第835話 熱の価値
卵型ドローンは目の前で銃身らしきものをメタリックなボディに仕舞うと、クルリと回転してあっさり出て行ってしまった。
これみよがしに銃口を見せる行為が威嚇とするなら、それを仕舞うリアクションをこちらに示すのは『おまえへの警戒を解除した』という、ある程度の友好を視覚的に表す意思表示のためなのだろうな。
とりあえずカードなんかの物理的な証明書は貰えない模様。さて、ゲストIDとやらが発行されたらしいけどそれでどうなるのだろう?
夢の国的なテーマパークじゃあるまいし、後は自分で行きたいところに行けというのはいささかブン投げ過ぎでは? せめてトレードができる施設への案内板でも無いもんか。
あっても内容が読めないけどさ。ある程度発達した文明なら万国共通のピクトグラムの類でも表示しておいてくれないかなぁ。
そう思って軽く頭を抱えて居たら、室内にある備え付けの机と椅子に変化があった。
テーブルが液晶画面のように輝いて、何か表示が行われようとしている。例えとしてはOSの立ち上げ画面と言えばそれっぽいかな。
〔ようこそトレーダー。価値のある物資を運ぶあなたを歓迎します〕
最初に聞こえた声やドローンから流れたものと同じ声質に思える。これはいわゆる人工音声の類だろうか?
流暢だが、よく聞くとどこか人らしからぬリズム。たぶん人の声との差別化のために
机の変化に伴って椅子が自動的に後ろに引かれていく。床に据え付けてあるのはこのギミックのためでもあるのかな。
やがて陶器やガラスのような質感の簡素な机に、明確な意図を込めているらしい記号が点灯する。
理解できそうな記号は『↑』と『↓』くらいかな。対面を指す形の矢印だ。他にも文字らしいものが書かれているけどこちらは読めない。
まあ椅子が引かれたという事は、たぶん『ここに座って交渉しろ』という事だろう。これでバラエティの『ジャンケンしてピコピコ殴り合うゲーム』のテーブルだったらビックリである。
初対面の素人相手に番組的リアクションを要求してくる無茶ぶり文明だったら嫌だなぁ。ショートコント、タクシーとかくらいしかレパートリーが無いぞ。
などとアホな事を考えてしまったが無用な心配のようだ。そも対面の席には一向に人が現れる気配が無い。
ただ時折チリチリとした光のチラつきのようなものが椅子の上に見える。もしかしたら立体映像の類でも出そうとしているのか?
応対としてわからないではない。こちらはどこの誰かも分からぬゲスト、という名のさっきまで不審者だった人間。直接会うのは警戒したのかも。
この部屋自体がそういった『一見さん』のお相手用なのだとしたら作りが質素なのも納得だ。すぐに武装した警備が飛んでくるのも当然である。ゲストになったとはいえまだまだ信用されていない段階なのだろう。
しかしそうであっても商売だ。少しでも相手の印象を良くするために人の映像だけでも出してフレンドリーさと安心感を演出し、交渉相手と友好的なやり取りをするための機能なのかもしれない。
その肝心の立体映像装置が壊れてるっぽいが。ひとまずコミュニケーション出来ればいいから、こっちはこれで構わないけどね。
ではまず見えない『誰か』と話をしてみようか。この向こうに『本物の人間』がいるのか、機械が交渉を代行しているのか。それさえも分からない段階だし。
とりあえず会話のジャブ。引かれた椅子に座るにあたり、『手荷物』を床に置いてもいいかと問うてみる。
なにせ宅配代金をケチッて土産をぜんぶ抱えて帰ってきた旅行者のように、全身に荷物を括り付けているので。この状態で椅子に座るのは具合が悪いのは本当だ。
〔トレードする商品は机にどうぞ。それ以外は防犯のためそのままお持ちください。交渉中の物品の安全は6wprgsdfx;,v法、第33条において保証されますが、身から離れた物品の盗難は保証いたしかねます〕
さようで。ここまでやり取りは完全に入国管理の審査を受けている気分だな。それも国自体がちょっとだけ物騒なところの。
紐で括っている2升分の、つまり計3キロほどになるお餅の束をまず机に乗せる。軽めのダンベルくらいの重さがあるから地味に首や肩が凝るやつである。
しかし無重力下で3キロの重りがついた紐を肩からブラ下げているとか、下手をするとセルフ首吊りになりかねなかったな。この環境で地上基準のまま動くとそのうち痛い目に合いそう。
〔――――査定しました。こちらの品すべてで6700の非常に良質なエネルギーと換算します。トレーダー、他にもありましたらぜひ〕
食べ物を『エネルギー』呼びするのはいかにもSFの世界っぽい。しかし『6700』という数字に若干の引っかかりを覚える。
餅は栄養学的に見ると100グラムでざっくり230キロカロリーほどの食品とされている。細かく言うと234キロカロリーだったかな?
