第828話 もう寝るという時にやってくる予定外の来訪者ほど迷惑なものは無い

 頭蓋から脳がつるんと出そうな気分だ。


 昔お釈迦様が脳袋を出してハチミツで洗うことになった話をどこかで知ったのだけど、あれはどの漫画だったかな。日本屈指の有名漫画家の描かれたエピソードだったか、立川でバカンス中の聖人たちの話だったか。


 疲れて眠いときのお風呂は睡眠魔法と一緒です。稀にお風呂で溺れる人がいるというのもいざ当時者になると『なるほど』と思うよ。頭がガクンと行って顔面でお湯を叩いてしまった。


「風呂から上がったらもう寝てしまうのだねぃ」


 グラグラの頭を再び湯舟に落とさぬよう、クイッと引き戻してくれた赤いおてては手長様のもの。お風呂に付き合わせてすいませんね。


 ――――あれからとばり殿に起こされて予定通り宴会に向かったのだが、席は開始から変な空気に包まれていて前日よりずっと早く終わった。


 早々にお開きになった理由は上座に座っていたママさん二名にあるのは間違いあるまい。なんで茶席で会ってからものの2時間そこらでお互いの顔に青タンや引っかき傷があるのやら。


 聞けばお城の屋根でママ友という名の二大怪獣が大立ち回りをしたそうで。


 白猫城の美しい屋根瓦の一部がブッ壊れるわ、ケンカの現場を多くの城下の民にも目撃されるわで、とんだ赤っ恥だったようだ。


 なんでわざわざ目立つところでやるかなぁ。


 ケンカしないのが最上とはいえ、やるならやるで年季の入ったヤンキーなんだから場所を弁えなさいよ。そこらのチンピラだって人目につかない場所でカツアゲする程度の理性はあるもんだ。


 おふたりの格だけで考えて座らせると手が届く範囲になるためうまくないとして、間に牛坊主様と文旦様を配置して物理的に遠ざける席順になってたよ。宴会中にあの牛坊主様の笑顔が引きつる姿は初めて見たわ。


 まあ身分と役回り的に貧乏くじは仕方ない。他に格の近い白の重職は大首様と織部様だが、どちらも職妖怪職人仕事妖怪仕事人という感じの性格で接客には向いてないようだし。


 近いところだと白頭巾のリリ様は頭巾猫衆の統括で手一杯。もちろん宴会のような妖怪の多い不規則な場だと立花様は御前の最後の守りなのでお傍から絶対に外せないのだ。


 そう言えば屏風覗きは気付かなかったけど、一度だけ牛坊主様に『手伝え』みたいな視線でチラリと見られたらしい。


「うやぁ」


 疲労回復に良いという薬を溶いた白く濁ったお湯の中から、『ばあ』と言うようにぬうっと浮上してきたのは繊細な金髪を持つ足長様。可愛い海坊主もいたものだ。


 顔に張り付いた髪をよけて顔を拭ってやると、にかっと笑われる。屏風覗きも子供の頃はお風呂に潜ったりしたな。


 体が大きくなるにつれてやらなくなって、気付けば風呂釜が手狭に感じるようになったのはいくつの時だったか。


 ちなみに海坊主という妖怪はあくまで『大きな水怪』の総称でしかなく、分類するとまったく違う種類の妖怪や魔だ。中には人に神と称されるような森羅万象に近い破格の存在もいるらしい。


 いずれも藍の海に実在するそう。あまり陸に出てくる事はないそうで、屏風覗きは会ったことは無い。河童やタコ入道、亀の妖怪には知り合いがいるんだけどね。


「重鎮と呼ばれる大物が座布団を尻で温めるばかりではいたたまれまい? たまには蝦蟇ガマらしく油汗でもかいておればいい」


 牛坊主様のアイコンタクトに気が付いたのは屏風覗きの席に来て、タラの芽の天ぷらとタケノコの天ぷらをトレードしていた式神コンビだ。つゆではなく香り豊かな青海苔を散らした塩で頂くあたり通である。


