第815話 屏風×2

 疲労が抜けない。体から変な汗が出てくる。


 過去に出血多量でフラフラになった時の事を思い出す体調。あのときもずいぶんしんどかったものだ。


 介添えのとばり殿に支えられ、さらにろくろちゃんに体を操ってもらってなんとか歩いていたっけ。なにせ泣き言を言える場面ではなかったからなぁ。


 だからこそ二度目なら慣れたものだ。病や怪我に悩まされた人は自分の体との付き合い方が存外わかってくるもの。屏風これもしょっちゅう怪我をしたりするので不調との折り合いのつけ方は慣れている。


 下界から幽世へ。ろくろちゃんからすぐひなわ嬢に預けられた屏風これは、薬師の頭巾猫たちの下に連れていかれた。


「姉やんたちにはうちが言うてくるわ。ほならひなわ、兄やんよぉぉぉく見張っとき。小便言うても布団から出すなや」


 そう言って報告を肩代わりしてくれた姉に感謝しつつも、一抹の不安が拭えない。なにせ知り合いの大雑把カテゴリー筆頭の『弟の前だと平気で尻を掻く系お姉ちゃん』である。方向性は違うが秋雨氏と胴丸さんが大らか系でタイ。


 後者はたぶん師匠の影響だろう。それとトイレは這ってでも自分で行かせて頂きたい。尿瓶は本当に嫌っす。 


 金糸白頭巾のリリ様は別件で手が離せないようで不在。


 あの方も国のトップに近い上に、御前からお叱りを受けて降格したとあるイケボの仕事まで丸被りしたとかでとても忙しいのだ。


 いや、困ったものですな。ねえ元みるく様。


「さすが口八丁の白石殿。体は利かずとも口だけはよく滑るようで」 


 不機嫌そうにパンと勢いよく扇子を広げ、ヒラヒラと仰ぐたびに黒い頭巾の前垂れが揺れる。


 向こうに見える瞳は赤い。アルビノと呼ばれる体質を持って生まれた白い猫は、こちらの物言いを聞いて『受けて立つ』と言わんばかりに鼻を鳴らした。


 こんな嫌味をわざと当猫当人の前で言うのはいかがなものかと窘められそうだけど、まず先に仕掛けてきたのはこの性悪キャッツである事はハッキリさせておきたい。向うだ、向こうが先なのだコノヤロウ。


 ――――ひなわ嬢の肩を借りて治療に使われる部屋にやってきた屏風これに対し、猫たちは予めリリ様によって処方されていたらしいお薬を飲ませて休ませてくれた。


 体調的には最悪だが気分的には和風猫カフェにでもやってきて、猫に囲まれて畳のど真ん中で寝そべっている感じで実に心地よい。


 ああ至福。どっちを見ても頭巾を被ったプリティな猫の姿があちこちに見える。ぜひ布団の上をのしのしと跨いで行ったり来たりしてもらえないだろうか。


 このさい元みるく様でもいい。性格はとかもく姿はいたって普通にキャットであるからして。


「旦那ぁ、休む時にまでキョロキョロしなさんな。疲れが取れませんぜ? 目ぇ瞑ってるだけでもだいぶ違いやすから、このまま寝ときなせえ」


 キャッツとの戯れの誘惑に駆られる屏風これに呆れながらも、疲労と薬の影響で噴き出る汗を拭いてくれるひなわ嬢。


 いやホント余計な仕事させて申し訳ない。


 幸い別に病気というわけではないのでこのまましばらく休んでいれば、なんとか茶会までには動ける程度には戻るでしょうとの事。問診してくれた頭巾猫( ブチ猫。目が細く顔が優しい感じ)の見立ては確かだろう。


 ただ今回処方した薬は飲むと体臭がいささかにおってくるタイプだそうで、香を焚いて誤魔化しましょうとも言われた。どうも管楽器のマークが目印の胃腸薬みたいな副作用があるようだ。


 あれはさんざんお客に臭い臭いと言われたから臭わないタイプを作ったら、今度は臭わないと効かない気がすると理不尽な文句を言われたという逸話でも有名な市販薬である。


 個人的に臭いほうが効く気がするのは同意するけどさ。ニンニクだって無臭の物よりガッツリ臭いほうがおいしいし元気になれそうな気がするもの。


 病は気からとか申しまして。食事の味も薬の効能も、たぶん当人の気分が大事なのだろう。


 そうして香待ちもあって寝かされている間にやってきたのが元みるく様である。


 しかも布団の横に座った早々に自慢のイケボでおお臭い臭いとか言い出して、人をまるで附子ぶすのように扇子でパタパタと扇いできやがりました。


 これでは嫌味のひとつも言いたくなるよ。こっちに構ってないで自分の仕事せえや。サボリか? サボリだな? 後でリリ様に言いつけてくれる。


「ご心配なく。仕事の真っ最中でございます」


 おのれ部屋の空気清浄係かコノヤロウ。換気なら窓を開けてどうぞ。においが付くのを嫌がってか、前に見た高そうな扇子を使わず質素な品を使っているのが二重に腹が立つ。


 ちなみに附子ぶすとはトリカブトの事だ。


 狂言か何かで水あめを毒だと偽った話に出てくるもので、若い使用人たちが匂いだけでも死ぬと聞かされた事で附子ぶすの仕舞われた戸棚に近付くさい、パタパタと扇ぐ場面があったりする。


 有名なトンチ小坊主の話にもこれを基にした話があるから知っている方もおられよう。あっちは水あめじゃなくて黒砂糖だったかな?


