ。おっと、こうしちゃいられない。そのお客が来る前に、こっちも嵐の準備だ。馬を馬房(ばぼう)に連れていかなきゃ。よし。ちょっと行ってくる」
シエル
「ああ。頼む。アリシア、客は何人(なんにん)だ?」
アリシア
「えっと…(瞳を閉じて念じるアリシア)…ふたりみたい。夫妻(ふさい)かしら…何かの配達で馬車に乗っているみたい」
シエル
「そうか。明日の赤き月…夜まで、足止めできそうか?」
アリシア
「山道(さんどう)が雨でぬかるんでいるから、明日の昼間に出発することは難しいと思うけど…」
デュエル
「ふぃ〜。そろそろ雨が降り始めたよ。まだポツポツだけど。ロディもジャックも、大人しく馬房(ばぼう)に入ってくれて、助かったよ。ただ、ジャックは臆病だから、ちょっと不安になってたみたいだけど」
シエル
「しかし、その夫婦(ふさい)が来るという所までアリシアに見えたのなら、もうこの邸(やしき)に近づいているのだろう」
デュエル
「え、もう着きそうなの?やば。準備しなきゃ。天気が悪いし、その人たち、ずぶ濡れになってないかな。冷えてたら、マズイ(不味い)からな。ボクは大丈夫だけど、父上とアリシアはそうもいかない」
アリシア
「そうね。ふたり分の着替えとシャワーの準備をしなくちゃ。体調を崩されたら、元も子もない」
シエル
「客が来たら部屋まで呼びに来てくれ。邸(やしき)の主人が1番に出迎えというのは、みっともない。頼むぞ、アリシア、デュエル」
アリシア
「はい。赤き月の夜まで帰さないおもてなし、用意します。デュエル、スイーツを作るのに、キッチンを借りてもいいかしら?」
デュエル
「もちろん!ボクにもおすそ分け、よろしく!」
シエル
(N)『…だいぶ天気が悪くなってきたようだ。風も強い。足場も悪く、ぬかるんでいることだろう』
シエル
(M)『カイン夫妻(ふさい)が邸(やしき)に到着する頃、すでに夕暮れを迎え、山中(さんちゅう)は暗くなり始めていた。ここまでひどい天気であれば、夫妻(ふさい)はずぶ濡れでえることは明確。アリシアもデュエルも、出迎えの準備を整えていた』
カインとマリーがバッカス家に到着。カインが扉をノックした。アリシアが出迎える。
-コンコンコン(ノック音)
アリシア
「はい。このような天気の中、どうされました?」
カイン
「お嬢様、突然の訪問をお許しください。仕事でワインを配達しているのですが、途中でこの嵐に合いました。妻のマリーが馬車に残り、寒さに震えています。どうか、お邸(やしき)に入れてくださいませんか?」
アリシア
「それは大変ですわ。さあ、奥様もお邸(やしき)にご案内いたします。この雨ですから、お体も冷えたことでしょう。温かいシャワーで体を癒してください。ちょうど、お食事の用意もできる頃ですわ」
カイン
「ありがとうございます。それでは、馬車はどこに置いておけばよろしいですか?」
アリシア
「空いている馬房(ばぼう)がありますから、愛馬たちも温かい場所で休ませてあげましょう」
カイン
「恐れ入ります。それでは、馬車をこちらに動かします。妻も呼んできますので、よろしくお願いします」
アリシア
「どうぞ、お気になさらず。シャワーを浴びたら食事をいただきましょう。お腹がすいたでしょう。温かいスープは、うちの料理自慢、デュエルの自信の逸品です。私は、お迎えのスイーツをご用意しています。今夜は、自分の邸(やしき)だと思っておくつろぎください」
カイン
「ありがとうございます」
マリー
「失礼いたします…」
アリシア 「では、奥様はこちらでシャワーをどうぞ。ゆっくり体を温めてください」
カイン
「何から何まで、ありがとうございます。それにしても、大きなお邸に、素敵な調度品の数々。さすが、バッカス家…」
アリシア
