第3話 吉村健三の勧誘
「まあまあ、気張りなや。こっちに座ってや」
吉村健三は上座に座り、瑞穂を招いた。気楽にしたらええ、と再び声を掛ける。
しずしずと座る仕草が初々しくて、横に座ってくれと言いたい気持ちになるが、そこをぐっとこらえる。大事の前の小事に気を取られるのが自分の悪い癖だが、それを自制できるのが俺のいいところだ、と健三は自己を分析している。
それが遠からずとも当たらず、と言えるのはこの後分かる。
「実際、お嬢ちゃんのことあんまり知らんさかい、よう言えへんねんけどな」
座敷には二人。結構なボインちゃんと二人。意図せずとも胸に目が行くのは仕方がないので、健三は意図してそちらを見る。同じアホならmという思惑。
「――結構魅力的やと思うで、ワシ」
そんなことないですよ、と目の前の女が少し顔を赤らめる。
幼い顔立ちがなおさら健三をそそらせる。健三の目にはそれはしがない小娘の仕草にしか映らず、実際のところオツムの出来栄えは中井隆久の分析と違わず、本人が思うところよりも低い程度であった。
つまりは、瑞穂はトントンと進んでしまった話に参ってしまっているだけであったのだ。要すれば、もはや袋のネズミ。
――☆――
吉村健三は、悩める若頭補佐だった。組内の発言力こそあったが、組の勢力自体が落ち込んでいた。そもそも、ヤクザ者という組織自体が20世紀にその役割に終わりを告げたのかもしれない。少なくとも健三の世代では、自分たちは治安維持の役に立っている、だからその対価は法にこそ則れないが、頂戴するのは当然である――と考える人は少ない。
要すれば、楽をして稼ぎたい、そのためには他人の迷惑もやむを得ない、という人間だけが集っていたのだ。そりゃあ、何事も上手くはいかない。
健三も無論そのような思想の持主であったが、悲しいかな彼は中間管理職。新規事業の発掘に頭を悩ませなければいけない立場にあった。
先日、大学同期の友人――無論、カタギの――で地銀に勤める友人と飲んだ時は、その悩みの共通性に愕然としたものだ。いやむしろ、法に守られていない分こちらの方が幾分かしんどいのではないか、こんなことなら勤め人でもなっておけばよかった――と思ったのは、文字通りの後の祭り。小指は大事。
さりとて、お手上げですというのでは商売上がったりであるし、そんなものは健三のプライドが許さない。そんなわけで、アンテナを張って日々新規事業開拓に勤しんでいたところ、ある噂が耳に入った。
――変な伝染病が流行っている。そしてそれを対処するワクティンとかいうものも、なんだか怪しいらしい。
ヤクザ屋さんの商売では、不安の種のあるところには鉱脈がある。将来の不安があるから薬物に手を出すし、あいつが生きていては枕を高くして寝られないというから、この世から消す手段であるチャカの需要がある。
そういう感度の高いヤクザ屋さんの中でも、新規事業に余念がない健三の行動は早かった。自身はデジタルに疎かったが、四六時中スマートフォンを触っている舎弟に情報を洗わせた。彼らは、健三で三ヶ月かかってようやくとれる情報――無論、図書館と傘下のバーが主な情報源になる――を、一日で集めてきた。根性がない奴らだと思っていたが、なんでも適材適所だな、と実感する。
その情報を組み立てたところ、以下のような新規事業の骨格が導き出せた。
――ワクティンは怪しいということをアホにアピールさせて、これまたアホなマスコミにワクティン反対の記事を書かせ、世論を反ワクティンの流れに追い込む。一方で、自分たちはワクティンを先んじて確保する。そして「早く打たないと無くなりますよ、この情勢ではね」という文言をそこかしこにささやく。もちろん、「でも、ウチではまだまだ扱ってますよ」と付け加えるのを忘れない。そうすると、お偉いさん方はこぞってウチに来るわけだ。
健三に正義はないし、主義主張もない。伝染病の正体も、ワクティンの是非もどうでもいいことあった。でも、そこにチャンスがあるなら飛びつかない理由はない。その考えは、若頭も同じだったらしく、トントン拍子に手筈が整った。
