第833話 天地無用ノコト

 開いた『門』の先は室内のようだった。


 過去にはとばり殿が捕らわれていた牢にも門は開いたので、ある程度の広さがあれば室内でも『門』は開くっぽい。


 念のため『自動防御』は使っている。一見して平気そうでもこの先がどんな状態か分からない。


 深刻な病気が蔓延していたり、重度の放射能汚染がされている可能性だってある。


 これを使えばさすがに即死するような事はあるまい。ただし、入るなり効果時間が激減しだしたら退散も視野に入れよう。


 手に持っていた番傘は刀のように腰に差し、手荷物を結んでいた紐を使ってギッチリくくった。片手では何かと不便でしょうがないしね。


 スマホっぽいものも袖から左手のケースに仕込み直す。今は即応性より携帯性。手からこぼすと致命傷になりかねない気がする。


 ひと通りの準備が出来て周りを見るとゴールド氏がいない。はて? 


 いや、もう悪魔からしたら『救済』が始まっているのか。


 ――――お人好しの悪魔の道先案内は終わり。ここからは人間の力だけで人類を救わなければならない。それこそ彼女が守らねばならない絶対のルールなのだろう。


 潜った『門』の先の印象はミッドウェーの艦内が近い。


 壁に、天井に。剥き出しの配管が連なっている。景観より整備性を重視した合理的な感じ。


 そして世界に色がついて時間が動き出した途端、驚く。


 体が浮く!?


 良く言えば水の中より滑らかに。悪く言えば一切の容赦なく体の自由が利かなくなる。


 常に重力の中で生きてきた生き物が、水中より遥かに抵抗が消えた世界に放り出されて何を最初に感じるだろうか?


 屏風覗きは混乱、そして恐怖だった。


 古典的なドタバタカートゥーンなら水泳めいた動きで進む事が出来るところだが、本当の無重力下ではあんな事は真似は出来ないという科学検証を痛感する。


 右手をかけば右手側に回転を始め、かと言って空中で左手をかいても姿勢は戻らない。体内で反作用が起きて望む形に力が伝わらないのだ。


 人は何かしらの反動でしか無重力の中を移動できない。


 地面や壁を蹴ったり、ガスなどの噴射を利用しなければまともに動けないのだ。


 そして宇宙服のような装備を持たない矮小な人が頼るべき確かな物はただひとつ。他の質量のみ。


 無駄な抵抗をやめ、体がじわじわと浮き上がるのに逆らわず、固い平面への接地を待つ。


 無様に浮き上がった体がついに天井についたとき、そこに並んでいた配管のひとつを静かに掴んでようやくのひと心地を得た。


 ここで焦って手を伸ばしたらその反動でまた回転なりして、うまく天井に辿り着けなかったかもね。ワタワタと暴れたせいで、もはやここが天井の保証も無いけれど。


 そもそも無重力となると最初から天地が怪しい。今掴まっているこの面こそ壁や床の可能性も出てきたぞ。配管と思っていた棒状のこれは、こうして体を固定するための手すりなのかも。


 しかし、それよりまず確認すべきは『自動防御』の効果時間か。


 1回で12時間の効果を持つこのチートズルは、経過していく時間がスマホっぽいものの画面にタイマーで表示される。そして攻撃などを受けると余分に時間が消耗するという仕様だ。


 もしこれが1秒より速いテンポで消耗していたら、たとえ目に異常が見えずともその場所は人体に明確な害がある環境という事になる。


 腕に付けたスマホっぽいものを入れたこのケースは、単眼の輝く鬼の鍛冶師が作った名品。身につけた状態でも扱えるよう画面の部分がくり抜かれているので、ケースから出さずとも表示を見ることが出来た。


 1秒、2秒、3秒。かすかに速い気もするが気のせいな気もする。時報なんて聞けないのでコンマ何秒の違いだとするとちょっと分からないな。


 少なくとも人が生身でいて即死するような世界ではないようだ。


 次いで状況確認。室内。近代的。電気的な照明あり。生き物の姿――――無し。


 そして、壁(便宜上。天井か床かの論議はもう気にすまい)に文字っぽいものがあるのが見える。


 太古の洞窟の象形文字とか、惨劇の舞台となった部屋の血で書かれたダイイングメッセージとかではない。プレートらしき板に規則正しく配列されている。案内板の類だろうか?