「お気に召す商品がありましたら、お買い上げも承りますわ。アンティークやジュエリー、奥様にお似合いな物がありそうですね」
カイン
「いえいえ、とんでもない。私の家は、小さなワイン農場。妻のマリーとふたりで切り盛りしてます。贅沢はできません…」
アリシア
「そうですか…。それで馬車でワインを運んでいらっしゃったのですね。もし、差し支えがないようでしたら、ワインを1本、売っていただけますか?」
カイン
「私たちの作ったワインでよければ、差し上げます。美味しいポートワインですよ。ブルーチーズもありますし、どうぞ召し上がってください」
アリシア
「ありがとうございます。じゃあ、そろそろシャワーですね。ゆっくり温まってください。また、のちほど」
カイン
「ありがとうございます」
シエル
(M)『マリーがシャワーからあがる。カインは、シャワーの前に、馬車に積んであったワインを1本持って、戻ってきた。交代でカインがシャワーへ』
アリシア
「温まりましたか?マリーさん」
マリー
「あ、はい。ありがとうございます。先ほど、カインからワインを1本 ご所望と聞きました。馬車に積んでいるワインを取ってきてくれました。こちら、どうぞお召し上がりください」
アリシア
「まぁ。ありがとうございます」
デュエル
「おーい、アリシア。食事の支度、終わってるぞー。父上にも、ふたりを紹介しなくちゃな」
アリシア
「そうね。チーズによく合うワインをいただいたわ。今日の食卓でいただきましょう」
デュエル
「いいねぇ〜。じゃあ、カインさんがシャワーから戻ったら、父上に挨拶だな。おっと。うひゃ〜。雨の打ち付ける音が大きくなってきた。やべ〜」
マリー
「明日には晴れますかね…」
デュエル
「雨が止んでも、道は泥だらけだと思うぞ。馬の足並みが、そろわないんじゃないか?2頭引きだろ?」
マリー
「そうですね…」
カイン
「ふ〜。いいお湯だった〜。ん?何の話ですか?」
マリー
「明日の出発の話よ。天気が回復しても、泥のぬかるみで馬の足に負担がかかりそうなの」
カイン「あ、そっか…どうしよう」
デュエル
「とりあえず、父上を呼んでこなきゃ。さあ、食事を運びますよ」
アリシア「そうね。さぁ、おふたりとも、食堂へ行きましょう」
デュエル「食前酒(しょくぜんしゅ)は、ふたりから貰ったワインだな」
-アリシアがシエルを呼び、5人で食卓を囲む。
アリシア
「お父様。こちらのおふたり、お仕事で配達の途中なんですけれど、この悪天候で前に進めないんですって。カインさん、マリーさん、こちらが私たちのお父様、シエルです」
カイン
「カインです。お会いできて光栄です、シエル様。この度は、お世話になります」
マリー
「私はマリーと申します。突然のご訪問、申し訳ありませんでした」
シエル
「いやいや。こちらこそよろしく。それにしても、嵐が本番になる前に、邸に到着できて本当に良かった。ふたりの寝室はすでにセットしてある。食事を終えたら、疲れた体を休めるがいい。配達の仕事も大切だが、何よりも大切なのは、命だからな」
カイン
「そうですね」
デュエル
「さぁ、食べて食べて!今日のスープも自信作だよ!カインさんとマリーさんはこちらのお皿。父上は、極上のワイン。アリシアは、いつもの特製ソースをかけた逸品だ。おふたりの作ったワインをいただきながら、乾杯!」
カイン
「ありがとうございます。いただきます」
マリー
「いただきます」
カイン
「ん…(もぐもぐ)。おぉ。初めて食べる肉だ。これは美味い!特に、空腹の胃が満たされる!」
マリー
「ふふっ。カインったら。そんなに急いで食べなくても、誰も取り上げませんよ?」
カイン
「わかってるよ。これは、私たちのワインの味にあわせてくださったんですか?」
デュエル
「ん〜…それは、企業秘密で!」
シエル
「それにしても、カイン夫妻の造られたこのワインはとても美味い。これは、来年から邸(やしき)にも卸(おろ)して欲しいくらいのワインだ」
