第826話 別視点、轆轤 義娘の築いた町

「茶でも飲んでればいいだろ」


 背後から無遠慮に近づいてきた轆轤ろくろに対し、黄金こがねは後ろを振り返ることなく呟く。


 手にしている酒は城で振舞われる上等な酒。それを客人の身分をかさに着て、宴を待たずに己の世話役に当てがわれた頭巾に用意させたもの。


「肴も無しにパカパカよう飲めるのぉ」


 瓦敷きの屋根に酒樽をまるごと置いて、ひとりますを煽る黄金こがねの横に轆轤ろくろはドカリと座る。


 手には黄金こがねと同じく一斗の酒樽。


 さらにとある事で知己を得た、目玉しゃぶりと呼ばれる凶妖の営む南の屋台から買いつけた小魚の干物もほどよく炙って持ってきている。


 場所代の代わりというようにまず隣りへひと切れ放った轆轤ろくろは樽の栓を引き抜くと、袖から出した自分のお気に入りのますへと流し込む。


 酒に劣らず上質の杉で作られた樽に入れられた清酒は材木の清涼な香りをよく移していて、多くの草花の香りが流れる春の空気にも負けることはない。


「今日は暑いくらいやのぉ」


 春の日差しをよく受けた瓦は少し熱を持っている。風もいたって穏やかで、よく輝いているお天道様と共に高い空におわす白い雲の動きもまた、実に緩やかなもの。


 この分であれば満開で咲き誇っている桜が無粋な風にビュウと飛ばされる事も無いだろう。


 城の屋根からは春祭りに湧く城下町がよく見下ろせる。


 咲き誇る桜に負けじと賑わっている店と人々の姿。通りに溢れる生き生きとした命の多さは、この国がいかに豊かであるかを何よりも饒舌に語っている。


 己の義娘の興した国の価値が分かる城下の賑わい。これを城の屋根から眺めるのは轆轤ろくろの密かな楽しみだった。


「嫌味でも言いに来たのかい? 負けは認めたんだ。あてはもう絡まないよ」 


 手元に放られた干物の端を噛み千切って、黄金こがねは勝負の勝ち負けはわきまえていると番傘に告げる。


 その目は相変わらず轆轤ろくろの方は見ていない。けれどそれはふたりが同じ景色を眺めているという事でもあった。


 久々に。ささやかな二人の時間が穏やかな風のように流れていく。


あては代を譲ったつもりで、その実はあの子をまだ持ち物みたいに見ていたんだね」


 ポツリ。本当は心の吐露を聞かせたい相手を向かず、黄の隠居は独り言のように呟いた。


 代を譲ったならば君主は月目。国の頂点は娘。それを頭で理解していても、黄金こがねは当然のように上座に座ってしまった。


 親として子より上。初代として二代目より上。つい出てしまった傲慢。


 そこをあの人間に突かれた時、最初は当てられた事より腹がたった。


 親として子より上にいて何が悪いと。


 だが。同じ母でありながら君主となった娘を立てる轆轤ろくろを引き合いに出されては、自らの狭量に気付く他は無い。


 どちらの娘もその辺りの町娘ではない。国の長なのだ。親とはいえ長を差し置いて頂点のごとく振る舞えば群れが乱れる。


 ムササビは群れぬがそれでも獣の化生の端くれ。自らを屏風覗きと称する白石の言い分は、経立としてこれ以上ない説得力だった。


「母親っちゅうんはそんなもんやろ。子がいくら大きゅうなっても、心の中ではぴいぴい泣いとった小さい頃のまんまや」


