最終話 藤村義春の告白
「あのようなやり方は関心できないと、一部の老人には言われていたが……」
内閣府事務次官の藤村義春は、天井の低い居室をコツコツと歩きまわりながら話し始める。藤村が考えを纏めながら喋っているときのクセだ、とうら若き政策統括官の島原美代子は知っている。
「実際効果テキメン、と言ったところでしょう。結果を見れば誰の眼にも明らかです」
霞が関から見下ろせば、再び世界一の地価となった銀座が美代子の眼には映る。
ワクチンの大規模接種が終わって10年余年。返上していた五輪の輪も奪還した。藤村の言を借りれば「日本に巣くう悪漢」を駆逐できたことが大きいというのは、誰もが口にしないし出来ないが、厳然たる事実である。
「縦割り組織の典型例である霞が関の面々が手を組めば、どうにでもなるだろうと当時から予想はついていたがね」
窓を眺める美代子の横で藤村が歩みを止める。左手の方向に目をやれば、再開発に成功した新宿の摩天楼。歌舞伎町という名は今は完全に消えており、所謂「特区」がそこかしこに乱立した結果、日本の深圳と名を変えたハイ・テクノロジーの魔窟がそこにはある。
「当時の首相は反対されたとか」
「なに、結果を見れば納得してくれたよ」
藤村が摩天楼を鋭く見つめる。
当時、やくざ者はありとあらゆる手段でもってワクティンの優先接種権を確保し、一般人のそれよりも数か月早く手に入れた。彼らはその首領が摂取を受けた後は、その後高額でそれを売りさばいた。そしてそれを摂取できるような人間は、藤村曰く――それ相応の立場と思想を持つ人で、プロジェクトのメインターゲット――だった。彼らは疑いはしたものの、打たないという選択肢を選んだ者はほとんどなく、藤村らの予想を上回る順調さで接種が完了し、藤村の予想通りにその後のコントロールは成功した。その結果が、歌舞伎町から端を発する中心とした大規模な掃討作戦――藤村の言を借りれば「日本のガン」の一掃――の成功だ。
「まあ最終的には首相にもお打ちさせていただいたがね。そこから先は従順だったさ」
「首相も――日本のガンであったと?」
一瞬美代子の方に目をやり、視線を今度は国会議事堂に移す。
「ガンってのはね、根絶する以外に人間の勝利はないのだよ。実際、そこからは早かった。大きい腫瘍を管理下に置いて、そこから繋がる小さい腫瘍にもワクティンをひたすらに打った。つまり――」
言葉を切って、美代子に向いた。
「疑わしきは罰したということになる」
話には聞いていたが、ここまで堂々としていると施策は是であったような気持ちになってくるのが、美代子には不思議な感覚だった。しかし彼女の中では、是か非かは判別がつかない。そのケリをつけるためのタイミングが、今なのかもしれなかった。
「その過程で、白に近いグレーがあったとしても?」
じっと目を見る。藤村も、じっと美代子を見つめる。
「グレーっていうのは、白に何か混じったような色ではなかったかな」
それは白ではないよと藤村は続け、つかと歩いて自席に座る。事務次官には少し不釣り合いな簡素なスチール机に思えるが、これは藤村の希望らしいと美代子は知っている。曰く、トップが簡素なら下も簡素にならざるを得ないだろうと。
彼の言う白というのは、誰が決めたのだろうか。美代子がそう問うと、
「俺には分からないよ。時代が決めるのさ」
うそぶいた答え。
「あなたが決めたのでは?」
「おいおい、10年も前の話だよ。俺にそんな権限なんてあるものか。だから、時代が決めたんだって」
「でも主体性をもった誰かが決めたんじゃないですか?」
食い下がる。
ふう、と大きく藤村が息を吐く。一瞬眉間に皺を寄せたように見えた。カミソリのような目線が、これも一瞬、美代子を刺した。
「――そろそろ、次の会議の時間だ。雑談は終わりにしよう。とにかく、政策統括官の就任、おめでとう」
――☆――
礼をして、事務次官室を美代子は後にする。機能的なリノリウムの床をコツコツと歩く。開放的な窓の外には、空想の産物と目されていたエア・カーが宙を飛び交う。規制大国と言われたのは今は昔。そういった規制は「白ではない」とされた人々が作っていたに違いない。おかげで、技術立国の名を再び我が国は欲しいままにしている。無論、多少の事故には当然目をつぶっているのだが、今の支配者は目をつぶっている自覚もほとんどないだろう。そういう人が「白い」とされたのだから。
しかし白色が白とは誰が決めたのか。カラスは白いとチップが言えばそれは白くなる、とはよく言ったもので。その白さの意味を知るために美代子はここまで来た。しかし、まだ階段を登る必要があったのだ。
もっとも、藤村のうそぶきが本当だとしたら、つまり――時代が決めたのだ――という言葉が本当だったとしたら、この階段を登り続けても答えを得ることは出来ない。それは美代子にとって、本意ではない。
誰が彼女を殺したか。それは時代なのか。しかし時代に責任を取らせることは出来ないし、窓の外を見やればその結果に文句を言う人はいないだろう。
しかしそれでは、あまりに瑞穂が浮かばれない。
――☆――
桜の散り際、健康診断がある。美代子ももちろん出席する予定だった。そしてそれが美代子の受けた最後の健康診断になった。
ちょっとかわいいだけの女子大生が陰謀論者のアイドルに祭りage 青海老圭一 @blueshrimp
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます