第834話 基本的に時代が進むほど身元審査は細かく厳しくなる

 おっかなびっくり入った室内は酷く殺風景なところだった。外の通路っぽいところのほうがまだ人が行き来しそうな痕跡があるくらいに。


 ここは本当に『お店』なのだろうか? あるのは床や壁に固定されているらしい質素な家具くらいだ。それもいたくシンプルな。


 まるで一番効率の良い形だけを設定して、趣もクソもなく3Dプリンターで作ったみたいな形状。本物の家具ではなくデフォルメされたオブジェと言われたら信じてしまいそうだ。


 室内外を照らす光源は現代的なライトに思える。天井に埋め込まれているようで一切の出っ張りはない。


 こういった措置は無重力を想定しているからか? 家具を固定せず置きっぱなしだと、もし重力を失ったときちょっとの事で散らかることになる。


 照明も吊り下げ型なんかはだいぶ危険だ。下手な力が掛かるとそれだけでヌンチャクみたいに室内をブンブン回る事になるだろう。

 重力という自然のブレーキがきかない世界とはそういうものだ。わずかに生じたベクトルだけで延々と動き続けることになる。大気があれば空気抵抗によっていつかは止まるだろうが。


 何かで読んだ話だが、無重力下で懐中電灯を点灯していると放射している光の圧力を推進力として、懐中電灯本体がゆっくりと進んでいくというからびっくりしたものである。


 あらゆるものが1G下より繊細に影響する世界。それが無重力。子供の頃は憧れたけど、大人になった今では何かの拍子に取り返しのつかない事をしそうで怖さしか感じないな。


 今ここに重力があるのもさっきの無重力を体験すれば仮初と感じる。おそらくここは無重力状態こそ『自然』な場所だろうし。


 なんとなくそう感じる。体に掛かる重さにいつもと違う形容し辛い違和感を感じるからだろうか?


 場所を動かず観察を続けて数分。見るものがまるで無いにしてはじっくり観察してしまった。


 これは慎重というより臆病からくる停止。いわゆる二の足を踏んでしまっている状況。


 何せちょっと前にショッピングモールでゾンビパニックを経験したのだ。さっきからゾンビの代わりにSF的なクリーチャーが出てきそうで怖いったらない。強酸の体液を持つエイリアンから逃げ回ったり、工具で戦う技術者みたいな目には絶対に遭いたくないんですが。あれはどっちも妖怪より怖ぇーよ。


 しかし、そろそろ動くべきだろう。あらゆる意味で時間は有限なのだから。


 ひとまずこの誰もいない空間で声などかけてみる。チラリと『音を立てると化け物に気付かれる』というホラーゲームじみた考えが浮かぶも、他にやれそうな事が無いからしょうがない。


 大将、やってるぅ? なんて軽薄な言い方は不適切かな。とりあえず誰かいませんか、くらいのニュアンスで。『お店』なら客のリアクションに応えてくれるかもしれない。


〔音声を認識しました〕


 ビクウッと全身の毛が逆立つほどビビる。人は驚くとものすごい悲鳴を上げるタイプとガチガチに硬直するタイプがいるけれど、屏風覗きは硬直するほうだ。


 今関係ない話だが、後者の先祖は危険に対して逃げ隠れを選択し、前者のご先祖は周囲への警報装置役として進化してきた種だったんじゃないかなと思う。


 だとすれば自分が危険から注目されても仲間に危険を知らせる悲鳴派のほうが生物としては善良かもね。


 それはともかく今のは日本語か? 声は中性的で口調から年齢は読み取れない。


〔当サービスはmjhy5trfc――――のコミュニティのみが利用できます。ゲストはIDを提示してください〕


 やはり日本語に聞こえる。ただ一部の固有名詞らしき部分がまったく聞き取れない。そこだけ高周波のような不快な音としか聞こえなかった。いわゆる黒板キーッな感じ。


 しかしIDと来たか。このスマホっぽいものを提示すればいいのだろうか?