 しかしおふたりは屏風これがとても疲れている事をおもんばかって無視したそう。こちらは黄金こがね様対策の助力を頼んでいる手前、後で恨み節を言われそうだなぁ。


 それにしても何があったのやら。いつもは気安いろくろちゃんも公の場では身分があるから、下っ端のこちらからは話しかけるわけにもいかない。


 まあいいか。今日は全部おしまい。明日の問題は明日の自分にうっちゃろう。お風呂に入ると体も頭も店じまい状態になって面倒になってしまう。








「おう。邪魔してんで」


 居間になんかいる。陶器製のでっかい酒瓶を片手に胡坐かいて座っとる。


 姿は正装のままだが乱れ具合が酷い。『客と一戦後の高級娼婦太夫』という失礼な言葉が思い浮かぶような格好だ。


 姉のいつもの姿は衣服も併せて術によるもの。しかし人化けのうまい妖怪は普通の服を着る事も出来るようで、今日のような正装の時などは人体だけを模して用意された着物や装飾品を身に着けているらしい。


 まあわかりやすく言うと、やろうと思えばスッポンポンの姿にもなれるらしいのだ。最近はむしろこっちを基本として、服を着飾ってオシャレを楽しんでいるらしい。


 後で聞いた話だが、初めに会った時は力がすっかり弱っていてそんな余裕はなかったそう。


 この頃は写し身の傘を出すのも億劫で、着物に模していた袖を本体の傘に戻して下界の兵士が放った矢を弾くために使っていたくらいだったのだ。


立花姉やんがガミガミうるさくての。朝まで匿ってんか」


 なんて言い出す不良傘。


 黄金こがね様とのケンカへの説教か、あるいは城の屋根を壊した事への説教か。うん、両方だろうな。市井にまで悪目立ちしたのだからさぞ憤怒されているだろう。


 部屋の隅に控えてる秋雨氏の目を見るに『もう就寝なのでと説得はしたんですが、ぜんぜん聞いてくれないんです』という感じ。


 こうしてお酒まで持ち込んでドカリと座っているのだ。これは口で諭せる段階ではないだろう。


 ならもう放っておきましょう。体育会系の先輩後輩よろしく、夜通しお相手する事も無い。


 いるんだよねぇ、次の日が仕事でも朝まで平気でお酒飲んでられる人。しかもそれならひとりで飲んでりゃいいものを、そういう人に限って死ぬほど誰かを呼びつけたがる寂しんぼなのだ。

 あげく飲みニケーションだなんだと、村社会みたいな狭い持論を展開するから始末に負えない。


 酒で理性のタガを外さないと本音で喋れない。酒で予防線を張らないと責任も持てない。そんな付き合いしかできない事が自慢になるのかね。


「傘。屏風はもう休ませる。おまえの勝手で起こすような真似はするんじゃないよ?」


「うやぁ」


 ありがたくも式神コンビからの援護射撃を頂けた。ただたまに出される手長様の老婆のような声は、この方の本気の時の声なので矛先が向いてなくても怖い。


 あと足長様は威嚇になぜに蛇拳のポーズなのか。


 幼児らしい短い手足での構えなのでコミカルに見えるが、『オレの地獄突きが火を吹くぜ』みたいなニュルリとした本格的な腕裁きである。


分かってるわーっとるがな。なんならうちが添い寝したろか?」


 いえ、酒臭そうだから結構です。顔の前でマーライオンされる夢を見そうで寝れやしない。


 なんや詰まらんのぉ。そう言ってぶすくれたろくろちゃんは座っていた座布団に横寝して、腕を枕に足で足をくしくしと掻いている。


 残業から帰ってきたOLの姉が居間で寝ながら深夜テレビでも見てるようだ。しかしこちらの就寝を邪魔する気は確かに無いっぽい。


 生活リズムの違う家族と同居していたらこんな感じだろうね。


 ではお休みなさい。


 秋雨氏が敷いてくれていた布団に倒れ込む。昼に干していてくれたのだろう。まるでさっきまで誰かが入っていたような優しい温もりがあった。

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