 そうこうしているうちに回ってきた薬と布団の暖かさは体に染み込み、やがていつも散らかり気味の思考も停滞して、ドロドロと溶けて何も考えられなくなっていく。


「眠いんでしょ? 時間が来たらあたいが起こしやすから。今はゆっくりしておくんなさいな」


 いつも軽薄で蓮っ葉な口振りをしているひなわ嬢の口調も、今日はどこか優しく染みる。この子が心配するほど弱って見えるのだろうか?


 いや、意外と優しい子だったな。この子自身が思っているよりずっと。ちょっと表現が不器用なだけ。


 じゃあ少しだけ、この穏やかな空気に誘われよう。


 いつもは昼寝などするほうじゃないけれど、プールの後のような心地よい睡魔に逆らえない。


 ――――もしも屏風これなんかが畳の上で上等に死ねたなら、こんな感じに知り合いの妖怪たちに囲まれて、穏やかに看取ってもらえるのだろうか?


 贅沢な望みだ。ひとりぼっちで野垂れ死ぬのがお似合いだろうに。


 例えば下界の片隅で。歩き疲れてそれっきり。


 そのくらいがお似合いだ。






「ボチボチですぜ、旦那」


 人が一番起こされて辛いのは寝てから2時間くらいとか聞いたことがある。周期的に深い眠りに入ったタイミングになるので、それだけ覚醒がしんどいらしい。


 しかしいつ起こされても辛いものは辛いのでは? 個人的には寝入りっぱなが特に辛い。


 仮眠に取れた時間が30分くらいだものなぁ。あっと言う間だった。


 やや遠慮気味に体を揺すられていよいよ意識が浮上する。瞼がふやけたガムにでもなったように張り付いてなかなかハッキリ開いてくれない。気のせいか後頭部が妙に暖かくて、寝ていて気持ちよかったのもあるだろう。


 当然として疲労は抜けていない。頭が覚醒しても体のほうはまだ休みたいと抗議している。


 体よ、生きている以上遅かれ早かれ永遠に休める事になってしまうとはいえ、前倒しで休み続けて無職になるわけにもいかないのだ。だから今日も起きて仕事するしかないのです。ああ辛い。


 諦観という名の社会人根性を出して起き上がろうとしたとき、思いがけずゴッと頭が何かに当たった。あと『いてっ』という声が聞こえた。


 ショボショボの目を擦って開けると屏風覗きが寝ていた枕元で、顔を押さえているひなわ嬢がいた。


 ああ、これはすまない。こちらを起こそうとして覗き込んだ時に、タイミング悪く屏風これが上体を起こしてぶつかってしまったのだろう。


 元みるく様もひなわ嬢も、眠る前は布団の横に座っていたから油断したよ。


 なんでかひなわ嬢はこちらが寝ている布団の頭側に座っていたらしい。蹴とばした枕でも入れ直してくれたのだろうか。


 幽世の枕って高さがあっていまいち合わないから寝ている間につい外しちゃうみたいなんだよね。離れでも朝起きたら度々どっかに行ってしまう。個人的には座布団をふたつに折ったくらいが丁度いい高さかな。


「い、いや平気でさ。それよりもう着替えが用意されてるんで、顔洗ったら着替えてくだせえ」


 刻限を聞いたらアウト。え? 30分どころか1時間過ぎてる。これは失態。ひなわ嬢が起こしてくれてもまったく起きなかったようだ。


 慌てて用意をしようとわたわたするも、ひなわ嬢から『みっともない恰好では却って失礼ですぜ』と言われて観念する。


 確かに。風流を楽しむ茶会に寝汗をかいた襦袢でドタバタと走り込んでは失礼極まる。遅刻はもうどうしようもないのだし、誠心誠意謝るしかあるまい。


 白・黄・赤の偉い方が出席される席を遅刻した事を謝る。うーん、これは斬首か切腹が十分にありえる。


 すでに置かれているたらいで顔、そして首を洗う。こういう意味じゃないと思うけどとりあえず。眠気はもう吹き飛んでしまった。


 辞世の句でも考えた方がいいのだろうか。詠ませる舞台を頂けるか微妙なところだが。


「いやいや、旦那。そんな悲壮な顔しなくても。これには――――」


「起きましたか。ならば準備をお早く」


 ひなわ嬢が何か言おうとしたとき、廊下から『屏風覗き』がやってきた。


 な、なんだちみは。思わず往年のギャグが頭をよぎるほど混乱する。


 姿形は屏風覗きそっくり。いや、向こうの方が幾分凛々しいか。インテリ系オーラというか、雰囲気イケメン的な加点がある気がする。悔しい。


 こちらの警戒心を小馬鹿にするような顔つきをした『屏風覗き・雰囲気イケメン』は、その場でビョンと宙返りを披露した。


 はっきり見えたのは白い尻尾だけ。人の手足はいつの間にか影も形も無くなり、後には黒頭巾の見慣れた猫が立っていた。


 元みるく様。


「旦那が寝てる間、旦那に化けて一時間一時ほど場を繋いで下さったんです。寝ても三十分小半時そこらじゃ辛かろうって」


 ボソっと教えてくれたひなわ嬢の言葉に驚き、それから改めてイケボの顔を見た。


「茶会の席で無様に倒れられては、それこそ国の恥ですから」


 では後はよろしく。それだけ言うと元みるく様はこちらの呼びかけに振り向くことなく、音を立てぬ猫の足で廊下の向こうへと行ってしまった。


 なんだよもう。性悪でめんどくさい――――ツンデレのイケボめ。



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