第827話 烏の翼の中でのひととき

 最後の茶席もなんとか無事に終わって、後の行事は夕食を兼ねた宴会を残すのみ。ここまでよく頑張ったと自分を褒めたいほど超眠い。


 人間はいくら抹茶カフェインを摂取しようと睡魔を感じるし眠いものは眠い。特に信玄餅とちらし寿司でお腹が膨れたのもあって、体が栄養を体力に変換するためにますます睡眠を欲している。


 もはや目の前がチカチカしてちょっと座っているだけでもすぅっと寝てしまいそう。何より上役との面会などで待ち時間に使われるこの畳敷きの一室。これが良くない。


 高そうな調度品などで飾っていてもそこは幽世。現代のようにネットやテレビがあるわけでもないから刺激らしい刺激は無く、誰かと会話でもしていないと絶対に睡魔が大行進してくる。


 そしてその会話をしていてさえもう限界。寝不足のまま長距離バスに揺られて大移動、トドメに鈍足のフェリーにでも乗った気分だ。


 忍者の言い伝えで仕事中に眠い時は体に針を刺してその痛みで起きていたとかあるけどホントかね? 個人的には甚だ疑問だ。


 だって深刻な怪我でもしないとやっぱり寝ちゃうでしょ。ちょっと痛いくらいでは本格的な睡魔という魔物は止められないと思うのだ。


「少し寝ておけ。宴会になったら起こしてやる」


 こちらが何度もあくびをかみ殺しているのを見かねたのだろう。だが優しいとばり殿はそう言ってくれるが、すでに一度仮眠を取っているのだ。


 ここまで来たら『睡魔が1周回った』状態まで耐えるのも手だと思って起きていようと思います。人は眠い時間をある程度過ぎると逆に目が冴えてくるからね。


「ん」


 眠気に対抗するため立ち上がって軽くストレッチをしていたら畳を指さされたので正座する。何がどうでは無く、この子にこう言われたら無条件に従う肉体反射が出来ているこの体よ。


「宴会中に寝たらそれこそ恥ずかしいだろうが。いいから」


 そう言って近くに寄ってきたとばり殿は屏風これの頭を持つと、正座の状態からコテンと横倒しにした。


「て、適当な枕が無いから私の膝を貸してやる。ありがたく休め」


 ここには上等な座布団があるのだけど。上等すぎて顔や頭皮の油をつけるのは忍びないという事だろうか。それを言ったらとばり殿の着物に皮脂油をつけるのは申し訳ないのですが。なんなら枕は無くてもいいのだ。


 しかしそう言って起きようとしても、この子のパワーで頭を上からガチリと押さえられたらどうにもならない。誇張でなくやろうと思えばこのまま膝と手の平で人の頭蓋をプレスできるくらいの威力が出せる子だから脱出は困難です。


 だいぶ気恥ずかしい。でも抵抗する気力も無いほど眠いのも本当で、もうすべてを任せて肉付きが悪いこの子のももに頭を乗せさせてもらう。


 ほのかに梅の香り。梅のにおい袋はとばり殿のお気に入りで、出会った頃から正装の時は決まってこの香りをさせていた。


 ――――思えば君に本格的に甘えるようになったのは、赤との祭り駆けの後だったかな。


 あの時もとても迷惑をかけた。いい歳のクセにずいぶんと取り乱してしまったのを覚えている。


「祭りで勝った後だったな。そういえばあの時も宴会が開かれていた」


 祭り駆けで勝った事でのお祝いだったっけ。生憎と屏風覗きは出れなくて、代役の方が化けて出ていたと聞いている。もしかしてあの時もイケボが代わってくれたのだろうか?


 だとしたら彼はずいぶんと運が無い。嫌いな屏風これと長く関わる事になると当時から暗示されていたような役回りだ。 


 彼には損をさせてしまった。でも損をした筆頭は間違いなくとばり殿だろう。


 人間に肩入れをしたせいで他の人間嫌いの兵たちと軋轢を作らせてしまった。


「そういうつまらん事を抜かすな。私は後悔など微塵も無いわ。何よりおまえといる事に何も不満は――――若干、多少、まあまああるが、ほぼ無い」


 ベシッと平手で頭を叩かれた。微妙に歯切れが悪かったのが人間関係のリアルで笑う。


 感動大作の物語のように大見得を切るのは容易い。


 世界を敵に回してもとか、人付き合いでそんな美辞麗句を平気でうそぶけるほうが嘘くさいし気持ち悪いというものだ。


 本当は誰もがいつだって自分の選択に迷っている。手を取った相手の価値を見定めている。損得の無い関係なんて無い。


 どんなに好きな人でもお互いに嫌な面というものはあり、それでも共に笑いあっていく気遣いができるからこそ隣人とは暖かいのだ。


 それをこの幽世という土地で教えてくれたのは君。人を食べる妖怪だっているこの国で偽妖怪としてやっていこうと思えたのは、あの夜にとばり殿のくれた暖かさのおかげだ。


 叩かれた頭に手を当てられる。小さくもあたたかいその手はいつしか屏風これの頭を撫でてくれていた。


 あれから色々とあって、きつねやで知り合った妖怪たちとの関係が変わった事もある。先の元みるく様などその筆頭だろう。


 ひなわ嬢とも変化があった。出会った当時は友妖怪友人としてでなく、ただ単に監視されていただけだったからね。彼女の裏の役割を知ったのはしばらく後だった。


 今はどちらともまあまあ良い関係を築けていると思う。


「あれが性悪なのは変わらんだろ。しかもおまえに付きまとっては酒や博打に誘いおって。最近では侠客の親分まで連れているから質が悪いわ」


 思わず苦笑する。あの凸凹コンビは何かと張り合ったり口喧嘩をするわりによく一緒にいるよね。


 会話の仕方も変わった。会った当初は何かと長セリフで捲し立てられていたけど今では普通に話すようになった。


 これは他の見回りから聞いた事だけど、ひなわ嬢は以前より付き合いやすくなったらしい。件の一方的な長いセリフを使う事が無くなったんだとか。


 前に皮剥ぎの万貫婆さんから聞いた話を考えるに、良い意味で周りへの警戒心が薄くなったんだろうと思う。向き合っている相手に対して今までより身構えなくなったのだ。


「どうだか。ひなわの事などいいからもう寝ろ、話は明日聞いてやる」


 明日は春祭りの最終日。選りすぐりの腕利きと共に城下の出店や桜並木を御観覧される予定のお偉いさんたちと違い、屏風覗きたち下っ端は交代で祭りへ遊びに行ける。


 式神コンビと秋雨氏、それに松ちゃんに祭りの空気の中を歩かせてやりたいな。南ならあのおふたりの存在を受け止めてくれるだろう。


 浦風一座も二日目からは寄席の方で舞台をしているはずだ。泥土でいどと浦衛門の役者勝負がどうなったのか気になるし、お栄さんの事も様子を見ておきたい。


 もちろんとばり殿との買い食いもする。楽しい事ばかりだ。でもやっぱりやる事は多くて明日も忙しくなりそうだ。


「他が何を言おうとおまえに救われている者はここにいる。忘れるな」


 まどろみの中で聞こえた声は優しかった。もったいないほどに。


 ――――もしまた、今度こそ死ぬ日が来たのなら。この子にこうして看取られたい。


 でもこの願いはきっと叶わない。なんとなくそう予感している。


 屏風これの最後はひとりぼっち。


 ならばせめて出会ってきた子たちのためになる。そんな死に方にをしたいものだ。

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