エピローグ

エピローグ

 文化祭が終わって二週間。

 汗ばむ陽気もすっかり影を潜め、季節はだいぶ秋らしくなってきた。


「っべーーーどうしよーーー! 俺、次の中間点取れる気しねーんだけどーーー!」


 生徒会室には相変わらず賑やかな声が響く。

 誠司せいじは先ほどから、「よくもまあそんな元気湧いてくるなあ」と称賛したいくらいの勢いでわめいていた。

 定期考査が近づくといつもこうだ。もはや発作ほっさみたいなものである。


「なあ、お前らもそう思うだろ⁉ 赤点にビビって毎晩眠れぬ夜を過ごしてんだろ⁉」


 嘆く誠司にそう問われた僕たち生徒会の面々は、


「赤点?」

「なんですかそれは」

「美味しいのかしらぁ」


 みな、すまし顔でそう返す。


「この天才どもがあああぁぁぁ‼」


 誠司は頭を抱えてデスクに伏した。

 ガチ泣きだ。

 高校2年生にもなる男が、テストを前にして本気で泣いていた。

 見かねた僕は、呆れつつも彼に声をかける。


「僕は別に天才でもなんでもない。普通のことを、普通にやってきただけだ。毎日の積み重ねだよ。日々の勉強をおこたるからこうなるんだろうが」

「なに仰っているんですか。会長の頭脳はまさしく俊才しゅんさいのそれ。そう謙遜けんそんなさらないでください」

「うん、麻倉あさくら。空気読もう? ここは僕のこと褒めなくてもいいとこだからね?」


 案の定、誠司は「俺みたいな才能ないバカはなにしたって無駄なんだあああぁぁぁ……」とドツボにはまっている。


 一方の麻倉はというと、「会長のことを軽んじることはできません。そんなことをするくらいなら腹を切って死にます」とおっかないことを口走っていた。彼女は彼女で、従順なんだか頑固なんだかわからない。


「それよりみんな、今度の土日、予定はあるかしらぁ?」


 ふいに、鳥海とりうみがそんなことを切り出した。


「なになに⁉ 遊びの話⁉」


 先ほどの涙はどこへやら。

 誠司はもう元気を取り戻して、鳥海の話に食いついていた。


「私、今週末に鎌倉の別荘に行くことになっているのよぉ。でも、お父様とだけじゃどうしても堅苦しくて。みんなも一緒にどうかしらって思ったの」


 さすが鳥海だ。

 別荘なんて言葉が簡単に出てくるあたり、伊達だてにご令嬢はやっていない。


「行く行く! 俺絶対行く!」


 誠司はもう行く気満々らしい。

 中間試験はいいのかとツッコミたくなったが、やめた。

 彼のことだ。

 鳥海の誘いに乗らなくたって、どうせ勉強なんてしやしない。

 それで赤点取って、追試になって、僕に「勉強教えてくれ」と泣きついてくる。

 確定済みの未来に、僕はため息をついた。


「絲ちゃんはどう?」


 鳥海が訊ねる。

 麻倉は凛とした表情で、


「会長が行くなら行きます」


 と、言った。

 自然と、視線が僕に集まる。

 鳥海家の別荘。

 たしかに魅力的な提案だ。


 ――だが。


「悪い。今週末はもう予定が入ってるんだ」


 そう言って、僕は彼女の誘いを断った。



     *


 