カイン
「本当ですか!? そのお言葉だけで、これまで頑張ってきた甲斐があります。シエル様には、ヴィンテージもお届けしますよ!」
シエル
「それはありがたい。この赤き輝きは、私の気持ちを穏やかにする。素晴らしい煌めき(きらめき)だ」
シエル
(M)『カインおマリーは、ふたりきりでワイナリーを持ち、丁寧なワイン造りで彼のファンも多いらしい。町にワインを卸(おろし)に行くとすぐ売れてしまうそうだ』
カイン
「いや〜、本当に助かりました、シエル様。こんな嵐、ここ何年もなかった。こんなんじゃ、商売あがったりですよ。でも、そのお陰で、私たちのワインをシエル様に飲んでいただけた。光栄です。アリシア様とデュエル様も、お酒は嗜(たしな)むんですか?」
デュエル
「ボクは飲みますよ。アリシアと一緒に、20歳の誕生日にワインを開けました。その時にチーズも食べたんですけど、料理って面白いですよね。同じ材料を使っても、同じ味にするには、腕がいる。うちは使用人も執事もいないんで、ボクがやっているんですよ」
アリシア
「私も、ワインは好きよ。ワインって言葉でひとくくりにされてるけど、味も香りもまったく違うんですもの。さぁ、デュエルのお食事、いかがですか?」
マリー
「お野菜がとても美味しいですわ。そして、なんてコクのあるスープ。お肉も、柔らかくて美味しいわ。レシピを教えていただきたいくらい」
デュエル
「もちろん、いいですよ。ただ、野菜はともかく、この味にするには、肉を手に入れるのが難しいんですけどね」
マリー
「そうですか…残念ですわ」
デュエル
「いい物をつくるには、材料もいい物が選ばれてしまいますらね。まぁ、なんだかんだ言っても、ボクはジャンクフードも食べますけどね」
アリシア
「私は、新鮮なモノが良いわ。飛び切りレアな物だから、選ぶ時は厳選しているの。たぶん、好き嫌いが別れる食材かもしれないわ」
マリー
「あら、何でしょう。気になりますわ」
アリシア
「簡単に言えば…ハートよ」
マリー
「ハート?」
アリシア
「わからない方がいいわ。マリーさんが、びっくりしてしまいそうだから」
シエル
「私たちは、好きな食べ物が3人とも違うのだよ。単純な事だ。ご夫婦(ふさい)は、同じ食べ物が合いそうだがね」
カイン
「そうですね。私たちは、好きな物はだいたい同じです」
アリシア
「それにしても、この嵐で、カインさんもマリーさんもお疲れでしょう。ゲストルームはクイーンですけど、大丈夫よね。お風邪などにお気をつけて」
カイン
「そうですね。ありがとうございます。あとは、天気の回復を祈るのみですね」
シエル
「ワインの配達は急いでいるのか?」
カイン
「納品日は融通(ゆうずう)がきくんですけど、やっぱりここは商売人として、早くお客様にお届けしたいですね」
シエル
「なるほど。それは素晴らしい。しかし、もし明日も道の状態が悪いようだったら、明日も泊まっていかれるがいい。最近、私は町に出ていないからそんな話もしたい。特に、明日の夜は、私が心待ちにしている日なんだ」
カイン
「何かいい事があるんですか?」
シエル
「いいこと…そうだな。明日の天候次第だ。おふたりも、悪路(あくろ)を無理して進むと、大変なことになる。馬の足元はなかなか見づらいからな。無理はせず、天気の回復を待つといい」
カイン
「シエル様は、乗馬をなされるんですか?」
シエル
「あぁ。私の愛馬はロディと言う名だ。賢くて、なかなかの名馬だよ。自慢の牝馬(ひんば)だ。とても綺麗な芦毛(あし)何だ」
シエル
(M)『突然の雷雨に、馬房(ばぼう)にいた馬が驚いて脱走。異常に気づいたデュエルが慌てて外へ出ていこうとする』
シエル
「デュエル、無理はするんじゃないぞ」
デュエル