 もちろん読めない。古代の絵文字のような面倒な形はしておらず、ごくシンプルな直角の線で形成されたタイプだ。アルファベットをさらに簡素化したらこんな感じだろうか。


 それ以前に文字であるかも確証は無いけど。記号かもしれない。


 ともかく、これまでの『門』の性質を見る限りたぶんこの近くに『お店』があるはず。


 結界に阻まれていた場合はその限りでは無いけれど。最初の隠れ宿の時はお店までかなり歩かされた記憶があるものなぁ。


 ただあの時は誘導灯のように石燈籠が灯ってくれたし、それに類するものが無いなら目当ての物はこの近くな気がする。悪魔の服飾店やショッピングモールはすぐ目の前だったし。


 考えたら奇妙な話だ。結界に阻まれて遠くに出る場合、客を誘導するシステムが店側・その世界側にあると言うのも。


 おそらくは店側も知らないのでは無いか? このような機能が勝手に構築されているなんて。


 ――――あの狐の女将は知っていたような口振りだったな。最初の一泊の後、どう歩けばいいか分からない屏風これに彼女は言ったのだ。


『進めば分かる』と。


 過去に屏風これのような『ポイントを使って異界から来た誰か』を泊めたとするなら納得だ。


『ポイント』についてもある程度は幽世で知られていた。市井には詳細を知らされていなくても存在自体は妖怪たちに知られている。これをうちの御前ボスは広く集めているくらいだ。


 話に聞く限りお上に献上すればそこそこの金や物資に変えてくれるという事で、運の良い者たちはこぞって差し出しているという。

 ポイントにいかに価値があっても、このスマホっぽいものを持たない者には利用法や換金法がそれ以外に無いのだから順当だろう。


 もちろん御前が民から慕われているのもあるだろうけど。献上すれば結構な額に換金してくれるという事実は間違いなくポイント収集の一助になっているだろう。


 1000ポイントでひと財産。ぐらいには――――いや、待て? あのときそう言ったのは誰だったっけ?


 ずっととばり殿だと思っていたけど――――チガウ?


 白い影が脳裏にチラつく。


 なぜか鈴の音を思い出す。それも安物の――――音の悪い鈴の音色。


 とばり殿じゃない。白雪様か?


 いやまあ、それがどうしたというと別になんて事は無いのだけど。ただの記憶違いだし。あの方ならポイントの存在も有用性もご存じだ。むしろとばり殿より正しくポイントを知る妖怪物人物だ。


 そう、何もおかしくはない。おかしくないはずだ。


 なんだ? この違和感。


 例によって思考が散らかりだしたとき、ここまで無音だった世界に『警報』が鳴り出して驚く。よく見れば室内の隅に警報用のランプもあるようでオレンジのライトがクルクル回るように点灯していた。


 なんだどうしたと周りをキョロキョロしていたとき、警報がピタリと止まってその数秒後、ガクンと強烈な重さを全身に感じた。


 どうやら無重力に備えて必死こいて張り付いていたのは壁だったらしい。


 天井から落っこちなくて済んだと思う反面、ものすごい間抜けな構図で情けなくなる。病院あたりの壁の手すりに掴まって遊んでる子供みたいな気分だよ。


 やがて壁に見えていた模様らしきものが自動ドアのように開いた。SF調のプシューという音を立てながら。


 なるほど。店はもう目の前にあったわけだ。文字書きのプレートはまさしくこのお店を示す看板だったのかもしれない。



<実績解除 無重力体験 1000ポイント>


<実績解除 スペースコロニーへようこそ 3000ポイント>

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