宮本ユリカが急死した

夏倉こう

宮本ユリカが急死した

 アイドル、宮本ユリカが急死した。

 アイドルといってもテレビを付ければ毎日会えるほど売れていたのではないが、このままの勢いならばいずれはそうなるだろう、と期待されていた。最近ファンが日毎に増えており、SNSのフォロワー数も大台に乗ったばかりだ。そのSNSアカウントに突然、そのメッセージは投下されたのだった。

『宮本のマネージャーです。後ほど公式に発表がありますが、アイドル宮本ユリカが先日急逝致しましたことを報告させていただきます』

 多くのファンが言葉を失ったことだろう。メッセージに多くの人が彼女を惜しむ返信を送った。その中には普段全く彼女を応援している素ぶりのなかった人もいた。返信のあまりの多さに私は思わず、生きているうちに言えばいいのに、と思ってしまう。

 実際いままでのユリカのアカウントでは、急に名を上げたこともあり、罵詈雑言も多かった。何度かそれに応戦してしまい、いわゆる炎上してしまうこともあった。しかし最近では戦うことに疲れた様子から、心配されてもいたのだ。だからこそファンにとって、急逝といわれると自殺を勘ぐってしまう。「宮本ユリカ 自殺」と検索するとすでに多くの人がその話題で盛り上がっていた。私もいくつかその会話を眺めながら、無責任な発言に対して思いを巡らす。きっと、一ヶ月も経たないうちにこの話題も落ち着いてしまうのかもしれないが。

 その日のうちに事務所から公式に発表があった。その様子は動画サイトで中継されていたので、私も見ていた。会見担当者は死因については全く触れず、葬式は家族だけでやるとだけ告げた。チケットの払い戻しなど、事務的な報告だけを淡々と説明するので、味気ない印象を抱かせる。あまりに素っ気ないので、結局アイドルなんて事務所にとって駒でしかないのか、とどこかの記者が聞くと苦い顔をしたのが印象的だった。


 忙しいことなんて何もないくせに部屋に一人引きこもっていただけで、あっという間に二か月がたった。情報が滝のようにあふれ、川のように流れている現代では興味関心の賞味期限は本当に短い。名残惜しむファンを置き去りに宮本ユリカの話題はだいぶ色褪せ、世間の人々はすでにほかの事件の話題やらで暇をつぶしていた。その間に私は喪に服すような気持ちで髪色を暗くし、短く切った。頭が軽くなると、少し前向きになれたような気がした。宮本ユリカは死んだ。そう何度も心の中で反芻すると、不思議なことにすっと体が軽くなった。

 その矢先のこと。宮本ユリカのSNSアカウントに異変が起こった。

 メッセージが更新されたのだ。

「いま、気分転換に旅行にきてます」

 という文章とともに、一枚の写真が上げられていた。その写真はどこかのお店の前で、青い空を背景に左手で持ったクレープが掲げられていた。その手首にはお気に入りだったブレスレットがちゃんとかかっている。もちろんファンたちは驚いたようで、返信の欄はやはり騒然としていた。私も何があったのか全く理解できずに、何度もメッセージと返信の欄を読んだ。悪質な悪戯なのだろうか。ファンの中には、やはり彼女は生きていたんだ、急逝なんておかしいと思った、という声も出てきていた。しかし、そんなことがあるだろうか。

 私は添付されていた写真を隅々まで、映り込んだ蟻さえ見逃さないつもりで見た。建物も看板も見切れていて場所を割り出す決定打にはならない。クレープには果物がどっさり乗っていて、青空の中でとても鮮やかに映えていた。しかし決定的な特徴は見いだせず、どこかで見たような気もすれば、どこででも見られるようなものだと納得してしまうこともできる。

 特定はいったん諦めたが、私にはこのまま放っておくこともできなかったので、SNSの新しいアカウントを作り、宮本ユリカをフォローすることにした。アイコンも初期設定のままの使い捨てのアカウントだ。

 幸か不幸か私は今求職中で、時間はいっぱいあった。宮本ユリカの名前を検索し、情報を片っ端から集めた。ネットでは多くの人が、死者への冒涜だとか、本物の可能性はあるのかだなんて混とんとした言葉を発信している。