「わかってる!真っ暗だから、あの神木(しんぼく)まで走っていったと思う!」
シエル
「そうか。あの神木なら大丈夫だな。とにかく、深追いはするな。明るくなってからでも探すのは構わない」
デュエル
「わかった!とりあえず、行ってくる!」
アリシア
「私は馬房(ばぼう)に行って、他の子たちを落ち着かせてくるわ」
カイン
「…こんな嵐、明日には出発ができるのか…なんて言ってる場合じゃないな…」
マリー
「あなた…。明日が赤き月の日なことに関係があるのかしら…」
カイン
「関係ないだろう。偶然だ」
シエル
「…赤き月の日…」
マリー
「…不躾な発言、申し訳ありません。何の根拠もないんです。ただ、赤き月の夜は、その月を見ることによって、人によっては ただならぬ事が身にふりかかるという伝説があって…」
カイン
「やめるんだ、マリー!」
マリー
「はい…」
シエル
(N)『降っていた雨がやみ、月が見えた。濡れたデュエルとアリシアが邸に帰ってくる』
デュエル
「ふぅ〜。急に雨があがってびっくりした。あれはゲリラ豪雨だね。もう月が見えたよ」
シエル
「月か…さあ、デュエルもアリシアも、体を温めてもう寝なさい。明日の天気は、明日にならなきゃわからない。怯(おび)えていても仕方ない。カインさん、マリーさんも、お休みください。また明日、話しましょう」
デュエル
「そうだね。お休みなさい、父上。カインさんも、マリーさんも、また明日」
アリシア
「お休みなさい、お父様。カインさんもマリーさんも、また明日」
カイン
「はい。ありがとうございます。お休みなさい」
マリー
「……あなた。変なことを言って、ごめんなさい」
カイン
「いいよ。とにかく、今夜はゆっくり休もう。シエル様の言う通り、明日の天気は明日にならなければわからない。怯(おび)えていても、仕方ない。とにかく、明日の朝を待とう」
マリー
「はい…。どうか、通れる(とおれる)道になっておりますように…(祈り捧げ)」
シエル
(M)『一晩明け、見上げるとそこには曇り空。また雨が降るかもしれない不安が、カインとマリーの心に走る』
マリー
「どうしましょう…」
カイン
「道のぬかるみが、まだ酷いな…」
デュエル
「あ〜あ。まだ、馬車には乗れないね。詰んでるワインに影響がでちゃうよ。午前中の出発は無理だね」
アリシア
「今夜は赤き月の夜…。雨があがり、月がでたら、何か起きるのかしら…。ふふっ…」
マリー
「アリシア様…そのお話は…」
アリシア
「あら。このお話は、有名だわ。誰が赤き月を見るのかしらね?」
マリー
「嫌だわ。怖い。あなた、どうしましょう…」
カイン
「これまでだって赤き月は昇っていた。でも、何も無かったじゃないか。今回だって関係ない。見なきゃ良いだけだ。それと、暗くなってからの泥だらけの道を馬車で走るのは無理だ。雨が降りそうな今、馬車に乗るのも危険だ…」
アリシア
「どうしました?」
カイン
「………申し訳ないのですが、今夜も泊めさせてもらうことはできませんか…?」
マリー
「あなた…」
シエル
「話しは聞いたよ。今夜も泊まって行くがいい。赤き月の伝説、嘘だと証明できるといいな。それと、この邸(やしき)に来て、やることが何もなくて退屈していただろう。今日は、邸の探検でもして、楽しんでくれ。カギの掛かっている部屋以外は、入ってもかまわん」
シエル
「ただし。うちはアンティークやジュエリーを扱う仕事をしている。貴重品、貴金属には指紋つけたりしないよう、手を触れないで欲しい。触りたい時は、手袋をしてくれ」
カイン
「わかりました。せっかくだから、探検させてもらいます。じゃあ、行こう。マリー」
マリー
「えぇ」
シエル
「アリシア。ふたりが探索している間、ちょっと夫妻(ふさい)の世話をしてくれ」
アリシア
「はい。お父様」
