第829話 何気ないけど、かけがえのない朝の日常風景(メインは焼鰆、小鉢に切り干し大根と春ごぼうのたたき。タケノコご飯、味噌汁はたま麩入り)

 習慣付けられた人の体内時計はわりと正確だ。自分の人生に刻み付けた業と言ってもいい。


 などと思わせ振りに表現したところで別に大した話では無いのだが。


 ありていに言うと寝過ごしてしまった。いつも起きている時刻より遅めである。疲労が溜まりすぎて体が体内時計を無視してしまったらしい。


 外はもう明るい。時刻は6時を回ったあたりだろうか。幽世の朝はどこも早いので、これでもかなり御寝坊さんである。


 農家の方ともなれば日が出る前に起きるからね。それに屏風覗きも下界行脚だけが仕事だった頃は女将に4時起きさせられたものだ。旅人は江戸日本橋七つ立ちとか申しまして。


 いつか泊まった隠れ宿の思い出はともかく。目が覚めたのはニボシの出汁で丁寧に作られたお味噌汁の香りから。


 日本の朝の目覚めとして理想像ではなかろうか。ここにまな板をトントン叩く包丁の音がすれば完璧である。


「おはようございます、屏風様。もう起きられますか?」


 まだしょぼしょぼする目を開くと、寝ていた布団のすぐ横にたすき掛けした秋雨氏がいた。


 朝から元気いっぱいで飼い主の寝床に来るワンコのようで可愛い、とか言ったら失礼かな。この子は例えるまでも無く犬の妖怪だし。


 働き者の彼女はいつもの時間に起きて、そろそろ起きそうな気配を出した屏風これのために離れに運ばれてきた朝餉の温め直しをしてくれたようだ。


 挨拶を返して起き出す。いつもたらいに用意してくれている水がほどよく温いのがまたありがたい。身がしまる冷水もいいけれど、春の穏やかな朝こそこんな優しさに包まれたいものだ。


 昨夜の全身に圧し掛かるような倦怠感は幾分抜けてくれたかな? 薬湯くすりゆの効果だろうか。


 やはりただのお湯よりも薬効成分の有る温泉とかに浸かるほうが効能があるのだろうね。日本でも古代ローマでも人気コンテンツなわけだ。


 はしたなくおおあくびをかましながら布団を片付けようとしたところ、掛け布団にお馴染みの膨らみがふたつあったのでそのままにしておく。この子たちはもう少し夢の中で遊んでいてもバチは当たるまい。


 ここで『ぐおおおっ』、なんて冬眠に失敗した熊みたいな声を出して、居間の隅からヘロヘロと起きてきたのはろくろちゃん。


 熊と言うよりゾンビだな。伝統的な足が遅いタイプの。


 昨夜はあのまま泊まったらしい。深酒したようで顔色が最悪である。


「水くれや」


 消え入りそうな声で訴えてくる姉に挨拶して、かめから水をすくったひしゃくと顔を洗う用のたらいを渡す。


 あ、顔を洗うやつね。キラキラ用じゃないから吐くのはやめて。オエるのはトイレでよろしく。


「つ、連れてってんかぁ。駄目だわあかんわ


 う゛っ、なんて声を漏らして動きを止める子をおんぶしたくないんですが。昨夜いくら飲んだのやら。


 それでもここで吐かれると秋雨氏の仕事が増える。しょうがないので二日酔いの姉をお姫様抱っこで担いで行こう。過去運搬中に知り合いに吐かれた回数は2回。どうか3度目は勘弁して頂きたい。