つまり3000グラムでだいたい6700前後のカロリーを持っている。相手の査定と同じくらいだ。
この計算に当てはめられた多くの基準と算出式は、『屏風覗きの知る文明』と酷似している。
穀物のエネルギーの大まかな換算。それを基にした四則演算の解。少なくともこのふたつは近いと見ていい。
いや、そっくりと断言しよう。年代は相当に離れた未来だとしても、この世界の文明は屏風のいた世界と極めて近いのか?
同じく風呂敷から爆弾おにぎり(目算300グラム)をひとつ、鼻かみ用に持っていた紙を下に敷いてから机に置く。
いかにも昔の保存食めいた格好の田舎餅はまだしも、おにぎりの机直置きはちょっと抵抗があったので。
笹の葉っぱでもあれば少しは品があるのだけどね。紙皿に置くよりおにぎりが美味しそうに見えるのは間違いない。
〔穀物主体のエネルギーブロック。エネルギー420と査定します。植物由来の製品も鑑定しました。
今のペーパーはどっちの事だろう? 海苔も植物由来の『紙』みたいなもんだしなぁ。海外でも『Nori』や『Konbu』と呼ばれて、海藻も食べ物としての認知も広まってきているのだが。
そして日本語で『紙』と言わず『ペーパー』か。それを言ったら『ゲスト』やら『トレーダー』呼びからしておかしいのだが。
未知の言語と遭遇した場合、その翻訳は困難を極める。まずすべての単語を互いに該当する単語と、あるいは類似するものを探して擦り合わせる必要が出てくる。
『掘ったイモ弄るな』という日本語の一文が、海外のまったく別の会話に似通っているという話を聞いたことがある人もいるのではないかな。
互いの言葉をキチンと理解していなければ、一見通じたようでも的外れになる。それが言葉というものだ。
この大事な過程を軽く飛ばして、意味を正しく認識した単語を向こうは使えている。売人=トレーダーと理解している。これは穏やかではない。
それほどの高度な翻訳機械を持っているのならまだいい。問題になりそうなのは日本語のライブラリが存在していたりした場合だ。
実はここが屏風覗きのいた世界の百年後、とかだったら嫌だなぁ。いずれ滅びそうな兆候はあったけどさ。
――――もしかして、相手側の翻訳機能ではなくこちらのスマホっぽいもの由来の翻訳か?
下界の人間の言葉は理解できないからそういう機能は無いと思っていた。いや、まだどっちなのかは判断できる段階じゃないけどさ。
それに『だからどうした』という話だし。散々に思考をとっ散らかしておいてアレだけど。
この世界がどこであれ、どんな高度な文明の残滓であれ。そんなもの別にどうでもいい事だ。
屏風覗きは考古学者でもSFマニアでもない。とうに文明が終わっているこの世界の何を検証してもしょうがない事だ。
つい言われるままに交渉の席についたけど、それだって目的に至るための手段。トレードしに来た訳ではないのだ。
余計な思考停止。これを取っ掛かりにして何かしら話を聞くことにシフトしよう。
まだ持ってきた食料の価値は定かではない。
けど特例法とやらがあって、身元不明の人間とさえ積極的に交渉するほど困窮している場所だ。簡単な情報提供の対価としては十分機能するだろう。
〔大変有意義な取引が出来ました。トレーダー、今後も継続できる販路があるならば、ゲストから昇格し8dot,vdsvの偉大なるコミニュティに参加しませんか?〕
宗教か。とツッコミそうになりつつ曖昧に笑っておく。
誰もいない対面の席に向けて。
――――交渉中に知れた情報でこの施設の大まかな事と、屏風覗きがすべき事のための
この施設の名はカタログに表示された通り『Planet Rhine』。
悪魔に連れてこられた『惑星』から約1億5千万キロメートル離れている人工建造物の中。
俗に言うスペースコロニー。
恒星を覆う未完成の発電施設、ダイソンスフィアの管理のために設けられた数少ない人の住める空間のひとつであり、ほぼ唯一機能している居住区画。
ダイソン球は着工からとうに200年以上が経過し、いまだ『建造途中』。
工事が完全に停止してから150年以上が経つが『中止命令』は来ていないため、コロニー側には『計画は一時中断』と判断されている。
コロニーは長年の酷使により設備の破損あり。
特に食料プラントに致命的な障害あり。
『星』との最後の定時交信が途絶えてから160年あまり。
生存者――――無し。
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