-邸の中を、順に見て回るふたり。その広さに驚いていた。
カイン
「それにしても、本当に広いなぁ。3階建てに地下室。ゲストルームもグランドピアノのあるダンスフロアもあって、色々なものがたくさん…。これでお邸を管理するメイドがいないのが不思議だ…」
カイン
「(少し落ち込み)…どうして、こんなにもレベルの違う生活をしているのだろう…。高価な物がこんなにたくさんあるのに、手も出せないなんて…」
マリー
「こんなに素敵なジュエリー、身につけたことないわ…。手も届かない…。ねぇ、あなた。シエル様の年齢を知ってる?38歳よ。お若いのに、仕事のできるお子さんをふたりも持って…」
カイン
「その子らも、20歳で父親の仕事のサポートをこなしていく。恵まれた家族だ。悔しいし、情けない…」
マリー
「情けなくなんかないわ。あなたのワインは、皆さんが認めている。自慢していいのよ」
カイン
「ありがとう、マリー。毎年、私たちのワインを待ってくださる方がいる。嬉しいことだ。しかし…シエル様は、なぜ急に部屋を自由に見ていいなんて言ったのだろう…」
マリー
「不思議ね」
カイン
「とりあえず、3階まで室内も見て回ったし、一度、庭園に行ってみるか」
-庭園散策
カイン
「やっぱり、庭園も広くていい彫刻品だ…」
マリー
「ねぇ、あなた。バッカス様のお邸(やしき)には、ワインセラーはあるかしら。外国産のワイン、見てみたいわ」
カイン
「よし。じゃあ、ワインセラーがあるかもしれない、あの地下室に行ってみよう」
-庭園から戻ってきたカインとマリーに、アリシアが声を掛ける。
アリシア
「カインさん。マリーさん。お邸(やしき)探検、いかがです?」
カイン
「アンティークもジュエリーも素晴らしいですね。絵画も圧倒されました。私たちには手が出せない物ばかりで…まぁ、私たちは指輪やネックレスは安物買いですよ…」
アリシア
「そうですか…。じゃあ、地下室のワインセラーはご興味ありますか?鍵が掛かってはいるんですけど」
マリー
「あぁ、やっぱり。ワインセラーもあったんですね。どんなお酒があるのかたのしみです」
アリシア
「あ、じゃあ…ちょっとマリーさんに個人的にお話をしたいことがあって…マリーさん、お時間、大丈夫ですか?」
マリー
「あ、はい。じゃあ、アリシア様のお話が終わったら、食事の席で…。またあとでね、あなた」
カイン
「あぁ。じゃあ、よろしくお願いします…って言ったけど、どうしようかな。もう見るところ、あったかなぁ…」
シエル
「これは、カインさん。どうしました?」
カイン
「あぁ、シエル様。おやしきのなか、いろいろな作品で素晴らしいですね。お値段とか予想もつきませんが。本物の持つきらめきは、レプリカとは比べ物にならないんでしょうね…」
シエル
「そうだね。最高の褒め言葉。ありがとう。私も、目利きとして育つためには15年はかかりましたよ。この邸(やしき)に来る方の中には、強欲(ごうよく)な方もいらっしゃる。それでも、この邸に来てくださるだけでも名誉なことです。カインさんの育てているワインと同じくらい、かがやいている」
カイン
「ありがとうございます…光栄です。心からの感謝を…」
シエル
(M)『邸(やしき)探検で時間を使ったカインとマリー。別行動していたら、すでに日は暮れ、夜食の時間になった。食堂にいたのは、デュエルとカインだけ。マリーはアリシアと一緒のはずなのに、帰ってこない。また、シエルも食堂に現われず、カインひとりでデュエルの運ぶ料理を食べていた』
カイン
「あの…デュエル様、マリーはどこに?シエル様やアリシア様も…」
デュエル
「あぁ、マリーさんは、ワインの話でアリシアとワインセラーに籠って(こもって)ますよ。さっき、ワインを取りに行ったら、まだお話してました。ワイン、だいぶお好きなんですね。しかもとびきりお詳しい。食事より夢中になってますよ」