 下駄をつっかけて土間を抜け、厠へ放り込んで置く。離れは昔の民家風だからトイレとお風呂は家とは別で外にあるんだよね。


 これから起きる事を予想してすぐに離れるつもりが、ろくろちゃんはとうに限界だったようだ。朝からすっぱいポンプが稼働した音を聞いちゃったよ。


 酔っ払いとはとかく罪深い生き物だなぁ。これから朝食だというのに食欲が無くなってまうわ。


 カラコロと音を立てて離れに戻ると、敷きっぱなしの布団からもぞもぞと置き出した赤と青の湯たんぽ二名とちょうど目が合った。


「はよ」「二度寝してしまったねぃ」


 おはようございます、お二方。まずは顔を洗いましょうね。


「屏風様、式神様たちのお世話は私がいたしますので。座ってお待ちください」


 ああ、いいからいいから。秋雨氏は温め直した朝食の配膳がある。出来る事を手が空いてる者が手伝うべきだ。


 慌ただしくお膳を両手に持ってワタワタしているわんこに苦笑して、落ち着くよう促す。こっちは任せて。せっかく作って頂いた料理を慌てて零してしまう方が問題だ。


 それに楽しいしね。毎日の子供の世話をしている家族の朝を体験できたようで。


 可愛い盛りの子供ふたりと、朝食を用意してくれる可愛い奥さん。実に贅沢な夢の光景だ。現実のご家庭だと戦場のような忙しい朝なんだろうけどさ。


 ――――生き方によっては屏風覗きにも、こんなあたたかい家庭が築ける未来があったのだろうか?


 いや、無いな。この幽世の片隅、この平和な離れだからこそ味わえた輝くような奇跡だ。


 まあそうしてる間にも厠の方から「うお゛え゛っ」という、とても水っぽい吐瀉音が聞こえるせいでセンチな気分が台無しだが。ワザとかと思うほど派手にえずくおっさんっているよね。


 向こうも落ち着いたら拾ってくるか。たらいの水はキンキンに冷えたやつに取り換えておこう。


「むや?」「秋雨、顔から湯気を出して何を固まっているんだぃ?」


 おっと。秋雨氏も実は体調不良かな? 春の陽気が続くこの頃とはいえ、風邪や疲労は時期を問わない。

 むしろ寒暖差で体調のバランスが崩れて、無意味にイライラしたり熱を出したりするのもこの時期だ。ここは動ける者が頑張らねばなるまい。





 華麗なるお手伝いさん二名と共に体調の優れないらしい秋雨氏の代行に名乗り出たのだが、顔を真っ赤にした彼女にものすごく強権に断られてしまった。


 その顔と発汗量で平気は無いだろうと諭したのだけどね。仕方ないので勝手に手伝う事にした。


 ここに来たばかりの頃は火打ち石の使い方ひとつ満足に出来なかったけれど、今では勝手知ったる賃貸の我が家である。


 そういえばあの時も式神コンビのおふたりが来てくれていたな。ひとりではロウソクの灯りをともす事も満足に出来ない屏風覗きを見かねて手伝ってくれたものだ。


「あったねぃ。火打ち石の使い方も知らぬとは何だこいつ、と思ったよ」


 現代の人間はもう火打ち石を使っているほうが珍しい部類です。近いところだとややニッチなキャンプ用品にあるフャイヤースターターだろうか。あちらは金属製の棒だが、セットの金属板を擦って火花を出すから火打ち石と原理は似たようなものだろう。


「あい」


 はい、と土間にある釜からすくったお味噌汁の碗を差し出してくる足長様から受け取り、これを居間で待機する手長様にピストン輸送する。そして手長様から秋雨氏に渡されてお膳にセット。

 いつもの離れの面子から繰り出すチームワークによって、今日も朝食のフォーメーションが居間に出来上がっていく。


 うーん実に素敵な連携プレイ。バケツリレーって無駄が多いよね、とかの無粋なツッコミは無しでよろしく。


 関係無いけとあれが役に立つ火事なんてあるんだろうか? 小さい火なら一杯だけバシャリで終わり。大きい火なら焼け石に水の気がする。


 最後のお椀を渡した後は、土間からよじよじと上がった足長様のおみ足を軽く洗って食卓につく。


 家族いっぱいのにぎやかな食事。これこそ掛け替えのない宝物。


 今日は祭りの最終日。夜に今日まで延期されていた宝を下賜する儀が行われるらしいけど、そんなものよりこの瞬間こそがきっと宝より価値のある時間だろう。


 御前ボスに不敬だから口には出せないけどね。宝なんて、この幽世で過ごした日々で十分貰っています。


「兄やぁーん、運んでぇーなー」


 ああもう。お食事前にちょっと失礼。手のかかるお姉ちゃんを連れてきますんで。介護が必要とかそろそろお婆ちゃん認定するぞこの酔っ払いめ。


 でもまあ、これもまたどこかであるだろう家族の朝の風景、かな?


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