第4話 熊谷葵の中継
もしもテレビ局に入ったら、まずはお天気キャスターになって、その後はバラエティに進出、フリーで数年ちょびちょび仕事をした後、将来性のありそうなちょっと年上のアーティストと結婚。
これが熊谷葵が高校生の頃に描いた人生の道筋だった。
その予定通り、偏差値は高いが民度が低い大学の新興学部に身を寄せ、ミスキャンパスを獲得。大手キー局に入社。
ここまではよかった。
ところが、同期と水を開けられた。その結果がこれだ。
「視聴者の皆様! 今、眼前では機動隊とデモ隊が睨み合っております。また、周りでは小さな小競り合いが始まっており、こちらには少し硝煙の臭いが届いております!」
何が悲しくて、筋肉バカと愚連隊の正規の一線を中継しなくてはいけないのだろうか。同期は「新しくできたウォータースライダーに体当たり取材があってさ~」と言って、その艶やかな肢体を晒していた。確かに出るとこ出ていた。でも、私のほうがスレンダーなんだから。というか、そんなスレンダーな私がこんな貧弱なヘルメット一つで、こんな火薬臭い所にいなきゃいけない道理ってなに!?
「まさに、一色触発の状況です! デモ隊の最前線には、あの現代のジャンヌダルクこと、喜多村瑞穂氏がおります!」
あの女もアホだよね。あれだけの容姿があるなら、グラドルなら十分スターになれるのに。おぼこい感じで、あれだけの巨乳。ちょっと嫉妬しちゃうくらいチャームもあるし。頭が弱そうだからテレビキャスターには向かないかもだけど。何年かグラドルやって、テキトーに女優やって、できちゃった婚とかしちゃったりして、という人生設計がなぜ出来ないのかね。
熊谷は中継のスキを見て、スマホで学歴を確認する。
そして「ああ、納得」と小声。熊谷は学歴主義者でもあった。将来のダンナは慶応ボーイと決めている。
スマホを現場服――極めて野暮ったい――のポケットに仕舞う。ひと悶着あるまで自分の出番は無いだろう、椅子に深く腰掛ける。一息つこうかとしたその時、
「おつかれちゃ~ん、どう、やってる?」
報道現場に不釣り合いなプロデューサーが来る。いかにも業界人らしい風貌が、熊谷は好かない。
どうも、と頭を下げる。かったるいので、立たずに挨拶する。
「いやだなあ、不愛想で。わざわざ抜擢したんだからさ、もっと溌剌! って感じでやってくれないと」
この男か、私をこんな火薬臭いところに押し込んだのは。不愛想で結構、と熊谷は能面を変えない。
しかしこの男はそんなことには頓着せず、
「でさ、さっきも伝えたけどさ。我々としてはやっぱり瑞穂ちゃんに肯定的にやりたいわけでさ。いや、我々としてはどっちでもいいんだけど。ほら、やっぱりコレ稼げるのって、瑞穂ちゃんだからさ」
コレ、という視聴率を指す業界特有のジェスチャーも熊谷の気にくわない。こればっかりは、坊主憎けりゃの典型かもと自分でも思う。
「お言葉ですが」
敢えて立ち上がらず、目線もあわさずに言う。
「どちらかに加担するような形の報道は、どうかと思いますけれど」
う~ん、と考え込んだ様子のプロデューサー。そして、大仰に手を叩き、
「分かった! もしかしてポスト安藤優子狙ってる?」
「狙ってません!」
バン、と机をたたかざるを得ない。結局立ち上がってしまった。
――☆――
戦局は双方動かず、というより動けずという時間が30分も続いた。
先ほど熊谷に気圧されていたプロデューサーも、そろそろ画が足りないことに困ったようで、「葵ちゃん、コレ、撮ってきてよ」というワイプをイメージさせる腹立たしいジェスチャー。それに押されて、巨乳アジテーターに戦場インタビューを敢行するハメに。
うんざりしながら薄すぎるプロテクターをはためかせ、機動隊とデモ隊が相対する戦場ど真ん中に向かう。
国会議事堂前では、機動隊ががっちりと門周辺を固めて、デモ隊が道を挟んで向かい側、という構図。広くもない車線には、猫の子一匹いない。
そんなところに、突如落ち目のキャスターが現れたら双方良い顔はしない。それは分かっている。分かっているんだけど、仕事だからそこんところ、一つヨロシク……。
喜多村嬢を見つけた。初めてナマを見たが、なるほどナイスバディだ。しかし熊谷には関係がない。