カイン
「え、マリーがアリシア様とまだワインセラーに?…私も話に混ざりたかった…」
デュエル
「マリーさんは、アリシアに任せておけば大丈夫ですよ。それと、父上は、今日は食事の時間が少し遅くなるだけです。ご心配なく。カインさんひとりの食事は寂しいと思いますが、ゆっくり食べてください。食事の後は、シャワーをどうぞ」
カイン
「あ、ありがとうございます。…大丈夫かなぁ、マリー…。とりあえず、シャワーを浴びてくるか。お食事、ご馳走様でした」
シエル
(M)『シャワーを浴びるカイン。マリーはワインセラーでワインの話で盛り上がっている…』
シエル
(N)『今日は赤き月の日…。獲物はかかった…しかも、とびきりのふたつ…』
アリシア
(N)『私の大好きなとびきりのハート…ワインに満たされて、活き活きしているわ…』
デュエル
(N)『父上とアリシアの残り物…ボクが綺麗に片付けなくちゃ…美味しいスープになるだろうね…』
シエル
(N)『昨日の悪天候で、今日も豪雨が心配されたが、結局、赤き月が夜空に綺麗に見えた」
カイン
「綺麗な夜空だ…赤き月の夜…マリー、どこへ行ったんだ…」
シエル
(N)『赤き月は、月に1度の現象。そして、私の正体はヴァンパイア。人の生き血を吸うことで生きていられる。アリシアの必要な物は「ハート」。つまりは「新鮮な心臓」のこと。正体は鬼だ。そして、生き血も心臓もいらないデュエルは、人の肉と亡骸(なきがら)でスープを作るキメラだ。バッカス家と言っているが、3人に家族関係はない。この魔物の住処(すみか)が、バッカス一家(いっか)だ』
シエル
「マリーさんのことはご心配なく。アリシアかマリーのお世話をしますから安心そてください」
カイン
「……でも、赤き月の夜…なんですよね…」
デュエル
「あぁ。もう、雨はやんだね。赤き月が見える」
カイン
「そんな…マリー…どこにいるんだ…邸から出られないはずなのに…」
デュエル
「馬もいるし、独りでどこかに行くとは思えない…」
カイン
「マリーは馬には乗れません…。しかし、こんなに暗いのに、どこに行かれると言うのですか?マリー…どこにいるんだ…」
デュエル
「心配ですね…そう言えば、邸(やしき)探検は、楽しかったですか?マリーそんは食事に来られませんでしたけど…まだワインセラーを見てるのかな…」
カイン
「地下室に行こうとしたとき、アリシア様に呼ばれてマリーと別行動になりました。地下室は鍵が掛かっているとか…そこから姿を見ていない…体調を崩していても、アリシア様と話が弾んでいたとしても、食事の席に来ると思うんですけど…
マリー
「きゃあっ!!」
カイン
「え?小さな悲鳴だけど、マリーの声!何があったんだ!?まさか、地下室でアリシア様と…!?」
デュエル
「地下室に行きますか?カインさん」
カイン
「連れて行ってください!」
デュエル
(M)『カインを連れて地下室へ向かう。父上も悲鳴に気づき、部屋から出てきた』
デュエル
「カインさん。大丈夫ですか?カインさんにとって、辛い光景になっているかもしれない…」
カイン
「え?どういうことだか…それでもかまいません。マリーの身に何があったのか…それが知りたい。護りたい。もし何かあったなら、私も…あとを追って……」
デュエル
「一心同体ですね」
カイン
「幼い頃、私たちは近所に住んでいたんです。いつも一緒に遊んで、勉強を教えて
…大人になっていくうちに、どんどん綺麗になって…いつの間にか、マリーを愛していた。うちのワイン造りも、子供の頃から手伝ってくれて…」
デュエル
「なるほど。さあ、着きましたよ。マリーさんと再会してください」
シエル
(M)『そこには、マリーに向けてナイフをかざしているアリシアの姿があった』
カイン
「アリシア様!何をされているんですか!マリー!大丈夫か!」