 うちが腹を痛めたわけやないから、立派に産んだおどれと一緒かは分からんがの。


 続けられた言葉に黄金こがねは初めて轆轤ろくろを見る。


 付喪神は子を成せない。いかにうまく女の姿に化けていたとしても。それはどうしようもない事。


 ものが猫の母と名乗ったとて、誹りを受ける謂れは無いと他の者に豪語はしよう。


 しかし心の内ではちゃんと親が出来ていたかを思い悩まぬ日は無い。


 この身ではどうしたって乳などやれなかった。それが今も少し――――悔しい。


「やめや、やめ。祭りの日に辛気臭いんも馬鹿らしいわ」


「自分から振っといて勝手なだねぇ」


 女という言葉に少しだけ強調が入った事を感じ、轆轤ろくろは皮肉気に笑みを浮かべた。これでは逆。励ましてやるつものがあべこべになってしまったから。


 物でも女。産めずとも母。そう遠回しに励まされてしまった。


「色気付いたのは人間あれのせいかい? 趣味が悪いことだね」


 思わず口に出した言葉の意図を遅まきなからに自分で察し、轆轤ろくろに意図が伝わった事が気恥ずかしくなった黄金こがねは、やや不自然に話題を逸らした。


すごいやつだろえらいやっちゃろ? 特に口がうまいのなんの」


 気遣いを汲み、轆轤ろくろも話を合わせてやる。


 互いに面と向かって礼を言うほど素直では無かった。


「世事は下手だけどね――――うまいね、これ」


 昔から食べ慣れているはずのしけた肴に思いがけず感心する。


 黄の初代君主であり、今はちょっとばかり後ろ暗い金貸し時代に戻ってそこらの富豪より銭は持っている。酒も肴も、それこそ大陸の妃の如く贅沢ができる身分となった黄金こがね


 しかし結局は馴染みのある粗野な味に舌が戻ってくるのかと、黄の古妖怪は誰に向けるでもなく苦笑した。


「今のご時世でも藍から仕入れてる屋台があっての。やっぱり魚は藍の海のもんがうまいわい」


 三口目のために開いた口をそのままに、藍の国名を聞いたムササビは眉をひそめる。


 去年から藍の雲行きが怪しいのは黄ノ国でも掴んでいる。すわいくさの準備ではと警戒を露にする家臣たちも多い。


 特に今年も祭りに招待したはずの藍から断りを受けたのがいよいよ決定打。使者はもっともらしい断り文句を述べていたが、他国への警戒心が露なのは丸わかりだった。


「藍の間者じゃないだろうね、そいつ」


「使えるかいあんなん。藍もお断りやろ」


 チビチビと食べる黄金こがねと違って一気にしゃむしゃむと小魚を咀嚼した轆轤ろくろは、手にしたますをこれもまた一気にあおった。


「まあ? うちんとこの餓鬼ジャリが何を思ったか、あの女に間者の真似事をさせとったがな」


 南で屋台を営む目玉しゃぶりは過去に買い付けのついででいいからと、藍ノ国の情報収集を屏風覗きに依頼された事がある。


 もちろんそこは素人のする事。ひとつを除けば大した情報を得られることはなかった。


「縄張り荒らされた連中から文句は出ないのかい? 白の隠密はおおらかだねぇ」


「ホンマに下手くそすぎたらしくてのぉ。却って良い目くらましになったと。間者の連中からすると悪目立ち過ぎて、むしろありがたかったそうやで? 実際に素人トーシローやでな。とはいえ無視も出来んから藍もつい目が向いてまう。その間に本職が伸び伸びと仕事が出来るっちゅう寸法や」


