番外編:ヴァレンタインデー(※一巻発売記念)

 家の窓から外を見ていた俺は、あ、と声を漏らした。

 空から舞い落ちる雪。

 今日は予報で降るかもとは聞いていたが、まさか午前中から降り始めるとは思っていなかった。

 このペースで降るとなると、もしかすると東京でもかなり積もるかもしれない。

 幸い今日から三連休。

 滑りやすい地面に怯えながら学校に行く必要はない。


「っと、結構降り始めましたね。もしかしたら積もるかも……」


 ボーっと雪を眺めていた俺の隣に、冬季が立つ。

 彼女も興味深そうに窓の外を眺め、俺と同じような感想を抱いていた。


「そうだな……積もるにしても週明けまでに溶けてくれればいいけど」

「ですねぇ。あ、そうだハル君。ちょっと雪が本格的になる前に買い物に行きませんか?」

「何か欲しい物でもあるのか?」

「かなり長いこと降るみたいですし、せっかくなので三連休はお家の中でおこもりさんをしようかと思いまして」

「なるほど、それはいい考えだ」


 雪が降る中、温かい部屋の中でのんびりと過ごす。

 それはあまりにも魅力的な提案だった。


「じゃあササっと行ってきちゃいましょう! こういうのは思い立った時に済ませてしまうのが一番賢いですから」

「間違いない」


 二人してかなりの厚着をして、家を出る。

 いつも車を出してくれる日野さんには、今回は待機してもらうことにした。

 もちろん車で買いに行った方が楽に決まっているのだが、どうせこの先三日間は家の中にいるわけだし、最後に家の外を歩いておきたいと言う俺たちの希望である。

 スーパーで買い物を済ませ、俺たちは両手に買い物袋を下げながら帰宅した。

 肩や頭に積もってしまった雪を軽く払い落し、俺たちは温かい家の中へと戻る。

 暖房の温かさが冷え切った指先や顔をじんわりと温めてくれて、何だかそれが無性に心地よく感じられた。


「買い込んだ食材は全部冷蔵庫に入れちゃいましょう。ちょっと多いですが」

「ああ……っと、こっちのお菓子類はどうする?」


 俺は自分が持っていたチョコレートでパンパンになった袋を冬季に見せた。

 冬季がやたらと板チョコをカゴに入れていたのだが、これは何のためにあるのだろう。


「ハル君、気づいていないんですか?」

「え?」

「明日はバレンタインデーですよ?」


 バレンタインデー……。


「ああ! バレンタインデーか!」

「本当に気付いてなかったんですね……」


 気づいていなかった理由としては、元々俺がバレンタインに縁がある人間ではなかったというのもあるが、今年はバイトに行っていないというのが大きな要因だと思う。

 去年は毎日コンビニのバイトに入っていたから、チョコレートが並びだしたタイミングでバレンタインが近づいてきていることに気づけたんだ。


「去年はハル君にバレンタインのチョコを渡すことができませんでしたが、今年は違います! 思い出に残るようなとびっきりのチョコをプレゼントしますから、楽しみにしていてくださいね!」

「あ、ああ……」


 何だろう。とても嬉しいことを言ってもらっているはずなんだが、どうにも嫌な予感がぬぐえない。

 二人で暮らし始めてもうずいぶんと経つが、いまだに彼女のやることは読めないのだ。




「――――というわけで、女体のチョコレートソースがけですっ!」

「そんなこったろうと思ったよ」


 翌日。

 しばらく準備があるからと俺を自室にこもらせていた冬季は、ほぼ裸のような格好でリビングの床に座っていた。

 そんな彼女の局部にはチョコレートソースがかかっており、色々と見えてしまわないように絶妙な濃さで隠してある。

 床には丁寧に新品のレジャーシートが敷いてあり、チョコレートの後始末もしやすいようになっていた。


「どうぞハル君! 召し上がれ!」

「食べられるわけがないだろっ!」

「え……そんなに魅力ないですか? 私……」

「チョコレートの話をしてるんだよな?」


 いつもは冬季の泣き真似に負けてしまう俺でも、今回ばかりはさすがにおかしいと気付いていた。

 ここで「魅了がないとは言っていない」と慌てて否定すれば、きっと冬季はじゃあ舐めとってくださいとでも言うつもりだったのだろう。


「……ちぇ、そう簡単には騙されてくれませんか」

「たまに思うんだが、冬季って俺のことをアホか何かだと思っている時があるよな」

「むっ! そんなことはありません! ハル君はいつだって冴えてます!」

「……」


 そう思うのなら、こんなトラップは仕掛けないでほしい。


「女体作戦は失敗ですか……まあ仕方ありませんね。洗い流してきます」

「頼む……」


 風呂場へと向かう彼女の背中には、ビキニの紐が見えていた。

 よかった、本当に裸の上にチョコレートをかけたわけじゃなくて。

 



 しばらくして戻ってきた冬季は、ちゃんと普段着になっていた。

 そして起きて早々妙な疲れ方をした俺の隣に腰掛けると、そっと肩を触れ合わせてくる。


「その……ハル君、怒ってますか?」

「え?」

「いや……ちょっとやり過ぎたかなっていう印象は私にもありまして……」


 もじもじとしながら不安そうな顔をしている冬季。

 いつも自信満々であるはずの彼女のこういう一面が見られるのは、やはり俺にしかない特権だった。


「怒ってはいないよ。でもできれば普通のチョコが欲しかったかな。冬季からもらう初めてのチョコって時点で、俺にとっては何よりも特別な物だから」


 好きな人からバレンタインにチョコをもらえる。

 それがどれだけ特別なことか、イマイチ冬季は把握していなかったようだ。


「まあある意味特別な思い出にはなったけど、来年は普通のチョコで――――」

「あの、ハル君」

「ん?」


 冬季は立ち上がると、背中に隠していた小さなハート形の箱を取り出した。

 ピンクの外装に、赤いリボン。

 さすがの俺でも、それが何なのかは察しがついた。


「えっと、実は女体作戦が失敗した時のために普通の手作りチョコも用意してまして……よければ受け取ってもらえると嬉しかったりするのですが……」

「……ああ、もちろん」


 こういうところは、さすが東条冬季としか言いようがない。

 用意周到。素晴らしい先読みだった。


「ありがとう、早速今食べてもいいか?」

「はいっ! 中身は生チョコなので、むしろ早めに食べてもらえると嬉しいです」

「分かった」


 箱を開け、中に納まっていたチョコを一つ口に運ぶ。

 じんわりと口の中で溶けたそのチョコは甘すぎるというわけではなく、絶妙に俺の好みに刺さる味だった。


「ハル君、大好きですよ」


 そんな彼女の言葉と共に口に運んだチョコレートは、一口目を食べた時よりも甘く感じた。

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【2/10発売】今日も生きててえらい!と甘やかしてくれる社長令嬢が、俺に結婚してほしいとせがんでくる件 ~完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~ 岸本和葉 @kazuki

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