マリー
「あなた!」
カイン
「……アリシア様…これは、どういうことですか…なぜ、マリーを…子供に恵まれなかったぶん、私とマリーのふたりで幸せに過ごしていたのに…」
アリシア
「子供がいない…?関係ないわ、そんな話。いまのこの状況、見たらわかるでしょ?簡単なことよ。マリーさんのハートにワインを注いで(そそいで)、そのハートをいただこうとしたの。だって、マリーさんからは、とても美味しそうな香りがしたから…」
マリー
「助けて…あなた…」
カイン
(M)『泣きながら酷く怯えている。マリーの体にはいくつかの切り傷があった。ワインをマリーに飲ませ、ハートをいただく…?意味がわからない…』
カイン
「マリーを返してください…」
アリシア
「邪魔しないでね?これから、マリーさんには美味しい体になってもらうの。ワインの芳醇な香りを含んだ、最高のハートをいただくまで…!」
カイン
「っくぅ…」
アリシア
「ちなみに言っておくけど、私たちは人間じゃないの。私たちの体の中には心臓がないから、心臓を狙っての敵討ち(かたきうち)はできないわ」
デュエル
「ねぇ、アリシア。まだ話すの?父上とボク、食事抜きなんだけど。早くマリーさんをこっちに…」
カイン
「やめてくれ!マリーを返してくれ!!」
アリシア
「わかったわ、デュエル。じゃあ、先にお父様にマリーさんを差し上げる。カインさわとは、まだ話が終わっていないから、少し待ってね。ねぇ、カインさん。私たちが怖くない?」
カイン
「なんの話だ…」
シエル
「さぁ。いらっしゃい。マリー嬢。あなたの持つ極上の生き血をいただこう…」
マリー
「あっ、あぁ…やめて!近づかないで!」
カイン
「やめろ!…何をする…人間じゃないなら、何者だ!バッカス家は、狂った家族なのか…赤き月が何を呼ぶ…!」
デュエル
「そうだね。あなたともこれでお別れだから、教えてあげるよ。ボクたち3人は人間でも家族でもない。父上はヴァンパイア。人の血を飲んで生きている。アリシアは鬼。健康で芳醇なハートがアリシアの源。そして、ボクはキメラ…人の肉をこよなく愛する…。この赤き月の力に呼ばれて、ボクたちは、自分を取り戻す」
シエル
「じゃあ、マリー嬢…遠慮なく…」
マリー
「いやぁ…!」
カイン
「なっ…何をする気だ!やめろ!」
カイン
「マリー!大丈夫か!?」
カイン
(M)『シエルに向かって飛びかかろうとするが、アリシアに体を押さえつけられてビクともしない。それは、女性の力とはとても思えなかった』
シエル
(M)『赤き月に照らされて、私の牙が変貌(へんぼう)し、マリーの首筋に食い込む。温かく流れるその生き血は最高の味だった。そして、満足した私は、マリーの体を床に投げ捨てた』
カイン
「あ…、あぁ、マリー……意味がわからない…。ヴァンパイア、鬼、キメラ…」
アリシア
「わからなくてもいいのよ。あなたがこの記憶を持つのも、もうすぐ終わるから。さぁ、お父様とデュエルの為にあなたの命をちょうだい…」
カイン
「渡さない!私の大切なマリーを誰にも渡さない!マリーを連れてここを出ていくだけだ!」
アリシア
「動揺してるの?バカね。そんなことして、マリーさんは喜ぶ?どんどん醜く(みにくく)なっていく姿を、愛してるカインさんに見せたくないんじゃないかしら?既に死んでいるのだから」
カイン
「っ…くぅ」
アリシア
「往生際(おうじょうぎわ)が悪いわね…私の本当の姿を見せてあげる…」
シエル
(M)『そう言うと、アリシアの姿が変貌した。ツノが生え、歯は牙になり、爪は鋭く伸びる』
カイン
「そ、その姿は…鬼だ…」
アリシア
「そうよ。それにしても、マリーさんのワインに対する愛情、とても素敵だったわ。あなたと一緒にワイン造りしていて、本当に幸せですって言っていたわよ。子供の頃から、おままごとをするみたいにブドウを楽しく踏み潰していたみたいね」