 だが轆轤ろくろから見てあの女が『役にたった』のは事実である。


 ――――屏風覗きが銀量時の狸に勝負を挑まれたとき、最初の食の勝負において根回しをされた白陣営は勝負用の菓子を作ろうにも材料を調達出来ない事態に陥っている。


 しかも勝負の決まりとして自分からは他国に買い付けにいく事さえできないという状況。


 そこにたまたま現れたのが件の目玉しゃぶり。他国で出会った知人に頼むという形で、うまく決まり事の抜け道をすり抜けて材料の調達に成功したのだ。


 しかも彼女が目立ったことで華山の悪鬼頭、彌彦いやひこの目に留まりその助力をも得ることが出来ている。


 むろん、結果自体は目玉しゃぶりが有能だからというものではない。むしろ『たまたま』材料の食材の調達に適した知人に出会う『運』を持った屏風覗きの功だろう。


 屋台の商品の調達で藍に行き、別の材料のために黄にも立ち寄った目玉しゃぶり。その動きにそれ以上の意図は無い。


 だがしかし、これ以上無い場面でかち合った。早くても遅くても物事はうまく運ばなかっただろう。


「なんや知らんがな。あの餓鬼がきがやった事はずいぶん後にうまいこと帰ってくんねん」


 その場では無駄な事に見えても。悪手にさえ思えても。周り周りって最後は利になる。轆轤ろくろは最近になってそう思えるようになった。


「何が言いたいんだい?」


「あの餓鬼ジャリに手ぇ出すと後がおっかないっちゅうこっちゃ。山の天狗や寺の狸の事は知っとるやろ?」


 天狗山の黒曜。銀量寺の戒厳かいげん。いずれの首謀者もそれまで大物と呼ばれながら悲惨な最期を遂げている。


 大きく見れば白ノ国との対立による順当な結末だが、よくよく事を覗いてみればその一番の原因は『屏風覗きと敵対した』事が決め手となっていると轆轤ろくろは見ていた。


 他にも白の城下に巣くっていた悪党ども。恙虫つつがむしと山彦。さらにはちょっかいをかけてきた赤の豪族たちも破滅している。


 これらに共通するのはいずれも屏風覗き。あの人間が歩んだ後ろにはいつも敵対者の死体の山が出来ているのだ。


 ――――下界で殺した人間軍の数も加えれば、あるいは幽世四国を見回しても十指に入る殺害数かもしれないほどに。


「国ともども身に染みたよ。やり込められたのは久しぶりさ」


 まだ軽薄な黄金こがねの物言いに理解の不十分を感じた番傘だったが、それを正す言葉を思いつけず小さく溜息をつくばかりだった。


 下界にも付き合い屏風覗きを守ってきた轆轤ろくろと、あくまで他国の者である黄金こがねでは認識の深度に差があるのは仕方ないと言える。


「ほれ」


「おう」


 轆轤ろくろの空いたますに自分の酒樽から酒を注いでやる黄金こがね。その意味は『情報の代金代わり』。


 自分がこの傘にそうしたように、轆轤ろくろなりのやり方で黄金こがねを案じているのだと気が付いた。


 ならば返礼くらいせねば妖怪の名が泣く。


「人間嫌いが入れ込んだもんだ。ずいぶん買ってるじゃないか」


「ええやろ? おかげさんで肌の張りも戻ったわ」


 付喪神の轆轤ろくろは何かしらの形で人と関わらなければ滅ぶしかない。だというのに人が嫌いだからと遠ざけて弱り切っていた番傘が、今は黄金こがねから見ても驚くほど生気に満ちていた。


「皮も張り直したしの。前のはぜんぶ供養した――――切支丹のやり方や無いけどな」


 白で切支丹の神である『でうす』の信仰は認められていないし、轆轤ろくろも彼らの供養のやり方など知らなかった。


 国の知識人を当たれば知っている者もいたかもしれないが、番傘はある考えからそこまでしてやる気は失せていた。


 彼らが信仰した神が謳い文句の通りに慈悲深いというのなら、供養の仕方など細かい事を言わずに彼らの魂を救ってくれるだろうと考えて。


 そうでないならそういう神だ。そんなろくでなしを信仰した事が彼らの不幸だっただけ。


 ――――白ノ国は豊かだ。優れた指導者となった轆轤ろくろの義娘を信じてついてきた人々は今、その恩恵を存分に受けて存分に栄えている。


 これを見れば轆轤ろくろにはわかる。彼らとそれ以外の大きな違いが。


 頭上に頂いた存在が明暗を分けたのだと。


 万能を説いておいて誰の救いにもならぬ存在より、ひとりの君主として多くの者を栄えさせる猫のほうがよほどマシ。


 ならばもう嘆くことも無い。


 あの日、朽ちた呪いの番傘が見たのは崩れ落ちる虚構の祈りから逃げ出せなかった者たちの最後。火の手から逃げ遅れた哀れな鼠の末路。


 彼らは彼らの選択を受け止めたに過ぎない。日和見の者たちとて結局はそうなる道を選んでしまっただけに過ぎぬ。


 たとえ自分で選ぶ自由がなく、最初から破滅に向かうしかなかったとしても。それもまた生きとし生ける者すべてによくある事。善行を積んだとて幸福は約束されぬし、悪逆を尽くしたとて大往生する者もいる。


 つまりは運が無かったで片付く話。轆轤ろくろの生涯だけでもよく見聞きした結末。世のどこにでもある悲劇でしかない。


「古道具が色気つきやがって」


ねずみの干物より見てくれはええわい」


 ここで初めて互いに目線を合わせたふたりだったが、それ以上は続けずますをあおった。


 かすかに口から零れた酒をぬぐった黄金こがねは、少しばかり考えてから轆轤ろくろに体ごと向き直る。


「物は相談なんだけどねぇ」






 その後。祭りの最中だと言うのに町から駆り出された職人たちの手によって、城の屋根瓦の一部が敷き直される珍事が起きた。


 その少し前に城下町のあちこちから『白猫城の屋根で大喧嘩をする古妖様のお姿が見える』と怪情報が流れたが、その件と関係しているかは定かではない。








 ――――うちの娘にあれ、くれないかい?

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