 私は、彼女は偽物だとほぼ確信している。

 そもそも写真に写っている腕は同じ年頃の女性のものではあるが、本物よりも少し筋肉の付きが良すぎる。普段は肉体労働寄りの仕事をしている人なのかもしれない。しかしそれでも、偽物がどうやってパスワードをかい潜り宮本ユリカのアカウント使用しているのか、なんのためにこんなことをしているのかはさっぱりわからなかった。ネットには「彼女の熱烈ファンによる本人なりの追悼なのかもしれない」なんてロマンティックな意見や「人の力を利用して意地汚い自己顕示欲を満たそうとしている」なんて性格の悪い意見もあった。

 三時間ほどたったころ、有力な情報があがった。誰かが写真の場所を割り出したのだ。

「函館のクレープ屋だ」

 添付された数枚の写真は、まさしく宮本ユリカのアカウントがあげたものと同じで、建物の外装も見事に一致していた。場所がわかると同時に、私ははっとする。私もだいぶ前に行ったことのある店だった。その時食べたのは違うものだが、店の外観に見覚えがあった。懐かしさを覚えると同時に、なぜ、と思う。宮本ユリカと函館にはなんの繋がりもなかった。熱烈なファンならば、本人にゆかりのある場所へ行くのではないか。それとも、特に意味はないのかもしれない。

 私はアカウントに張り付くうちに、彼女に会おうという気持ちが強くなっていた。それは当然湧き出るものであり、義務感を感じていた。私は彼女を見つけなければいけない。そして、辞めさせなければいけない。宮本ユリカは死んだのだから、好き勝ってされるのはごめんだ。しかし、今から函館に行くのはもちろん無謀だった。いま東京から出向いたところで出会える可能性なんてないだろう。彼女の動きを待つしかなかった。

 

 宮本ユリカのアカウントは次の日にまた動いた。

 お昼が過ぎたころ、私は昼食を済ませソファで携帯を眺めていた時だった。捨てアカウントの通知が鳴り、宮本ユリカのアカウントが新しい投稿をしたことを知らせた。

「一番好きなスウィーツです」

 チーズケーキの写真と、異国情緒あふれる街並みの写真の二枚が添付されている。フォロワーの一人がいち早く、小樽だ、と反応していた。私もその風景には見覚えがあった。私が函館に行ったとき、次に向かったのは小樽だった。何年か前、友人と二人で北海道を二週間かけてドライブしたのだ。ルートはネットで調べ、出てきたツアーの道順を丸々まねして予定を立てた。その時はちょうど私には時間がいっぱいあり、友人は就職前最後のモラトリアムを充実させようとしている時期だった。それに間に合わせて二人で車の免許を取り、飛行機を予約したり、ルートの途中にある隠れ家的カフェをしらべたり。きっかけを得た思い出は、次から次へと、待ってましたとばかりに蘇ってくる。函館から、高速は怖いからと一般道を使い、小樽への道の途中でお汁粉を食べた気がする。小樽で一通り観光をして、そこから温泉街に向かったのだ。温泉街の名前が思い出せないもどかしさから、急いで古い携帯電話を引っ張り出し、充電機につなぐ。電源が入ると同時に、写真を遡った。旅行の時に撮った写真を見つけ、撮影日にちを見ると驚いたことに、五年前の今月。それも、五日前だった。そんなに経っていたなんて。目ぼしい写真を見つけ拡大すると、写真の看板にはしっかりと「定山渓温泉」と書いてあった。


 その夜、宮本ユリカのアカウントは全く同じ看板の写真を投稿した。


 私の中のすべての細胞がガラスのように涼やかな透明になった心地だった。宮本ユリカになりすましている彼女は、私たちが五年前に北海道を旅した時と同じルートを通っているのではないだろうか。きっと、いいや絶対にそうだ。私たちが見つけ、参考にしたサイトに彼女もたどり着き、それを元にこの旅をしているのだ。ああ、そうに違いない。となれば私はもういてもたってもいられない。飛行機を取らなくては、次に彼女が行くのはどこだっただろうか。先回りをするんだ、彼女の目的地まで。