カイン
「マリーが話したのか…」
カイン
(N)『アリシア様に押さえつけられた腕を振り払おうとしても、ビクともしない。そして、アリシア様は私の耳元でこう囁く(ささやく)』
アリシア
「えぇ…それはもう、幸せそうに。子供の頃から一緒にいて、カインさんにプロポーズされて、ワインをもっともっと好きになっていたんですって。このワインセラーも、あなたと一緒に見たかったって言っていたわ」
カイン
「わ、私だってそうだ…毎年、マリーと一緒にブドウを選んで摘んで、とびきりのワインにして、お客様に喜んでもらえるようにって…」
アリシア
「それもマリーさんから聞いたわ。他の外国産のワインも試飲してみたいって言うから、樽のワインを勧めたの。喜んで飲んでいたわ。ワインに満たされたマリーさんは、それはとても美味しいでしょうね…」
カイン
「…それでマリーとあなたは食堂に来なかったんだな…」
アリシア
「正解。大丈夫よ。マリーさんの血液はこのままお父様が飲み干し、亡骸はデュエルが美味しいスープにしてくれるわ。そして私は、ハートをいただくの…」
カイン
「……殺せ」
アリシア
「急になぁに?どうしたの?」
カイン
「…私のことも、マリーと一緒に殺してくれ」
アリシア
「あら。あなたのワインを待っているファンをおいてまで、マリーさんを追いかけるの?」
カイン
「あれは、私とマリーの畑だ。ひとりじゃ仕事にならない。殺してもらえないなら、馬車で事故を起こす」
シエル
「私の邸に近いところで事故を起こすのは遺憾(いかん)だ。迷惑をかけるのは、やめてもらおう。私がお前の血液をストックして、気が向いたら飲んでやろうか?」
カイン
「それで構わない。…赤き月の伝説は、本当にあったんだな。で。私の体はどうなる?」
デュエル
「言っただろ。ボクの作るスープの具になるよ。出汁にもなる。骨まで砕いて食べてあげるよ…」
アリシア
「“昨日のあのスープの肉は人間の物…最悪だ”って顔してる。あはははっ。さっき、ひとりで食事していたとき、ワインを飲んだわよね?そろそろあなたのハートをもらってもいい?あ、そうそう。配達してたワインは、すべて貰っておくわね」
カイン
「勝手にしろ。……マリーと2人にしてくれないか?」
デュエル
「好きにしたらいい」
アリシア
(M)『カインを押さえつけていた腕を離し、自由にさせる。マリーの亡骸(なきがら)を抱きしめ、カインは咽び泣く(むせびなく)』
カイン
「やっぱり、赤き月の夜はついてない…マリー。なぜ私はマリーの言葉を信じなかった……肌が冷たいな…こんなに冷えきって…愛しいマリー…私もそっちに行きたいよ……何も喋らない唇…マリー…」
シエル
(M)『「ズブリ…」と音が鈍く(にぶく)響く。アリシアがカインの背中に伸びた鋼鉄の爪先を突き刺す。心臓を取り出すために…』
カイン
「ぐっぁ…」
アリシア
「そろそろ、お別れの言葉はいいかしら?」
カイン
(N)『ぐぁあ…アリシア様の欲しがっていたハート…心臓の…このことなのか……そうか、マリー…今行くよ…またふたりで……一緒に…(息絶え)』
アリシア
「さあ、これであなた達は私のなかでずっと一緒よ…ふふふ」
デュエル
「今月も新しい肉を手に入れた。父上も、これだけの生き血を手に入れて…。次の赤き月の夜も楽しみだ」
シエル
「さぁ。不要な物は神木(しんぼく)の祠(ほこら)に捨ててこよう。綺麗に燃やすんだ」
アリシア
「そうね。じゃあね、カインさん、マリー。おふたりとも、大切な命をあり…お幸せにね。ふふふ」
赤き月に照らされて-生贄の悲鳴- めぶき @mebuki_motobe
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