 多くの人でごった返す改札を抜ける。

 若者が集まる街だ。

 駅舎を出ると、すぐに大きい建物がいくつも見え、電光掲示板には流行曲のMVミュージックビデオが流れていた。

 待ち合わせ場所には30分前に着いた。

 さすがにこれは気合を入れすぎたかなと思ったのだが、駅前広場には見慣れた大きいシルエットが。

 あっけに取られつつ僕はそちらに向かって、


「おっす明日香あすか

「あ、ユウくん!」


 声をかけると、彼女――小峰こみね明日香は、目を輝かせて駆け寄ってくる。


「待った?」

「ううん全然。わたしも今来たところだよ」

「ならよかった」


 息をついて、僕は明日香の全身を眺める。

 今日の彼女は、ロング丈のスカートに秋らしい色のカーディガンというよそおいだった。

 普段から大人っぽい彼女に、落ち着きのあるそのファッションは非常にマッチしている。

 僕はその思いを忌憚きたんなく告げた。


「いいね、その服、すごく似合ってるよ」


 言うと、明日香ははにかみながら、


「えへへ……ありがと。ユウくんも、その服似合ってるね。なんか普段制服姿ばっかり見てるから、こういうの新鮮」

「だな」

「最初は水族館だっけ? それとも喫茶店?」

「明日香の好きな方からでいいよ。どっちから行っても楽しめるように考えてきたから」

「さすがユウくん。じゃ、喫茶店入ってから水族館行こっか」

「ん、りょーかい」


 そうして、僕たちは街を歩き出す。


 僕が明日香に告白した日。

 あの日から、僕たちは正式に付き合うことになった。

 最初に訪れた変化は呼び名だ。

 僕たちはお互いを名前で呼び合うようになったことで、一層距離が縮まったように思う。


 学校ではまだ僕たちが付き合っていることは言っていないため、人目のつく場所でベタベタするのははばかられる。

 だが、帰れば毎日LINEや通話で連絡を取り合い、僕と彼女は親密な関係を築いてきた。


 本日は付き合い出してから初めてのデートである。

 この日のために服も新調したし、朝方には美容院も行ってきた。

 デートコースの予習もバッチリだ。

 今日を最高の一日にしようという気持ちで、僕はここにやって来た。


「それにしても人が多いねぇ」


 明日香は「ほえー」と圧倒されたように言った。

 信号待ちの交差点には沢山の人であふれかえっていた。


「人混みは嫌い?」


 僕が訊くと、明日香は「ちょっとね」と首をすくめる。


「小さい頃、こういう人混みで迷子になったことがあってさ。若干トラウマなんだ」


 知らなかった。

 僕は彼女が人混み嫌いだという情報を事前に入手しておかなかったミスを悔やむ。

 そして、それをどうリカバリーすればいいか考えた。

 導き出した結論は、これだ。


「手、繋ごう」


 明日香は目を丸くする。

 僕は左手を差し出して、


「はぐれるのが怖いんなら、手ぇ繋げばいい話だ」


 もう付き合っているのだから特段おかしいことでもあるまい。

 だが、明日香はたじたじといった様子で僕の手を見る。


「そ、そうだよね。でも……なんかドキドキするな……。わたし、こういうの初めてだから」

「別に初めてじゃなくないか? 僕たち、前にも手を繋いだことあったじゃんか」

「え?」


 明日香は本気でわからないといった様子で視線を宙に浮かせる。


「ほら、文化祭のお化け屋敷でさ」

「あ……あっー! そういえば! わたし怖がりすぎて全然覚えてなかった!」

「あの時、僕は結構緊張してたんだけどな」

「え、てことは今こうして手を繋ぐことにドキドキしてるのはわたしだけってこと⁉ なんかズルい! わたしだけ初めての気分なんて!」

「ズルいって言われても……僕も、今だって心臓バクバクいってるし」


 そう言うが、明日香は納得していない様子だ。

 やがて彼女は意を決したように、


「それなら……これでどうだっ!」


 自身の右手で、僕の左手を握る。

 唐突に現れた自分以外の体温に驚いていたら、明日香はさらに指と指を絡め始めた。

 計10本の指は、絶対に相手を離さないという強固さで僕たちを結ぶ。

 いわゆる恋人繋ぎというやつだ。


「こ、これならユウくんもドキドキするでしょ……?」

「お、おう……」


 ――しかしこれは。


 僕たちはお互いに顔を見合わせ、


「は、恥ずかしいね……」

「……だな」


 明日香の言葉に、僕も同意する。

 彼女ができる前は憧れていたシチュエーションだが、実際にやってみるとこうも羞恥しゅうちを駆られるものなのか。


「離す?」


 僕が訊くと、明日香は「やだ」と即答した。


「このままがいい。ユウくんと手ぇ繋いだまま歩きたい」

「そっか。んじゃ、このまま行くか」

「うん」


 ちょうどそのタイミングで、信号が青になった。

 交差点には信号待ちをしていた人がドバっと吐き出される。

 僕たちも、その流れに乗って目的地である水族館へと歩き出した。

 すると、


「ふふっ」


 明日香は急に笑い出した。


「どうした?」

「いや、なんか幸せだなって」


 彼女と繋いだ手に熱がこもる。

 視線を上に向けると、僕より30cmも背の高い少女は、世界の全てを照らすように微笑んでいた。

 僕も自然と笑みがこぼれてきて、それから応えた。


「もっと幸せになれるよ。これから、いろいろな思い出作ってさ。数年後には、あの頃はあんなことがあったね、なんて言ってるんじゃないかな」


 僕の言葉に、明日香は「そうだね」と頷く。


 確証はなかった。

 相変わらず目線の高さは合わないし、今だって並んで歩く僕たちは傍から見れば凸凹でこぼことバランスは悪いだろう。

 今後どんなことがあっても、僕が彼女の背を抜くことはできないと思う。


 だけど――


 僕たちの心の距離は、こうしてお互いの温もりを感じられるほどに縮まったのだ。

 一生手の届かない遠い人だと思っていた彼女が、今はこんなに近くにいる。

 そう考えると、僕はたしかに予感めいたものを感じていた。

 明日香とはこの先長く寄り添える。

 そんな気がしたのだ。






                       『大きな彼女と小さな僕と』 了

 




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大きな彼女と小さな僕と マイルドな味わい @mildtaste

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