「硬直状態が続きますが、お話をお伺いしましょう。この運動の主催者でもあり、通称『デモのヴィーナス』とも呼び声高い喜多村瑞穂さんにお話お伺いしたく思います! ズバり、今回の目的は何なのでしょう!」
自分で喋っていて反吐が出る。バラエティじゃないんだから。東京フレンドパークの決意表明みたいなコメントしか出て来ないぞこれじゃあ。
おっぱいお化けが側近と思しき男と意見を交わしている。ブレーンだろう。少し間があくので、一瞬こちらのブレーンに目をやれば、ダブルガッツポーズ。
求められる程度が低くて、うんざりする。が、仕事はこなさなくてはならない。
「さて、喜多村さん。状況いかがでしょうか?」
マイクを向ける。カメラが――おそらくバストアップで――喜多村を追う。
「あ、あの……」
就活生への街頭インタビューを彷彿とさせる出だし。反体制派のアジテーターが、こんなところで清楚系ぶるなよ。
「今回のデモ……じゃなかった、運動は、私が起こしたものではなくて、これは皆さんの総意だと思っています。初めは私は違和感を覚えただけでした。なぜワクティンという得体のしれないものを、盲目的にみんな打つのかと。でもそれが、大勢の人たちに支えられて、ここまで大きな運動になりました。まずはこの場をお借りして、感謝の意を申し上げます」
そう言うと、やにわ車道に降りて、
「みんな、アリガトー! これからが本番です! まだまだ、ヨロシクー!」
アイドルさながらの声出し。そしてそこかしこから聞こえる咆哮も、ライブよろしくなものばかり。
こいつら、握手会に来ているつもりじゃなかろうな、と熊谷は思う。大した主義主張のない烏合の衆も、何かに飲まれて……いや違うな。何かに「飲まれたくて」こうして動いている、そんな雰囲気がある。危機感が無いわけではないけれど、実態がないというか……。
考えても仕方がない。私の仕事は、このおっぱいからコメントを撮ることだ。
「コメントありがとうございます。こうしてみると、現実感がない人数が揃ったと思います。このあたりは、いかがお考えでしょうか」
アイドルよろしく手を振っていた喜多村がマイクに走り寄る。
「そうですね。私も、正直なところ現実感がありません。正直、ふわふわとした気持ち……」
「瑞穂ちゃん、私が代わろう」
瑞穂の受け答えが怪しくなったところで、ブレーンの男が手を制した。
熊谷は、直感的にカタギではない、と感じたがカメラは回っている。
「代わって私がコメントします。現実感がないのは、彼女が言うようにワクティンというものが正当な手続きを踏まれずに、広く接種が履行されようとしているからに他ありません。そういう意味の、現実感がないというコメントでした」
絶対違うだろ、と思う。再度こちらのブレーンを見やると、右手をぶんぶんと振り回している。あれはおそらく、「そんな男の筋の通ったような話はどうでもよいから、はやくボインちゃんのコメントを撮りにいけ」ということだろう。ツーカーになった自分の不幸を呪う。
「ありがとうございます。最後に喜多村さん。この運動のゴールをご教示願えますでしょうか」
自分に話が回ってくるとは思っていなかったのか、驚いた顔をして、
「えっ……頑張ります。応援よろしくお願いします!」
アイドルかよ、とげんなりせざるを得ない。この女も時代に飲まれているのだ。どうせ飲まれるなら、芸能界の濁流の方がよほどいい思いが出来ただろうに。
――☆――
5分後、気の抜けたような銃声――おそらく、本物の拳銃ではないように熊谷には聞こえた――と、機動隊のシールドから火花が上がると同時に両者一斉に駆け出した。
そこからは一瞬で、大した武力を持たないデモ隊は一瞬で鎮圧され、見せしめとばかりに喜多村瑞穂は捕縛された。一部で小競り合いは収まらなかったようだが、拡声器でそれがアナウンスされると、居酒屋前の大学生がごとく、だらだらと人がはけていった。
後日、熊谷がニュースサイトを見ていたところ、ブレーンの男が捕まったという情報はついぞ見つからなかった。あの特徴的な、カミソリのような目つきの男はまっさきにひっとらえるべきではなかったろうか、と思ったがそれは熊谷には全く関係が無い。今日もまた、ウソっぱちの戦場に駆り出されるだけだ。
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