 さあ、最速の飛行機はとれた。干しっぱなしの服をそのままボストンバッグに突っ込む。今来ている服、髪の匂いを嗅いで、いやシャワーは大丈夫だろう。とりあえずパーカーを頭から被り、壁に掛けてある帽子に手を伸ばす。そのとき、姿見に私が映り久々に自分の顔を見た。不摂生が祟り、肌荒れは酷いし髪艶もなにもないが、なんだかいい顔をしていた。

 目的地までの道のりは長い。飛行機の中で私は宮本ユリカのことを思い出していた。彼女はもういないのだけれど、私の中では消えようもない存在なのだ。ユリカがデビューしてからずっと、共に生きてきたと言っても過言ではない。ユリカは地方の小さな町生まれで、祖母はスナックを経営していた。そのスナックは近所の人々の息抜きの場で、夜の浅い時間に幼いユリカはよく店のカラオケで歌を披露していた。子供の拙い歌だったかも知れない、それでも常連はうまいうまいと褒めてくれた。そうしてユリカは歌と踊りの好きな子に育っていったのだ。物心ついた時には彼女の目の前には、アイドルになる道しかなかった。いや、その華やかな道に目がくらみそれしか見えていなかったのだ。


 目的地に到着するとそこは相変わらず綺麗な場所だった。色鮮やかな花々がパッチワークの絨毯のように丘一面を覆っている。ここに、なりすまし犯は現れるはずなのだ。


 宮本ユリカに不穏な風がふいた最初のきっかけは、整形疑惑だった。小学生のころの、少し太っていた頃の写真が出回ったのだ。それは丁度事務所が彼女を売り出しはじめた頃だった。勝気な彼女はネット上で彼女を叩く相手が悪質な靄のような存在とも知らず、食ってかかってしまった。今度はそれをきっかけに彼女の性格が悪いのではないかと囃し立てる人が現れた。そういう人たちは彼女のすること喋ること一つ一つ揚げ足を取り、難癖をつける。ユリカが彼らにとる対抗策もすべて空回りに終わるどころか、嫌がらせの燃料となった。当時の彼女には、心配するファンの声などとても届いていなかった。彼女は悟ってしまったのだ、自分の存在など大抵の人にとっては壊れても構わない程度のおもちゃでしかないと。


 観光地にしては人通りの少ない丘で、私はもう一時間は立ち尽くしていた。綺麗な景色がかすむほどに、頭の中は吐き気をさそう匂いを放つ感情が立ち込めていた。ポンッと携帯の通知音がそんな私の意識を拾い上げる。なりすまし犯はここの入り口付近の看板の写真をアップしていた。

 何を思ってこんなことをしているのだろう。こんなことやめてほしい。私は宮本ユリカを静かに眠らせてほしいのだ。せっかく、私がユリカを殺してあげられたのだから。


 私の少し後ろで足音の止まる音がした。

 ゆっくりと振り向く。そこには、私の友人である亜香里がいた。五年前に私とこのルートで旅行をした張本人だ。

 亜香里は私と目が合うと、その目を見開き動揺する腕で私を抱きしめた。

「やっぱり、夕梨花、生きてんじゃん」

 亜香里の腕の中は懐かしい匂いがした。五年前において来たはずの、合わせる顔がない匂いだ。私が宮本ユリカとして生きていくことを、力強く後押しして送り出してくれた腕だ。反射的に私はその腕を引き剥がす。

「あかりどうして」

「自殺なんかするやつじゃない。連絡もつかないし、あんたの実家もあんたについて何にもしらないって」

 亜香里は全くブレない目で早口でまくしたてた。見つけなきゃいけないと思った、私たちごとアイドル宮本ユリカの過去を清算しようとしてるってすぐ気がつけた。

 そうしてもう一度私はその腕に包まれてしまう。今度は拒絶反応はでなかった。自分勝手に始め、自分勝手に終わらせたことだから、一人で片付けようと思っていた。帰りたい場所に帰るなんて、子供じみたわがままだと、

「……おつかれ、夕梨花」

 亜香里のしっとりと優しい声が、意地を張っていた私の心を溶かそうとするようだった。帰る場所を亜香里は、きっと私の家族も残してくれているのだと亜香里のこの一言で私は知った。


 亜香里に安直なパスワードだと怒られながら、私は宮本ユリカのアカウントを削除した。


 宮本ユリカは死んだのだ。

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宮本ユリカが急死した 夏倉こう @natsukura

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