 特に『どこにタッチしろ』なんかの表示は無い。壁を見回しても何も変化はないようだ。


 ちょっと嫌だがケースから取り出し、スマホっぽいものの画面側を外に向けて印籠のように掲げてみる。控えおろう。


 10秒くらいたったが変化なし。若干の恥ずかしさを感じつつケースにしまっておく。ノリでバカをやるもんじゃないな。恐怖心を無駄に明るく振舞うことで誤魔化したかったからとはいえ。


 改めて中空に話しかけてみたが反応なし。そろそろ幻聴さえ疑いだしたとき、入室したあと当然のように自動で閉じていたドアが開いた。


〔ゲストIDの発行を確認できませんでした。これより24時間以内にIDを提示できない場合、あなたは違法な侵入者と見なされます〕


 外から入ってきたのは銃身らしきものを搭載した人の頭ほどの卵型の浮遊機械が1基。いわゆるドローンと呼べば分かりやすいだろうか。


 先ほどの声は部屋全体から響いている感じだったが、今度はこの卵型ドローンに備わったスピーカーから聞こえてくるようだ。


 すでに色々と混乱する事が多すぎる。だがひとまずはこの機械とコミュケーションを図ってみることにする。


 簡単な受け答えだけでもいいからここの情報が欲しい。そもそもここはどこなんだ? 『Planet Rhine』という『お店?』では無いのか?


〔プラネットラインは当施設の総合名称です。ゲストIDを持たない方との交渉は請け負っておりません〕


 いくつか話を振ってみたが断片的な事しか分からない。なにしろ二言目には『ゲストIDを提示しろ』の一点張りである。いやまあ警備ならそんなものだろうけどさ。許可の無い不法侵入者を相手に懇切丁寧な対応とはいくまい。


 日本語を話すことに関しては取り合ってくれない。ドローンが使う言葉の名称を問うても『poiu8yhgf2rde言語です』と、肝心なところでキーッ音になって聞き取れなかった。


 ひとまず分かったのは『お店?』の規模が思ったより大きい事か。きつねの隠れ宿や悪魔の服飾店のようなこじんまりとした店舗ではなく、最近矢盾と行ったショッピングモールのような大型のお店のようだ。


 それにしても困ったな。侵入者には初手で銃口を突き付けてくるくらいには物騒な場所らしい。変な動きをしたら即座に撃たれそうだ。


 だが意思疎通はなんとか出来る。ダメ元でそのゲストIDを発行してもらうにはどうすればいいのかをドローンに問うてみる。


〔――――現在発行許可が出されているものはコミュニティのご家族への一時発行・コミュニティ外の商業関連・軍事関連ライセンスとなります〕


 一瞬の間を置いて返答がされる。


 機械の受け答えにしては少し反応が悪かったような? それでもこの世界の機械は人の難解な言い回しにも対応できるくらい優秀らしいと分かった。具体的にはプレゼン下手なうえに緊張している人の説明みたいなものでも、最後まで我慢強く聞いてくれるし理解してくれる。


〔もっとも発行され易いのは商業ライセンスとなります。現在当施設では食料が不足しており、特例法を適応して広く食料を募っております〕


 突破口。


 屏風覗きの体には全身に括り付けた下界へのお土産という名の食料がある。


 餅にお饅頭に干し大根。梅干しを入れた壺と味噌の壺。カツオブシが丸々1本。目玉は爆弾おにぎり×11です。さすがに硬くなっちゃったので雑炊にでもブチ込む予定だった。


 商売という括りだと量が少な過ぎて門前払いかもしれないが。物は試しとドローンに提示してみる。


 まずは無難にお餅から。ソフトボール大もある暗黒物質の如きライスボールを見せるのはちょっと敷居が高いだろう。


〔食用に耐える穀物の加工品と判定〕


 このドローン自体にかなり高度な物体の判別センサーがついているのだろうか? 何かしらの検査キットなどを使うことなく判別が行われたようだ。


〔特例法に基づき、あなたにゲストIDの発行手続きを推奨します〕


 そう告げたドローンは空間に見えないレールでもあるかのような正確な動きで室内を飛び、室内奥の壁に何か細い光を放射した。


 すると壁の筋目がカチャリと開いて、他とは質感の違う清潔そうな白いプレートが出てくる。


〔こちらに手、もしくは肉体の一部で直接触れてください。ゲストIDの発行はtig3kedlc特例法第16条――――〕


 たぶんドローンは規約を読み上げているのだろうが、固有名詞でいちいちキーッ音が入るので耳というか頭がゾワゾワして聞きたくなくなってくる。


 プレートに手を触れるとヴーという感じの重低音が響いて、何かにスキャンされたような気分になった。人間ドックの検査みたいな感じだ。


〔ゲストIDの発行が行われました。ようこそトレーダー 。あなたにはID発行時刻より24時間の滞在が許可されます。可能な限り早くトレードを行ってください。当施設は良質の食料を必要としています〕


 まだまだ不明瞭な事だらけだけど、ひとまず第一関門突破と見ていいのかな?

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