第836話 有機物の価値
ゲストが
出したい訳ではなかったが好奇心から覗いてみたら、屏風覗きの持つトイレの概念が通じなそうな形状をしていた。
分かりやすく例えると逆スッポンというか、座ったところがスポッと尻に吸い付いて一滴残さず吸引してきそうな感じ。
日本の清潔で快適なトイレに慣れ親しんだ人間には最初のハードルが高すぎる。いやまあ、逆に清潔かもしれないが。これならどんな間抜けでも床に飛び散らせることは無いだろう。
たまにお店のトイレとかで床がヒタヒタになってるような酷い状態を見かけることがあるが、あれは酔っ払いかそれに類する脳の作りの人が振り回しているのかね? 他の客にしても清掃する事になる従業員にしても迷惑千万な話だ。
まして無重力で飛び散ったら大惨事だものなぁ。実際の宇宙ステーションのシャワーとかもこんな感じに水気を吸い込む機能があるのだろうか。
ちなみにトイレの使用には海外のようにお金が掛かる模様。ゲストは1回3『ナントカ』らしい。『ナントカ』の部分はキーッ音で聞き取れなかった。
便宜上の単位として『カロリー』と解釈しようと思う。取引でも食品のカロリーが査定基準として重要であるようだったし、ここでは下手な貴金属より価値があるようだ。
先の取引で手に入った『カロリー』は1万4000。餅の合計が6700、爆弾おにぎり×11が5280。カツオブシは1本で360キロカロリー、梅干しひと壷で1650キロカロリー。
壷自体はほぼ価値なしで、紙と紐は何故か10カロリーになった。キリよくするために上げたのやら下げたのやら。
――――施設の居住者は全滅している。
彼らはこの真空の世界によって圧倒的に閉じられた施設で様々な理由で死んでゆき、その遺体はコロニーの法に基づいて体のごく一部だけを保管された。
後はすべてを『カロリー』に変換されたらしい。
屏風覗きもこの施設で死んだら法に基づきそうされるそうな。客として遺体を丁重に保管して遺族に返すような余裕は無いのだろう。
SFやディストピアの話でわりとある設定だ。
人の死体も見方を変えれば宇宙における有機的資源。特に補給の目途がまったく立たない状況では猶の事。
背に腹は代えられぬ。倫理もクソも無いけれど、彼らは彼らなりにここで生きていくためにこうした法律を設けたのだろう。
SFチックな世界に来てちょっとメカとか期待していたのだが、そんな浮ついた気分では無くなった。
嫌な意味でリアル過ぎる。生臭いほどに。
コロニーがあるならもちろん宇宙船とかもたくさんあって、誰もが名前くらいは聞いたことがあるSF的移動方、ワープ的な方法でお手軽に星々を行き来できる夢の未来世界――――なんてのはS
正しく
ここは言うなれば未来の蟹工船。あるいは刑務所・収容所がニュアンスとして近い。
宇宙の開拓の最前線と聞こえよく言うことはできるけど。どうもこれは普通の人なら誰もが押し付けたがる役回りの類。ここは訳アリの人が潜り込むような暗い場所だったようだ。
さもあらん。わずかな歯車のズレで全滅しかねない宇宙という厳しすぎる世界。しかも恒星というただでさえ危険な場所にわざわざ近づいて、数十年単位の気が遠くなるような任期の作業に従事など誰がしたいだろう。こんなところに自分から来たいのは変人だけだ。
ならそんな嫌すぎる作業に従事するのは誰の仕事になるか?
軍のお偉いさん? フロンティアスピリット溢れる国の指導者? 天才と謳われる科学者?
すべてNO。答えは『今も昔も、
社会的弱者だ。
国を挙げての一大プロジェクトだろうと末端なんてこんなもの。スーツ姿の人間が現場でドカチンやってるわけもない。
まあそれはどうでもよろしい。屏風覗きには関係ないことだ。
すでにこのダイソンスフィア計画は破綻している。ここに送り込まれた人の帰りを待っていたかもしれない何処かの誰かの記録さえ、故郷の星で途絶えている。
同じくこのコロニーに送り込まれた人間たちも。とっくに死滅していたのだ。
終わった世界を健気に管理しているのは機械だけ。それも経年劣化や事故による被害で整備や修理が少しずつ難しくなり、機能不全に陥っている場所が散見する。
いずれは完全に壊れるだろう。
偉大なコミュニティとらの産物も、すべては瓦礫の向こう側。人類らしい結末だと、どこか皮肉な気持ちが起きるのはあまりに意地が悪いだろうか?