そして喜多村瑞穂との会談、もといアンダー・グラウンドへの勧誘が実現したのである。アジテーターは美人であらねばならない、と古来から決まっているというのが健三の考えだった。卑弥呼だって、ジャンヌダルクだって、いつだって人を動かすのは若い美人だ。
ちなみにもしこの事業が上手くいかなかった場合は、3Dプリンタによる銃の大量製造に手を出していた。日本のセキュリティの甘さを考えると、そちらの方が断然、よかったはずである。
――☆――
と、言うことはおくびにも出さないのが健三をプロたらしめているところだ。
和食のコースにもある程度箸が進んだところで、
「ワシは嬢ちゃんをサポートしたいんや」
と宣言した。
それからは立て板に水で語る語る。
曰く、ワシらは所謂反社会勢力と呼ばれるようになった。しかしそもそもの発端は、戦後の民間警察というのが母体。つまりは、人の役に立ちたかった。ところがその意識は世代を経るにつれて薄まってきて、今では街の厄介者や。ワシらはここらでひとつ、初心に帰って社会貢献をしたいんや。それでも、ワシらはやっぱり日蔭もん。嬢ちゃんみたいな新しい世代の力を貸すことで、本来の役割を取り戻したいねん、と。
そこまで一息で話し、注がれていた千寿をぐっと飲み干す。
「なあ嬢ちゃん、今日ここに来たのは、実際のところワシがコレやから断れんかったからやろ?」
コレ、のところで頬骨から顎先までを指でなぞりつつ、健三が優しく微笑む。シルバーフレームの眼鏡の奥に、実は人懐っこいと自分では思っている瞳を輝かせる。
その実、隆久から「なんかすごい人とつながっちゃったんだけど」という話を聞いた瑞穂は小躍りして、そしてその凄い人が「刺青がすごいタイプの人」だったことにゲンナリして、しかし断る術もなくここに来てしまったのだ。健三の予測は、まっこと正しい。
「もしかしたら、いやいや来たのかもしれん。でもな、こういうのは流れやとワシ思うねん。この流れに乗らんかったら、絶対後悔すると思うねん、な?」
もっとも後悔してももう遅いねんけどな、とは勿論言わない。
目の前の女が、膝に置いた手をぐっと握るのが見えた。はいはい、そういうのはもうええねん。とにかく言質が欲しいだけなんよ、と冷めた視線は眼鏡の奥に隠す。
「……わかりました」
声が震えていた。が、そんなことには構いはしない。これだけのウブな表情が作れ、そしてキャッチーな見た目をしているなら誰も幼さは問題にしない。むしろ、その幼さは強みにすらなる。
「よっしゃ! そうと決まったら、大船に乗ったつもりで任してくれ。悪いようにはせんから!」
これ見よがしに携帯電話――もちろん、折りたためるものだ――を取り出し、舎弟に諸々指示を出す。指示が目的ではなく、もう後戻りが出来ないということを見せつける意味あいの方が、当然大きい。
その後は、信頼関係を築くことに健三は腐心した。心を開かせ、自由にしゃべらせ、親身になって年長者としての差しさわりの無い――特に意味がないが納得感のあるカタギ風の――アドバイスともエールとも取れないものを送った。
それは上々で、結果として心のみならず股も開いた。これは、健三の役得。しかし結局、自制は出来ていないのだ。
――☆――
種明かしをすると、果たしてこの時から瑞穂の思い描いていた形とは全く明後日の方向に話が進んでいった。瑞穂はよくいる「怒れる女子大生」であって、決して世の中を変革しようとデモの先頭に立って火炎瓶を投げるつもりはなかったのだ。そういう意味では野獣が野に放たれたという健三の表現は全く不正確で、怯える野ネズミが実験必よろしくの閉鎖空間から、全く意図していない外界に放たれて、右に行こうか左に行こうか怯えるうちに後ろからネズミが押し寄せてきて、集団の首の向いた方向に進むしかなくなった、というのが実情だった。
もちろん、ネズミ捕りはそうは思わないわけである。瑞穂は結局腹腹時計の作り方と球根栽培の技法を履修し、火炎瓶を投げ、当然他のネズミと同じく捕縛された。違ったのは、たまたま先頭を疾走っていたことだけだ。
瑞穂はワクティンを打たれた。もちろん、命を落とした。
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