第2話 あの人の家の扉を今日も叩く。
ゴンゴン。
古びたアパートの金属扉を今日も叩く。
「来ましたよ、ゆかりさん」
今日も昨日と同様に、ゆかりさんの家の扉を開く。
挨拶をして、今日も彼女の腕を掴む。
傷は増えていないか、その腕が赤くなっていないか。
その確認が終われば、彼女の部屋を確認する。
「ああ、また散らかして…」
そう何度目かになるかわからない愚痴を口にして、片付けを始める。
すでに、彼女にそれをすることはない、できないのだから。
片づけをする間、必ずわたしは彼女がすぐに見える場所に連れていく。
目を離すことができないとは、よく言ったものだ。
「よっし、片付けも終わりました、今日は何をしましょうか」
やることも済んだので、ゆかりさんと机を挟んで腰を降ろす。
ゲーム盤を用意したところで、ゆかりさんの様子を伺う。
「今日は、オセロにしましょうか、負けませんよ」
十数秒ほど待ったところで、ゆかりさんの反応がないため、適当に準備を始めた。
「おっと、そろそろ時間ですね」
掃除に時間がかかってしまっていたせいか、オセロが終わることなく時間がきてしまう。
まぁそれ自体はよくあることだ。
やり取りが少ないせいか、やたらと時間が経つのが早く感じる。
日に日にゆかりさんの反応は、少なく、短くなっていっている。
…もしかすればそれは、ゆかりさんの時間が短くなっていることなのだろうか。
あと、どのぐらい、ゆかりさんと過ごせるのか?
気づけば、わたしはゆかりさんに抱き着いていた。
一瞬、勢いがついてしまっていないかと悪寒が走る。
「きりたん?」
少し困ったかのようなゆかりさんの声がする。
良かった。勢いはなかったようだ。
「すみません、なんでもありません。また、あ、明日」
慌ててゆかりさんから離れて、近くに置いておいた自分の荷物を掴み、部屋を後にした。
翌日、学校のホームルームで先生の話を聞きながら、私は窓の外を眺めていた。
昨日から天気は悪かったが、小雨が降り始めている。
台風が発生し、この辺りを通るコースを辿っているのだ。
雨は嫌いだ。
ゆかりさんの家に行くのに邪魔でしかない。
放課後になってすぐ、私は傘を持ってゆかりさんの家に向かった。
その翌日も、雨は弱まることを知らず、土砂降りになっていた。
土砂降りの中、今日もゆかりさんの家に着く。
台風の姿が近づいているが、ゆかりさんの家に来るのをやめるつもりはなかった。
風が吹いているので、ノックをする余裕もなく、素早く扉を開けて中に入る。
中に入るまで気づかなかったのか、ゆかりさんが玄関へと来ていた。
晴れの日も、雨の日も、雪の日も、嵐の日も、学校が臨時休校になっても。
わたしは毎日必ずゆかりさんの家に訪ねていた。
それを止めるつもりは毛頭なかった。
ゆかりさんのところまで毎日行かないと。
そうでもしないと、わたしは決して、納得なんてできるはずもないのだから。
それから何日だっただろうか、何回目だったのだろうか。
もう、どちらも数えられなくなってしまった。
いつものようにゆかりさんの家にお邪魔して、玄関を閉めて靴を脱いでも、ゆかりさんが顔を見せなかった。
水の流れる音が聞こえ、全身が総毛立つ。
何度も感じたはずなのに、逸る感情が止められない。
荷物を玄関に捨て、ゆかりさんがいるであろう台所まで駆ける。
「ゆかりさんッッ!!」
予想通り、そこではゆかりさんが自らの腕を流水にさらしていた。
わたしの声に反応なく、虚ろな目をしているゆかりさんの腕を掴み、水の外に出す。
腕の傷口から血が滲み浮いてきている。
周囲の雑菌はさっきまでの流水で流れているので、シンクの下に置いていた救急箱からガーゼを取り出し、傷口を押さえる。
何度やっても、本当に慣れることがない。
自分が押さえている傷口から、血が染みてくるこの感覚には。
心臓が早鐘を打っているのが否応にもわかる。
そして、押さえているゆかりさんの腕から伝わるはずの鼓動が、ひどく弱々しい。
血の流れを少なくするため、ゆかりさんを床に座らせ、心臓より上に腕を持ってくる。
後は、血の滲みが止まるまで、少し待つだけだ。
「どうしたのきりたん、青ざめた顔して」
意識がはっきりしたのか、ゆかりさんが首を傾げて口を開いた。
どう考えても今明らかに顔色は貴方の方が悪いというのに。
「ははっ、何を言っているんですか。日の当たらない台所で二人して座ってるんですよ、そう見えますって」
決して、その事を口にすることはできない。
わたしはごまかすように笑う。
こっちには、もう慣れたものだ。
ゆかりさんに、わたしはにへらと子どもらしく笑顔を返した。
今日もあの子は扉を叩く 鍵谷悟 @Nath-10
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