けれど死者たちの墓標代わりにくれてやるのに『星』ひとつは大きすぎるからと、知り合いの悪魔に頼まれてここに来た。やる事だけはやるとしよう。
今の時点で考えられる方法としては力技が有力だ。
星の破滅を招く光が降り注ぐのを防ぐだけならそう難しくない。
ダイソンスフィアの鏡によって集められた光は、受け取り手となる受信施設に向けて集束放射される。その集束に使われる部分をわずかでも壊せばいい。
後は集められた太陽の光が勝手に解決してくれる。
――――昔からの漫画的表現として『敵の放ったレーザーを手持ちの鏡で反射して逆転』なんていうシーンがあるが、あれは現実だとはっきり言って無理だ。
鏡面にあるかすかな傷や歪みも、殺傷が可能なほど強力に集束された光は見逃してくれない。そのわずかな鏡の濁りで反射し切れなかったエネルギーがどんどん籠っていき、鏡など一瞬で溶けてしまうからだ。
それを可能とするほどきれいで頑丈な集束機を作れているからこの計画がスタートしたのだろうけれど、空間ごと切ってしまうキューブでいくらか削ればあっという間に溶けて破壊されてくれるだろう。
もしくはかすかでも角度がズレてくれればいい。
照準の先は1億50000万キロメートルの彼方。地球サイズの惑星でもキリで開けた穴より小さいのだ。わずかなズレが発生するだけで光の照準から逸れてくれるだろう。
そうじゃないと困るとも言える。どこかをピンポイントで壊すなり動かすなりで済まないなら素人の手に余るよ。
屏風覗きは未来の技師や凄腕のスパイとかじゃないのだ、黒タイツでセンサーの網を搔い潜って、コントロールルームからカチャカチャとキーボードを叩いて施設の制御を奪取、なんて事は出来ない。
やれるのは壊す事だけ。機械を作るのは技術者しか出来ないが、壊すのは素人でも可能なものだ。
世に『何もしなくても壊れた』なんて迷言があるくらいには。
プランは決まった。壊す施設の把握を済ませたら次はそこに至るための『移動手段の確保』が必要だろう。目当ての設備の位置はもう『管理者』との会話で分かっている。
残念ながらキューブは目で見えていても目標が遠すぎると出てくれない。壊せる位置まで近づく必要がある。
〔それでトレーダー、次の取引はいつ頃に可能ですか? 我々はまだまだ食料を求めています。可能であれば施設の修理が可能な人材の派遣、あるいはそれが可能な方とのコンタクトをお願いしたいのです〕
姿なき『管理者』に『どういった修理が必要かによるし、軽く見て回りたい』とかなんとか胡散臭い商人らしい顔をして告げる。
出来ないとは言わない。まだ。
もう人のいないこの場所で食料を買い求める『管理者』。それはいずれ新たにやってくるだろう補充員のため。食料プラントが壊れた現在、大量の人員が配備されれば大混乱となってしまう。
せめて壊れた施設を修復するまでの間を持たせるための食糧がいる。それが『管理者』の判断。
――――この『管理者』はおそらく狂っている。表面上はまだ正常に動いているように見えて、どこかが致命的におかしくなっている。でなければ『いつどこから入ったか知れない侵入者』などと取引などするか? 何がおかしいとうまく言えないけれど、判断がチグハグすぎる気がする。
そんな狂った相手に『あなた星の文明は潰えました』と告げる事に、
さらに言えば別のキナ臭さも感じた。こんな表現をするとどこかから怒られるかもしれないが――――この『管理者』の発言のニュアンスから、どこか全体主義や共産圏のにおいがするからだ。
もし望まぬ答えを、『もう取引する気もないし、
役立たずと知れた不法侵入者を、あの社会に染まった国家がそのまま黙って返すだろうか?
人ひとり分のカロリーにされるのは御免だ。
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